2009年8月31日月曜日

あさっての方向に何が見えたか!?

四隅を押さえたあとのオセロゲームのような選挙結果となったみたいですね。夏「祭」が終わって、新しい「政(まつりごと)」へわっしょい!!という日ですが、、、空を見上げれば、陽水の「傘がない」が頭の中でエンドレス再生されてしまいそうです(^^;)
速攻型の台風が接近中、、、去年は、関東地方に上陸した台風がなかったので、葉が痛むことなくて紅葉が例年よりも綺麗になったという説がありましたが、本当にそうだったのでしょうか?
なかなか真実というものは分からなかったりするものですが、この夏の間に撮った写真を見直してみると、、、たとえばカラスウリの受粉を助けているのは、夜に活動する蝶や蛾ではなくて、てんとうむしよりも小さいくらいの黒い虫ではないかという感じでした。そんなふうに無駄と思えるようなことを繰り返すことによって、見えてくるものもありそうで、それが真実の一部なら無駄を省こうとやめてしまったことが悔やまれる事となり、さらにさらに何が良くて何が悪いかなどなぞなぞもしもし霧の中、、、。

2009年8月30日日曜日

いっぽん秋風吹けば、何処へ行くにっぽん

写真は、今朝7時半ですが、もうお台場・潮風公園は人がいっぱいでした。この1ヶ月でガンダムを見に行った人って、、、100万人超くらいでしょうか???
夏休み中だから曜日は関係ないような気がするのですが、そうでもなくて日曜日だからなのかフジテレビの前にも、長い列ができていました。
お隣のビッグサイトは、日本テレビのイベントで賑わっていそうです。ああ、またお盆の時のように夕方は動きのとれない道路と化していました。雨も降ってきて、濡れたまま遅れているバスを待っている人もいました。

さて、衆議院議員選挙も終わって、明日から何か変わってゆくのかなぁ……。

2009年8月29日土曜日

サンバで夏、さらばサマータイム

第29回浅草サンバカーニバルを見てきました(^^)
ちょうど正午頃に東武浅草駅へ到着しました。まずは浅草寺の裏手へ行って、パレードに使う車への装飾準備をしているところを見物です。けっこうぎりぎりの時刻まで、切ったり貼ったりの作業が大変そうでした。
昨年、見物ポジションにしたあたりは、招待客席となってしまって、背後は高い幕が張られて一般客はまるで見られない状態にされていました。ずっと日陰になっていて良いところだからでしょうか、、、。暑いのを我慢で、通りの反対側で見物位置を確保。まぁまぁよい場所かなぁと思っていたら、始まったとたんに前に座っていた親爺が脚立の上に仁王立ちになり、全く見えないのでした(^^;)
数メートル移動したものの、やはりだいぶ後ろなので、カメラは背伸びして、だいたいの方向へ向けているだけなので、構図もなにもなしです(笑)
午後3時くらいにやっとビルの陰となって、ギラギラ太陽から逃れるとともに、だいぶ前の方に行けました。それでも、ふと気がつくと押されて移動してます。
スタート地点は、午後5時20分でもう警察と業者がど~んとやってきて撤収がはじまりました。6時くらいまで、街をうろうろしてから帰ってきました。疲れました、、、。

2009年8月28日金曜日

踊れ!!TOKYOぶぎうぎ♪

明日は、原宿表参道で「スーパーよさこい」、浅草では「サンバカーニバル」、高円寺は「阿波おどり」と、どれも100万人前後の人出となるイベントが同日開催ですね!!(^^)

今日は、朝9時半に浜松町駅前からのお散歩開始でした。ここからのスタートの時は、増上寺を通り抜けて、東京タワーの前を通り、神谷町のほうへと向かうことが多いのですが、途中で道端に立っている地図を見たら芝東照宮というのがあったり、古墳があったりするようなので、まずはそっちのほうへと歩いてみました。
桜田通り沿いにある八幡神社で、蝉の写真をまたいっぱい撮りました。使用しているデジカメは動画の撮影が出来てもマイクらしきものはどこにも付いていないので、音声は収録されないようです。なのでもう静止画のみです。蚊にずいぶんあちこち刺されてしまいました。
それから、高級高層住宅街(?)の城山ガーデンへ、、ここは昨年、セミが手の届く高さにいて近づいても逃げない!!ということを発見させてくれた記念すべき場所でもあります(笑)
泉屋博古館分館、大倉集古館、菊池寛実記念智美術館と、そう広くない美術館を続けて見ました。が、あまり興味のある展示には遭遇できませんでした。
ちょうど正午頃となって、不案内な場所で食事する場所を決めるのが嫌なので、時間潰しで愛宕神社とNHK放送博物館へ行ってみました。
 (写真は、NHK放送博物館にあった藤山一郎氏の鞄)

2009年8月27日木曜日

熟々完熟、永々未熟

ロースだ!!カルビだ!!と焼き肉を食べている途中には、あまりなにも考えていませんが、、、人類の科学技術みたいなものがさらにさらに進歩すると、「牛」という生命体を経ないで、牧草をおいしい牛肉に変えてしまうようなことができるのでしょうか?石油が無尽蔵にでてくると思われていた時代には、石油からお肉をつくるという研究もあったようです。
話は飛びますが、、、種子が取れるような完熟きゅうりや完熟茄というものを見たことがないような気がしてきました。どこかの畑の片隅に投げ捨てられていそうな感じがしますが、種が何色でどんな形なのか、ちっとも思い浮かべることができません。食用にするキュウリは、花が終わって3日とか一週間くらいで収穫してしまう未熟ものということでしょうか?
写真は「からすうり」の実ができつつあるところです。この頃に齧ってみれば「瓜」らしい味がするのかもしれません。朱色の実に変わってから、はじめてそこにカラスウリの実があると人は気付くことになります、、、。

2009年8月26日水曜日

5辛ットの輝きとともにさようなら

すっかり忘れていましたが、、、今日はお仕事関係の飲み会の日で、帰宅したのは23時近くになってしまいました。会社が毎年一人あたり1万円の宴会予算を支給してくれるようで、昨年は冬に1万円コースのフグ鍋を頂戴しました。今年は、夏と冬2回に分けて5千円ずつ使うとのことで、肉食系の意見が通って、新橋へと移動し韓国系焼き肉食べ放題のお店となりました。
直接、各個人に1万円ずつ支給してくれて、ひとり暑気払い・ひとり忘年会など自由に使えるならばありがたいのですが、そうは出来ないみたいです。
お仕事は8人ほど1チームで動いているのですが、リーダーが来月くらいで他へ移動になるということを初めて聞きました。わたしは、ここ2年くらいの間に全チームをたらい回しにされ、、、どのリーダーとも相性が悪くて、今のリーダーの下でかろうじてお仕事を続けているような感じなので、サブリーダーがそのまま昇格したら、また悪夢の日々になりそうな予感、、、。
お肉のタレは、デフォルトで5種類あったのですが、、、わたしには全てが辛すぎて、結局どれも醤油で食べました。キムチは、いつも咳が出て飲み込めないので、今日は箸を付けませんでした(^^;)

帰りがけに、いつもカラスウリの花の写真を撮っているところを通りましたが、今夜はひとつも咲いていませんでした。もう夏もお終いなのかもしれません、、、。

2009年8月25日火曜日

負われ追われて赤蜻蛉、青いお空を飛びたいな

久しぶりでプチ遠出しました。前日光・井戸湿原へと行ってきました。
前々から気になっていた場所でしたが、電車やバスなどの公共交通機関を利用すると、長い距離を歩かなくてはなりません。マイカーならば、前日光ハイランドロッジという宿泊も出来るレジャー施設に車を駐めてすぐです。
山歩きをご無沙汰していたので、なかなか身体が動いてくれず、朝8時半から歩き始めて、井戸湿原への到着は午後1時になってしまいました。あちこちでトンボが乱舞していましたが、今日は蝉の鳴き声は全く耳にしませんでした。
長居の出来る時間はないので、湿原の周回路を半分だけ歩きました。戻るのにまた4時間以上かかると最終のバスに間に合わなくなってしまうので、「三枚岩新道」という近道から帰ることにしました。
ほぼ正三角形の二辺を使って山を登り、残りの一辺で下りるようなものなので、距離は短縮できますが、かなりハードな下りとなりました。およそ2時間短縮して、楽々帰りのバスの出発時刻に間に合いました。
ハイキングコースを16キロ、その他もろもろを合わせると今日は20キロ超歩いたことになりますが、食べるものも食べてしまって、かえって体重は増えてしまったかもしれません(^^;)

2009年8月24日月曜日

しおしおさんさんみんみん無声

まずは芝離宮恩賜庭園を一巡りして、シオカラトンボとミンミンゼミの写真がいっぱい撮れました。今日のアカトンボは激しく飛び回っているのがほとんどで写真には写せる状態ではありませんでした。
JRで浜松町から目黒へと移動して、東京都庭園美術館に入りました。「ステッチ・バイ・ステッチ針と糸で描くわたし」という展示が行われています。ドラキュラが着たら似合いそうな巨大なマントがありました。
この美術館は、朝香宮邸としてアールデコ様式で建てられていて、ルネラリックによる正面玄関のガラスレリーフ扉など、、、美術品が展示されていなくても鑑賞にたえうるものです。建物自体の鑑賞展は、来年の3月25日から予定されているようです。
庭に植えられている桜の木は、明治45年に東京市からアメリカ・ワシントン市へ贈られたポトマック公園にある桜が里帰りしたものだということです。この桜の木々に蝉がたくさんいました。
ふと思いついて、ミンミンゼミが鳴いているところを、かなり長く動画として撮影してみました。ところが、、、帰宅してからパソコンで再生してみたら、なぁんと音声が聞こえ無い!!そういう仕様のデジカメだったのかどうか謎です(^^;)
目黒駅前では、「目黒のさんま祭り」として9月6日に6000匹のサンマ無料配布や無料の寄席があるようです(^^)

2009年8月23日日曜日

ちいちいぱっぱ、進め!!の学校のすずめたち

稲が実る時期になると例年いつも小石川後楽園の中の「田端」に水戸黄門仕様の案山子が立てられたりしているのですが、まだ何もありませんでした。
夜になってからや早朝に蝉は鳴いていませんが、何時から何時までは鳴いてよし!!という蝉種族内の取り決めでもあるのでしょうか?
そしていつの間にか秋風が立ち、もう蝉の鳴き声などしなくなってしまうわけですが、世の中にはそれが何月何日であったかをちゃんと記録している人というのも存在するのでしょうね。
戦争の時のことも、いわゆる「語り継ぎ」みたいなことをしてゆかねばならないのでしょうが、九段にある昭和館の展示物は、うまく表現できませんが、なんだかいまひとつ見る者を刺激するなにかが足りないような感じがしてしまいました。だいぶ前から、へんに巨大な建物ができたものだと思っていましたが、これが国立施設だとは知りませんでした。
スズメの写真を撮ったので、なにか良きフレーズ♪でもないかと童謡「すずめの学校」の歌詞を読んでみたら、、、そのSM倒錯的な内容にびっくりチイパッパです。

2009年8月22日土曜日

風鈴も押し黙ったままの昼下がり哉

ここ数ヶ月間、だいたい二十日前後になると所持金がなくなって、お給料日までには2万円ほどの赤字となっています。毎月2万円ずつの不足では大問題ですが、どこかで生じたマイナスを埋めてはまた現れるということの繰り返しです。
昨日、申請を作為的に遅らせていた給付金をついに受け取りました。給付金で買ったつもりのデジカメは、購入から3ヶ月も経過しないうちに超傑作写真と共に奈落へと消えてしまいました。
この給付金と日々の節約で今月は不足にしない!!とは考えていましたが、そんなことが出来ているなら初めから借金などしないものです(笑)
このところお散歩のお手本のようにしている永井荷風の全集を買おう!!と神田神保町へと向かいました。良いことなのか、そうでないのか分かりませんが全集などの古書価は大暴落したきりなので、たぶん一万円以下で手に入るのではないかと思っていました。
ところが最初に見つけたお店では、小説・随筆・日記が別セットで合計価格は、なんと28000円でした(T_T)
別の店で随筆セットだけが3500円だったので、それだけで我慢しようかと思い、あちこち見て回ってからその店に戻ったら、別の所に違う版のものが2セットあって、全29巻揃い8000円と蔵書印ありが6500円だったので、後者を購入することにしました。宅配送料が1500円なので、支払いは8000円になりました。

九段にある昭和館の展示を見て、小石川後楽園を一回り歩きました。風がなくて蒸し暑く、木蔭などにいても汗が吹き出してくるので、早めにお散歩終了しました。

2009年8月21日金曜日

実りの秋は遠からず

今日は、衆議院議員総選挙の「期日前投票」へと行きました。以前は「不在者投票」と言っていたような気がしますが、いつから変わったのでしょう? 日本語の表現としては、正確になったと言えるのでしょうか???
しかし、とても蒸し暑くて、市役所までは遠くて、、、晴れたり雨粒が落ちてきたりで、ちょいと大変でした(^^;)
最高裁判所裁判官国民審査というのは、23日かららしくて参加できませんでした。
自民党は、邪魔になった麻でも刈り取るだけで、恵みの収穫はなにもないということになってしまうのかもしれません。
もう早生の米は刈り取り時期になってきているのではないかと思います。企画イベントでもないと案山子は見られなくなってきてますね。案山子の数も景気の良悪が反映されてしまうものなのでしょうか?
写真のひょっとこさんは、清澄白河の深川江戸資料館へと入って行く通りにある佃煮屋さん前にいます。背景は、埼玉ですけど……。

2009年8月20日木曜日

あの日には帰れない徒歩ほのほ

今日はなんとなく日本橋あたりにある美術館巡りでもしようと思っていたのですが、思い立ったが吉日モードで、名所旧跡めぐりをちょっとお休みして、自分のルーツに関わるお散歩をしてみることにしました。
昔むかし父方の親戚が日本橋茅場町にいて、幼い頃にはお正月になると必ずお年玉を貰いに寄っていた家はまだ存在するのか否か、それを探してみようとでかけてみました。
地下鉄茅場町駅から子供の足でもそう遠くないところにあったという記憶があるものの明確には憶えていません。実は、十年くらい前にも試みているのですが、その時はまるで思い当たる景色を見つけられませんでした。
大雑把に訊いているのは、、、バブルの頃に地上げ屋に家を売り払って、すぐ近くの新川あたりへ引越したというようなことなので、高層ビルに建て替えられてしまっているのかもしれません。
でもかすかな記憶に符合する路地がありました。たぶん昭和20年代か30年代に建てられた感じの家があって、誰か今でも住んでいる様子でした。その裏側の路地にまわってみると何の会社なのかは分からないけど、戸を開け放った部屋に3人ほどの老人が見えたので、このあたりに○○さんの家がないかと訊いてみたら、一人の人がちゃんと憶えていてくれてました。もしかすると30年くらい前にもすれ違っていた人かもしれません。

ブリジストン美術館で「海」の絵画をみて、皇居東御苑の木蔭でちょっとお昼寝をしました。あしたも暑くなりそうです、、、。

2009年8月19日水曜日

夏を歩けば、、頭かっかして尻すぼみ

「頭隠して尻隠さず」は、キジの生態から生じたフレーズだとは、思ってもみませんでした。「お伽草子」にある鉢をかぶった姫のお話も思い出されます。
防災訓練というのか、、、小学校などでは、今でも地震が来たら机の下に入れと指導しているのでしょうかね???
きのうブログに使った写真を撮った近くには、「小津安二郎紹介展示コーナー」というのがあるようですが、まだ行ってません。作品を観たことがあるかどうかも分かりません。生誕地付近には、案内掲示が建てられています。
それ以外の江東区内にある名所旧跡は、ほとんどが江戸時代のもののようです。江戸時代と一口に言っても長いので、みんなが顔見知りということにはならないでしょうけど、、、平賀源内、滝沢馬琴(生誕地)、松尾芭蕉(宅)、度会園女(墓)、松平定信(墓)、紀伊国屋文左衛門(墓)、間宮林蔵(墓)、伊能忠敬(宅)、赤穂浪士(休憩)、中浜万次郎(宅)などなどがあるようです。まだ見ていないのが、いくつかあります(^^;)
このところ熱帯夜からは解放されて、よく眠れます。

2009年8月18日火曜日

江戸の東のとうざいなんぼく

旧盆も終わって、日本の夏・幽霊の「旬」も過ぎようとしています。今宵は、J法螺~噺の元祖本家のような四世鶴屋南北の終焉の地を訪れました。
ちょっと場所を勘違いしていたので、探して歩くのに時間がかかってしまいましたが、帰りは門前仲町の駅まで3分とかからない近さでした。
今は「黒船稲荷」となっているところが南北の住居跡で、文政十二年(1829)に75歳で亡くなったそうです。当時としては、長生きしたほうと思われます。
いわゆる「土地勘」というにはほど遠い気がしますが、、、北は亀戸天神、東に中川船番所、西に芭蕉庵、南に大江戸温泉物語と広大に広がる江東区内の町々がどうにか頭の中で繋がりだしてきたような感じがしています。それも先日、旧大石家住宅を探すなどして、仙台堀川公園を歩いたことで、行ったことのない空白域がずいぶんと小さくなったからと考えられます。
写真は、黒船稲荷を見つけようとしていたら、となりの町内へとでてしまい、道端に謎のボディーがありました。のっぺらトリオでしょうか???
ところで、南北の墓は、墨田区業平の春慶寺にあるそうで、黒船の自宅から役者さんなどの長い葬列におくられたらしいです。

2009年8月17日月曜日

20年にわたる闇の封印が解かれた?!

収納してある場所は憶えていても取り出すには手前にある障害物を取り除かなくてはならないので、長い間ためらっていましたが、炎天下を歩き回るよりは容易いだろうと意を決めて、捨てるに捨てられない品々をかき分けかき分けして、20年ぶりくらいに「新潮カセットトーク」というカセットテープ音源から三遊亭圓朝・作『牡丹灯籠』(三遊亭圓生)を探しだして聴いてみました。収録されているのは、A面(46分)「栗橋宿」とB面(41分)「関口屋のゆすり」で昭和53年7月12日に都市センターホールでのライブ録音とのことです。
『牡丹灯籠』全編は通しでどのくらいの時間がかかるのか?、それを語り通せる噺家が今存在するのか?なぁんてことを考えてしまいました。
足のないはずのお化けが、から~んころ~んと下駄を鳴らしてやってくる!!ような場面は、別の章のお話らしく恐怖で涼しくなるようなことはありませんでした。歌舞伎の『東海道四谷怪談』にしても初演の時は『忠臣蔵』と並行して、そのパロディ化ということも含んで上演されたようですし、必ずしも現代人が求めるような「恐怖」など無用だったのかもしれません。
これと一緒に10本くらいのカセットテープブックがでてきました。いくつか開封していないものもありました。そうでなくても持っていることすら記憶から欠落しているものばかりです。
三島由紀夫自身が自作の「サーカス」と「旅の絵本」を朗読しているものを聴きながらこれを書いてます、、、。
(写真は、鳥居清長・画「吾妻橋下の涼み船」大判3枚続の部分)

2009年8月16日日曜日

夏空に蝶も時雨を待ちわびる

都バス・境川停留所(江東区)から午前10時にお散歩開始でした。まずは4日前に見逃してしまった江戸時代の藁ぶき民家・旧大石家住宅を再探索です。今日はすぐに見つかりましたが、「公開日/毎週土曜日・日曜日・休日 午前10時~午後4時」と掲示されているにもかかわらず鍵がかかっていて敷地内に入ることができませんでした。お盆なので、ずる休みってとこですかね(笑)
湿度が高くないのは快適ですが、日差しは強烈です。今日は、富岡八幡宮のお祭りだとばかり思っていたので、深川の方へと引き返すことにしたのですが、ポスターをよく見たらお祭りは来週でした。
東京都現代美術館に寄って「MO+夏の遊び場」と題する展示を見ました。清澄庭園では、赤トンボの写真を撮ることができました(^^)
肌が炎上しそうな感じなので、早めに引き上げるつもりでしたが、以前に森下駅近くで探して見つからなかった「芭蕉時雨塚旧蹟」を再探索してみることにしました。
高橋のらくろードでは、御神輿が休憩中でした。こちらは「深川神明宮」のお祭りのようです。蝶も暑さで咽喉が渇いたのか、道路に撒かれた水を吸い上げていました。
荷風が「深川の散歩」というエッセイのなかで「東森下町には今でも長慶寺という禅寺がある。震災前、境内には芭蕉翁の句碑と、巨賊日本左衛門の墓があったので人に知られていた」と書いていました。前に探したときは、寺の中にあるものだと思っていなかったので、地図のマークのあたりを右往左往してました。芭蕉句碑は真新しくて、最近つくりなおされたもののようでした。古い石碑の写真が後ろに掲示されていました。
清澄白河駅へとまた戻って、およそ4時間半、本日の灼熱お散歩終了です。

2009年8月15日土曜日

ぶつぞ~!!どうぞ~!!百戦錬磨百物語

仏像と銅像が喧嘩をしたらどっちが勝ったでしょうか?というなぞなぞがあったなぁと仏像を見る度に思い出します。なにかほかにもっと思い浮かべるべきことがありそうなものですが(^^;)
最近は、日本各地で仏像などが盗まれてしまっているようですね。まぁ高崎や大船や牛久にあるようなサイズだと盗んでしまおうと思う人もいないでしょうけど、、、。
今日は終戦記念日です。お台場のガンダム像を本物の兵器だと勘違いした国があったという報道もあったみたいです。いざという時のために奈良の大仏が立ち上がれるように改造でもしておきますか、「仏勝って砕けろ」ってやつで(笑)
一昨日はお墓参りに行きましたが、、、「春彼岸-お盆-秋彼岸」のうち、なんだか一回置き程度の参加になってしまっています。なので年に一回になってしまった年には、ご先祖様すまぬすまぬとつぶやくしかありません。
今夜(日付が変わっての明日)、NHKでは「日本怪談百物語」という番組が3時間40分放送されるので、ちょっと楽しみにしています(^^)

2009年8月14日金曜日

夏だお盆だ!!行列をつくろう!!


朝の電車は、普段の日曜日などよりも空いていましたが、東京ビックサイトでは今日から三日間「コミケ」のようで、りんかい線は大混雑していました。コミケは、たぶん大半の参加者が生まれる前から開催されているはずですが、、、電車に乗って集まってくる人達を見る限りでは、中学生のように若い子もいなければ、オジサン・オバサンもいないようで、9割くらいを占めていそうなのは、二十歳前後の年齢層だけに思えます。参加したことがないので、実態はよく分かりませんが、、、。
そして、お台場周辺は、車が身動きとれない大渋滞となっていました。例年、某テレビ局のイベントだけでは、そんなに溢れかえるほど人が集まることなどなかったと思います。とにかくぞろぞろぞろぞろ、とぎれもせずにぞろぞろぞろぞろ、、、ガンダム詣での人がぞろぞろぞろぞろ、きのうもきょうもぞろぞろぞろぞろ凄いことになっているようです。
バスに乗ったら30分かかって100メートルくらいしか進まないので、もったいないけど次のバス停で降りて、潮風公園などをお散歩してきました。あすもあさってもまたぞろぞろぞろぞろ、あきもせずにぞろぞろぞろぞろしてそうです。

2009年8月13日木曜日

もう消えてしまった青い線を辿って……

「雷門といっても門はない」という書き出しで始まるのは、永井荷風が昭和11年4月に書いた随筆で「寺じまの記」です。岩波文庫『荷風随筆集(上)』に収録されています。この時の取材が、やがて『墨東綺譚』という小説になったようです。
雷門という門は出来ましたが、「寺島」という地名は消えてしまいました。昭和7年生まれの漫画家・滝田ゆうの代表作『寺島町奇譚』に描写されている滝田自身が「わがふるさと」と呼ぶ街は「今はもうない」というくらいに地名だけでなく昭和の情景はもはや本当に残ってはいないのか、それの確認をするために昨日、東向島へと行ってみました。
まずは東武鉄道のガードに沿った道を少し北へ行きます。間もなく古くからの商店街であったと思われる「大正道路」と交差します。斜め右へと続くところを今は「いろは通り」としているようです。
道にはみだすように商品を並べて売っているスーパーの奥に寺のようなものが見えたので入ってみると、、、「寺じまの記」から引用した文章を掲げている「満願稲荷」がありました。
そこから裏路地へ、、、『墨東綺譚』にでてくる「玉ノ井稲荷」(現・東清寺)のほうを探しました。東清寺はなんの風情もないような3階建てくらいのビルでした。「玉の井稲荷」と彫られた真新しい石碑がなければ通り過ぎてしまうところでした。
昭和20年の東京大空襲が全てを焼き尽くしたのかもしれませんが、『墨東綺譚』に描かれた街は、なにひとつ残っていないようでした。
夏空が広がって、訪れる人がまばらな向島百花園も蝉の鳴き声に溢れていました、、、。

2009年8月12日水曜日

深川・木場の水の街をすいすいすい

ぷち台風一過で強い日差しとなりました。今日は、門前仲町からお散歩スタートです。ここから出発する時は、ほぼいつも清澄白河へと向かうのですが、方角を変えて、まず木場公園へと行きました。その中の「都市緑化植物園」というところで、花の蜜を吸いに来るクマバチの写真がいっぱい撮れました。
公園の中央部にある巨大な吊り橋を渡ってからは、東京都現代美術館のほうへは向かわずに、実際にはどのあたりにあるのか知らないのですが、前々から気になっていた江東区内最古のかやぶき民家・旧大石家住宅を探してみることにしました。それは仙台堀川公園の中にあるはずなのです。
仙台堀川公園は、延長3.7Km、面積10.4haと書いてありました。これに延長1.9kmある横十間川親水公園などがつながっていて、広大な水辺公園となっています。イラストマップ風の公園地図看板は、あちこちにあるのですが、現在地を示す以外は同じ地図なので、どれにも旧大石家住宅が書き込まれていません。
どこも蝉の鳴き声が凄くて、セミの写真も山盛り撮ることができました。が、、、殆どがアブラゼミで、まれにミンミンゼミという感じでした。
途中、工事中で迂回しなくてはならない場所があって、少し飛んでしまいましたが、目的の住宅はその部分に存在していたのか、公園の端から端まで歩いたにもかかわらず発見できませんでした(^^;)
大島稲荷神社で、存在することも知らなかった芭蕉像を見つけました。これでいくつの芭蕉像を見たことになるのか???どれも互いに似ているところがない別人顔になってます。
東向島まで延々と歩くつもりでいましたが、東武鉄道の亀戸水神駅があったので、電車で東向島へでました。

2009年8月11日火曜日

伏魔、倖せの赤パンツを求めて

四谷四丁目の先は、、、どこへ歩いて行くか、急に考えが纏まらなくなってしまいました。魑魅魍魎が跋扈していそうな新宿の街へ向かう元気はなくて、どこへでるのか分からないまま歩いていたら御神輿を担いでいました。あちこちに水槽とバケツが用意されていて、神輿の担ぎ手達に水がかけられていました。後になって掲示ポスターから「市谷亀岡八幡宮例大祭」であると知りました。この神社にはだいぶ前に一度行ったことがあるような記憶があります。
いつのまにか靖国通りを東に向かって歩いていました。防衛省の建物が、まるで堅固で巨大な山城のように見えました。原爆でも破壊できないような地下設備だってあるのかもしれません。その後ろをゆっくりと通過してゆく飛行船が浮かんでいました。右翼の街宣車が、次から次へとがんがん新宿方面へ走ってゆきます。
市ヶ谷から地下鉄有楽町線に乗って東池袋駅へ、、、ほとんど雑司ヶ谷へ戻ったようなものです。ここから都電に乗り換えて、庚申塚駅で降りました。巣鴨のとげぬき地蔵へ行ってみることにしました。「おばあちゃんの原宿」といわれている地蔵通商店街は、不滅の賑わいという感じでした。知人へのプレゼントとして、開運赤パンツ・赤肌着を買っておこうと思っていたのですが、贈答品にするにはあまりに低価格なので、考え直しです。
帰りの電車のなかで、もの凄い雨になってました。きっとどこかでプチ洪水になっていそうな降り方でした。運良く(?)帰宅して、間もなく激しい雨となったので、濡れないですみました。そして、地震。

今朝の地震は、爆睡中でまったく気がつきませんでした。連日の地震、雷ですが、、、恐いもののなかで「親爺」だけはもう復権することがないのかもしれません。

2009年8月10日月曜日

星が涙になる前に、赤い鳥逃げた!?

天気予報で言っていたよりもずっと早く、未明から強い雨が降ってました。その雨の中、、、湾岸警察署前にはテレビ中継車などがいっぱいでした。今週から夏休みの人も多いのか、朝夕の電車は少し空いていました。

昨日、雑司ヶ谷霊園からは歩いて鬼子母神へと向かったのですが、とても遠回りをしてしまいました。「創業一七八一年」という看板の付いた駄菓子屋さんが営業中でした。江戸時代にはどんなものを売っていたのでしょうね???
鬼子母神からは、学習院大学の前を通って目白駅へ出ることにしました。このあたりは、今までに来たことのない空白域です。目白駅近くで地図看板を見ると500メートルくらい先に日本庭園があるようなので、寄ってみることにしました。高級住宅地のような中に「目白庭園」がありました。豊島区立で無料です。大正7年にに、この地で創刊された文芸雑誌「赤い鳥」にちなんだ「赤鳥庵」という数寄屋造りの建物もありました。
その先、西武池袋線を越えたところに「上がり屋敷公園」という凄そうな名前の公園まで行ってみましたが、真ん中にケヤキの木が一本あるだけでした。近くの坪田譲治旧宅を見て、目白駅へと引き返すときに千草画廊も見つけましたが、、、「赤い鳥」関係の知識はまるでないのでした(^^;)
西武線の電車は全連結車両が銀河鉄道999塗装のものが、いくつも走っていました。JR山の手線で信濃町駅まで移動して、久しぶりにお岩稲荷(陽運寺)へ行きました。ここは、いつ来ても生け花(?)などが綺麗に飾られています。それがけっこう好きです。
大昔にテレビで見た歌舞伎役者などが四谷怪談を公演するときにお参りしている所となんか違うと思っていたのですが、、、ほんの少し先にもうひとつの於岩稲荷(田宮神社)があったのでした。今まで知らずにいました。
このあとは新宿歴史博物館へ行くつもりでいましたが、なぜか昨日書いたように四谷四丁目へと歩いていました、、、。

2009年8月9日日曜日

レイトレイジーアフタヌーン2

今日の霊都散策は、地下鉄日比谷線・南千住駅前にある小塚原刑場跡からスタートです。高さはおよそ4メートル、27個の花崗岩を組み合わせて寛保元年(1741)に建立されたという首切地蔵があります。
すぐ近くにある回向院では、その30年後(1771)に杉田玄白などにより日本での「解剖」が始まっています。時節柄、墓参りの人も多いようなので、中へは入りませんでした。
裏手の路地を入っていったところにある旅館は、一泊1900円と掲示されていました。新館の方は、2~300円高のようです。都電・三ノ輪橋駅まで歩きました。
都電は、バスのようでもあり電車なのに電車ではないような不思議な乗り物です。ちんちんごとごと揺られることおよそ50分で雑司が谷駅へと着きました。
都電の駅前がもう雑司ヶ谷霊園で、その「1種1号7側3番」永井荷風の墓は、駅から徒歩1分、すぐに見付かりました。とりあえず霊園の管理事務所へ行って、「副都心線開業記念」の霊園MAPを手に入れました。江戸時代には、将軍の鷹狩りに使う鷹の飼育場所だったそうです。地図には、何で有名なのか分からない人も含めて24名載っていました。
それからあちこち寄り道をしながら、、、なんとなくたどり着いてしまったのが四谷四丁目の交差点でした。岡田有希子さんが、まだここに地縛しているなんてことはないと思いますが、レイトナイトには、あなたのipodや携帯に彼女の歌声が幽かに紛れ込むかもしれません、、、。

2009年8月8日土曜日

頭痛肩凝りはちあわせ

目黒にある国立科学博物館付属自然教育園へと行きました。早朝に「夕立」でもあったのか、地面は泥濘んでました。このところ外へ出かけるにはいつも傘を持参していないと心配みたいな日が続いてますね。日照不足で米が実らないとかになりそうな気配、、、。
雨に誘われてでてきたのか、最初に目に付いたのが大きなカタツムリでした。そんなにゴワゴワした硬い葉を食べたらお腹壊すよ~!!と言ってしまいそうな葉上を這っていました。
ここは、小・中・高校生と65歳以上は無料なのですが、夏休みなのに来ているのは老人ばかりな感じです。敷地のたぶん半分以上が保存地区として立ち入りできません。首都高速からは、広大な森に見えるかもしれません。
高温多湿で元気いっぱいなのは、ヤブ蚊の一族のようで、写真を撮るために静止した瞬間に何匹もの蚊がいっせいに肌にたかってきます(^^;)
ここのセミは、ずーっと高いところで鳴いています。都会のセミが、比較的高くないところにいるかに見えるのは、街路樹が高木ではないせいもあるのかもしれません。
隣にある東京都庭園美術館では、「ステッチ・バイ・ステッチ」という刺繍(?)関連の展示中ですが、庭園だけ一巡りして美術館内を見るのはまた出直すことにしました。
午後からは、阿佐ヶ谷の七夕飾りを見に行こうと思っていましたが、数年間なかった偏頭痛が朝から発生しているので、中止です。

2009年8月7日金曜日

都会のセミヌード

タイトルで釣れてしまった人ごめんなさいです。

「東京にいる蝉は、なぜ人の目線の高さで鳴いているのか?」
これが昨年くらいから夏になると浮上してくる疑問なのです。そしてそれは、羽根が透き通っていて、黒と緑のだんだら模様をしたミンミンゼミであることが殆どであるようです。どうやら、その黒と緑の割合も体温調節に関係するのか、涼しい地域に生息するほど黒の割合が多くなるそうです。
7年間くらい土の中にいるようですが、その間に人間の動向をうかがって学習するということではなくて、もうDNAの中に人間は恐るべきものではないという情報が織り込まれてしまっているのではないかと思えてきてしまいます。
たいていカメラを数センチ離れたところまで近づけて、ストロボを何度も発光させても逃げ去ることはないようです。身体に触られるのは、やはり嫌みたいですけど(笑)
蒸し暑いのも嫌いのようなので、温暖化がさらに進むと東京での棲息がなくなるかもしれませんが、、、今のところまだまだ勢力拡大中のようにも見受けられます。でも7年後になってみないと分からないのかなぁ???

2009年8月6日木曜日

ド~ナッてんだ、どかんと二回消えてみようか?!

のりピーは、どこへ消えてしまったのでしょう、、、。

今年は、1996年以来の13年ぶりに土星環が消失してしまうそうです。次回は、16年後の2025年になりますが、今回は土星の見える場所が、方角がほぼ真西、夕空の地平線に近いところなので、観望条件としては良くありません。
1回目は、今月の11日に太陽の光が土星の真横から当たるので環が見えなくなります。2回目は、来月の4日で地球からは土星を真横から見ることになるので、環が見えなくなります。9月4日の場合は、東京での日没後30分(18:35)で、土星は地平線から角度にして僅か1度しかないので、ちゃんと見えることの方が奇跡かもしれません。

どかん土環、ドーナツのない土星って、ど~んな感じなのでしょうね???

2009年8月5日水曜日

核々、血出痔化滅びませう

ビル・クリントン元大統領って、なんとなく隠れ恐妻家で、ホワイトハウスをピンクハウスにしたイメージしかありませんが、、、キターぁ!!に行って歓迎されているようです。日本も小泉元首相でも送り込んで、また拉致被害者を数人取り戻して、たろちゃん始め全閣僚での靖国参りでもすれば、滅びの一途を辿らずにすむかもしれません。英霊による御利益がどれほどのものかも分るというものです。
昨年ばっちばっちとテレビ画面がウィンクするようになってしまったので、それからテレビはパソコンで見ているのですが、録画予約をしているとそれが完了するまで画像を見ることができないので、不自由していました。やや色がカメレオンなのですが、ブラウン管式のテレビを貰い受けました。これが骨董的価値を生ずるまでには、半世紀くらいはかかるでしょうか?
電波信号(?)は、ケーブルで来ているので、地デジもBSもCSも映るのですが、、、2年後には、なにが映っているのでしょう???
ああ、、正常機よ永遠なれ!!

2009年8月4日火曜日

常夏ドーナツどこに夏?!

野外を散策するつもりでいましたが、朝から雨が降っていたので、まずは葛西にある地下鉄博物館へ行ってみました。昭和二年に日本で初の地下鉄が開通したようで、当時の物とは思えないくらいにぴっかぴかにリフォームされた車両が展示されていました。灯りも上に向けて照らしている間接照明ってやつで、なかなか上品で高級感のある車両内部でした。
外へ出て、雨も止んだようで、さて次はどうしようかと思っていたら目の前に葛西臨海公園駅行きのバスが止まったので、乗り込んでしまいました。歩いても行けそうな、夏場は歩かない方が良さそうな、微妙な距離でした。
写真は、葛西臨海水族園内に入ってすぐのところで撮りました。水族園で、なぜか蝶です。
夏休みだからなのか子供たちも山盛りいっぱいいるので、選択を誤ったような気もしてきてしまいました(^^;)
マンボウがいなくなってました。ウミガメが急に大きくなったように見えて、、、今年の3月前に来たときと同じウミガメなのかどうか、分からなくなってしまいました。他は変化なしと言うよりも混雑しているので、ちゃんと水槽の中を見ませんでした。
7月は異常気象だったという発表があったようですが、異常はまだまだ続いている感じですね、、。

2009年8月3日月曜日

天地水、そして命を繋ぐ

オオムラサキの幼虫は、モスラみたいな芋虫型と言うよりも「つのだせやりだせあたまだせ」型に見えました。この夏に生まれた幼虫は、秋になると木からおりて、枯葉色となって落ち葉の中で越冬するのだそうです。およそ1年弱の一生のうち、成虫で活動するのは40日間ほどとのことです。
じゃあアゲハチョウはどうなの?ということは、ひとつも知りません(^^;)
風になぎ倒された木はそのままに、落ち葉の行方も風まかせ、、、と言うのが「自然のまま」なのかもしれませんが、それでは「自然公園」や「自然園」は成り立たないような感じがします。
荒川自然公園から三ノ輪までは、また都電に乗らずに歩くことにしました。ちょうど雲の切れ間から太陽が出て暑くなってきました。
浄閑寺へは、以前に二度くらい訪れてますが、墓地の中までは入ったことがありませんでした。なので新吉原総霊塔も永井荷風文学碑も初めて見ました。文学碑のところには「記念碑につきお線香はご遠慮願います」と掲示されていました。
昨日、無料の情報誌を見ていたら、、、荷風の墓は、雑司ヶ谷霊園にあることを知りました。「怪談」の小泉八雲、「高野聖」などの泉鏡花、伊東晴雨とモデルを奪い合った竹久夢二も同じ霊園です。もちろん、この霊園が舞台となっている「こころ」を書いた夏目漱石も永眠しています。
次の霊都散策は、そのあたりになりそうです、、、。

2009年8月2日日曜日

自然のままを人は自然とは言わないのかもしれない

昨日、西巣鴨からは都電に乗って、都電の終点である三ノ輪駅へ向かったのですが、ひとつふたつ手前で降りて、荒川自然公園に寄ってみました。
他にも「自然」という名前が入っている公園はいくつもあるでしょうけれど、ここは下水処理場の上の人工地盤に造られている施設なので、、、「自然」と「公園」の間には、いろいろと言い訳フレーズを挿入できそうです。「自然があったらいいなぁ公園」とか「自然をせいいっぱい真似した公園」とか、、、。
「白鳥の池」には、二羽のコブハクチョウがいて、反対側から真っ直ぐに近づいてきてくれましたが、あいにく餌になるようなものは何も持っていませんでした。なぜかハクチョウとは波長が合うのか、どこへ行ってもむこうから寄ってきてくれます(^^)
池の広さは、ハクチョウが水面を助走して飛び立つには、ちょっと狭いような気がしますし、もしかすると飛べないように羽根を切ってしまってあるのかもしれません。
カブトムシと遊べる場所は、もう終わっていましたが、ウォークインケージでオオムラサキを見ることができました。こちらも時期的に終わりのようで、公開は今日までだったと思います。
蝶になっていたのは、メスが2匹だけでした。メスのオオムラサキには、全く「紫」色は入っていないようです。幼虫は、榎の葉を食べて育つそうで、鉢植えになっていました。蝶になってからの食事となる新鮮な樹液の出る木までは、檻の中には用意できなかったようでした。
「人工」とは何か?「自然」とは何か? なんだかわけがわからなくなってくる公園です。

2009年8月1日土曜日

霊都の気怠い昼下がりをゆく

もしかすると、、、地球上で一番多くの死者が眠りについているのが東京であるかもしれません。上野の桜が見事なのは、死体をしっかり抱え込んで生長したからだと訊いたような気もします。
毎年8月に「虫干しを兼ねて陳列される」という幽霊画を見てきました。日暮里駅からしばし歩いたところにある「全生庵」というお寺です。三遊亭円朝による50幅ほどのコレクションなのだそうです。
幽霊にお足ナイトで、無料だとばかり思っていたら拝観志納金として、要500円でした。今日から8月31日までの展示です。39幅展示されていました。
昨年のブログにテレビからキャプチャした幽霊画を使ったことがあるのですが、それは伊東晴雨が「怪談乳房榎」を題材にして描いたものであったと原画を見て初めて知りましたし、責め絵だけでなく幽霊画まで描いていたことは意外でした(^^;)
帰りに寄ろうと思っていた朝倉彫塑館が、補修工事のために平成25年春くらいまでの休館となっていました。ずいぶん長いお休みですが、日本家屋部分が見られるようになると良いです。大名時計博物館へと行ってみたら、こちらも9月末まで休館でした。
西巣鴨へと移動して、、、妙行寺にあるお岩さんの墓を見ました。特に案内が掲示されていませんでしたが、墓地の中に赤い鳥居が建っていて、その近くにありました。「お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就する」とのことです。
最後は、三ノ輪にある浄閑寺へ、、、ここは安政2年の大地震の時に多くの遊女が投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった寺です。川柳に「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれています。
帰ってきてから、なんだか左肩が痛くなっています。見える人が見れば、異界のなにかがぶらさがっているのかも、、、。