2012年2月29日水曜日

早朝降雪凍るど負け!?



なんとなく行ってみた「真壁のひなまつり」は、嬥歌が行われたかもしれない場所や謡曲の舞台、ハクチョウの飛来地など思いがけない広がりになりました。
普段は電車もバスもないところなので、JR岩瀬駅前からバスが運行されている2月25日から3月3日までの間に、昨年の6月にでかけて中途半端な場所までで終わりにした岩瀬駅から雨引山や加波山を経て、きのこ山という筑波山の手前まで縦走するルートを歩いて、真壁からひなまつりバスで岩瀬駅へと戻ることを予定していました。25日は雨が降ってしまったので今日に延期としたのですが、今朝は天気予報よりは少し遅れて午前6時前くらいから雪が降ってきました。
起きた時には、曇っているだけでしたので朝食を食べて雨や雪になっても歩けるような服装にして、そろそろ出掛けようとしたら雪が短時間で積もってました。この先、天気はどう転ぶかは分かりませんが、とりあえず縁がなかったということで今日は天下りのかき氷でも食べてお家で過ごしませう、、。


2012年2月28日火曜日

さくさくと時代錯誤




今朝はまず「清澄庭園」へと行きました。
日本史上で最も知名度の高い商人は、紀伊国屋文左衛門かもしれません。清澄庭園は、文左衛門の屋敷があった場所とも言われています。でも元禄時代には、現在のような回遊式の庭園は存在してなかったようです。
一枚目の写真は、清澄庭園内にある芭蕉句碑で高さ1m、幅2mくらいある大きな自然石に句が刻まれています。意外と新しくて昭和9年に建立された句碑です。
二枚目も同じ「古池や……」の句が刻まれていますが、建立年は不明とのことです。深川江戸資料館の中に展示されているものです。
ところで芭蕉と文左衛門は、この辺りで一緒に酒でも飲んでいたのでしょうか? 清澄庭園の近くには、滝沢馬琴生誕の地や平賀源内がエレキ実験をした場所とか、墓は文左衛門の他に国学者の村田春海、寛政の改革をやった松平定信、あれやこれやといっぱいあります。
江戸時代の一大イベントと言えば、赤穂浪士の討ち入りですが、それを見て芭蕉は何を思ったことでしょう?(笑)
三枚目の写真は、紀伊国屋文左衛門の墓です。正面の大きな石は、縁も由もない人達が昭和38年に建てたもので、向かって左隅にある小さい石が墓石です。豪商の墓としては粗末なものです。


2012年2月27日月曜日

めぐろ黒々悔悛マッサージ





今年は梅の開花が大幅に遅れたので先週末くらいに行われた「小村井香梅園」のオープニングイベントに出向くのをすっかり忘れておりました。

先日、午前9時過ぎに芝離宮庭園へ行き、ここの梅が咲いていたら何ヶ所か梅の名所でも廻ろうと思っていました。

朝は、テレビで言っている東京の気温のわりには、風が冷たく感じられました。芝離宮では、「十月桜」が咲いていただけで、梅は一輪も開花していませんでした。早咲きの品種が全くないのかもしれません。

梅うめバイリンギャルツアーはまた今度にして、JRで目黒へと移動して目黒雅叙園の「百段雛まつり」を見てみることにしました。以前に目黒雅叙園に来たときは、この「百段階段」が何処にあるのか分かりませんでしたが、正面入口を入ってすぐ左にある豪華絢爛エレベーターが「百段階段」への入口でした。

入場料は、1500円です。ちょっと高い!!です。靴を入れるポリ袋を渡されて、紙製スリッパに履き替えます。靴は袋に入れて持ち歩きます。来場者の99%以上が60歳を超えた婆さんでした。繁殖しすぎたゴキブリのように凄い数です。大型観光バスが次から次へと運んできているようでした。

東京都指定有形文化財だという階段をのぼりながら七つの部屋に雛人形が飾られていましたが、婆ぁが多過ぎてよく見えませんでした。もっと古い建築物かと思っていましたが、昭和10(1935)年のようです。アニメ映画「千と千尋の神隠し」湯屋のモデルとも言われています。

なかなかよい天井絵がたくさんありますが、写真撮影は禁止となってました。

目黒と言えば「サンマ」ではなく「寄生虫」ですね(^^)/

806年に創建された目黒区内では最古だという日本武尊を祀った「大鳥神社」に寄ってから「目黒寄生虫館」へと行きました。前に来た時と展示物は変化ないように思えました。ショップでは、寄生虫絵柄のTシャツが販売されていました。

この辺りに来ると、、、もう何年か前のことになりますが、大病で長く入院したことで貯金は使い果たし所属事務所からも契約解除となって求職中に「目黒寄生虫館」の裏手のほうにあったマンションの一室で営業していた回春マッサージ店で一日だけ体験入店したことを思い出します。

「中国4000年の秘技」みたいな宣伝をしているにもかかわらず一時間ほどの手ほどきを受けてすぐに実践です。「先生」(?)と一緒に先生のすることを見様見真似で客の体を撫で、最後にわたしがフェラと騎乗位素股で「抜き」をするというものでした。たぶん未認可の風俗店です。ここで働きたくないと断ったら帰してもらえないような雰囲気だったので、明日から出勤すると言って二度と行きませんでした(^^;)

寄生虫館から駅の方へと引き返し権之助坂の途中にある古書店に入りましたが、何も買いませんでした。やや値段設定が高めですが、良い本がたくさん置かれていました。近くに「中野ホープ目黒店」がありました。すでに『監督失格』のDVDは、購入予約済みですがまだ中野ホープのラーメンは食べに行ってないことを思い出しました。

4月1日まで「メグロアドレス-都会に生きる作家」を開催中の目黒区美術館も見ておくことにしました。展示してある作品がとても少なく、その内容もいまひとつな感じでした。

「東京都庭園美術館」は、来年末まで改装工事のため休館中です。庭にも入れません。隣の「国立科学博物館附属自然教育園」と「松岡美術館」に入りました。午後は、穏やかに暖かい日となりました。



腐っても酸素



一ヶ月前に「キャッセ羽生」で購入した20匹の「ヒメダカ」は、買った翌日に1匹死んでしまいましたが、残った19匹は元気にしています。一度だけ数を確認しましたが、水鉢から飛び出してミイラになってしまったものもいるかもしれません。「メダカの時間、サメの時間」みたいに小さな身体であるメダカに長い寿命はないのかもしれませんが長生きしてほしいものです。
メダカに酸素を供給してくれているはずの水草が苔に覆われて壊死しているようにも見えるのですが、苔も光合成をするでしょうから取り除くべきか否か迷ってしまいます。
酸素は大気中に20%前後含まれていますが、100%ぴゅあ酸素は猛毒らしいですね。
最近、三浦雄一郎とその次男である三浦豪太による共著『三浦雄一郎の「歩く技術」』(講談社,1400円+税)を読みました。現役を引退した雄一郎が日本全国を講演などして各地の美味しいものを食べまくって、命も危ないような「メタボ」状態となり、幼稚園児でも登れるような低山すら苦しくて登れないというところから70歳でのエベレスト登頂を成功させるに至るお話です。息子は、それの医学的説明を試みています。
本に書かれていることを実践してもたぶん70歳で同じようにエベレストに登れる人はいないでしょうけれど、酸素がたくさん身体に入ってくるのを喜んでいるのは「脳」であるというところになにか「生き甲斐」みたいなものを見いだすヒントがありそうです。


2012年2月26日日曜日

あれ無ん都鳥




久しぶりに朝のお台場海浜公園へ行ってみました。東京マラソン開催日ということが影響しているのか、いつもボランティアで清掃をしている人達がおりませんでした。
見えないと言えば、、、三、四年前の今頃だと数え切れないくらいたくさんのユリカモメがいましたが、今日はたったの四羽だけでした。カモは一羽も見あたりませんでした。
たいていどんな分野でも些細な研究をしている人が一人くらいはいるものですが、「お台場になぜユリカモメが来なくなったか」を明確に言えるという人はいませんかね???
お台場で屋根瓦を探しても見つからないかもしれませんが、スズメは少しずつながら数が増えているような気がします。「テレポートブリッジ」の鉄骨が屋根瓦に代わって巣になっているのかもしれません。客待ちのタクシー運転手が餌を撒いたりしていますが、それに文句を言う運転手もいるようです。
先に東武鉄道の業平橋駅が東京スカイツリー駅に名称変更になると書きましたが、東武日光伊勢崎線の東武動物公園駅までが「東京スカイツリーライン」という名前に変わるそうです。略して「とうすかせん」ですね。とうすかせんでどうすか?(爆)
スカイツリーに隣接する建物には「すみだ水族館」がオープンします。経営は「オリックス不動産」で、入場料は未定とのことです。サンシャイン水族館の客を減らすことができるでしょうか???


2012年2月25日土曜日

目黒と言えばエンペラー?!




目黒と言えば「サンマ」ではなく「寄生虫」ですね(^^)/
806年に創建された目黒区内では最古だという日本武尊を祀った「大鳥神社」に寄ってから「目黒寄生虫館」へと行きました。前に来た時と展示物は変化ないように思えました。ショップでは、寄生虫絵柄のTシャツが販売されていました。
それから駅の方へと引き返し権之助坂の途中にある古書店に入りましたが、何も買いませんでした。やや値段設定が高めですが、良い本がたくさん置かれていました。近くに「中野ホープ目黒店」がありました。すでに『監督失格』のDVDは、購入予約済みですがまだ中野ホープのラーメンは食べに行ってないことを思い出しました。
4月1日まで「メグロアドレス-都会に生きる作家」を開催中の目黒区美術館も見ておくことにしました。展示してある作品がとても少なく、その内容もいまひとつな感じでした。
「東京都庭園美術館」は、来年末まで改装工事のため休館中です。庭にも入れません。隣の「国立科学博物館附属自然教育園」と「松岡美術館」に入りました。午後は、穏やかに暖かい日となりました。


2012年2月24日金曜日

だんだん暖かひゃくだんだん



今年は梅の開花が大幅に遅れたので先週末くらいに行われた「小村井香梅園」のオープニングイベントに出向くのをすっかり忘れておりました。
今日は、午前9時過ぎに芝離宮庭園へ行き、ここの梅が咲いていたら何ヶ所か梅の名所でも廻ろうと思っていました。
朝は、テレビで言っている東京の気温のわりには、風が冷たく感じられました。芝離宮では、「十月桜」が咲いていただけで、梅は一輪も開花していませんでした。早咲きの品種が全くないのかもしれません。
梅うめバイリンギャルツアーはまた今度にして、JRで目黒へと移動して目黒雅叙園の「百段雛まつり」を見てみることにしました。以前に目黒雅叙園に来たときは、この「百段階段」が何処にあるのか分かりませんでしたが、正面入口を入ってすぐ左にある豪華絢爛エレベーターが「百段階段」への入口でした。
入場料は、1500円です。ちょっと高い!!です。靴を入れるポリ袋を渡されて、紙製スリッパに履き替えます。靴は袋に入れて持ち歩きます。来場者の99%以上が60歳を超えた婆さんでした。繁殖しすぎたゴキブリのように凄い数です。大型観光バスが次から次へと運んできているようでした。
東京都指定有形文化財だという階段をのぼりながら七つの部屋に雛人形が飾られていましたが、婆ぁが多過ぎてよく見えませんでした。もっと古い建築物かと思っていましたが、昭和10(1935)年のようです。アニメ映画「千と千尋の神隠し」湯屋のモデルとも言われています。
なかなかよい天井絵がたくさんありますが、写真撮影は禁止となってました。


2012年2月23日木曜日

艶トランス白昼夢





今月5日に茨城県桜川市の「真壁のひなまつり」を見にでかけたときに「歌姫神社」というのがイラスト地図に載っていたので、ちょっと気になっていました。調べてみると奈良市には「歌姫神社」というのが昔からあるようですが、「歌姫」という言葉は近年になって中島みゆきや中森明菜が用いる以前には、ほとんど使われていないのではないかと思いました。

そして今月8日にたまたま買った白洲正子・著『道』(新潮文庫)に収録されている「桜川匂ひ」という紀行エッセイに「歌女(うたつめ)神社」という名前で出ていることを知りました。「羽鳥」という地区にあるので、真壁からはけっこう距離がありますが、真壁のひなまつりバス停のところで無料で自転車を貸し出していたことを思い出し、早速行ってみることにしました。

今日は平日なのでJR水戸線・岩瀬駅前から片道500円で真壁まで行くバスは運行されていません。つくばエクスプレス・つくば駅近くから3月3日まで毎日運行されている「ひなまつり号」(1500円)に乗ることにしました。第一便は、午前9時半の出発です。東武野田線・流山おおたかの森駅でつくばエクスプレスに乗り換えました。つくば駅まで二十数分の長くもない距離ですが電車賃は、700円もかかりました。午前9時10分頃につくば駅に到着しました。バスのチケット売り場はすぐに見つかりました。「TX」と書かれたピンク色の帽子がオマケでした。2番出口から上にあがってまっすぐ行くとバス乗り場があると言われたのに、まるで違う方向へ向かってしまったのでチケット売り場のオバチャンが走って追いかけてきてくれました(^^;)

大型観光バスが2台駐車していましたがまだ乗客はいなくて一番乗りでした。このまま他に誰も乗らないのではないかという感じでしたが、初老の夫婦2組と親爺1人、出発時刻を5分過ぎてから婆さん2人が走って来て、バスは出発しました。

昨夜から今朝にかけて雪が降ったようで、筑波のほうは埼玉より多く田畑や屋根に雪が積もっていました。

真壁には、午前10時20分くらいに到着です。前カゴ付きのチャリンコを借りました。バスが走って来た道を20分ほど自転車で戻ることになりました。

白洲正子は、風土記に書かれている「嬥歌(がいか)」(歌垣)が行われた場所として、この歌女神社が「もっともふさわしい霊地」と書いています。

「嬥歌」とは、春と秋に男女が集って酒盛りをし、求愛の歌を掛け合う年中行事のひとつであったようです。万葉集にも多くの「相聞歌」がとられています。

万葉集巻九の”鷲の住む筑波の山の裳羽服津のその津の上に率ひて未通女壮士の行き集いかがう嬥歌に人妻に吾も交らむわが妻に他も言問へこの山を領く神の昔より禁めぬ行事ぞ今日のみはめぐしもな見そ言も咎むな”(高橋虫麻呂)歌から、処女も人妻も言い寄られたらセックスを拒むことは許されなかったものだったようです。男女が睦み合うことは、筑波の神意に叶う神聖な儀式であったのかもしれません。

どんな関係なのか分かりませんが、平成15年に調布・館林・岩槻・川越の四組の夫妻によって奉納されたらしい真新しい白い石の鳥居が建っていて、「歌姫明神」の額が付いていました。これが名称を変にしてしまったものと思えます。











小さな案内標識は、「歌姫明神」と「観音堂」とがあったので観音堂の方へも行ってみることにしました。


借りた自転車は、ややタイヤの空気が甘くてわずかな坂道でもペダルがとても重くなってしまうので、上り坂では自転車をころがしながら歩くことになってしまいました。しばらく坂を登って行くと大きな門構えの家のところで鋪装道路が終わってしまいました。そこから先は林になっている裏山という感じなので自転車を置いて歩いて行くことにしました。もう長いこと人が入っていないような気がしました。


木々の中に人工的な石垣のようにも建物の基礎のようにもみえる石組みがあったりもして、だいぶ昔には大きな屋敷があったのかもしれません。


「社」というほどのものではなく木材で囲って屋根を付けただけという小さな建造物の中に「三日月尊」と彫られた石碑がありました。これが「観音堂」であるはずがないように思えました。もっと奥はそのまま筑波山になってしまいそうな山道なので、引き返そうとすると急に周りの空気が変わったような感じがして、とても清涼感のある爽やかで気持ちの良い風に包まれました。


多分、気温は5度もないくらいの寒さですが、なぜか裸になって陽の光を浴びたくなりました。草木は解けた雪や霜で濡れているので、乾いた石の上に脱いだ服を置きました。自転車で移動していたときは寒くてたまらなかったのに今は不思議と全然寒くありませんでした。草の上に腰を下ろしたときは、さすがにお尻が冷たかったですが、それもすぐに気にならなくなりました。太陽に向けて肢を開いて寝そべると凄く良い気持ちでした。


石碑などを写したカメラの撮影時刻から判断すると全裸で草むらに横たわってから十数分間の記憶が飛んでしまいました。満足感のあるセックスをした後のように膣が熱くなって濡れていました。そして、なんとなく漠然とここは「平良兼」の館であるという気がしたのでした。将門の奥方様でも憑依したのでしょうか?(笑) あるいは嬥歌にやってきた娘達とシンクロナイズする地場のようなものとたまたま遭遇したのかもしれません。


もう二年間近くセックスをしていませんが、これでまたあと二年くらいはしなくても済みそうな予感がしました。


案内標識の矢印の方向とはまるで違う方に「観音堂」らしい建物が見つかりました。ここに「准胝観音」という仏像があるようなのですが、観音堂の中を覗き込むとさらに「観音開きの扉」があって仏像は見ることができませんでした。


「歌女神社」があるところが、以前は「常陸羽鳥菅原神社」という名前だったのか、神社がふたつならんであったのかは分かりませんが、この辺りにある小碑に「常陸羽鳥菅原神社」を「下総豊田郡大生郷常陸下総菅原神社」に移したと刻まれているそうです。この小碑は特に興味が湧かなかったので探さずに済ませてしまいました。


菅原三郎景行が父である菅原道真の遺骨の一部を三年間(926年から929年まで)ほど真壁の桃山中学校近くにある「羽鳥天神塚古墳」に埋めておいて、その間に旧・水海道市に「大生郷天満宮」を造営したのだそうです。とりあえず古墳だけでも見ておこうと桃山中学校の近くまで行ってみましたが、古墳がどこにあるのか分かりませんでした。太宰府ではなく、なんで真壁なんだっぺ?(笑)












午前11時50分くらいに借りた自転車を返しました。筑波山へ向かうバスは正午に出るのかと思っていたら、12:30発でした。


193ヶ所に雛人形が飾られているようなのですが、その「ひなめぐり1」番が桜井精肉店で、享保の頃に作られた人形を展示していました。90円の”野菜サクサクコロッケ”を買って食べました(^^)


午後1時前に筑波山の観光案内所前に着きました。真壁からバスに乗ったのは、他に親爺が1人だけで、この人はつくば駅まで帰るようでした。


ケーブルカーで登ってしまうつもりでいたのですが、翌日から「梅まつり」(まだ花は全く咲いていません)が始まるので、ケーブルカーは点検整備で運休でした。ロープウェイも先月から2月21日まで運休しています。


掲示してある地図を見ると歩いて1時間半くらいで山頂まで行けそうなので筑波山神社に寄ってから「登り約50分・白雲橋コース」へと向かうことにしました。最初は気付きませんでしたが、白雲橋コースに入るまでに神社から20分と女体山山頂まで40分とケーブルカーの山頂駅まで15分が加算され、バスの最終に間に合わせるには、下山するのにかかる70分とで男体山山頂まで行く時間は残っていませんでした。


しかも昨夜の雪で登山道は、凍って滑ったり、ぬかるんでいたりしていて歩きやすくありませんでした。


「弁慶茶屋跡」を過ぎると弁慶七戻り、出船入船、裏面大黒、北斗岩などなど名前の付けられた巨石が次々とありました。女体山山頂(877m)への到着は、午後3時10分頃でした。木々に積もった雪が風で舞っているものだと思っていましたが、本格的に雪が降ってきてしまいました。


ケーブルカーもロープウェイも動いていないので、お店は全部閉まっていました。人影は皆無です。山頂近くのお店で何か食べればよいと思っていたので、結局は小さなコロッケひとつが本日の昼食となってしまいました。


最終バスが出る5分前にバス停まで戻りました。自販機で、昔は茨城県内だけでしか買えなかった「MAX」という名の缶コーヒーを買いました。この缶コーヒーは、コーヒーとは別の飲み物のような気がします。


降りてくる途中に男女の川の源流だという掲示がしてある場所がありました。





筑波嶺の峯より落つる男女の川


恋ぞつもりて淵となりぬる





”百人一首の歌で名高い男女の川は、羽鳥の村で桜川と合流する。その川上(といっても四キロぐらいしかない)に、「歌女神社」があり、嬥歌はそこで行われていたという。” 白洲正子『道』(新潮文庫)より





(掲示写真は、「イメージです」というやつで記載内容当日のものではありません)







みなもとの桜子




海までは、全長60キロほどあるという「桜川」の源泉まで行ってみることにしました。
少し気温が上がって春の暖かさが感じられる午後になりました。両岸に轍の付いたのら道が続いていました。所々に葦が生えていますが、川底はコンクリートで固められていました。水量はあまり多くなく透き通った水が流れていました。
途中から河岸に道がなくなってしまいました。ときどき川を見失わないように迂回しましたが、最後は「県道289号・富谷稲田線」という道路脇に源泉らしい「鏡ヶ池」がありました。ほんの少しだけ土地が高くなってきていましたが、まだまだ平地でした。
なんとなくもっと深閑とした神秘的な池を想像していたのですが、池の護岸はコンクリートで固められていますし、道路には近くの採石場からダンプカーが埃を巻き上げて通って行きます。
説明も花崗岩に彫られていました。”謡曲「桜川」で知られる桜川の水源地であって、いかなる日照りが続いても水の涸れることがないという。花園天皇(一三〇八-一三一八)の頃、夫木和歌抄に「みせみせぬ鏡ヶ池におしとりはみつから顔をならべてぞいる」歌聖紀貫之の桜川の和歌とともに有名である”と書かれていました。
地図代わりに持って行ったのは、商工観光課が作成したらしい「桜川市観光案内」でした。鏡ヶ池の少し先で笠間市になってしまうので、記載もないのですが、この辺りからだと羽黒駅へと来た道を引き返すよりも次の福原駅の方が近そうでした。ところが駅への標識が出ていることはなくて、不安なまま小一時間歩くと稲田駅が見つかりました。
福原駅の近くには、「常陸出雲大社」があるので前々から一度行ってみようと思いつつ「縁結びのおやしろ」に縁が繋がりません(^^;)




2012年2月22日水曜日

西のアホ、東のバカ



「西の西陣、東の桐生」というのは知っていましたが、「西の吉野、東の桜川」と並び称される桜の名所が関東にあったとは知りませんでした。
「桜川市」は、2005年に西茨城郡岩瀬町、真壁郡真壁町・大和村が合併してできたということなので、名前の由来は市内から流れ始めて霞ヶ浦へとつながる「桜川」という河川であることは明らかですが、「地名」としては新しいことになります。しかしながら、紀貫之が「常よりも春辺になれば桜川 波の花こそ間なく寄すらめ」(「後撰和歌集」)と歌に詠んだように千年前から「地名」であったと言うこともできそうです。
江戸時代には、歴代将軍の名の下に隅田川堤、皇居、上野公園、北区飛鳥山公園、新宿御苑や小金井堤に「桜川の桜」が移植されました。小金井堤には、吉野桜50本と桜川の桜50本が交互に植えられたそうです。水戸光圀は、偕楽園前に移植して「桜川」と名付けました(水戸市内に現存)。
吉野の桜は天然記念物に指定されているかどうかは知りませんが、昭和49年に11種の「桜川のサクラ」が天然記念物になりました。それほど衰退したということなのかもしれません。天然記念物指定11種は、「桜川匂」「樺匂」「初重櫻」「初見櫻」「大和櫻」「源氏櫻」「白雲櫻」「薄毛櫻」「青櫻」「青毛櫻」「梅鉢櫻」という名前です。どれも白山桜の品種のようです。
今は、日本国内の桜の80パーセントほどが「染井吉野」というクローン種で占められています。60年ほどで枯れてしまうそうで、山桜のように何百年も生きられないようです。
桝箕ヶ池でハクチョウ見物の後は、羽黒駅から北へ1キロほどのところにある「桜川磯部稲村神社」へと行きました。世阿弥の謡曲「桜川」の舞台となったところです。
「要石」があります。大鯰の頭を鹿島神宮の要石が押さえ込み、磯部は尻尾を押されると伝えられているそうです。尻尾は、香取神宮の要石が押さえているだけではなかったようです。



2012年2月21日火曜日

羽黒の白鳥




百以上の国登録有形文化財があるというので見に行ってみた「真壁のひなまつり」から次々と横滑りして、今日はJR水戸線・羽黒駅に近いところにハクチョウの飛来地があるというので行ってみることにしました。
羽黒駅には、午前7時50分頃の到着でした。ひとつ手前の岩瀬駅もそうですが、高校生が山盛り下車しました。駅前には、「男の友情」という譜面付きの大きな石碑がありました。地元の作詞家・高野公男と栃木出身の作曲家・船村徹とが青春時代を過ごした地に建てられたもののようです。高野は結核で、「別れの一本杉」が大ヒットとなった翌年(1956年)に26歳にて死去したそうです。
駅から10分ちょっとでハクチョウが来ている「桝箕ヶ池(ますみがいけ)」に着きました。ちゃんと道を調べずに向かいましたが、ハクチョウの鳴き声のする方向へと歩いて、すぐにみつかりました。
歩いて一周するのに数分しかかからない程度の大きさです。人工的な農業用ため池のようでした。「桝」という名前通り(?)で四角い池です。周りに柵と舗装道があり公園になっていました。駐車場もあります。
筑波山は、男体山と女体山が重なっているのかツインピークスに見えませんが、かっこよいです。ハクチョウは、60羽くらいいました。北の方へと何羽か飛んで行ったので、他にも居場所があるのかもしれません。特に餌付けをしているようではありませんでしたが、パンなどを撒く人が来ると全羽が移動してました。



せいらあどりいむ





なんだか最近になって十代の頃の夢をよく見ます。でもその半分くらいは、何かに追われて逃走しているような夢で、けっして心やすらぐ睡眠になっていない感じがします。



2012年2月20日月曜日

ゆらぎの門橋




新木場駅前を午前9時9分発の「若洲キャンプ場前」行きのバスに乗りました。乗客は十数人で、殆どの人は途中のバス停で下車してしまいました。バスは、平日の朝夕なら10分間隔くらいで運行していますが、昼間は一時間に1~2本です。
終点の若洲キャンプ場前までバスに乗っていたのは、3人だけでした。到着は、午前9時26分です。12日のゲートブリッジ開通の時には人も車もいっぱいでしたが、バス停から「若洲昇降施設」までの400メートルほどに人影はありませんでした。
昇降施設は閉まっていて、へたくそな字で「今月は21(火)お休みです」と貼り紙がしてありました。休みだから誰もいないのかぁ、、と思い海の方へ行ってみると12日には入口が閉鎖されていた「若洲海浜公園海釣り施設」には入れるようになっていました。午前6時から午後9時まで、休園日は”悪天候等の日”とのことです。たぶん12日は、開通が悪天候と同等だったのでしょうね。
今日も真っ白な富士山がきれいに見えています。12日に若洲橋の上で十歳くらいの子供が親に「富士山の写真を撮らないの?」と聞くと親の方は「富士山は目に見えるだけで写真には写らないの!!」と即答してました。
「さかながたくさん集まるように海の底をきれいにします」工事が3月下旬まで行われているので釣り場が半分くらいしか使えないようでした。「釣施設では釣竿を一人2本までに制限させて頂きます。」と掲示してありましたが、竿を7本ならべている人もいました。
釣施設の先端に灯台があり、そこまで行って引き返すと昇降施設の前には人が50人くらいならんでいました。なぁんと午前10時に「開館」なのでした。今日は、20日でした(^^;)
昇降タワーのエレベーターに乗ると8Fが橋の歩道に出られ、9Fが展望ホールとなっていました。螺旋階段もあります。
レインボーブリッジは檻の中を歩いているような閉塞感がなきにしもあらずですが、それと比べたらゲートブリッジはとても開放感のある歩道でした。もっと距離があるかと思っていましたが、昇降できない「中防昇降施設」前までしか歩道は存在しないので、ゆっくり歩いても片道40分ほどでした。車椅子の婆さんもいました。
橋は絶え間なく揺れていて、揺れに敏感な人は気分が悪くなってしまうのではないかと思いました。
正午近くになると富士山はだんだんと薄れてきてしまいました。人は続々とやってきます。都バスは、ぎゅう詰めで到着し、大型観光バスでも来るし、駐車場は満車でした。
今日は風が弱く暖かな日でした(^^)



2012年2月19日日曜日

むすぶの神にゑんのいとぐちひきたまへ



午前11時50分くらいに借りた自転車を返しました。筑波山へ向かうバスは正午に出るのかと思っていたら、12:30発でした。
193ヶ所に雛人形が飾られているようなのですが、その「ひなめぐり1」番が桜井精肉店で、享保の頃に作られた人形を展示していました。90円の”野菜サクサクコロッケ”を買って食べました(^^)
午後1時前に筑波山の観光案内所前に着きました。真壁からバスに乗ったのは、他に親爺が1人だけで、この人はつくば駅まで帰るようでした。
ケーブルカーで登ってしまうつもりでいたのですが、翌日から「梅まつり」(まだ花は全く咲いていません)が始まるので、ケーブルカーは点検整備で運休でした。ロープウェイも先月から2月21日まで運休しています。
掲示してある地図を見ると歩いて1時間半くらいで山頂まで行けそうなので筑波山神社に寄ってから「登り約50分・白雲橋コース」へと向かうことにしました。最初は気付きませんでしたが、白雲橋コースに入るまでに神社から20分と女体山山頂まで40分とケーブルカーの山頂駅まで15分が加算され、バスの最終に間に合わせるには、下山するのにかかる70分とで男体山山頂まで行く時間は残っていませんでした。
しかも昨夜の雪で登山道は、凍って滑ったり、ぬかるんでいたりしていて歩きやすくありませんでした。
「弁慶茶屋跡」を過ぎると弁慶七戻り、出船入船、裏面大黒、北斗岩などなど名前の付けられた巨石が次々とありました。女体山山頂(877m)への到着は、午後3時10分頃でした。木々に積もった雪が風で舞っているものだと思っていましたが、本格的に雪が降ってきてしまいました。
ケーブルカーもロープウェイも動いていないので、お店は全部閉まっていました。人影は皆無です。山頂近くのお店で何か食べればよいと思っていたので、結局は小さなコロッケひとつが本日の昼食となってしまいました。
最終バスが出る5分前にバス停まで戻りました。自販機で、昔は茨城県内だけでしか買えなかった「MAX」という名の缶コーヒーを買いました。この缶コーヒーは、コーヒーとは別の飲み物のような気がします。
降りてくる途中に男女の川の源流だという掲示がしてある場所がありました。

  筑波嶺の峯より落つる男女の川
  恋ぞつもりて淵となりぬる

”百人一首の歌で名高い男女の川は、羽鳥の村で桜川と合流する。その川上(といっても四キロぐらいしかない)に、「歌女神社」があり、嬥歌はそこで行われていたという。” 白洲正子『道』(新潮文庫)より


2012年2月18日土曜日

平良兼の館で風とまぐわう




小さな案内標識は、「歌姫明神」と「観音堂」とがあったので観音堂の方へも行ってみることにしました。
借りた自転車は、ややタイヤの空気が甘くてわずかな坂道でもペダルがとても重くなってしまうので、上り坂では自転車をころがしながら歩くことになってしまいました。しばらく坂を登って行くと大きな門構えの家のところで鋪装道路が終わってしまいました。そこから先は林になっている裏山という感じなので自転車を置いて歩いて行くことにしました。もう長いこと人が入っていないような気がしました。
木々の中に人工的な石垣のようにも建物の基礎のようにもみえる石組みがあったりもして、だいぶ昔には大きな屋敷があったのかもしれません。
「社」というほどのものではなく木材で囲って屋根を付けただけという小さな建造物の中に「三日月尊」と彫られた石碑がありました。これが「観音堂」であるはずがないように思えました。もっと奥はそのまま筑波山になってしまいそうな山道なので、引き返そうとすると急に周りの空気が変わったような感じがして、とても清涼感のある爽やかで気持ちの良い風に包まれました。
石碑などを写したカメラの撮影時刻から判断すると十数分間の記憶が飛んでしまいました。満足感のあるセックスをした後のように膣が熱くなっていました。そして、なんとなく漠然とここは「平良兼」の館であるという気がしたのでした。
案内標識の矢印の方向とはまるで違う方に「観音堂」らしい建物が見つかりました。ここに「准胝観音」という仏像があるようなのですが、観音堂の中を覗き込むとさらに「観音開きの扉」があって仏像は見ることができませんでした。
「歌女神社」があるところが、以前は「常陸羽鳥菅原神社」という名前だったのか、神社がふたつならんであったのかは分かりませんが、この辺りにある小碑に「常陸羽鳥菅原神社」を「下総豊田郡大生郷常陸下総菅原神社」に移したと刻まれているそうです。この小碑は特に興味が湧かなかったので探さずに済ませてしまいました。
菅原三郎景行が父である菅原道真の遺骨の一部を三年間(926年から929年まで)ほど真壁の桃山中学校近くにある「羽鳥天神塚古墳」に埋めておいて、その間に旧・水海道市に「大生郷天満宮」を造営したのだそうです。とりあえず古墳だけでも見ておこうと桃山中学校の近くまで行ってみましたが、古墳がどこにあるのか分かりませんでした。太宰府ではなく、なんで真壁なんだっぺ?(笑)



2012年2月17日金曜日

筑波嶺に媾ぐ合い嗅ぐ会い男女川



今月5日に「真壁のひなまつり」を見にでかけたときに「歌姫神社」というのがイラスト地図に載っていたので、ちょっと気になっていました。調べてみると奈良市には「歌姫神社」というのが昔からあるようですが、「歌姫」という言葉は近年になって中島みゆきや中森明菜が用いる以前には、ほとんど使われていないのではないかと思いました。
そして今月8日にたまたま買った白洲正子・著『道』(新潮文庫)に収録されている「桜川匂ひ」という紀行エッセイに「歌女(うたつめ)神社」という名前で出ていることを知りました。「羽鳥」という地区にあるので、真壁からはけっこう距離がありますが、真壁のひなまつりバス停のところで無料で自転車を貸し出していたことを思い出し、早速行ってみることにしました。
今日は平日なのでJR水戸線・岩瀬駅前から片道500円で真壁まで行くバスは運行されていません。つくばエクスプレス・つくば駅近くから3月3日まで毎日運行されている「ひなまつり号」(1500円)に乗ることにしました。第一便は、午前9時半の出発です。東武野田線・流山おおたかの森駅でつくばエクスプレスに乗り換えました。つくば駅まで二十数分の長くもない距離ですが電車賃は、700円もかかりました。午前9時10分頃につくば駅に到着しました。バスのチケット売り場はすぐに見つかりました。「TX」と書かれたピンク色の帽子がオマケでした。2番出口から上にあがってまっすぐ行くとバス乗り場があると言われたのに、まるで違う方向へ向かってしまったのでチケット売り場のオバチャンが走って追いかけてきてくれました(^^;)
大型観光バスが2台駐車していましたがまだ乗客はいなくて一番乗りでした。このまま他に誰も乗らないのではないかという感じでしたが、初老の夫婦2組と親爺1人、出発時刻を5分過ぎてから婆さん2人が走って来て、バスは出発しました。
昨夜から今朝にかけて雪が降ったようで、筑波のほうは埼玉より多く田畑や屋根に雪が積もっていました。
真壁には、午前10時20分くらいに到着です。前カゴ付きのチャリンコを借りました。バスが走って来た道を20分ほど自転車で戻ることになりました。
白洲正子は、風土記に書かれている「嬥歌(がいか)」(歌垣)が行われた場所として、この歌女神社が「もっともふさわしい霊地」と書いています。
「嬥歌」とは、春と秋に男女が集って酒盛りをし、求愛の歌を掛け合う年中行事のひとつであったようです。万葉集にも多くの「相聞歌」がとられています。
万葉集巻九の”鷲の住む筑波の山の裳羽服津のその津の上に率ひて未通女壮士の行き集いかがう嬥歌に人妻に吾も交らむわが妻に他も言問へこの山を領く神の昔より禁めぬ行事ぞ今日のみはめぐしもな見そ言も咎むな”(高橋虫麻呂)歌から、処女も人妻も言い寄られたらセックスを拒むことは許されなかったものだったようです。男女が睦み合うことは、筑波の神意に叶う神聖な儀式であったのかもしれません。
どんな関係なのか分かりませんが、平成15年に調布・館林・岩槻・川越の四組の夫妻によって奉納されたらしい真新しい白い石の鳥居が建っていて、「歌姫明神」の額が付いていました。これが名称を変にしてしまったものと思えます。


2012年2月16日木曜日

くそみそだぞぅ




「寒い!!」の前に「くそ」を付けてしまいたいくらいの気温でした。今日は一ヶ月ぶりくらいで「八景島シーパラダイス」に行く予定でいましたが、午前10時10分に到着した京浜急行・金沢文庫駅からはシーパラとは正反対の方向にある「横浜市立金沢動物園」へと向かいました。
本数が多くありませんが、土・日には金沢動物園へ直行バスがでています。平日は駅西口の1番バス乗り場から「野村住宅センター行き」に乗って「夏山坂上バス停」で下車せよとのことですが、バスに乗り込もうとした直前に乗車ドアを閉められてしまいました。次のバスは13分後ですが、歩いたらちょっときつい坂道をあがりますが、ほぼバスと同時くらいに夏山坂上バス停まで行けました。シーパラに行くより近い感じでした。
入園料は、500円です。エントランストンネル内は、ディズニーランド調に人形が動きまわっていました。
入口の長いトンネルを抜けると動物園なのでしたが、人影もなければ動物も見あたりません。先日行った、埼玉県東松山市にある「こども動物自然公園」よりもさらにゆったりとした配置で、いる動物も少なそうでした。
雪もちらついてきました。坂が多くて歩き疲れます。視界の開けたところからは正面に房総半島、右手には観音崎や猿島、八景島シーパラダイスや横須賀の造船所が見えました。
二頭の象がいるところでは、、、長い象牙付きのゾウが足早に近付いて来てまっすぐに鼻を伸ばしたかと思ったら、茶色の鼻汁を浴びせかけられました(T_T)
「おねがい 鼻水をかけたり、フンを投げることがありますのでご注意ください」という掲示がありました。1985年にインドからやってきた35歳のオスで、体重はおよそ6000キロだそうです。1mくらい折れてしまってもまだ2mくらい残っている牙があります。寒いのに鼻で大量の水を吸い込んでは、噴水のように出して水浴びを始めていました。
手袋を持ってこなかったので、カメラを持つ手は固まっちゃうし雪や氷の粒が落ちてきて、なんだか罰ゲームのような動物園です。来場者は十数人しかいないようで、動物たちも寒いので隅っこで動かないみたいでした。



2012年2月15日水曜日

解説を鵜呑み鷹の目




なぜカラスは、トビの獲物を横取りしようとするのかと考えてみたら、、、カラスはトビほど目が良くないのだろうという推測になりました。
「井の頭自然文化園」の展示物のなかに”タカの目にちょうせん!”と書かれた視力検査表が貼ってありました。ノスリの網膜には人間の5倍も視細胞があって視力は人間の8倍と書かれていました。人間より視力が8倍という意味は、人間より8分の1小さいものを見ることができるということでしょうか?時々、科学的な説明は数値に目を眩まされて見えなくなります(笑)
ハヤブサは、8km離れたところからハトをみつけることができると書いてありました。人間は、1km離れたところからハトを見つけられるのでしょうか???
小鳥の写真は、小鳥をなかなか見つけられないのと動きが速いので上手に撮れません。それでも冬は木の葉がないだけ見つけやすいのかもしれませんが、、。





2012年2月14日火曜日

徒歩とほ、徒暮とぼ日が暮れる



去年は、週に二回くらいハクチョウ見物に行ってましたが、16日ぶりになってしまいました。
多々良駅から多々良沼へと向かう途中の農家の庭には、梅の木としては凄い”大木”があったのですが、伐ってしまったようでした。今週末には、水戸の偕楽園で梅まつりが始まりますが、一輪も開花してないかもしれません。越谷の「梅林公園」では早咲の品種が一ヶ月遅れで開花したばかりだそうです。
朝日がまるで太く長い柱のように見えました。
ハクチョウたちは、具体的にどう違うかうまく表現できませんけど、ど~にも去年までと行動パターンが違うところが気になります。
城沼に寄ってから、期間限定で200円で販売されているビッグマックでも食べようとしました。いつもと違う道を通って行こうとしたら、どこまで歩いても記憶にある場所にでなくて、もうだいぶ疲れてきた頃に「渡瀬(わたらせ)」という駅がみつかりました。15分ほど待って1時間に1本しか走っていない館林行きの電車に乗りました。
館林駅からは、板倉町にある雷電神社まで歩いたので、なんだかとても疲労困憊という感じでした、、。