2009年10月17日土曜日

歌枕訪ねゆかば夢枕

昨日は、細切れ奥の細道散歩で、東武宇都宮線・野州大塚駅を午前11時20分出発でした。まずは室の八嶋・大神神社へ行きました。何回か来ていますが、これまでバショウが植えられていたことにはまるで気付きませんでした。たぶん前回来たときには無かったわけではなく見ていながら見えていなかったのだと思います。
ここには明治2年に建てられた芭蕉句碑があって、この地で詠まれた「糸遊に結びつきたるけぶりかな」が刻まれています。
『奥の細道』の某解説書に芭蕉と曾良は、わざわざ遠回りをして歌枕となっている室の八嶋へ寄ったと書いてあったので、そんなものかと思っていましたが、間々田から現在の国道4号線(日光街道)をまっすぐゆくと日光を通らずに那須・白河方面へと行ってしまうので、やはり小山市のあたりで左へ曲がって、鹿沼市の方へと向かうのが良いようです。それならば室の八嶋は少しも遠回りではありません。
今回のメインは、室の八嶋ではなく「金売り吉次の墓」を見に行くことです。金売り吉次、、、一体何者なのか少しも聞いたことのない名前でしたが、何年か前のNHK大河ドラマ「義経」のときに市川左團次が演じていたらしいのです。が、そんな人物が登場していたことなどまるで記憶にありません。
曾良の『随行日記』では、、、「壬生ヨリ楡木ヘ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。」と書かれています。まぁ、それよりもこの度は、嵐山光三郎『芭蕉紀行』(新潮文庫)を読んで探してみる気になったというわけです。
”金売り吉次の墓を捜すのは骨がおれた。曾良の『旅日記』どおり、壬生町より日光街道を二キロほど北上した畑の中にあり、うろうろしたあげく通りかかった地元消防団の人に聞いてやっと捜しあてた。”と書いていますが、嵐山光三郎の「歩く」とは実際に現地に行くという意味のようで、車が通れるところならば、いつもタクシーを使っていたのではないかと思えます。このときも、おおよその見当を付けたところまでタクシーで行って、車を待たせたまま捜したのでしょうね。新潮文庫版に載っているイラストマップを見ると、所在地がどの辺りなのか余計に騙されますので、ご注意を!!(笑)

1 件のコメント:

  1. 嵐山光三郎か、忙しい人なんでしょうね(^^;ゆっくり歩いて楽しむなんてスタイルは気に入らないのでRかもしれません。

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