2011年8月31日水曜日

旬の蝶


このところいつも視界の片隅にキアゲハ(実際にその名前かどうかはわかりませんけど)が舞っています。電車などで移動しても同じ蝶が付いてきているのではないかと思えるくらいです。たぶん今の時期に最も飛び回る個体数が多い蝶なのでしょう。
古くから蝶は、「死者の使者」であるという考え方もあるようです。見る人の心の有り様で地獄の使者にも天国からの使者にもなりそうです。
台風が北上してきていますが、通過してしまうとまた別の昆虫が”旬”になるのかもしれません。
セミの数は、例年よりちょっと少ないのではないかという気がしましたけど、これも住環境とかでまるっきり別の印象になりそうですね、、。

2011年8月29日月曜日

秋に向かって跳べ!!


夏の高気圧が北上してくる台風の速度を押さえ込んでいるとのことで、今日は晴れて暑くなりました。
もうカブトムシなどの姿は見えなくなっているかもしれませんが「ぐんま昆虫の森」へ行こうと思っていたら、、、今日から何日かお休みでした。なので、久しぶりに埼玉県宮代町にある「東武動物公園」へと行ってみました。
今年で開園30周年で、入園者は4000万人を超えたとのことです。「動物園」と「遊園地」の複合施設です。最近は、あまり客を呼べる動物がいないような感じがしていますが、ウサギ、ヤギ、カンガルーなどの動物に触れられるところが建て直されてました。「白い虎」(ホワイトタイガー)は、3頭いるような広告を見た覚えがありますが、2頭になっていました。そのうち1頭は、国内「最高齢」とのことです。
まだ夏休みなので、けっこう人は来ていました。写真は、「アシカショー」です。以前は、こういう動物ショーが嫌いで動物園には行かなかったのですが、、。

2011年8月28日日曜日

葉月の終わりに


群馬テレビ「音楽エンターテイメント番組・ミュージックフォレスト」の公開収録が「太田イオンモール」で行われるということが、夏川陽子さんのブログ『気まぐれ太陽』で告知されていたので行ってみることにしました。
ソースカツ丼を食べた食堂の婆さんにイオンモールにはどう行けばよいのか訊いたら、駅前から20分毎にシャトルバスが出ていると言うので、それに乗りました。シャトルバスと言っても地元のタクシー会社が運行しているようで、途中いくつかのバス停にも停まる一般乗合バスでした。片道170円です。
”セントラルコートにて”となっていたので、建物の中央かと思ったらサウスコートに隣接するところでした。午後2時からですが、30分前に着きました。小さなステージができていて、半円形に取り囲むように鉄パイプ椅子がならんでいました。タオルなどを置いて席取りがされていましたが、まだいっぱい空席がありました。テレビの公録なので写真は撮れるかどうか分かりませんでしたが、ストロボ発光で撮っている人もいてOKのようです。
予定より10分ほど遅れて、午後2時半くらいから30分ほど夏川さんが歌いました。オンエアされるのは、9月14日の22時からです(21日に再放送)。加入しているケーブルテレビに群馬テレビはありません(^^;)
ところで「葉月の約束」プロモーションビデオは、歌詞内容を見事にイメージ化してくれています。すべて桐生市内で撮影したそうです。出演している二人の女子高校生役の子は、どこかで見たことがある気がするのですが、思い出せません。
なかなか縁の生じないことも多々ありますが、八木節まつりに続いて今月二度目の夏川さんでした(^^)

2011年8月27日土曜日

百式呑龍と百名城


雨になりそうな空模様でしたが、群馬県太田市へ行きました。東武伊勢崎線太田駅では、何度も乗り換えをしています。熊谷からバスで来た時に一度だけ電車に乗りましたが、まだここで下車したことはありませんでした。午前8時半くらいの到着でした。
まず「呑龍様」という名前はよく耳にしていた「大光院」へと寄りました。「呑龍」とは、徳川家康の命により大光院を開祖した「呑龍上人」のことで、貧しい子供たちを弟子として寺で保護したと言われているそうです。大きなお寺でした。
大光院のすぐ隣は、「旧・中島飛行機呑龍工場」だったそうで「富士重工業」発祥の地です。「ラビットスクーター」や「スバル360」が製造されたようです。月光仮面が乗っていたバイクでしょうか???
「史跡金山城跡ガイダンス施設」(入場無料)に入って見たら、、、今日の一番乗りだったみたいで、有無を言わさずに(?)5分ほどの短い映画を見せられました。この種の映画としては短いのにとても良い出来映えでした。これで蒸し暑い中の低山登りではなく戦国期に関東七名城のひとつとされていたという金山城を上杉謙信になったつもりだ毘ょ~ん!!と攻め上ることができました(笑) 「実城炭(みじょうたん)」と書かれた竹炭を一袋無料で頂戴しました。
たいていの城跡は、雑草が茂る中に土塁があるくらいで面白くありませんが、ここは適度に石垣などが復元されて楽しめました。上掲の写真では、よく分かりませんが遠近法により目の錯覚をおこさせる通路で、知らずに攻めてきた敵には実際より長く見えるそうです。オニヤンマが飛んでました。飛んでいると巨大に見えるのも錯覚でしょうか?
本丸跡は、明治8年建立の「新田神社」となっています。ご祭神は、新田義貞公でした。大正、昭和天皇も参拝されているそうです。
駅前の「七五食堂」で600円なりの「ソースカツ丼」を昼食にしました。そして「太田イオンモール」へと向かいます……。

2011年8月25日木曜日

夕顔の昼間の顔と夜の顔


栃木のぱちもん「紫式部の墓」を見に行こうと今日も午前4時半に起床しましたが、、、窓を開けたら雨が強く降っていました。雨が止んできたのは、午前7時頃でした。予定より2時間近く遅れての出発でした。
「紫式部の墓」があるという栃木県下野市「天平の丘公園」の最寄り駅は、JR宇都宮線・小金井駅ですが、今回は東武日光線・新栃木駅から歩くことにしました。
午前8時40分くらいに新栃木駅へ到着しました。傘が必要なくらい雨が降っていました。ずっと雨は降ったり止んだりの繰り返しでした。蒸し暑くて、歩いていると身体がべとべとする感じでした(^^;)
歩道があったりなかったりの道路沿いをずいぶんと長く歩くので、もう少し雨が強いと車が通ったときに巻き上げる泥水の飛沫をいっぱい浴びてしまうことになったでしょう、、。
「思川(おもいがわ)」に架かる大光寺橋を渡って、栃木市から下野市に入ったのは、午前10時前後でした。栃木市内には、「下野国庁跡」の案内看板がありましたが、かなり遠回りになってしまうので今回は行かないことにしました。不思議なのは、中世の城跡のように人々の暮らしとは別な施設ならともかく「国庁」という国家の重要施設があった当時としては最も便利であったかもしれない所が、なぜ今は誰も住んでいないような場所になってしまったかです。
「天平の丘公園」の手前の農地には、あちこちに大きな瓜がたくさん捨てられていました。瓜は、「かんぴょう」でした。なぜ大量に廃棄、放置されているのか謎です。栃木県は、干瓢の生産では全国の8割くらいを占めるようです。
新栃木駅から徒歩2時間ほどで、やっと「紫式部の墓」に辿り着きました。公園内は、じめじめしていていろいろなキノコがいっぱいでした。想像していたよりも大きな五輪塔でした。
「環境庁」が設置した説明看板には、、、「この塔は五輪の塔で鎌倉時代の様式であり、この地方の豪族が供養塔として建立したものと言われています。同じ様式の塔が数多く建立されたと思われ、ここより約1km北にある国分寺(下野国分寺跡とは別)薬師堂のそばにもあります。はじめ姿川沿いにありましたが、明治初期にここに移されました。この付近は紫という地名であることから、源氏物語の作者である紫式部の墓と、言われるようになったと思われます。」とありました。木っ端役人の作文なのでしょうが、どこの説明看板もへたくそです(笑)
時々雨が落ちてくる中、同じ道を引き返すのは気分的にとっても遠いので、JR小金井駅から帰ることにしました。

2011年8月24日水曜日

ミファとシドの間と夏の雲


前回、7月21日(木)に「八景島シーパラダイス」へと行ったときは前日に通過した台風の影響で曇った涼しい日でした。それでもずいぶん人がいっぱいいると思いましたが、今日はその何倍もの人が来ていて、、、世の中はまだ夏休み中なのだということをあらためて思い出しました(^^;)
夏空に戻りました。風がなかったらとても暑く感じられたのではないかと思えました。遠くに入道雲が山盛りになっていました。
この一年くらいのうちに日本中で6ヶ所くらい水族館がオープンするそうです。東京スカイツリーのところにも「墨田水族館」(仮称)が予定されています。なぜ不動産屋さんが水族館を経営するのか謎ですが、名前がぱっとしないので、変更になるかもしれませんね、、。
一ヶ月前に4頭だったマンボウは、1頭だけになっていました。残ったそれもずっと斜めに傾いたまま漂っていて、、あまり元気がなさそうでした。水族館用に生け捕り専門の漁師さんがいるのでしょうか??? もし体長が数メートルある巨大マンボウを捕らえたとしても水族館まで運搬するのが一苦労しそうです。
今日は、八景島の周りを15分間ほど廻る船に2回乗ってしまいました。午前11時ちょうどの出発分は、他に乗客がいませんでした。なんだか空と雲の写真ばかりになってしまいました。

2011年8月23日火曜日

皆民快眠温度


このままもう残暑はなく夕空はれて秋風吹きという風にはならないこと必至ではあるのでしょうけど涼しいのでよく眠れました(^^)
いつもお風呂に入った後は、いったんパジャマを着るのですが、寝る前に下着もろとも脱いでしまいます。火事とかで逃げなければならなくなったら堂々と”全裸野外露出”ができます!!(笑)

2011年8月21日日曜日

雨が降り続いてマッスル


午前4時半に起床して出掛けるつもりでしたが、雨が止むのを待っていたらとうとう夜になってしまいました(^^;)
明日の午前中まで、、雨はこれからいっぱい降るという予報です。「予報」とか「予言」でもなく、単なる天の悪戯なのかもしれませんが、、「3月11日に、日本列島弧を中心にして、巨大な地殻変動が起こりかけている、というアメリカ測地学会の発表が電撃のように世界をゆすぶった。」という一節がでてくるのは、小松左京『日本沈没』です。1973年刊行なので、もう大昔のベストセラー小説になります。作者は、先月の28日に80歳で亡くなりました。
今日は、栃木県にあるという「紫式部の墓」を探しに行くつもりでいました。紫式部の墓は、ちゃんと京都にあるそうです。たぶん100%、式部は栃木で死んではいないことでしょう。でも生没年は不詳ですし、、、『源氏物語』という超ベストセラー小説が京の都ではなく、都人にとっては魑魅魍魎が跋扈しているような関東の地で書かれたとしたら……、、、そんな空想に耽けりながらお散歩するのも一興ではないかと思ったのですが、雨に祟られました(笑)




2011年8月20日土曜日

鉄は熱いうちに雨天


一日雨が降って、ずっと家の中に閉じこもっていると、なんとなく身体が重くなるような感じがします。
一昨日、NHKのニュースで激しく雨の降る二重橋前の映像を流していましたが、ビショ濡れになってジョギングしている人が映ってました。きっと雨ではなく槍が降っても走っているのでしょうね、、。
なんとかブートキャンプのようなエクササイズは、どうもいまひとつやる気がありません。その大きな理由は、”セクシー”ではないところかもしれません(笑)
セクシーさでは、ベリーダンスということになるのかもしれませんが、まるで「ダンス界の太極拳」という感じで、漢方薬のようにじんわり効いてくるような気がしますけど、なんとなく物足りません。
ポールダンスをするには、部屋にポールを設置しなくてはなりません。大工事になっちゃいます。狭い部屋で動き回らずに踊るには、サンバ系は向きません。
「マイクロビキニダンス」などという名称で、何枚かDVDが出ていたので、入手してみました。映像を見ながら同じように踊ってみる、、、セクシーさ加減も激しさ加減もちょうど良さそうな感じがしています。

2011年8月19日金曜日

天に昇れぬ龍


もしかすると今日は夜が明けないうちに最高気温になったのかもしれません。朝まで蒸し暑くて、雨が降り出したら少し涼しくなりました。
大雨の時には、昆虫とか鳥とか動物とか、、、やっぱり雨に濡れない場所にいるのでしょうか???
今日は大きな余震がありました。弘法は下手な字を書き、猿も木から落ちたに違いありません。地面の中で暴れているのは、事情があって天に昇れない龍かもしれませんね、、。

2011年8月18日木曜日

滝までは滝のような汗


標高700メートルくらいでは、まだまだ暑くて飲んだ水分はすぐに汗となってしまう感じでした。
猫の平まで登るのは大変でしたが、去ってゆく猿たちを見送って20分とかからずに「マックラ滝」へと到着しました。滝の手前にある大木のあたりは、飛沫が雨霧のように降りかかって、すぐにずぶ濡れになってしまいます。
気をつけて進めば、滝の裏側に行けるような気がするのですが、試してみたことはありません。たぶん”ひや汗もの”ってやつです(^^;)
冬には、飛沫が枝先などで凍って樹氷のようになります。けっこう好きな滝なのですが、なぜか落ち着かなくて長くいられません。

霧降りて日光に疎し猿牧場


東武日光駅に午前7時37分到着です。霧降高原行きのバスは、午前8時41分発が最初なので、歩いてしまえばバスに乗るよりも早く「霧降の滝」に着けます。日光駅前よりも200メートルほど登ることになります。
霧降の滝の滝壺へと降りる道は以前よりも頑丈にロープが張られて立ち入りできないようにされていました。もうだいぶ何年も前から入れないようです。観瀑台から滝までは離れていて、滝の全体を眺められますが、まるで迫力がありません。もっと小さな滝で、近くに寄れる方が気持ちの良いものがあります。
お盆休みで一家揃って出掛けてきていることが原因なのか、、、どの家族も犬を連れてきていました。
とりあえず今回は、久しぶりに「マックラ滝」を見に行くことにしました。「大山ハイキングコース」を通って、先に「玉簾の滝」に寄りました。「落差6m、幅20m」と案内看板にありますが、落差も幅ももっとありそうな感じがします。水量が少ないと「簾(すだれ)」のように水が滑り落ちてゆくそうです。
少し山を登って「霧降高原牧場」の「猫の平」まで行きました。正午前だったので四阿で昼食にしました。今までいつも多くの牛が近くにいましたが、今回は姿が見えませんでした。
コンビニで買ったオニギリを食べ終えたときに、一頭の猿が牛が出られないようにしている柵のあたりでうろうろしているのに気付きました。時折飛びつくようにして何かを口に入れています。バッタを食べているのかもしれません。
猿に近付いてみると急いで逃げる風でもなく、少し移動しながら食事を続けていました。しばらくすると食事をやめて、大きな石の上に座って遠くを見ていました。それから高い木に登って、枝を大きく揺すってました。
何か合図をしているようにも思えたので、その猿が見ていた方へと歩いて行ってみると、、、たぶん30頭前後の猿が、各自”バッタランチ”してました。つまりボス猿だったのか”若頭”クラスの猿だったのか分かりませんが、群れが安全に食事ができるように人間の注意を引きつけるための単独陽動作戦だったのでしょう。
牛の水飲み場で鉄棒遊びをしている小猿に近付こうとすると手前に何頭か移動してきました。親が子猿を背負って遠くまで走ります。ちゃんと移動陣形のようなものがあるようにも見えました。生バッタは美味しいのでしょうか???

2011年8月17日水曜日

波打ち際の東京常夏少女


お台場海浜公園にいる蝉は、近付いても逃げないと思っていましたが、今年はまだ蝉の数が少ないせいなのか、人の気配を感じるとすぐに飛んでいってしまいます。蚊のほうは、遠慮無しに近付いてきます(^^;)
神津島から運んできた砂で人工浜をつくったようです。監視員のテントができていました。遊泳は禁止のようです。
久しぶりでレインボーブリッジを歩いてみることにしました。湿度が高いので遠くの景色は霞んでいました。
芝離宮庭園に行きました。セミの抜け殻がいっぱいありますが、殻から抜け出られなかったり、完全に抜け出たのに死んでしまったセミも数多くいました。

暑い日だからモビルスーツを脱いでみた!?


りんかい線・東京テレポート駅には、午前9時10分頃の到着でした。8月13日(土)から21日(日)までお台場シンボルプロムナード公園セントラル広場で開催されている「お台場ガンダムプロジェクト2011」に行ってみることにしました。
2009年には、お台場「潮風公園」で”実物大ガンダム”像が無料公開されましたが、今回はその立像の一部(数が少ないのでたぶん全部ではないかと思えます)の「部品」を”間近でご覧頂けます”とのことです。さらに”一部触れることもできます”とチラシに書いてありました。右手パーツの上には”乗る”こともできるそうです。無料ではなく入場料500円です。
「顔面パーツ」を正面から見ることはできないものの入場しなくても”囲い”の外から見ることができました。それでも開場の午前10時までにはまだ30分以上もあるというのに日陰もないところにすでに100メートルくらい入場待ちの列ができていました。とてもならぶ気がしないので「お台場海浜公園」で蝉の写真をいっぱい撮りました(^^)


みんみん蝉 投稿者 Annpontang

2011年8月16日火曜日

きぬぎぬの別れもせずに幾千年


カラスウリとは正反対(?)に人の手を借りないと一夜も生きぬけないのが「蚕」です。桑の葉にちゃんと捉まる力がないらしく野外では、桑の葉から落ちてしまうそうです。
レーヨン(人絹)の感触は、やっぱり正絹とは違います。科学ってやつがもっと進歩すると牧草から美味しい牛肉がつくれるのでしょうか?
蜘蛛の糸と同じ細さで同じ強度のある糸を人間はまだつくれないようです。カイコから絹糸をとるのと同じようにたくさんの蜘蛛から蜘蛛の糸を採るということも人間は成功してないみたいです。
シルクロードは、鋪装されたのでしょうか???(笑)

2011年8月15日月曜日

人に呼ばれぬ一夜花


「カラスウリ」は、よく陽が当たって、”人が手入れをしない”場所がのびのびと生育する重要な条件のようです。
毎年、8月になるとカラスウリの花を写真に撮っていますが、今年はひとつも咲かないのではないかと危惧しておりました。
と、言うのも昨年の秋にまだ実が熟さないうちに殆ど刈り取られてしまったからです。駅から徒歩一分くらいのところにある車は通れない道沿いの生け垣です。そして今年のお盆前には、そこの家の主人らしき爺さんが2、3日続けて早朝に生け垣の「手入れ」を熱心に行っていました。
それでも例年より小さいながらいくつか花が咲きました。夕方から開花して薄明が始まる頃には花は閉じてしまいます。一夜限りで、もうお終いです。たぶんカラスウリの花の99.999%以上は、人に見られることなく咲いて萎むのだと思えます。
今の時期、薄明の頃には地中から次々と蝉の幼虫が這い出して来ていることでしょう、、。



2011年8月14日日曜日

おにぃさん、ちょっと寄ってらっしゃいよ!!


昨日のブログに頂戴したコメントで、「ギンヤンマ」のリクエスト(?)がありましたので、これまでに遭遇した大きなトンボの写真を見直してみましたが、どれも「オニヤンマ」でした。
上の写真は、今年7月26日に桐生市内の石垣で撮影しました。昨日のオニヤンマと色柄が違うようです。下の写真は、今月5日の撮影で同じく桐生市内の水路で産卵しているオニヤンマです。
ギンヤンマは、一度だけ皇居の濠の上を旋回しているのを見たことがありますが、あまりに大きすぎるのできっとKC庁のトンボ型監視ロボットに間違いありません!!(笑)






2011年8月13日土曜日

鬼さんこちら手の鳴る方へ


「とんぼとり」にでかけました(^^)
トンボを撮るならば、、、なぜか最初に「日光植物園」が思い浮かんだので、そこへ行くことにしました。
午前7時40分くらいに東武日光駅に到着しました。すぐにバスがありますが、植物園の開園時刻前に着いてしまうので、歩いてゆくことにしました。駅から世界遺産二社一寺のほうへ続く通りは、商店が揃って建て直し中です。店舗はちょっと昔のデザインで統一してゆくようです。補助金とかでているのかもしれません。
本宮神社-輪王寺-東照宮-二荒山神社を通り抜け、コンビニでオニギリと飲み物を買って、9時の開園に遅れること十数分でした。蓮華石バス停でバスを降りた親爺に先を越されました。東京大学の施設なので入園料は「小石川植物園」と同じ330円です。
「ぐんま昆虫の森」でのように捕虫網を振り回す子供はいませんが、ここにはカブトムシやオオムラサキもいないようです。
木の枝先などに留まったままあまり動かないトンボではなく、ほとんど羽根を休めることなくずっと高速で飛び回っているかのような「オニヤンマ」をなんとか写真に撮ろうと思いました。
オニヤンマは、日本にいる最大のトンボなので見つけやすいのですが、動きが速いので、なかなかちゃんと写真が撮れません。
テリトリーがあるのかないのか分かりませんが、水路の上を右へ左に頻繁に往復しているかと思えば、ずいぶん長く姿が見えないこともありました。飛行を観察して、いつも見失ってしまう地点で待っていると、ほんの短い時間羽根休めしている姿を撮影することができました(^^)v

日光も「暑い!!」と思っていましたが、午後4時くらいに埼玉へ帰ってきたら、日光は「涼しかった!!」と断言できる酷い蒸し暑さでした。

2011年8月12日金曜日

生きる!!


昨日、砂利と水草と6匹のメダカの入った壜を買いました。家に帰ってきてから、指先でほんの少しだけ細かい粉末状のエサをつまんで壜に入れたら、とても空腹だったのか、みんな懸命に食べていました。
ところが2時間ほどすると一番身体が小さいメダカを残して、死んでしまいました(T_T) たぶん食べ過ぎだったのではないかと思います。

2011年8月11日木曜日

AV女優は二度殺せ


さきほど月を見て、その後にカレンダーを見て、、、今年のペルセウス座流星群は最悪の月齢で極大になるのかなぁと思いました。

林由美香という巨星が消えて何年になるのでしょう???
とりあえず「予告編」が公開されたら何か書こうと思っていた平野勝之監督作品『監督失格』でしたが、予告を見たら何も書けそうになくなりました(^^;)

9月3日からTOHOシネマズ 六本木ヒルズ、10月1日から13劇場でロードショー公開されます。

2011年8月10日水曜日

桐霧舞


午後2時を過ぎた頃から雷の音が聞こえてきました。空はよく晴れていて、真っ黒な雲はどこにもありません。午後3時前くらいに「ぐんま昆虫の森」を出ました。雷の音はしなくなっていましたが、駅まで歩いて帰る途中に「桐生市内に大雨警報」と繰り返し放送が聞こえていました。
日なたの道路を駅まで歩くと雨にでも降られたかのように汗でびっしょりです(^^;)
昨日今日、桐生市内で多くの涙が流れたかと思います。サッカー元日本代表の松田直樹選手の通夜と告別式が故郷の桐生市で執り行われたからです。合掌。

桐生市は、この一年間で最も多く遊びにでかけた街となりそうです。まいべすとしてぃーおぶざいやー!!




2011年8月9日火曜日

紫組巴女子会


昨日は、浄閑寺でお終いにして三ノ輪駅から地下鉄に乗って帰ることにしました。ところが車両故障とのことで途中で別の電車に乗り換えることになってしまいました。乗り換えて一駅走ったところでふと時計を見ると午後2時46分で、3月11日と同時刻、同じ駅に停車して同じ座席に座っていました。フラッシュバックをかき消すかのように電車がなにごともなく発車しました、、。
カブトムシなどを沢山見ることができるのは、お盆あたりまでらしいので、今日も「ぐんま昆虫の森」(群馬県桐生市)に出掛けました。とんでもなく暑い日になりました。
もうカブトムシやクワガタムシの活動ピークは過ぎてしまったのか、樹液を吸いに集まる木が限定されてきてました。地面に落ちている死骸も多く目にします。それに加えて、子供たちが毎日毎日入れ替わり立ち替わりで虫取り網をぶるんぶるん振り回している場所は荒廃してきているようにも思えてきました。
なので、、、誰も見つけていないような”三つ星昆虫レストラン”を探して森を彷徨うことにしました(^^)
これまで二回、近付くとすぐにオオムラサキが飛んで逃げてしまった所でメスだけ3匹「女子会」をしている様子でした。今日は逃げないでくれたので、だいぶ沢山の写真を撮ることができました。同時に何匹もの蚊が血を吸いに寄ってきます。あちらにとっては、撮影で静止する指先なんかが狙い所なのでしょう(^^;)
確かな理由は分かりませんが、オオムラサキはメスが多くて、数少ないオスは羽根がもうぼろぼろです。たぶんとっくに羽化の時期が終わっていて、あとはメスが卵を産んで終わりという感じなのかもしれません。
蝶の交尾は、微動もしないことが多いのに、、、初めて見ることができたオオムラサキのそれは、地面の上でドタンバタンと派手な格闘技状態でした。



2011年8月8日月曜日

生まれては苦界、死しては……


雑司ヶ谷霊園からは、すぐそこにサンシャインビルが見えます。「サンシャイン水族館」は、オープン初日より混んでいることはないだろうと考えたのは大間違いでした!!
一階からエレベーターに乗るのに「180分」以上も待つという行列ができていました。別のエレベーターを使うとか、10階分の階段をのぼれば3時間も待つこともないとも思いましたが、とんでもない混雑であることは確かなので、あきらめてサンシャイン60展望台へ行きました。同じ事を考えた家族連れでこちらも盛況でしたが、晴れているのに視界が悪くて、スカイツリーも幽かにしか見えていません。
都電沿いに歩くことにしましたが、大塚駅を過ぎるともう都電に沿った道はなくなって、変な方角へ歩いてしまわないようにするには、都電をジグザグに跨いで歩くしかないようでした。
踏切から数メートル離れていて、通路はないのに線路に面した方に門や郵便ポストがある家も存在していました。たぶん線路を歩いて家に出入りしているのだと思います。踏切を渡った先が袋小路になっていることもあって、戻って次の踏切を渡り直すこともありました(^^;)
巣鴨とげぬき地蔵のある通りの商店街入口をも通り越して、やっと都電の新庚申塚駅と西ヶ原四丁目の中間にある「妙行寺」に到着しました。墓地の中に赤い鳥居が建っています。その先に「お岩様」の墓があります。寺は、明治42年に四谷から移転したそうです。田宮家は現在も存続している家なので、新しい墓も建てられています。
「お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就する」と由緒書きにあります。けっこう大きな寺で広い墓地ですが、他に誰もおりませんでした。
西ヶ原四丁目駅から都電に乗って終点の三ノ輪橋駅まで行きました。30分ほどでした。またもやついででごめんなさいながら荷風の詩碑のある「浄閑寺」に寄りました。1855(安政2)年の大地震では、たくさんの吉原遊女が投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになったとのことです。荷風は、しばしば浄閑寺を訪れ自らもこの寺に葬られたかったようです。

貞女の鑑詣


実在した「田宮岩」が亡くなったのは1636(寛永13)年のこと、、、そして四世鶴屋南北・作『東海道四谷怪談』が歌舞伎上演されたのは、189年後の1825(文政8)年でした。
晴れて暑い日でした。今日は出発地の都合でJR四谷駅から歩くことになりました。15分ほどで新宿区左門町にある「陽運寺」に到着です。日蓮宗のお寺の中に「於岩稲荷」があります。小さな寺ですが、いつも生け花や盆栽などが美しく飾られています。
陽運寺のすぐ斜め前にあるのが「於岩稲荷田宮神社」で、歌舞伎で「四谷怪談」が上演される前には必ず役者が参拝しているようです。商売繁盛・家内安全などだけでなく「芸能上達」や「企画製作興行成功」などにも御利益があるとのことです。お仕事のない映画監督さんなんかは、神田明神よりも先にここに来た方がよいのかもしれません(笑)
「お言葉(お守)」が参拝の記念として無料で持ち帰れます。いろいろなフレーズが書かれた紙が置かれていて「今のお気持ちに合う札を一枚選んでお持ち帰りください」となってます。
新宿四丁目にあるビルの看板は、岡田有希子や酒井法子で有名な「サンミュージック」ではなく「サラエンターテイメント」に変わっていました。
新都心線・新宿三丁目駅から地下鉄で雑司が谷駅へと移動しました。後発の路線なので、地下の深いところを走っているようでした。
実は雑司が谷駅の近くにお岩様の墓がある「妙行寺」があると記憶違いをしていました。実際は巣鴨のほうなので、だいぶ歩くことになります(^^;)
ついでなので雑司ヶ谷霊園に寄って、永井荷風の墓参りをしておきました。お盆前のせいか、霊園内は草刈り中でした。
全然関係のないことですが、東京都交通局が無料で配布している小冊子「東京時間旅行ミニ荷風!」が今置いてある「第20号」が<最終号>になってます。「本号をもちまして休刊致します」と書かれてましたが、「廃刊」なのでは???

2011年8月7日日曜日

今宵歌に祭りに酔うて来ようて


「八木節」発祥の地は、日光例幣使道の宿場町であった八木宿(栃木県足利市福居町)とか群馬県の木崎宿など諸説があるようです。
7月18日に書きましたように「ヨーティ」こと「夏川陽子」さんの歌を聴きに「第48回桐生八木節まつり」へと行きました。
耳に入れば「ああこれが八木節」と分るのかもしれませんが、八木節の歌も踊りもまるでどんなものなのか思い出せないでいました(^^;)
桐生のお祭り現場に到着すれば、街中に「八木節」が鳴り響いているのかと思っていたら、まったくそんなことはありませんでした。
上毛電気鉄道・西桐生駅には午後3時10分くらいに到着しました。一旦、JRの桐生駅で帰りの電車時刻を確認して、駅と駅の中間くらいにある大通りを東へ向かいます、、、そうすれば午後5時頃から夏川さんのライブが行われるという「本町5丁目交差点」にでるはずです。
仮設ステージとかではなく路上で音響のセッティングをしていたので、たぶんそこだろうと見当をつけてから露店のでている通りを端から端まで歩きました。時折、和服姿の親爺達が右往左往しているだけで、どこにも「八木節」はありませんでした(笑)
本町5丁目交差点のガラス張り店舗(?)では、「桐生FM」が公開生放送中で、名前も顔も知らない吉本興業の若手芸人がでていましたが、そこに夏川さんが午後4時過ぎに現れました。
既に昼間、わたらせ渓谷鐵道・水沼駅にある温泉で歌ってきたと言ってました。小雨が降り出した午後5時から路上ライブの開始となりました。
ソロデビュー曲となった「葉月の約束」は、桐生での高校生時代に映画監督になりたいと言っていた友人が亡くなってしまったという実体験を歌ったものだそうです。やや地味なバラードなので、オリコンヒットチャートの100位以内に入るのは難しいかもしれません。シングルカットの曲としてではなくアルバムでの「要」となる曲に思えました。
桐生の山々が美しいプロモーションビデオはこちらです。上毛電鉄も走ってます(^^)


2011年8月6日土曜日

風鈴電車で行こう!!


東武鉄道桐生線・相老駅を午前7時41分に出発する赤城行きは、桐生球場前駅に停車している上毛電気鉄道中央前橋行の電車を追い越します。桐生球場前駅、定刻午前7時42分発です。ここから赤城駅までのわずかな区間だけ東武鉄道と上毛電気鉄道が併走しています。どちらも単線です。先行する東武電車の方が先に赤城駅に到着しそうなものですが、たいてい上毛電気鉄道の電車が東武鉄道の電車を追い越します。毎日、同じ運転士ではないでしょうけど、たいてい同じような走りです。
この時刻の上毛電気鉄道の車両には「風鈴電車」という丸看板が取り付けられています。車内に風鈴がいっぱいぶら下げられているのでしょうか?
上毛鉄道に乗車する機会がありませんでしたが、、、昨日の8月5日「桐生八木節まつり」に行こうと赤城駅14:57発に乗ったら「風鈴電車」でした(^^)
西桐生駅までは距離5.8Kmで、たったの10分で到着しますが、電車賃は270円もかかります。つり革の数よりも風鈴の方が多いくらいでした。でも車内のエアコンから吹き出る風で風鈴が鳴ると言うことはない様子でした。電車が動き出してもまだ風鈴の音はしません。スピードがでてきて、がたんごとんとレールの繋ぎ目で揺れ出すようになってから、一部の風鈴が激しく鳴り出すという感じです。地元の人は、まるっきり気にも留めていないという風でした。

2011年8月5日金曜日

暴れるドラゴンと天空の檻


「ペンギンのお姉さん」がペンギンの卵を見せているあいだにも子供を肩車させた親爺が体当たりするようにしてやってきて前に立ちふさがるし、、、人混みはとても疲れてしまうので一時間ちょっとで外にでようとしましたが、脱出するのにも行列でした(^^;)
水族館と比べたらサンシャイン60の展望台はとても空いてました。と言っても前回来た時の何倍もの人がいました。
夏休みだからなのか普段は好天の日曜日にしか公開されない「屋上」に行けるようになってました。屋上部分は、頑丈な鉄柵に囲まれていました。サンシャインビルは、巣鴨刑務所の跡地に建てられたそうですが、まるでその名残が屋上にあるかのようでした。看守が二人います。
雲がずいぶん下に降りて、まさに雨が降っていそうなところも見ることができました。逆に雲が消えて太陽のスポットライトを浴びたようにみえる場所もありました。
富士山も筑波山も日光の山々なども冬になるまではなかなか見えないようです。

2011年8月4日木曜日

灰色の街の空飛ぶ鯨は僕を見ない


「全生庵」の「幽霊画展」には、30分間ほど居ました。その間にリュックを背負ったおじさんが一人見に来て先に帰りました。
日暮里駅の方へは引き返さずに千駄木駅のほうへと歩きました。地下鉄で東池袋駅まで行くつもりでいましたが、池袋駅前行きのバスが渋滞している団子坂の途中で止まっているので、バス停へと走ってゆこうとしたら坂の途中で乳母車を押しながら子供を連れて歩いている女に阻まれて、そのバスには乗れませんでした。建て直し中の「鴎外記念館」は来年の秋に開館と掲示されていました。次のバスを待っている間に傘が必要なくらい雨が降ってきました。
通勤・通学の時間帯を過ぎると毎日暇をもてあましている爺さん婆さんが動き出すので、たいていのバスは座れないくらいには混んでいるだろうなという予想を上回る混雑した車内でした。30分くらいで池袋駅東口に着きましたが、どうもバスを降りるとサンシャインシティーの方角が分からなくなってしまいます(^^;)
新聞にも一面広告が載ってましたが「本日グランドオープン」の「サンシャイン水族館」は、とんでもない人出となっていました。エレベーターにまで「最後尾」の看板を持った案内が出るほどの行列になってます。水族館専用となっていないエレベーターで上がっても次は、入場するための行列に並ばねばなりませんでした。
やっと入場できたら、、、どの水槽の前も身動きできないくらいの人で、魚はなんにも見えませんでした。少し先へゆくとやっと人間の後頭部以外のものが見えるようになりました。
夕方のテレビで言ってましたが、、、1978年10月に開園した「サンシャイン国際水族館」は、「エリマキトカゲ」、「ウーパールーパー」、「ラッコ」、「クリオネ」などのブームで多くの観客が訪れましたが、近年はだいぶ来場者が減っていたそうです。
(掲示写真は、アシカ水槽の下からサンシャインビルを見上げたものとビルから見下ろしたものです。)