2009年12月31日木曜日

大晦日は一日千金あはぬ算用







近所にあるスーパーが、本日午前11時まで、お買い物ポイントが通常の5倍!!ということなので、今はいらないものを前倒し購入(?)してきました。

用水路には3年くらい前から、いつも一羽だけ渡って来るカモメの姿がありました。去年、「ハクチョウのエサ」として手に入れたものを投げてあげたら、数羽いるカモを威嚇しながら食べていました。でも大半は数で勝るカモのものになりました。



昨日ふれた正岡子規よりも5年ほど遅く生まれて、6年ほど先に亡くなったのが、樋口一葉です。明治は、とってもとっても遠くになりにけりで、その時代の文学作品は、読もうとしてもなかなかすっと頭の中に入ってきてはくれません。まして一葉は、口語体小説が書かれていた時代に擬古文によって近代小説を書いたのでした。

『大つごもり』は、一葉自身の生活費がかなり逼迫した状況にあった明治27年12月に書かれました。金持ちの家に奉公するお峯という18歳の少女が主人公です。両親のいないお峯は、伯父一家に養われましたが、その伯父が病気になり高利貸しから金を借り、その利息を大晦日までに払わねばなりませんでした。それを聞いたお峯は、奉公先の夫人に、たった2円の給料の前貸しを頼みます。夫人はいったん承諾しながら、大晦日に催促すると「知らない」と言います。お峯は、舌を噛んで死ぬ覚悟をして、硯箱にあった20円の中から2円を持ち出します。



樋口一葉の解説書のたぐいは、たぶん膨大な量が出版されていることでしょう。今回は、田中優子『樋口一葉「いやだ!」と云う』(集英社新書)を参考にしながら書いてみました。5年前に出た本ですが、長く続いた自民党政権に「いやだ!!」と言った今年に相応しい感じがする内容です。

写真は、文京区本郷にある一葉ゆかりの伊勢屋質店です。

2009年12月30日水曜日

大晦日馬に追はるる夢見たり





今年は9月に上野根岸にある子規庵へと行きましたが、、、正岡子規についての知識はほとんど皆無で、どんな句や歌を詠んだのかも知りませんでした

NHK別撮大河ドラマ特別付録みたいな「坂の上の雲」によって、子規についてのことを少し知ることができました。本棚を見渡しても子規の書いた本は、一冊も持っていません。

昨日、来年のカレンダーでも買っておこうと百均へと行ったら、、、『ダイソー文学シリーズ26・正岡子規』という文庫本サイズのアンソロジーをみつけました。このシリーズは、著作権切れとなった作家のを30冊ほど刊行したもののようです。”ウェブで公開されている電子図書館「青空文庫」からダウンロードし、新たな編集を加えました。”とも書いてありました。パソコンや携帯画面で「ぶんがく」を読むことには慣れないので、105円で本にしてもらえるなら、そのほうがありがたい感じがしました。

その巻末に載っていた慶応三年の生まれだという子規の年譜を見てゆくと、年齢と明治の年号とが一緒でした。このような著名人をひとりみつけておくと、けっこう便利なものです。昭和の年号と年齢が同じなのは、三島由紀夫です。大正は15年しかないので、あまり役に立ちませんが、、。



雪の日の隅田は青し都鳥  (隅田公園)

観音で雨に逢ひけり花盛り (浅草寺・淡島堂近くの公園)

浅草の林もわかず暮れそめて三日月低し駒形の上に  (駒形橋)

寄席はねて上野の鐘の夜長哉  (下谷神社)

雑とうや熊手押あふ酉の市  (鷲神社)

牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな  (山谷堀公園)





初詣には、浅草寺などへでかけることもあるでしょうが、浅草周辺には子規の句碑がいくつもあるようなので、探してみるのも良いかもしれません(^^)

2009年12月29日火曜日

フライングするあけおめと言葉のよろめき





「あけおめことよろ」に対して、「年に一度の挨拶を省略するな!!」という反動意見が出始めたのは、一年くらい前からでしょうか???

極端な省略フレーズは、もしかすると携帯電話でのメール送信料金が高かった時代に考案されたものなのかもしれませんが、たとえそうだったとしても、そんなことは既に忘れ去られてしまいました。

「あざーす」は、どんな意味・用法なのか、やっと知った頃には、これまた古びた言葉となっていた感じがします。

体制が一新された(?)日本漢字能力検定協会による「今年の漢字」に「新」が選ばれました。でも新政権のありがたみや期待が日に日に薄れてゆく年末のようです、、、。



12月31日から1月1日へと日付がかわったとたんのお約束で、テレビでは「あけましておめでとうございます」の大合唱となりますが、、、東京での夜明けは、それから6時間半以上も先のことです。夜が明けるまでは、「大晦日」という日本の時制が崩壊したのは、やはりテレビが普及した以降のことですかね???

そんなわけで、夜明け前に神社仏閣へお参りするのは、その年の「初詣」ではなく「終わり詣」になってしまいそうですが、こんなことは屁理屈として葬り去られることでしょう(笑)

マーフィーの法則は、成文化された経験則かもしれませんが、いかに科学が進歩してもこの国には「言霊」という不思議で強力なパワーが存在しているようです。これからも折々に良き言葉を発するように心がけてゆこうかと思います。

2009年12月28日月曜日

ぴかぴかの冬の夜





一昨日、昨日と大阪で行われていたオリンピックへの出場選考を兼ねた女子フィギュアスケートの全日本選手権大会は、なんだかとっても凄いことになっていました。アイススケートは、中学生くらいのときに滑ったのが最後になってます。スキーをやる人も全盛期の三分の一くらいになってしまったそうです。今時の若い子は、スキーもしなければ、車の運転もしないみたいですね

天気予報で言っていたほどには長く降ってはいませんでしたが、今朝未明は雨でした。家を出たときは僅かに降っていた程度でしたので、傘は開かずにお荷物となってしまいました。

夕方からは、ちょっと冷たい強めの風が吹いてきましたが、丸の内あたりで行われている「光都東京LIGHTPIA2009」を見に行きました。明日が最終日です。

2009年12月27日日曜日

ひくひくひくっとさんぽじめ再び





去年のブログを見返してみたら、、、12月28日が日曜日で「今年のお散歩初めは、1月2日に栃木・大平山からだったので、お散歩納めも大平山(標高343m)-晃石山(419m)-馬不入山(345m)と低い山みっつ縦断コースにしてみました。低ひく低でも身体はけっこうきつくて、なかなか登攀体力はつきません。この山中を走り回っている老人がいるのですが、どうすればそんな体力が生じるのでしょうね?」と書いていました

今日は、同じコースを歩いてきました。昨年とたぶん同じ老人が、今日も山中を威勢良く走っていました。馬不入山の山頂にいた「週に5日は来ている」と豪語していた爺さんにも以前会ったことがあるような記憶がありますが、昨年末だったかどうかは分かりません。

朝は畑などが、霜で真っ白になっていましたが、冷たい風は吹いてこなくて穏やかなハイキング日和でした。謙信平のあたりではもうロウバイの花が咲いていました。

最近買ったスニーカーは、右足だけどーにも痛くなってしまって、いくら履いて歩いても右だけが馴染みません。一旦、帰ってきてからトレッキングシューズを買いにいきましたが、気に入ったものはサイズが合わないなどで、結局1990円という一番安いものを購入しました。安物買いのなんとやらかもしれません(^^;)

明日はやっとお給料の振り込み日なので、500円玉貯金箱取り崩し生活も今日までです。東京メトロのキップ販売機は、500円玉が2枚までしか投入できないので、パスモなどのチャージには不便でした。全部の機械が2枚までしか受け付けないかどうかは試していません。

2009年12月26日土曜日

東京タワー異紅葉



せっかく3月末まで何回でも入場できるパスを買ったので、またエプソン品川アクアスタジアムへと行きました。土曜日だからなのか、4日前よりも何倍かの客入りという感じでした。クリスマス風の展示はもうお正月バージョンに変更になっていました。近隣のホテルなどでもクリスマスツリーの撤去をしていました

イルカショーだけ見たら帰るつもりでいたら平日とはタイムスケジュールが別でした。水かぶり席は、クジラのジャンプによって、本当に激しくプールの海水がかけられてました。

他にどこかへ寄る予定もなかったので、泉岳寺でちょっとだけ赤穂浪士の墓を見て、銀座あたりまで歩こうかと思っていましたが、東京タワーに吸い寄せられるように方向を変えてしまいました。慶応大学の前を通って、東京タワーの近くまできたら、なんと!!なんと!!公園の楓などの木々が今が見頃とばかりに紅葉していました。

東京タワーを背景に梅や桜の花は撮りましたが、紅葉までOKだったとは思ってみませんでした。しかも年末のこの時期に!!

そしてタワーの前を素通りして、地下鉄の神谷町駅から帰ることにしました。

2009年12月25日金曜日

ノーイメージの脳苛め





昨日は、出かけるときにデジカメを持つのを忘れてしまいました。近所に買い物しに行くときでも持って出るようにしているのに、、、クリスマスの神様のようなものの悪戯でしょうか?(笑)

カメラがあれば、どこかのLED塊でも見てこようかと思っていましたが、真っ直ぐに帰宅してしまいました。そんなわけで、今年のクリスマス・イブの光景を切り取って残すことができませんでした(^^;)



中村八大の作詞・作曲「太陽と土と水を」は、ずいぶんと昔の歌ですし、クリスマスソングに分類されたことなどけっしてないでしょうが、不死の人となったスクルージ爺の賛歌として、なんとなく相応しい感じがします。

現在では、坂本九が歌うものしか手に入らないようですが、ヤマハのポプコンかなにかに参加したときの中村八大本人と子供たちによるライブバージョンが圧巻です(^^)



http://www.youtube.com/watch?v=RR_8wdV3F4I

2009年12月24日木曜日

巨石群は永遠に不滅です!!





まずは訂正で、昨日「本日は、冬至」みたいに書いてしまいましたが、冬至は一昨日の22日でした。これから日の入りは、どんどん遅くなるでしょうが、日の出の方も一月中旬までは遅くなります。

歩き始めてから約5時間で、やっと「名草巨石群」のある名草弁天・厳島神社へと到着しました。がん!!ガン!!岩!!と大きな岩が転がっているだけというところを想像していましたが、単なる巨石ではなくて、天然記念物となっていました。

説明看板には、「粗粒の花崗岩が節理にそって玉ねぎ状にわれ水に洗われ風化した結果、中心部が球状に残留して、巨岩の累積した形となったものです。」と書いてありましたが、ちーとも理解不能でございます(^^;)

実際に巨石を見てしまうと、さらにその説明が謎になってきました。厳島神社の本殿は、いくつかの巨大卵のような岩の上に建てられていました。写真の岩は、「弁慶の割石」という名前が付いていて、弁慶が岩の上で錫杖を突いたら、割れちゃったと言い伝えられているそうです。天然記念物を壊しちゃいけませんね(笑)

鏡餅のような形をした「御供石」は、とっても巨大で弁慶にも割れそうにないくらいでした。子宝に恵まれるという「胎内くぐり」できる巨石もありました。案内板には「奥の院には、カエデの木が巨石に喰い込んで根を張った石割楓があります」と書かれていましたが、カエデの木らしきものが根巻きされて横倒しになっていました。

昼食にしたりして1時間ほど厳島神社内をうろうろしていたので、足利市駅まで13キロ以上ある帰り道を急がねばなりません。ハイキングコースではなく一般舗装道を歩くことにしました。

しばらく歩いて、最初の飲料とタバコの自販機があるところに、なんとバス停の表示がありました。1日に5回だけの運行ですが、ちょうど10分くらい待てばバスが来そうでした。足利市駅行きなので、歩いてきた山の方からバスが走ってくるのだと思っていたら、市街地の方から何分か遅れてやってきて、バス停のところでUターンして出発です。先客が一人だけ乗っていました。料金は300円均一で、佐野市営の「さーのって号」というバスでした。なぜ佐野市営バスが足利市内で運行しているのか不思議です。

もしずっと歩いたら2時間半か3時間かかるところを30分で駅まで帰ることができました。電車が来るまでにソフトクリームを食べました。

今年で最も長い距離を歩いた記念日になるはずでしたが、想定外に早くの帰宅となりました(^.^)/~~~

2009年12月23日水曜日

ぽっくり放苦離ぽいんとオブのーたりん





12月7日に足利の両崖山から大岩毘沙門天へと歩いた帰り道を往路にして、19日には大岩毘沙門天から行道山浄因寺へと行きました。この帰り道を今日の往路として、名草巨石群まで歩くのが今日のコースで、足利市駅から始めて、また足利市駅へと戻るとおよそ距離は29キロ超あります。

よりによって本日は、昼間の時間が最も短い冬至です。足利市駅を午前6時40分頃に出発しました。風は強くないものの夜明けの冷たさは半端ではなく、なんだか顔の皮膚が麻痺しそうな感じでした。行道山浄因寺手前までの最初の7キロちょっとは、平地の道路を歩きます。

最近買ったものではなく一昨年まで使用して、底面がすり切れて薄くなっているスニーカーを履いて歩くことにしました。

浄因寺への参道入口に「ポックリ(放苦離)信仰とは」という説明看板があります。江戸中期に始まった民間信仰のひとつで、人々が飢饉・過酷な年貢・貧困・病・老いなどの苦しさを放し離れて長寿と安楽死を祈った、というようなことが書いてありました。くそ坊主が尻からひねり出した文言かもしれませんが、、、「ぽっくり逝く」のポックリが「放苦離」と書くとは、思ってもみませんでした(^^;)

「山なみのみち」と名付けられたハイキングコースは、浄因寺の近くから名草巨石群あたりまでの約8.5キロです。途中で「馬打峠」と「藤坂峠」を通過します。「峠」と言うと、なんとなく一番高い地点のように錯覚してしまいますが、確かにひとつの山をまたいで越えるのなら、そうなのですが、山々が列なっているところの一番低いところに道を通して「峠」とするので、山の尾根を縦走していると峠に向かって下り、峠を越えたらまた上へと登ることになります。

ところで「名草」は、「めいそう」ではなく「なぐさ」と読むと言うことを今日知りました。

やっと目的地まで2キロの標識があったところで、歩き始めて4時間以上経過していました。たぶん最後の登り坂のようなのですが、これが苦しくてなかなか先に進めませんでした。もうすでに帰り道に全部同じ所を引き返す気力はなく、そうしていたら日没の方が先になりそうでした。たぶんもうポイント・オブ・ノーリターン(引き返し不可能な地点)に入ってしまったので、あとは目的地まで、ぽっくりぽっくり歩くだけ、、。

2009年12月22日火曜日

水に濡れても明日に向かって跳べ!!



品川プリンスホテル内にある「エプソン品川アクアスタジアム」へと行ってみました。通常は正午から開館のようですが、年末年始は朝10時から夜10時までとなっていました。入場料は、大人1800円と、ちょっと高めの感じですが、、、「ウィンターアクアリウムパス」という3月31日まで何度でも入場できるものが3000円でした。年間パスポート2万円というのは、誰も買わないでしょ!?

水族館としては、超~コンパクト!!でした。日本語では、「狭い!!」ですね。唯一、広いのが円形のイルカプールで、それを取り囲む360度が客席になってます。イルカショーは、1回15分間くらいですが、そのあとに10分くらい調教の様子なども見られます。人もプールに飛び込んで、イルカに押されてジャンプしたり、イルカに乗ってサーフィン状態と、なかなかの迫力でした。ショーのないときもイルカが勝手に芸泳ぎをしたりジャンプしたりしていました。イルカの背中なでなでは、別料金で700円です。

難点は、昼間でも暗くて、写真撮影では、かなり明るいレンズのカメラを使わないとイルカの泳ぐ速度やジャンプ時の静止撮影は出来そうにありませんでした。他の水槽も照度が足りないので、じっと動かない魚以外は、流れてぼけぼけ写真になってしまいます。

自販機の500mlペットボトル入りお茶や水が250円という値段でした。都内で、こんなぼったくり価格を見たのは、久々な感じがして新鮮でした(笑)

イルカプールの客席の赤い席は、水飛沫がいっぱいかかる所、黄色の席はやや水がかかるかもしれないところで、オリジナルレインコートが販売されていました。こちらは、格安の100円です。

再入場もできますが、館内で食べ物はポップコーンとかしかなくて、食事は一旦外へでないとだめみたいでした。

2009年12月21日月曜日

そこをゆく鴨は食わねど腹に牛詰め



マンションや高層商用施設が海岸に朝日が届くのを遮っています。

渡り鳥が住処を決める要因はなんなのでしょう? 安全性と餌の量と偶然でしょうか???

お台場海浜公園の近くにいる鴨とユリカモメは、なんとなく年々数が少なくなっているような気がします。最初は、海岸に鴨がいるというのは奇異な感じがしましたが、鴨にとっては、ここは海じゃないよという程度なのかもしれません。

最近は、野鳥に餌を与えるな!!という風潮の方が強く、上野不忍池などでは監視員みたいな人が巡回していますが、餌を与えるのが楽しみな老人の数のほうが多そうです。

お台場でも餌を与える人が減ったのと、海岸で犬の散歩をさせる人が増えたことが水鳥の数に関係しているのかもしれません。



都内は、どこも電飾を競っているかのようです。新橋の駅前は、常置してあるSL車両に電飾が付けられていました。帰りに写真を撮ろうなどと思っていましたが、忘年会がお開きになった時には、そんなことなどすっかり忘れていました(^^;)

昨年は、ひとり一万円予算のフグ鍋にしましたが、フグの量的な不満から今年は、夏・冬二回に分けて五千円ずつの焼き肉食べ放題宴会とあいなりました。食べ放題と言ってもホルモン系などの安い肉いっぱい規定の皿が一巡するまで好きな物は注文できませんし、頼んだ物を食べきらないと次がでてきません。なので4人1テーブルのなかに一人だけ大食漢がいるというのが、一番効率が良さそうです。久しぶりにロースとカルビをたくさん食べました(^^)

2009年12月20日日曜日

ぷりーずどんとフリーズみぃ!!



今夕、お仕事仲間での忘年会のようなものがあるので、帰宅するのは午後11時過ぎになってしまうかもしれません。

昨年の12月30日からは1日も欠かさずブログを更新してきたので、今年の12月29日までは途絶えることなく頑張りたいと思っています。その後は、皆勤に拘らずに何か書ける内容のあるときだけ更新して行くことになりそうです。

これまで何ヶ所か全て同じ内容のブログを上梓してきましたが、徐々にテーマ別などで、それぞれ別な内容に変化させていこうかと考えています。そのひとつは、「ほんの些細な突き当たり」あるいは「ほんの些細な月明かり」と題して、「本」に関したあれこれを書いてみようかと、ひょっこり思いつきました(^^)

ミクシィの「フォトアルバム」では「本日の積ん読」と題して、購入した本や雑誌を写真に撮って載せていますが、写真ではなく文章で積み上げてゆくようにしようかと思いますが、よく考えれば考えるほど面倒な作業なので、どれほど出来るかは皆目見当が付きません。今年読んだ本は、ほんの数冊でしかないので、来年突如として読書家に変身することなどあり得ないことでもありますし、、(^^;)

あれこれしようとする意志が凍てついてしまわぬよう暖かいフリース素材の服でも着込んでみましょうかね。

(写真は、昨日足利市にて。阿吽の滝の飛沫が凍ってました)

2009年12月19日土曜日

見上げれば雲の架け橋天高く



片山右京さんが富士山で遭難したというニュースで「(片山さんは)体力を付けるため、一日7回食事をして10キロほど体重を増やしていた」と言ってましたが、寒いところで食料もなく身動きが取れなくなることを前提にそうするのなら理解できるのですが、、、体重を10キロも増やしたら山に登るのが辛く苦しくなるだけのように思えます。むしろボクサーのように減量したり、わずかな食料で身体がしゃきしゃきと動くようにすべきだと思えるのですが、どうなのでしょう???



前回、12月7日のときよりも1時間ほど遅く東武伊勢崎線・足利市駅に到着でした。今日は、とても寒くて、風が吹くと耳がちぎれるように痛く感じました。水たまりが凍っていて、日陰だと午後になっても溶けていませんでした。

大岩毘沙門天を経由して、行道山浄因寺まで行きました。名草の巨石群までは、そこからさらに山道を8.5キロ(約4時間)ほど歩かねば着かないようなので、車を使わないと時間的に不可能でした。

行道山浄因寺は、「関東の高野山」と呼ばれているそうですが、行ったことのない高野山ですが、こんなもんじゃないでしょうという気がしました。3万3千体の石仏があるそうなのですが、確かに数多くあるものの本当にそんなにあるようには思えませんでした。栃木県の名勝第1号に指定された景勝地です。

巨岩の上に建てられている茶室「清心亭」のほうへは、入ってはいけないようだったので進入しませんでしたが、清心亭の方へ行くのに架けられている「天高橋」は、葛飾北斎によって「日本十奇橋」の一つ「足利行道山雲のかけ橋」として「紹介され」たという旨の説明看板がありました。絵師の北斎ですので、絵に描いたのでしょうけど、そういう説明にはなっていないところが、ちょっと謎です。肉筆画なら残っていないこともありうるでしょうけど、、(北斎の描いた浮世絵は、ネットで画像検索したら簡単に見つかりました)。現在の橋は、鉄製の手すりに見えました。

写真は、行道山石尊見晴(441.7m)にある寝釈迦です。遠くに筑波山が綺麗に見えていました。

2009年12月18日金曜日

月日渦巻きはじめたり



今朝は、10時のカイカ~ン!!と同時に今年のレインボーブリッジ徒歩で渡り納めをして、隅田川を船に乗って浅草まで行こうと予定していました。しかぁ~し、、、あまりにも風が冷たく強く吹いているので、お台場海浜公園のあたりで時間潰しして待っている気力が一気に吹き飛ばされてしまいました(^^;)

都バスで門前仲町へ、そこから徒歩で清澄庭園へと向かいました。ここも寒く、いつ来ても朝一で同じ場所にいるオバさんくらいしか人影はありませんでした。一巡りしたら、こんな日に浴衣を着せられて写真を撮られているモデルさんがいました。なんのお仕事も大変ですね。

さて、ここから浅草まで歩いてしまおうかと思っていましたが、昨日購入したスニーカーが足になじんでなくて、もう指先などが痛くなってきてましたので、地下鉄に乗ることにしました。三越前駅で半蔵門線から銀座線へと乗り換えたのですが、延々と長く歩かされる乗換駅でした。

浅草寺は、昨日今日明日の三日間が羽子板市です。ガンダムやマイケルジャクソンのも飾られていました。「羽子板は、景気をハネあげ、邪気をハネ飛ばす縁起物です。」という貼り紙がありました。お値段の方もハネてて、買えません(^^;)

東向島駅まで移動して、今年リニューアルした東武博物館に入ってみましたが、展示物はあまり変化がないようでした。ジオラマにスカイツリーなどを付加してました。実際のスカイツリーは、現在235メートルほどの高さになっているようで、だいぶ遠くからでも見えます。でも、やっぱり優美さが皆無です。

日本海側では大雪、伊豆では地震が多発と、、、大荒れの日本列島師走かな。

2009年12月17日木曜日

光り物はみんな黄金だと信じている女がいる



「今年は」なのか「最近は」なのか、あるいは「この秋は」になるのか、記憶があやふやですが、なんとなく段々畑のような感じのする雲をよく見かけるような気がしています。「雲の階段」で検索してみたら韓国のドラマばかりでてきましたが、原作は渡辺淳一のようでした。そんな風に、ふと見上げた空が、何に繋がっていて、どんなものをもたらすのか分からないところが面白いものです。

雲にもいろいろと名前が付けられていますが、それがいつどのような時に発生するとか調べだしたら、きりがないくらいに奥が深いものなのでしょうね。

ここ二、三ヶ月の間に新聞でよく目にしたのは、「流星群」に関する記事でした。けど、こんなに流星が見えましたという記事ではなく、これからこんな流星群が見られますという紹介ばかりだったような感じでした。たぶん天文ファンにすれば、取り立てて騒ぐほどのこともない毎年のものと言うかもしれませんし、同様に段々畑のような雲も気象ファンにとっては珍しくはないものかもしれません。

NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」は、3年間放送するということだけを聞き齧っていたので、150回放送くらいになるのかと誤解してました。お話のテンポが速いので、どうやって3年も持たせるのかと思っていたら、3年かけて第三部まで全13回でした。



段々畑のような雲を見かけたら、Led Zeppelin の "Stairway to Heaven" でも聴くのがよろし。でも実際に頭の中で鳴っている音は四人囃子の「空と雲」(^^)

2009年12月16日水曜日

鴨と鴎、脱苦と海少女の摩訶不思議



年賀状は、もう投函しましたか?

12月15日までに年賀状を出さないと元日に配達してやらんからネ!!と、いう時代は、いつ頃終焉したのでしょう???

暑中見舞いに使うハガキは、「かもめ~る」と言うようですが、、、日本の夏にカモメはほとんどいないようです。15日までに投函が時代錯誤なら、こちらは季節錯誤というところでしょうか、、。

沖縄には行ったことがありませんけど、南の島にカモメは乱舞しているのでしょうか? 阿久悠作詞の「白い珊瑚礁」という歌がありますが、群れ飛ぶカモメと白い珊瑚礁とを一緒に見るのは幻想でしょうか???

日本の夏にいるカモメは、ウミネコ、オオセグロカモメ、ミツユビカモメの三種類だけだそうです。関東以南で夏にいるのは、ウミネコだけという話もあるようです。

鴨は、同一種の中で、渡鳥であることをやめてしまった鴨と渡り鳥を続けている鴨とがいるようなのですが、どうなっているのでしょうね???

カモメの語源は「篭目」という説があります。篭目と言ったら、、、「かごめかごめ」遊びですが、これにはいろいろと恐いお話山盛りのようです(笑)

2009年12月15日火曜日

兎っとと逃げろやぴょんと跳ねたが運の尽き!?



「そようちょう」という言葉は、日本史の教科書に載っていたような気もしますが、もはや何であったのか皆目見当がつきませんでした。一応、調べてみたら税に関する事でした。その土地の特産物を税として納めるのが「調」ということらしいので、「調布」はきっと布を納めていた土地なのでしょう。

「調」は、「つき」とも読むのだそうです。さいたま市(旧・浦和)にある「調(つき)神社」へ行ってみました。もう既に賽銭投げ込みスペースの確保や参拝一方通行の案内表示などの初詣の準備が終わっていました。

この神社の変わっていることがふたつあります。ひとつは、鳥居がないこと。もうひとつは、狛犬ではなくて、「狛うさぎ」が神社の入口を守っていることです。

狛犬は、わんわんドッグではなくて、ライオンがベースになっている想像上の動物「獅子」らしいですけど、調神社の狛兎は、普通に存在しているウサギです。「調」が「月」と同じ読みから、月神の使いとされるウサギが起用されたようです。

「つき」は、「ツキ」に恵まれるということにもつながるのでしょう、、、ダジャレのようなものは、全ての御利益の基本理念(?)でもあります。

5円(ご縁)と10円(遠縁)ということなのかどうか知りませんが、お賽銭が10円というのは、よくないような話を聞いたようなこともあったような気がします。にもかかわらず、本日は、10円玉ひとつ投入してきました(^^;)

2009年12月14日月曜日

かるくいるかいるかいみずのなか



今年の手帳にメモってある場所で、まだ行ってない所がいくつかあります。埼玉県小川町の吉田家住宅、東京都日野市の京王百草園、板橋区立熱帯環境植物館、城南島海浜公園などなどなのですが、、、今日は、それらのなかのひとつで「しながわ水族館」へと行きました。最寄りの駅は、京浜急行本線・大森海岸駅かJR京浜東北線・大森駅になります。今回は、りんかい線・東京テレポート駅前から京浜急行のバスで大森駅前行きに乗りました。高速道路を走ってしまう路線バスでした。

混同してしまうのは、、、品川駅近くの品川プリンスホテル内に「エプソン品川アクアスタジアム」という水族館が後からできています。これを「エプソンしながわ水族館」と言ってしまうようです。

しながわ水族館の大人入場料は、1300円で、区立の施設としては、ちょっと高いような気がしますが、イルカショー・アシカショーの分ということかもしれません。ちなみにアクアスタジアムの方は、1800円らしいですが、夜遅くまで見ることが出来ます。

水族館の周辺は「しながわ区民公園」という名前で、池や野球場・テニスコートなどのスポーツ施設があるようでした。だいぶ広そうです。カモメがいっぱいいました。

計画的に出かけたわけではありませんでしたが、着いたらちょうど開園の時刻でした。だいたい館内を一巡りした頃に1回目のイルカショーが始まるという感じです。ショーそのものは、これだけですか?みたいにすぐ終わってしまいました。平日は、イルカショーが3回、アシカショーが1回になってました。

何年か前にテレビでやっていた、デンキウナギの電気でクリスマスツリーの電球を点灯させるというのは、ここだったようで、ウナギが動き回ると電圧が表示されてツリーの電球が光ってました。

なんだかんだ4時間半ほどいて、すぐ近くにある鈴ヶ森刑場跡を見て帰ることにしました。

2009年12月13日日曜日

しまった!!アウト!?セーフ?!ででれこでん

ああ恐るべし「設定変更」というもので、、、ちょっと変えてみたら12月9日より前のブログから「改行」がきれいさっぱり消えてしまいました!!なぢぇ(T_T)?

 一瞬にして改行を無くしてしまうことができても、元に戻すためのデータを保持していなくてもうけっして元に戻せないような気がします。そのへんがコンピューターのおばかなとこですね。

右側に「マイブログリスト」というのが表示されていますが、そのなかの「シネマ愚連隊 Blog」だけが、なんらかの設定変更をしたせいなのか、ブログが何度も更新されているにもかかわらず「しまった!!」という、ちょっとした設定変更をしたというエピソードが表示され続けるという不具合(?)がなくなりません。呪われてます(爆)



さてさて今年も残り少なくなってしまいましたが、それよりも切実に困る残り少ないものは、マイお財布の中の現金で、、、不意の出費にみまわれて、ついに風前の灯火状態となってしまいました。99円なりのフルーツポンチが入っていた小さなガラス壜に入れて、ここ半年くらい貯めてきた500円玉を取り崩して、この年末を乗り切らねばなりません。

貯金箱の小銭を歳末助け合いなどにポンっと寄付できるような年末はいつかやってくるのでしょうか(^^;)

2009年12月12日土曜日

きんきんきらきら虹の向こうも夜が更ける



今日は、夕方になってもヌクっとした暖かい風が残っていました。

昨日から都内初のアウトレット・ショッピング街がお台場にオープンしたということもあるのか、今宵のお台場は道路がとても混み合っていました。もしかすると気温の方も応援したみたいなものかもしれません。

週末ですし、そろそろレインボーブリッジも虹色ライトアップになるのではないかと思って、見に行きました。寒風が吹き荒れている日には行きたくなくなりますし。

写真の手前でツリーになっているのは、高さが20メートル幅が10メートルくらいあるタブノキです。ここ10年間くらい「台場メモリアルツリー」の役目をしています。樹齢はおよそ100年なのだそうです。千葉県香取郡のお生まれです。まさか体中にぴかぴか光り物を付けられることになるとは、幼木の頃には思ってもみなかったことでしょう(笑)

1000年とか5000年生き続けている木々は、近年の気候をどのように感じているのでしょう??? 植物にとっては、二酸化炭素が増えるというのは、美味しいことなのでしょうか???

2009年12月11日金曜日

与作は木を切る、とんとんとん僕は想像の釘を打つ



うらわ美術館から、てくてくてくてく歩くこと1時間くらいで、さいたま新都心へと着きました。”臨海副都心”よりもさらに意味不明な感じがする「新都心」です。新東京タワーの誘致に失敗した分の土地は、どうなったのでしょう???

ジョン・レノン・ミュージアムを見てみることにしました。本家本元の英国リバプールでも米国ニューヨークシティでもなく、、、なぜか「さいたま」にあることは、\(^^)/万々歳なことです。

最初に7分間の映像を劇場風の部屋で見せられますが、貸し切り状態でした。展示室は、4階と5階の2フロワ10区画くらいになっていました。4階から5階へは一方通行で、戻ることができません。

今までどの美術館でも見たことがなかったオノ・ヨーコの作品も展示されていました。ジョンよりも7つ年上だったということを始めて知りました。

子育て専業主夫としての姿こそが、最大の平和運動であったのかもしれませんね。なかなかよい展示内容でした(^^)

2009年12月10日木曜日

本はよく焼いてから読め!!



一昨日の夜、昨年と今年使っている手帳と同じ来年のを買いに、通勤とは関係のないJR御茶ノ水駅でわざわざ下車しました。昨年は確かにそこで手に入れたのですが、今年は売っていなくて無駄足となってしまいました。今日は、日本橋にあるその店の本店を見てみましたが、やはり売っていませんでした。

昨年の暮れに手帳を買いに出かけた時は、銀座の伊東屋から始めてなかなかみつからなかったような覚えがあります。伊東屋の5階手帳売り場では、メーカー別に案内番号まで表示して並べられていましたが、欲しい手帳は存在していませんでした。あきらめて、一昨年使っていたのと同じ手帳を買うことにしました。

有楽町駅から浦和駅へと移動して、うらわ美術館へと行きました。”オブジェの方へ-変貌する「本」の世界”という展示が来年1月24日までです。

文庫本のページを折っただけみたいな、先にやったもん勝ち!!作品もありました。1000度以上の高温で雑誌や本を焼くと陶器みたいになるようです。燃えないように焼くのでしょうけど作家の造形力はどこにあることになるのでしょう???

2000冊の本を焼いてコールタールを塗ったという臭い作品も床に広いスペースを取って置かれていました。保存や移動はどうするのかということの方が気になりました。

オブジェになりつつあるということではなく、ほとんどもう「本」というものではなくなっている感じでした。

うらわ美術館のある建物は、バブル期の頃にオープンして大規模な電飾イルミネーションなどを行っていたシティホテルだったところかと思います。しばらく来なかった間に旧中山道沿いにあるお店などもだいぶ変化があったのかもしれません、、。

2009年12月9日水曜日

世界の終わりの夢読みわんだあらんど

小石川植物園でスケッチをしている人の大半は、植物ではなく「旧東京医学校本館」であった建物を描いているようです。今は、「東京大学総合研究博物館小石川分館」というものになっています。この博物館には、植物園を出ないと入れませんが、植物園には再入場はできないことになっているようです。博物館は、入場無料です。
博物館の「博」は、「博学」とか「博識」などの「博」と一緒で、とってもヒロシくんな意味かと思えます。ところが、ここの博物館の展示物は、出し惜しみしているのではないかと思えるくらいに狭くいつも変わりばえがしない品々が並んでいて、脈絡が無く説明もないところが、なんだか逆にとっても奥が深く、超~アカデミックなのではないかと凡々人は、目眩ましをくらうのであります。”常設展示「驚異の部屋」”という名称になってました。
入口のすぐ前に置いてあるのが、口径8センチくらいの経緯台式の屈折天体望遠鏡です。回転リボルバーな(?)接眼鏡も付いているので、筒先を植物園の方に向けて覗いてみたくなりますが、たぶん展示物には触ってはいけないのでしょうね。隣には、小動物や鳥の剥製があります。岡田外相に似た胸像やら人体解剖模型が仲良く並べられています。そんなのを見ていると「ノアの方舟、アノ僕が運ぶネ」などと意味不明の呟きをしたくなってきます。
ところで、草花の場合は、「百花」「百草」「千草」と言うくらいで足りてしまうので、「博」とは「万」から先の単位なのかもしれません。
一昨日、あしかがフラワーパークへ到着したのが、午後2時40分くらいでしたが、3時で一旦客を追い出して、3時半から昼間よりも入場料を多くして、電飾の夜の部になるのでした。紅葉は、「フラワー」ではないからなのか、紅葉ライトアップなどはまるで行う気がなさそうです。寒空の下で寒い電飾を見るほどのこともないので、20分弱の入場だけで帰ることにしました。
キャラメルポップコーンを売っていたので、ひとつ買いました。その味は、不思議なことにTDRの電飾行列を見たくさせるものがありました、、。記憶の脈絡のない連鎖が始まり、いつのまにか頭の中では城卓也の歌う「骨まで愛して」が鳴り響く、なぁんてことは蟻ま千匹。

2009年12月8日火曜日

うごうご動くか、動っけよごうごう

足利市駅から大岩毘沙門天までは、3時間余りかかりました。名草巨石群までは、さらに4~5時間歩かないといけません。ハイキングコースだけでなく道路もあるので、毘沙門天から市街地へ戻るのは、車道を歩いてみることにしました。地図は持っていないので、歩いてきた山道の方角を忘れないようにしながら、、、ということで、これがホントの「ヤマカン」というやつかも(笑)
道路は、ハイキングコースのようにアップダウンがなく、一方的に下るのみでしたので、だいぶ時間短縮になりました。歩くには面白くありませんが、車道をある程度使えば、名草巨石群まで行って帰ってこられそうな感じがしてきました。もっと山道を早く歩ければよいのですが、、。たいていどこの低い山にも、そこを毎日歩いているという老人がいるもので、その歩行スピードにはなかなかついてゆけません。
やっと見覚えがある「渡良瀬橋」の歌詞にでてくる床屋さんの前まで戻ってきたのが、正午過ぎでした。
鑁阿寺の大イチョウは、ほぼ葉を落としていました。落ち葉は、いずれ片付けられるのでしょうが、凄い量に見えました。
境内の日本庭園風になっている池の畔に白く丸いものが落ちていて、かすかに動いていました。烏骨鶏のようですが、窪んだところの草のなかに座り込んでいるので、なかなか顔が見えませんでした。なんとか覗きこんだら、、、一瞬、白雪姫に毒林檎を渡した老婆のように見えましたけど、写真では優しい目に写っていました。あまり元気がなさそうで、野良猫にでも襲われたら一撃で昇天しそうな感じでした。
足利学校の前にある古本屋さんは、お休みの日でした。JR両毛線で一駅移動して、あしかがフラワーパークに寄って帰ることにしました。

2009年12月7日月曜日

あかあかや梵鐘一打百円かあ

北風ぴーぷー吹いてしまいました。師走らしい空気になったのかもしれませんが、寒い!!です。
栃木県足利市の山道を数時間歩けば辿り着けるらしい「名草の巨石群」というところが前々から気になっているのですが、日の長いときでも下手すれば帰る頃には暗くなってしまいそうなので、なかなか出かける決心が付きませんでした。今日は、どの程度の山道なのかの下見を兼ねて途中まで行ってみることにしました。
東武伊勢崎線・足利市駅に着く直前には、富士山が見えました。快晴の朝です。渡良瀬川を渡っていると上流側に富士山にそっくりな山が見えましたが、先ほど見えた富士山よりも大きくて立派な感じでした。榛名山かなにかなのでしょうか???
「二二九段登れば叶う縁結び」の織姫神社石段から入って、先月の17日には雨の紅葉見物となってしまった「もみじ谷」へと迂回してみたら、もうまるっきりさっぱりと落葉してしまっていて、まるで別の場所のようでした。
両崖山は、標高251mの低い山ですが、アップダウンが多いので、意外と疲れます(^^;)
山頂付近に太いモミジの木があって、まだ綺麗に紅葉してました。ここまでは何度か来てますが、モミジがあることなど気付きませんでした。両崖山から先は、今回が初めてとなります。とりあえず「大岩毘沙門天」というところを目差します。またも登ったり下ったりの繰り返しでした。毘沙門天は、小さな祠でもあるだけかと思っていたら大違いで、13世紀頃の開山で大きな本堂が建っていました。「八幡太郎義家が祈り、源頼朝が願い、足利尊氏の危急を救った」のだそうです。大晦日には、「悪口(あくたい)大声コンクール大会」というのが開催されるとのことです。「ばかやろー!!」と叫んで、優勝賞金は1万円(^^)v
ここからさらに小一時間歩いたところに紅葉が絶景だという行道山浄因寺があるのですが、また出直すことにしました。
写真は、毘沙門天の鐘楼です。「梵鐘一打百円」の貼り紙がしてありました。

2009年12月6日日曜日

へのへのもみじ、はらほろひれはれ

青空が広がって、今日はまず浜離宮庭園へと行きました。もう亀は水底に沈んでじっとしているのか姿が見えません。真っ赤になった木が一本だけ見えました。モミジかと思っていましたが、そうではなくて「ハゼの木」と書いてありました。片隅にモミジも植えてありましたが、あまり葉が綺麗には色付かない様子でした。
JR浜松町駅から目黒駅へと移動して、東京都庭園美術館の庭だけ見て歩くことにしました。今は「パリに咲いた古伊万里の華」という展示です。ど~も壺とか皿は、見てもよくわかりません。
「光華」という茶室のある日本庭園のあたりは、まだなんとか紅葉が持ちこたえてくれていました。落ち葉の量から逆算すれば、一週間くらい前に来たかったところです。でもなんとか間に合って見ることができて良かったという感じです。
お隣の自然教育園もちょっと覗いてみたかったのですが、先を急ぐ(?)ことにして、八芳園へ、、、日曜日の大安吉日なので、12月にもかかわらずいくつもの結婚式が行われていました。紅葉のほうは、ほとんどもう終わってしまったという状態でしたが、もともとの庭の配置が素晴らしいせいなのか、それなりに良いものがありました。「樹齢500年」という名札をつけた盆栽がいくつも並んでいました。
地下鉄・白金台駅から茗荷谷駅へと移動して、東大の小石川植物園で今年最後の紅葉見物としました。ここも一週間くらい前がベストだったかもしれませんが十分楽しめました。

2009年12月5日土曜日

明治5年のヴァンパイア

富岡製糸場の煙突です。最初は、煙突も煉瓦造りだったのですが崩壊してしまったそうです。コンクリートで作り直したときには、外見だけでも同じに見えるようにするなんてことは、誰も考えなかったのでしょう。「世界遺産」なんていう商売のかけらもない時代のことですから(笑)
製糸工場と聞くともう「女工哀史」という言葉と不可分のように頭の中に刷り込まれてしまっている感がありますが、富岡製糸場の場合は待遇も良く、一日に8時間程度の仕事で、週に1日の休みをしていた日本初のところだったのかもしれません。
見物は出来ませんが、フランス人技術者の住んでいた建物には、ワイン蔵もあるようです。たぶん赤ワインのせいなのでしょうが、外国人に生き血を吸われるという噂で、女工がなかなか集まらないということもあったそうです。でもまぁ、間接的には西欧諸国に生き血を吸われ続けてきた日本であったと言えそうな気がします。
これまた見せてはもらえませんが、地下には煉瓦造りの排水溝もあるそうです。吸血鬼が跋扈するには良さそうにも思えますが、吸血鬼にしてみたら、もっと綺麗な場所に眠らせてくれよと言いそうですね。
細井和喜蔵・著『女工哀史』は、ずっと誤解していて『蟹工船』のように小説かと思っていたら、表や数値もいっぱい記載されたルポルタージュでした。「女工哀史」という言葉だけが知れ渡っていて、本はほとんど読まれていないものと思われます。佐倉啄二・著『製糸女工虐待史』はさらに知られていないですよね、、。映画化された「あゝ野麦峠」の原作も小説ではありません。
まるで違うお話になりますが、知らなかったと言えば、「鉄腕アトム」は「アストロボーイ」という名前でも出ていたこと、、、人間の仕事をロボットが奪うということは、もう近未来のお話ではないのかもしれません。ほら、あなたの背後には、機械仕掛けのヴァンパイアが!!

2009年12月4日金曜日

そもそもうたのさまむつなり

今夜は、六義園で先月27日から始まっている「紅葉と大名庭園のライトアップ」へと行ってみました。今月13日の日曜日までです。
相変わらず地味に暗いライトアップなので、安物のデジカメでは、いつもまともな写真は撮れません。1時間くらいで、380枚ほど撮りました。まぁ暗い分だけカップルでの夜歩きには良いかもしれません。
夕方、お台場のあたりは冷たい風がびゅんびゅんしていたのですが、六義園では、ほぼ無風に近い感じでした。特に寒いと言うほどでもありませんでした。
明日はまた雨降りとのことですし、例年なら12月は青空ばかり続いていた気がするのですが、、、今年は別物のようですね。

2009年12月3日木曜日

僕は、窓がひとつ欲しい。

今日は、冷たい雨風の一日でした。
朝早く、一度起きたものの少したってからまた寝てしまって、次に目が覚めたのは正午前でした。昨夜から10時間以上も眠ってしまいました。
おととい川越の喜多院へ行く前には、旧・浦和にある別所沼をひとまわり歩きました。
詩人の神保光太郎は、別所沼のほとりに住んでいたそうです。そこへときどき訪れていたのが立原道造でした。立原が、24歳で亡くなることがなかったら詩人だけでなく建築家としても名を成していたかもしれません。
昭和12年の冬から翌年の春にかけて、立原は別所沼のほとりに自分の「週末住宅」を建てようとしていました。これを「ヒヤシンスハウス・風信子荘」と呼んで、多くの試案を重ねたそうですが、実現には至りませんでした。
それから67年後の2004年に立原が描いたスケッチをもとに実際に建物が作られました。内部も曜日によっては見ることができるようです。

”僕は室内にゐて、栗の木でつくった凭れの高い椅子に座ってうつらうつらと睡ってゐる。夕ぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。 僕は、窓が欲しい。たったひとつ。……”

2009年12月2日水曜日

坂の下の蜘蛛の糸

午前5時半に家を出て、午前9時過ぎの到着となりまして、富岡製糸場を見物してきました。
高崎駅で上信電鉄へと乗り換えようとしたら、ヒトラー顔の白人親爺が「負けて怒鳴るぞ!!」と大きな声で繰り返しながら迫ってくるので、何事かと思えばマクドナルドを探しているようでした。JRの改札を出た正面に左矢印の付いた「M」看板があったような気がしたので、そっちを指さしてあげました。帰りにそこで昼食にしたのですが、さらに右へ曲がらないといけませんでした。
上信電鉄では「富岡製糸場見学往復割引乗車券」というのを買うことにしました。入場券と乗車券とがセットで、2040円分が1600円になります。
上州富岡駅で下車して、富岡製糸場へと向かう気配のある人は他に誰もいませんでした。もしかしたら今日の一番乗りかもしれないと思っていましたが、オバハンが旗をふりふり団体さんがぞろぞろとやって来ました。大型バスが入りにくいところなので、太い通りでバスを降りて歩いてきたようでした。
受付で「よろしかったら団体さんと一緒に説明をお聞き下さい」と言われましたが、さっさと単独行動することにしました。
明治初期に建てられた木骨煉瓦造りの巨大な建物は、今も美しいのですが、、、下野煉瓦工場跡を見たときのようなわくわくするものが皆無でした。製糸をしないにしても他の工場や倉庫として、いくらでも使い途のありそうな建物でした。もう風化してゆくだけみたいな廃墟の方が好きです。
建物の内部に入れるのは、ほんの少しだけでした。あとは外見だけの見物ですが、それも敷地内の半分くらいは立入禁止なので、たぶん説明を聞きながらでも小一時間で見終えてしまうかと思います。
女工さんの墓があるという龍光寺に寄って、11時頃に駅へと戻ったら、次の電車が来るまで40分ほどありましたが、駅の近くに見るべき所は特にないようです。水曜日が商店の定休日の街なら問題ないのですが、、、ほとんどどのお店もシャッターが下りたままでした。車の通行量も少なそうで、信号機もあまりありませんでした。
銀河鉄道999の塗装をした電車が来ました。内部の天井にも絵が刷られていました。
高崎は、10年ほど前までよく仕事で行った所ですが、電車に乗って行ったのは今回が初めてです。来るときは大宮から高崎線を使いましたが、帰りは、両毛線で終点の小山まで行って宇都宮線へと乗り換えて帰ることにしました。
上州名物の「からっ風」も吹かずに穏やかで暖かい日でした(^^)

2009年12月1日火曜日

食ほそうして、こころひろかれ

シュワッチ!!
なぜか「師走」の代わりにそう言ってみたくなる冬の初日です、、。

予定していた紅葉見物地で、まだ行っていないのは、目黒の八芳園と東京都庭園美術館の日本庭園、小石川植物園のイロハモミジトンネル、横浜・三溪園の四ヶ所となりました。葉が散ってしまう前に間に合うのか、行けるのかは謎です、、。
今日は、午後から川越の喜多院へと行きました。ここも紅葉が綺麗だと評判の場所のようですが、他の紅葉名所と比べるとたいしたことないような感じがします。
江戸城紅葉山の別殿を移築したので、江戸城の中で生まれた徳川三代将軍家光の「誕生の間」とか春日局が化粧をした部屋などというのがあります。そうした部屋のある書院式の建物に入らないと庭も見ることができません。拝観料は、400円でした。庭は、建物の中から見るだけで歩くことはできません。
川越には、あちこちにイチョウの巨木があるようです。今日は、時の鐘などがあるほうには行きませんでした。東照宮を通り抜けて、帰りに駅へと向かう途中に、なんとなく入ってみたお寺の庭がとても良い感じでした。何という名前のお寺かは見てきませんでしたが、、、島崎藤村ゆかりの寺と書いてあったので、それで検索してみたら、どうやら「中院」というところのようです。もうだいぶ陽が傾いていたのですが、ちょうどモミジの木を照らしてくれていて、きれいな写真が撮れました(^^)
最初に書いたように今年の紅葉見物は、まだ四ヶ所残ってしまっていますが、なんとなく今日で紅葉見物優先は終了!!という気分になりました。

   気はながく 勤めはかたく 色うすく 食ほそうして こころひろかれ
(表題は、喜多院でもらったパンフレットに載っている「天海僧正長寿歌」より)