2012年1月31日火曜日

ジャジャ~ン恐怖の肉食雀来襲じゃん!!



水族館巡りが一段落したので今日は上野動物園に行きました。開園は、午前9時半だったようですが、15分ほど遅れての到着でした。パンダ舎が正面入口のすぐ近くにあるというのは、居酒屋へ入った時の「とりあえずビール」と同じで、「とりあえずパンダ」見物ができるのが、なかなかよいです(^^)
パンダは、メスのシンシン(真真)もオスのリーリー(力力)も一心不乱という風な感じで笹を食べていました。前面のガラスにいっぱい水滴が付いていて写真ビジュアル的にはいまひとつでした。
今日もだいぶ寒い日ですが、ゴリラはけっこう動き回っていました。親子揃ったところを撮れました。
ゴリラの親爺は知的な目をしていますが、、、人間は言動がアホバカで、動物園に来ているのは子供より大人の方が多いことに驚いている大人もいれば、10歳くらいの少年は不忍池を覗き込んで「蜂の巣がある!!」と大騒ぎしていました。ハスの実を落とした殻を「はちす」と言いますが、少年には本物の蜂の巣に見えたようでした。


一触即発



一触即発



YouTubeで昨年12月初めから一般公開していた「一触即発」は、延べ1500回ほど参照がありましたが、1月28日になって”アップロードした 1 つ以上の動画について、不適切であるという報告が YouTube コミュニティから寄せられました。報告が寄せられた動画は、YouTube チームがコミュニティ ガイドラインに照らして確認します。 確認した結果、次の動画にはこれらのガイドラインに違反するコンテンツが含まれていると判断し無効にしました。・一触即発 あなたのアカウントに対し、1 つ目のコミュニティ ガイドライン違反警告が送られました。この警告は 6 か月間有効となります。違反が繰り返された場合は、一時的に YouTube へのコンテンツの投稿ができなくなることがあります。また、アカウントが恒久的に停止されることもあります。”というメールが届いたので、似たようなコンテンツである動画のリンク表示をブログから消しました(リンク先を既に知っていれば見ることができます)。

いま試験的に「FC2動画」への移転を始めたところです。参照するにはFC2会員登録(無料)が必要です。



2012年1月30日月曜日

ぷろもびでお「野外露出紀行」



あんぽんたん姫野外露出紀行

悲鳴高複死バスには乗れず無事に蛙


また羽生駅まで歩いて戻ることを考えたら気が遠くなりそうでした。水族館まで来る途中に時刻表の見方がよく分からなかったバス停が点在していたので、水族館前の道路を探しましたがバス停を発見できませんでした。なので500メートルほど戻ってバス停にある時刻表を確認すると「あい・あいバス(羽生市福祉バス)○ムジナもん号 手子林・三田ヶ谷ルート」の第3便が14:51に通過することになっていました。まだ1時間くらいあります。
再び水族館前へと引き返して向かい側にある「羽生市農林公園キヤッセ羽生」という農産物販売所や飲食店のあるところで時間潰しすることにしました。「キヤッセ」というのは、「来てください」という方言かと思います。
ビニール袋詰めの金魚が売られていました。「ヒメダカ20入り 380円」が目に付いて、なんだか格安な気がしたので買ってしまいました。バス停は、道路脇ではなく「キヤッセ羽生」の敷地内にありました。
あと5分くらいでバスが来ると思った頃に時刻表を見直すと、、、直射日光に晒されて黒文字より擦れている赤文字で「*運休日 土・日曜日・祝日」という記載が!!(^^;)
たぶん羽生駅に戻るよりも遠くはないという判断で加須駅がありそうな方角へと歩くことにしました。午後からは、とても冷たく強い北風が吹いていました。
加須市内に入ると「加須市内循環バス 北循環コース」というバス停が見つかり、こちらは日曜日だけ運休なので乗れそうでしたが、またもや1時間くらい待たないとやってきません。
1時間ほどで関東三大不動尊のひとつ「玉嶹山總願寺(ぎょくとうさんそうがんじ)」の近くにでました。ここから駅までは15分くらいなので、間もなくバスが来るはずですがもう乗る必要がなくなりました。「さいたま水族館」は、羽生市内にあっても加須市から行くほうが30分以上も近いということでした。
長い時間、ちゃっぽんちゃっぽんと揺られ続けて移動してきたメダカ20匹は無事でした。水温が低すぎるせいなのか、100均で買ったプラスチック水槽の底の方でほとんど動きません。



一番近くて遠い水族館


なにかにつけ「海無し県」だからなんとかと言う埼玉県ですが、海の代わりだと何ヶ所か大きなプールを造ってきました。それでも海無し県民のために海にいる生物を一堂に集めて見せようという発想は、生まれ無かったようです。
羽生市に「さいたま水族館」という県立施設があります。淡水魚の水族館なので、海に住む魚はいません。
以前、車で行ったことがありますが、東武伊勢崎線&秩父鉄道・羽生駅からの行き方は駅前に地図でも掲示してあるだろうと思っていましたが見あたりませんでした。とりあえず駅東口からまっすぐの道を歩いてゆくことにしました。途中、コンビニで昼食を買ったついでに地図を立ち読みしましたがよく分かりませんでした。
一時間くらい歩いてやっと「さいたま水族館3.8K」という看板がありました。もう間もなく群馬県か栃木県になってしまいそうな場所なので、大半の埼玉県民には遠いところにあるということになってしまいます。
結局、駅から1時間45分ほど歩いて到着しました。入館料は、水族館としては格安(?)の300円です。
水族館のすぐ近くが国指定天然記念物となっているモウセンゴケ科の食虫植物「ムジナモ」の自生地ということで立ち入り禁止区域になってます。白っぽい色の猛禽類がその上を飛んでいました。羽生市は、このムジナモを擬人化して「むじなもん」という「ゆるキャラ」にしてました。
青いアメリカザリガニが展示されていました。

(一時的な不具合かと思いますが昨日からブログに写真を一枚しか貼れません。編集もうまくゆきません。)  ←これは使用していたブラウザ「Opera」の不具合と判明しました。




2012年1月29日日曜日

蘆葦かきわけて


先週末は雨や雪ででかけることのできない日があったので、昨日は12日ぶりで多々良沼へとハクチョウ見物に行きました。今回は、弁天島のほうへは行かずにずっとガバ沼にいることにしました。今までは、夜明け頃にはガバ沼にハクチョウはいなくて後から飛来してくることが多かったのですが、今回はすでに80羽以上がいたので、飛んでくる写真はあまり撮れませんでした。
先週は、166羽も来た日があったようです。多々良沼で越冬しているハクチョウの北帰行は、わりとのんびりゆっくりで3月15日以降の旅立ちとなる年が多いようです。

多々良沼から多々良駅まで戻ったら館林より先に行く電車は1時間ほど待たないとないので、館林駅まで歩いてしまうことにしました。後から考えたら、、館林行きの電車でも館林で乗り換えればOKだったのかもしれません。
土曜日なので嘉永6年(1853)に建てられた建物を使っている「正田記念館」はお休みでした。多々良駅で待っていれば乗れたはずの電車にぎりぎり間に合いました。三つ先の羽生駅へと移動です。


2012年1月28日土曜日

またもTokyoCity冬日



お茶の水女子大前の公園でパンを食べていたら頭上にヒヨドリがやってきてパンを欲しそうにしていたので、小さくちぎって投げてあげたら逃げてしまいました。
茗荷谷あたりからならサンシャインシティまでそう遠くないだろうと歩いたら一時間くらいかかって到着は午後一時半くらいになってしまいました。
まずは分速600mのエレベーター(写真2枚目)でサンシャイン60展望台へと上りました。
寒すぎるくらいですが、北風ぴーぷーというわけでもないせいか遠くの山々はよく見えませんでした。筑波山はうっすらと形がわかりますが、日光連山はまったく見えません。富士山は、見えるような見えないような微妙なところでした。昨日が富士山の真上に太陽が沈む日だったようです。この日没見物用に屋上デッキは、午後三時から入れるとのことでした。確か高尾山では、クリスマスの頃に富士山頂に太陽が沈むと書いてあったと思います。
アニメ映画『けいおん!』関連の展示は今日まででした。なので売店で売っていたコミック本型の無地ノートを2冊買ってしまいました。記念スタンプ帳にちょうどよさそうです。
サンシャイン水族館は、今日もうんざりするほど混んでいました。



2012年1月27日金曜日

日中の光と陰




馬琴の墓がある深光寺の前に「茗荷谷町会案内図」というイラストマップがあって、「切支丹屋敷跡の碑」というのが載っていたので行ってみることにしました。
そこへと向かう途中に短大らしき建物が鉄条網付きのフェンスに覆われていたので、「ああ、この短大も学生が集まらなくてつぶれたのか」と思ったのですが、、、むしろ無意識に見ていたのは、短大の隣の高台にある「廃墟」でした。この辺りは坂が多くあります。坂をのぼってゆくと表札のない門柱があって、駐車場のようでしたが、その奥に三階建てコンクリート造りの大きな建物がありました。窓ガラスはほとんどなくなっていました。
真新しい車が駐車してありましたが、ナンバープレートのない車も何台か放置されてます。建物は、学生寮のようでした。人が通れるくらいに開いている玄関のドアはブラウン管式のテレビによって”塞がれ”ていました。中を覗き込むと貼り紙は中国語で書かれていて、いくつもならんでいる郵便受けには、中国人名が書かれていました。
火災があったようで無残に焼けている部屋もあれば、冷蔵庫などが置かれていて整然としており、いまにも人がひょっこりと現れそうな部屋もありました。ぬいぐるみも多く落ちているので子供も住んでいたのかもしれないという感じでした。風で2階にある部屋のドアが開いたり閉まったりしていました。なにかとっても不気味です。こんなに落ち着かない感じのする廃墟に入ったのは初めてです。しかも文京区の高級な住宅地に近い場所というのが、どうにも不自然です。
帰ってから調べたら台湾総督府の留学生寮として80年以上も前に建てられた「清華寮」という建物だということが分かりました。2007年に火災があって死者がでていました。なにか嫌な感じは、そのせいだったのかもしれません。2階、3階には行きませんでしたが、地下にも部屋があったことには気付きませんでした。
切支丹屋敷跡の近くには「巨大マンション建設反対」の立看などがいくつも見られました。



縛られて満望



今月は、しながわ水族館、八景島シーパラダイス、葛西臨海水族園、沼津港深海水族館へと行って、お魚ぱらだいすの日々でした。今日は、サンシャイン水族館ですが、、、その前にまず日本橋に寄りました。
芭蕉が寛文十二年(1672)二十九歳の時に伊賀上野から江戸にでてきた時に住んだという場所を見に行きました。当時は、江戸に行くのを「上京する」とはまだ言っていないことでしょう。以前に見ておいた地図には、角地に印が付いていたので、路地の角々を丁寧に見ましたが、なかなか見つからなくて先に「史蹟 三浦按針屋敷跡」という石碑を見つけてしまいました。芭蕉句碑は「佃煮日本橋鮒佐」の前にありました。この店の創業は、文久二年(1862)なので芭蕉が住んでいた頃と190年も違います。この石碑には、「「発句也 松尾桃青 宿の春」と彫られています。
初めて三越のライオン像を人が写っていない状態で撮影できました。三井記念美術館で「能面と能装束」展を見ました。以前にもここで同じような展示を見たような覚えがあります。この展示は、明日で終了です。
地下鉄・大手町駅へと向かう途中、日本銀行の前に「貨幣博物館」があったので入ってみました。入館無料です。大判小判がざーくZAKKUしてました。館内の撮影は禁止でした。こんなに警備員はいらないでしょ!!という気がしました。
茗荷谷駅まで地下鉄で移動しました。駅からすぐ近くの「林泉寺」で「縛られ地蔵」を見ました。願いをかけるときに地蔵を縄で縛り、願いが叶うと縄をほどくのだそうです。(写真左側に縄が用意されてます)
すぐ先の「深光寺」には「滝沢馬琴」の墓があると案内がでていたのでこれも見ておくことにしました。戒名は「著作堂隠誉蓑笠居士」(ちょさくどういんよさりゅうこじ)となっていました。



2012年1月26日木曜日

海の羅漢たち


シーラカンスの発見は、博物館の学芸員で魚類のコレクションを担当していたマージョリー・コートニー・ラティマー(Marjorie Courtenay-Latimer)女史が1938年12月22日に南アフリカ・チャラムナ川の河口付近で獲られた魚のなかから変な魚を見つけたことに始まります。
女史からスケッチなどを受け取ったJ.L.B.スミス教授は、3億8000年前の地層から出た化石と同じであることに「シーラなカったス!!」と吃驚したのでした。
シーラカンスの学名は、発見した女史と採れた川の名前から「ラティマー・チャラムナ」になりました。
その後、スミス教授自身が次の標本を手に入れることができるまで14年かかったそうです。(こちら を参考にしましたm(_ _)m )
その頃(昭和13年)、日本では4月には「国家総動員法」が公布されています。
深海水族館に再現展示(?)されていたシーラカンス研究者の机らしきものは、苦節14年のスミス教授をイメージして制作されたのでしょうか???モデルとなった写真が存在するのかもしれませんが、ありそうでありえない嘘臭さがとっても良い感じです(^^)

沼津は干物が名産品のようで、干物製作中なのか販売中なのか分からない感じで店頭にならべられていました。
水族館の近くでは、テレビ局が番組収録をしていましたが、見物人が他にひとりもいないので近くで見ているのが恥ずかしくなってしまいました(^^;) ギターをもった親爺が「新曲ができたので聴いてください!!」と言って歌い出しました♪



2012年1月25日水曜日

沼津港でシイラ喰わんとす



「深海水族館」という名前なので、深海にいる魚だけを展示しているのかと思いましたが、深海魚はほとんど展示されていない感じの内容でした。水槽も小さなものが多いので、メンテナンスや展示内容の変更は容易そうです。平日にもかかわらず、けっこう見物客が入ってました。水産関係の会社による経営らしいので、どれだけ存続できるか謎です。
2階に「シーラカンス」5体が展示されています。ワシントン条約でシーラカンスの商用利用はできない決まりなのだそうですが、ここで見せているものは”正式に展示が許された珍しい個体”とのことです。マイナス18度の冷凍保存されているのが2体、乾燥ひもの状態が3体です。
昼食は、港近くのお店で海鮮丼のようなものでも食べようかと思っていましたが、”観光地お値段”だったのでやめてしまいました。街は大都市風でしたが、想像していたよりもこぢんまりとした港でした。遊覧船らしきものが繋留されていて、乗船券を売っている建物もありましたが、今日動く気配は皆無でした。
港の入口には、巨大な水門のような建物があって展望台になっているようでした。行ってみたら「毎週火曜・休館日」で外側階段も施錠されていました。入場料は100円ですが、駐車場が2時間無料になるそうです。水族館は、駐車場の割引などありませんでした。
予定していた時刻より1時間以上早く帰途につくことになりました。


2012年1月24日火曜日

飲まず食わずで沼津港


この題名は、昨夜のうちに思い浮かんだのですが、30分ほど寝坊してしまったために朝食を摂る時間がなくなりました。午前5時15分に家を出たら空にはいっぱい星がきらめいていました。道路は降った雪が凍って、歩くとバリバリと音がしました。
先月10日にオープンした「沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム」へと行ってみることにしました。
ネットの乗り換え検索では、品川駅で東海道線に乗るように指示されましたが、東京駅で6:53発の平塚行きに乗りました。品川駅で乗ったら座れたかどうかあやしいところでした。7:52平塚駅・着で7:56発の熱海行きに乗り換えです。8:40に熱海に着いて、8:47発の島田行きに乗りました。4輛の電車でした。定刻より1分遅れの9:06に沼津駅に到着しました。新幹線を使っても30分程度しか早くなりません。
ところが、、、沼津駅はJR東海の”シマウチ”なので最初に駅に入った時に使ったパスモでの支払いを拒否されました。毎日のように諭吉爺が行方不明になってゆきます。
駅前のコンビニでおにぎりとお茶を買って朝食にしました。駅の南口からバスで15分「沼津港」バス停下車とHPに載っていましたが、水族館は、午前10時からなので歩いてゆくことにしました。
地図を暗記したつもりでいましたが、最初から間違った方向へと歩いてしまったようでした。だいぶ遠回りになってしまいましたが、午前10時5分くらいに深海水族館に到着しました。入場料は、1600円です。
最初の水槽に入っていたのは、体長30センチくらいの「ダイオウグソクムシ」です。昨日、葛西臨海水族園でも見たものは、ここのよりずっと小さな個体でした。


2012年1月23日月曜日

何となくおぼつかなきは天気かな


昨日、ネットでの天気予報を見間違えたのか今日は朝から晴れるものだとばかり思っていたら、いつ雨が降り出してもおかしくないような空模様でした。
上野で腹黒パンダでも見ようかという気分でしたが、今日は月曜日なので「葛西臨海水族園」へと行くことにしました。JRは、あちこちで遅れが出ていたので、到着は開園時刻の5分前くらいになりました。
開門と同時に入場したのは、20人前後でした。一足遅れてどこかの老人会みたいな団体がやってきましたが、30分くらいでいなくなりました。午前10時30分からのペンギン給餌を見物していたのは、たったの6人だけでした。
午後3時くらいから東京に雪が降るとテレビで言っていたので、正午にならないうちにバスで葛西駅へ移動して、地下鉄・神保町駅で降りました。地上へでたら雨が降っていました。傘は持っていません(^^;)
古書店で『山家集』だけ買うつもりでいましたが、なかなか見つからなくて他に5冊重たい本を買ってしまいました。最後に箱もカバーもない岩波古典文学大系『山家集 金槐和歌集』を300円にて購入です。
最初に買った村上春樹・著『物語の舞台を歩く将門記』(山川出版社)は、地図がいっぱい載っていてお散歩向きかと思ったのですが、読んでみると実際に現地を歩くことを全く考慮していない内容でした。著者の「村上春樹」は、いずれノーベル文学賞を貰うかもしれない小説家とは別人です。

写真・下は、イセエビ科ニシキエビで、南太平洋では重要な食用種ですが、日本ではイセエビより不味いとされ観賞用剥製に使われているそうです。


2012年1月22日日曜日

逆転の八艘飛び!!


1月19日に抽選された第625回ロト6は、2等のほうが1等よりも当選金額が1000万円以上も多いという”ねじれ籤”(?!)となりました。当選金の分配ルールに従うとそうなってしまうのでしょうけど、1等にやっと当選できた人達は、釈然としないものがあったのでは?
先日、モヒカン刈りのような鳥を見かけました。ヒヨドリかと思います。冬には髪を伸ばした方が暖かいはずですが、実際には髪を洗うとなかなか乾かずに寒い思いをすることが多いような気がします。夏に髪を伸ばすと暑苦しい!!と言われたりしますが、陽よけがわりになります。
きのう電車の中でおっさんが読んでいたスポーツ新聞に「秋野千尋」さんらしき写真がちらっと見えました。37歳にして「温泉ブロガー」からAV女優となった「奇跡」の人です。もっといろいろと効能のあるブログかと期待して読んでみたら、冷めた残り湯のようでした。




2012年1月21日土曜日

だけど四角はまぁるくなれない



イルカもクジラも「哺乳綱クジラ目」で生物学上の分類は同じなのだそうです。それって生物学の分類の仕方が間違っているのではないでしょうか?(笑)
体長が5メートル未満がイルカで5メートル以上がクジラと呼ぶそうです。でもシロイルカは、5メートル以上あってもシロクジラとは言わないみたいです。
水族館でイルカが芸をすると魚を与えていますが、よく見ていると氷もイルカの口の中に放り込んでいます。水分補給のためなのだそうです。では、自然界にいるイルカは咽喉が渇いたらどうするのでしょう???

昨日から関東地方も久々の雨や雪となったので、雨の降らない期間の新記録にはならなかったとは思いますが、低温乾燥した空気が大好きらしいインフルエンザが流行ってきているみたいです。
寒い時に体温を維持するのに消費するエネルギーと暑い時に体温を下げるために消費するエネルギーとでは、どちらが大きいのでしょう? 感覚としては、汗をかくほうが疲れてエネルギー消費も大きいような気がしますが、意外に誑されているのかもしれません。



2012年1月20日金曜日

そして視覚はまぁるく誑される



ネットのニュースを拾い読みしていたら、、、ピアニストの浅見由惟さん(1986年生)とAV女優の星川美沙さん(プレステージ『Can College No.68 全国現役女子大生図鑑』などに出演)とがとてもよく似ているということが出ていました。浅見さんは、1月17日付けAmebaのブログで”赤の他人、他人の空似です”と否定していました。根底にあるのは、「職業に貴賎あり!!」ということかもしれません。

昨日は、八景島シーパラダイスに行きました。先月、横須賀の軍港クルーズのときに見えた住友の造船所が八景島からもよく見えるのですが、地図などを見て納得したはずの位置関係がまたよく分からなくなりました(^^;)
昨日のブログに使った下側の写真は、八景島シーパラダイスの水槽の中にいたクラゲです。放射線の写真だと思っていませんでしたか?(笑)
マンボウに餌をあげている様子を見ることができました。ピンポン球よりも大きいくらいの団子状のものをマンボウの口に押し込むようにして餌をやってました。この給餌ダイバーさんなのですが、よく見ても男女どちらなのか性別が判断できませんでした。
大きな口を開けている魚も比較する対象物がないと実際にどれほどの大きさなのか写真から分かりますか?




2012年1月19日木曜日

五感性のない値


”放射線量計”(?)が置いてあったので、こっそり写真に撮っておきました(^^;)

放射能とは、放射線を出す能力のことらしいので「放射能を浴びる」という表現は、「放射能」無知による誤りだということはなんとなく分かってきました。「放射能」と「放射線」と「放射性物質」とを混同してしまうのは、やはり分からないまま報道してきたテレビなどのせいかもしれません。
でも、、、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚という所謂「五感」で察知できないならば、やっぱりなにも分かったことにはならないような気がするのであります。


2012年1月18日水曜日

過去に縛られる未来タウンズ





駅のすぐ近くにある広大な空き地にはどんな「計画」があったのかといつも考えてしまうのが東武日光線・板倉東洋大前駅です。バブル末期に東京への通勤圏ぎりぎりのところを開発したのかと思っていましたが、この駅の開業は平成9(1997)年とのことなので、すでに立ち上がりそのものが手遅れだったのかもしれません。

ここは群馬県ですが、ひとつ東京寄りの駅は埼玉県で、ひとつ日光寄りの駅は栃木県になります。すぐ東側にある渡良瀬遊水池の向こう側は茨城県になります。

もうひと昔くらい前になりますが、茨城県古河市に本拠地(?)のあった歴史研究サークルのようなところが江戸時代の頃の刑罰再現写真みたいなものを撮りたいとのことで、ボランティアでモデルをしたことがありました(掲示写真はそのときのものではありません)。

その時に慣れない手つきでわたしに縄をかけた人が、この辺りに住んでいたなぁと思い出しました。





みらいゴーストタウンズ


駅のすぐ近くにある広大な空き地にはどんな「計画」があったのかといつも考えてしまうのが東武日光線・板倉東洋大前駅です。バブル末期に東京への通勤圏ぎりぎりのところを開発したのかと思っていましたが、この駅の開業は平成9(1997)年とのことなので、すでに立ち上がりそのものが手遅れだったのかもしれません。
今年の新成人は、多い時の半分という報道だったかと思いますが、学校も郊外型の短大は学生が集まらずになくなりました。大型ショッピングモールだけは現在も続々と建設中のようですが、これもあと数年で終わるという感じがします。
多々良沼から城沼へとたくさん歩いたのでハンバーガーひとつで済まそうと思っていた昼食を大型ショッピングモールに隣接したラーメン屋で食べることにしました。味噌ラーメンにバターとコーンをトッピングしたらお値段は1100円にもなってしまいました。


2012年1月17日火曜日

渡りの良悪、コトリの蘆葦



多々良沼から城沼まで歩くことにしました。7、8キロあるかもしれません。1時間半か2時間ほどかかります。いつも「彫刻の小径」という松林のなかにいくつも彫刻が置かれている公園のようなところを通り抜けて行きますが、あとから地図で見たらだいぶ遠回りでした。
ハクチョウの飛行速度はどのくらいなのか分かりませんが、多々良沼から城沼まで数分で飛んでしまうのかもしれません。人には聞こえなくても鳴き声は届いているような気がします。
つつじが岡公園は、梅の木がたくさんあるあたりが大規模な改修工事中で立ち入りできなくなっていました。梅の木などには、包帯のようなものが巻かれていました。3月15日までと掲示されてます。
日本で印を付けたチョウ(おおごまだら)が数千キロ離れたところまで渡っていたことが確認されたと新聞に載っていました。小さな渡り鳥たちもとんでもない距離を飛んでくるのでしょうね、、もしかすると定住というのは、反地球的な生き方なのかもしれません。
「サイクリングができる公共の宿つつじが岡パークイン」の前が円形の入江のようになっていて水が浅いのか、ここにハクチョウが20羽くらいいました。岸辺に人が行くと土着のコブハクチョウが渡りのコハクチョウを威嚇しながら近付いてきます。人がくれる食べ物を先に頂くということのようです。
帰りは、館林駅方面には戻らずにバスで板倉東洋大駅前まで行きました。