2010年6月29日火曜日

OFF LIMITS やんきー!!



簡単な英語ほど意味を取り違えてしまうことがあるものです。「OFF LIMITS」は、「制限なし」ということではありません。

何年か前に、この文字が書かれた写真を見てからずっとその場所へ行ってみたいと思っていました。実は、もう2、3回ここで写真を撮っていながら文字には気付きませんでした。もっと植木が茂っていたとかあったのかもしれませんが、、、やっと見つけられたということが、この建物が消えてなくなる日も近いということにならなければと思います(^^;)

国道6号・水戸街道「東向島1」の交差点から首都高速向島入口のある墨堤通りまでの「鳩の街通り商店街」にあります。吉行淳之介『原色の街』は、どこにでもありそうな下町商店街になっています。荷風の『墨東綺譚』がそうであったように『驟雨』が似合う土地柄なのかもしれません。

この近くには、昭和2年に建てられた木造長屋で営業している昭和レトロな喫茶店「こぐま」があります。スカイツリー目近見物の折りに懐かしき昭和を思い出し、近所を子供の頃の木の実ナナさんが走り回っている姿を幻視するのも楽しいかもしれません。

チョー・ヨンピキ



6月22日から江戸東京博物館で「大昆虫博」が始まっていますが、、、これも大昆虫「屍」博ということでしょうから、いまひとつ見に行きたい!!モードになれません。

土の中から水を飲んでいるのか、まったく別の目的があるのか理解できませんでしたが、浜離宮庭園で4匹の蝶が井戸端会議中(?!)でした(^^)

水上バスで浅草まで行くことにしました。明るい曇り空でしたので、船の屋上デッキへ、、、自分以外は、すべて外国人観光客でした。いつもは船尾に座って、後方の景色ばかり見てましたが、今回は違った雰囲気が楽しめたような感じがしました。

浅草からは、てくてく歩いて向島百花園へ向かいました。正午過ぎには晴れ間が広がってきて、強烈な日差しが肌に突き刺さるようでした(^^;)

「百花園」は、「百草園」のように「モカ園」とか「モバナ園」と読むことはしないようです。ふと「百々地三太夫」という名前が思い浮かんできて、一体何の人だったろうと分からないままでした。もし実在の人物ならば、松尾芭蕉の先祖ということもあるのではないかと妄想百花繚乱なのでございます、、。

2010年6月26日土曜日

月影さやかに月代すずしく



どうやら今夜の部分月食は、雲に覆われて「部分」的にも見ることができないようです。

一昨日、百草園から帰ってきたらパソコンにアップデートの表示があったので、なにか分からないままにOKしてしまったら、インストール後に再起動を促されました。これまた何も考えずにOKしたところ、、、それから延々と数時間、Windowsのロゴを表示したところでまたブートアップにもどってしまうという動作を繰り返してました。途中で止めて、セーフモードなどで起動しようとしても同じでした。周辺機器を全て取り外したり、各ボードに接触不良などないことを確かめても再起動は続くよどこまでも状態でした。



頭を冷やせ!!



そうなのです。よく見るとCPUファンと放熱金具の間にホコリが堆積して、まるで和紙を一枚梳き込んだようになっていました。これを取り除いたら、今までの堂々巡りがなんだったの?という感じで一発起動です。

頭を剃ってちょんまげ!! は、兜を被ったときに頭部が熱暴走しないための智恵だったようです。

サッカーは、取った敵の首を蹴って敵に返したことが起源であったとか、、、勝って兜の緒を締めよぶるー!!

2010年6月25日金曜日

海にお船を浮かばせて



美容と健康のためなどという名目はないのですが、週に1、2回はレインボーブリッジを歩いて渡ろうと思っているのに実際には、月に1、2回になってしまうものです。

写真、手前の大きな客船は「おがさわら丸」という船名が書かれているので、父島とか母島のほうまで行く船なのでしょうかね?

背景には、もうすぐ400メートルの高さになるスカイツリーが見えていますが、レインボーブリッジからの「見かけ」の大きさでは、東京タワーを追い抜けないかもしれません。

レインボーブリッジの歩道では、車の排気ガスが匂ってきても潮の香りなどしないので、あまり海らしくありません。でも川というのとも違う感じがします。

関東では、梅雨入りの前後から夏至の頃まで栗の花が咲きます。花は細いひげのような形をしていて、あまりきれいでもないですが、この花の香りはけっこう好きです。特に雨が降ると街中が淫靡な匂いで満ちる感じがしてきます。たぶん嫌いな人は、嫌いな香りになってしまう微妙さがありそうです。

都心部には栗の木が少ないように思えます。頭上から落ちてくると痛いので植えないのかもしれませんね、、。レインボーブリッジは、潮の香りも栗の花の香りもしない、、、意外とつまらない場所なのかも(笑)

よろずちぐさ茂りてもぐさ萌え



京王百草園へ初めて行ってみました。住所は東京都日野市になります。新宿から30分余りで百草園駅に着きました。駅のホームに到着するまでずっと「ひゃくそうえん」だと思っていましたが実は「もぐさ」と読むのでありました(^^;)

「もぐさ」の語感から、、なぜか山村暮鳥の「野糞先生」という詩のことばかりが頭に浮かんで消えてくれませんでした。

駅から百草園までは、そう遠くないのですが、パワーのない車なら途中で止まってしまうのではないかと思えるような急坂を登らなくてはなりませんでした。

入場料300円を払ってからも石段が続きます。足腰の弱った老人などは受け付けない気配のただよう庭でした。

一番高いところまで登ると新宿の高層ビル群が見えました。肉眼では判別できませんでしたが、撮った写真にはスカイツリーらしきものも写っていました。

今日は、トンボの写真が沢山撮れました。赤トンボが水面に産卵しているのも見ることができました(^^)

2010年6月17日木曜日

山のあなたのあなあなあな



吉田家住宅のある場所を地図で確認したのはもう2年以上も前のことなので、近道と思っていた方角に歩いて行ったら、、、山の中に入ってしまって、標高264mとそんなに高くはないものの金勝山の頂を経由してしまいました。暑い日になんだか無駄に体力を消耗しました。

山を下ると吉田家住宅への案内看板がみつかりました。建物は、平成8年から3年がかりで国費によって解体修理されたそうですが、個人管理なので物品販売・喫茶食堂となっていました。見学は無料です。パンフレットは「小川町教育委員会」の発行となっていました。
400円也の冷たいうどんを食べました。これはけっこう美味でした(^^)

さて午後からは予定を決めていなかったので、候補としては森林公園、コアラで有名な動物園などなどを思い浮かべていましたが、東松山駅で下車して「吉見百穴(ひゃくあな)」へと寄ってみることにしました。

駅前からバスに乗ったら5分ほどで最寄りのバス停に着いてしまいましたが、そこから若干歩かされました。手前にあった「岩室観音」の山門みたいなお堂がよい感じでした。寛文年間(1660年代)に建てられたものだそうな。ここにある石仏を拝めば四国八十八ヶ所を巡拝したのと同じ功徳があるそうです。

百穴は、古代人の住居と考えられたこともあったようですが、今は横穴式墳墓とされています。いくつかの穴には入れるようになっていました。イタズラ書き(掘り?)も多数されちゃってました。死体のふりしてお昼寝もできそうです(^^)

ヒカリゴケのある穴もあって、こちらは鍵の掛かった厳重金網越しに見るしかできませんが、蛍光塗料をこぼしたみたいにちゃんと緑色に光って見えました。

墓としての小さな穴よりも太平洋戦争中に建設された軍事工場跡のほうが見物のような感じもします。500mほどですが公開されています。たぶん広大な非公開部分が残っているのではないかと思えます。岩室観音の隣りのほうにも窓辺の柵が取り付けられた穴がありました。工場では飛行機のエンジン部品が製造されたようですが、本格的に稼働するまえに終戦になってしまったみたいです。

 

三度目の正直者は馬鹿を見たか?!



あるいは仏の顔もサンドバッグなどと言いまして、、、オオムラサキを見に武蔵嵐山まで出向くのも今年で三年目となりました。オオムラサキを見つけるのは、六月の蒸し暑い朝が良いなどと聞いたので、今日は絶好のオオムラサキ日和かと思ったのですが、蝶の里公園・オオムラサキの森で目にすることができたのは、写真の蝶一匹だけでした。

去年来た時に樹液をいっぱい出していて、カブトムシなどが集まってきていた木もまだ樹液がでていませんでした。

何ヶ所か木の枝に袋を被せてありました。もしかするとオオムラサキの幼虫かサナギがいるところなのかもしれませんが、見ても分かりませんでした(^^;)

「アゲハチョウの花園」とか「タテハチョウの広場」なども年々荒れて雑草が生い茂っているだけとなり、蝶では観光客を呼べないと判断して放置したままなのかもしれません。

朝のうちは曇っていましたが、ゆっくりと歩いているだけで汗が噴き出てくるような蒸し暑さでした。

武蔵嵐山駅から2つ先の東武竹沢駅へと移動して、前々から気になっていた享保6(1721)年に建築されたという実年代が判明している埼玉県内最古の民家・吉田家住宅を見にゆくことにしました。

2010年6月16日水曜日

こころのちりをはらひきよめて



明治神宮御苑の花菖蒲を見に行きました。まだ時折、雨が降っていましたが、次第に晴れてきて強烈に蒸し暑くなってしまいました。

ここで花菖蒲が初めて一般公開されたのは、大正十四年で一日限り、翌年は一週間だけだったそうです。昨年末か今年の初めか、、大ブレイクした「清正井」は、まだまだ行列ができるらしくて、北門前で配布している整理券をもらって、しばらく並ぶということのようです。整理券無しだと途中の門番に阻止されて奥まで歩くことができませんでした。団体客に紛れて、井戸の手前まで行きましたが、だいぶ長い待ち行列ができていました。回れ右して引き返しました(^^;)

渋谷駅まで歩いて、暑いので午後はどこへも寄らずに帰ることにしました。

2010年6月13日日曜日

華々しくも遅くなってごめんね



幸手権現堂堤での「あじさい祭り」に行きました。日曜日なので、ちょっとは人も出てきていましたが、花の咲き具合は例年より一週間か十日くらい遅れているようです。写真は、紫陽花でブロッコリー畑ではありません(笑)




今夜11時くらいに三年遅れの便りをのせて、小惑星 「いとかわ」の岩石を採取したかもしれない探査機 「はやぶさ」の一部がオーストラリアの砂漠に落ちてくるそうですね(^^)




そして、明日の午後11時にはワールドカップの日本対カメルーンです。



昨日行った立花大正民家園などをデジブックにしました。

立花大正民家園・旧小山家住宅

http://www.digibook.net/d/76c4a93b901b90092e9b1556adda8939/

宗谷・初代南極観測船

http://www.digibook.net/d/dc84c57ba19a9a0db6f81d52efc1096f/

2010年6月12日土曜日

都心でにょろにょろ



例年ならば梅雨入りしている頃ですが、晴れて暑い日でした。今日は、小石川後楽園へ花菖蒲を見にでかけました。ちょうど見頃で咲き揃っていました。

一発こつん!!と殴れそうな間隔まで近付いても逃げないカラスがいました。一袋150円で販売されている紙袋入りの鯉の餌をかっ攫って木の上で食べていました。スズメは、お弁当など食べている人の足下まで寄ってきます。

円月橋の下では、ザリガニやアメンボがおりました。池の中にある石かなにかの上で卵を温めているカイツブリの頭上には、体長1m以上もありそうなヘビ(写真)がいました。動物園などにいるヘビは、あまり写真に撮っても面白くありませんが生ライブ蛇は、なんだか凄いです。

毎日来ているみたいなカワセミ撮りの爺さんたちは、カワセミは昨日全く姿を見せなかったと言ってました。いつもは午前中で、いなくなってしまうそうなのですが、今日はずっと人が入れない中の島あたりで餌取りをしていました。だいぶたくさん写真を撮りましたが、遠いのでキレイに撮れませんでした。同じくらいの距離にいるアオサギなら、カラダが大きいので鮮明さが気にならないくらいには撮れるのですが、、。

JR水道橋駅前には、「あるよ~あるよ~」と声をかけてくるダフ屋が山盛りうろうろしていました。黄色い電車でまっすぐ平井駅まで移動して、「立花大正民家園・旧小山家住宅」を見に行きました。

家は、大正6(1917)年に建てられたもので、関東大震災と東京大空襲とを無事に破壊や火災を免れました。この住宅は、700~1000円(3時間半)で貸し出されていて、その利用がない場合は午後から無料で家の中を見学できます。

今日は残念ながら、どこかの大学生みたいな人達が民家の調査実習のようなことをしていて「貸し出し中」であったために家の内部に入れませんでした。午後9時まで借りられるようなので、千円払って貸しきりで写真撮影もよいかもしれません。

2010年6月9日水曜日

2億5000万年前の大絶滅お散歩!?



先日は足利と佐野の間にある隧道を見に出かけましたが、現在使われている昭和の時代に造られたものしか通ることができなくて残念なものがありました。今日もまた佐野市内ですが、、、東武佐野線・葛生駅には午前7時半頃に到着しました。雨も降りそうな朝でした。

初めて降りた駅ですが、歩き始めてみると以前に車で通ったことがあるような感じもする景色でした。いくつものセメント工場や採石場があるようで、大型ダンプカーが次々に往来してました。なんだか埃っぽい場所で、道端も川も灰色です。

民家の塀の上を大きなキジが悠々と歩いていました。巨大なカエルもおりました。駅から1時間ほど歩いて、本日の目的地である「宇津野洞窟」に着きました。観光パンフレットには、午前9時からと書いてあったので、30分ほど待たないと入れないのかと思いましたが、門は開いていて、鍵を取り付ける金具も壊れていました。

説明看板に拠りますと「本洞窟の原型は新生代第三紀以後洪積世を通じて発達したもので、地下水の働きにより、石灰岩が溶かされ現在の姿になったと思われる。(中略)葛生町一帯には、約2億5000万年前に形成されたと思われる石灰岩ドロマイトを主とした地層が、延長30Km、直径8Km南西に開いた馬蹄形をなして分布している。」などなどと書いてありました。単に洞窟ではなく、ぷち鍾乳洞でした(^^)

蛍光灯は、年中点いたままなのか、灯りの前にだけ雑草や苔が生育していました。写真は、色々鮮やかですが、暗いので実際には色などほとんど見えていませんでした。

外に出ると少し蒸し暑く感じました。洞窟の中はひんやりとしています。1時間半ほどいて帰ることにしたら、若い男女と道ですれ違いました。駐車場には、「野田」ナンバーの車が駐まっていました。

「葛生化石館」を見物しました。アンモナイトやマンモスの骨格標本(レプリカ)などが展示されています。無料です。「化石の入った石灰岩」を一人ひとつお持ち下さいと書いてあったので、小さな石を一つ貰ってきましたが、どこにフリズナなどの化石が見えるのか、全然分かりません(^^;)

「葛生伝承館」も入ってみましたが、今は五月人形が展示されていました。すぐに退散です。

午後からは、館林へと移動して、もうそろそろ菖蒲園が見頃なのではないかと思ったのですが、まだほんの少ししか花が咲いていませんでした。でも明日10日から27日まで「花菖蒲まつり」期間となるようです。

2010年6月8日火曜日

千円の好色ヒゲ親爺公爵別邸



今日は朝から曇っていて、場所によって雨が降ってました。昨年の秋から無料公開されている横浜市指定有形文化財「旧伊藤博文金沢別邸」を見に行きました。シーサイドライン・野島公園駅から歩いて5分くらいのところにあります。

建物は、明治31(1898)年に初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文によって建てられたもので、藁葺き屋根です。湘南が別荘地になる前は、金沢あたりが海浜別荘地だったようです。

2007年から横浜市が解体・調査をし、現存しない建物を含めて復元されました。そんなわけで、新築ぴかぴかな感じでした。すぐ前が海で、正面には八景島シーパラダイスのジェットコースターが見えます。

隣りに牡丹園ができていましたが、別邸の庭には入れないようでした。博文は、いつも船に乗って来ていたそうです。が、その頃、自宅はどこにあって、どんな船に乗って来たのかは、皆目見当がつきません(^^;)

博文は、百姓の長男として今の山口県で生まれたようです。初代総理大臣の頃には、アイムソーリだ、草履だ、宇宙人だ!!などなどと悪口も言われず、良いことも悪いこともやり放題だったのかもしれませんね。

昨年末のNHK「坂の上の雲」では、加藤剛が演じていましたが、今年のNHK「龍馬伝」では尾上寛之です。

2010年6月7日月曜日

あいあむシースルーあいあん



鉄と同じような性質と強度がある透明な物質があったら、なにかと便利なことがあるような気がします。お台場にある観覧車は、64ゴンドラが廻っていますが、その中の4つだけが”シースルー”ゴンドラになっています。

高所恐怖症の人のなかにも自分が通過できるはずのない柵などがあれば、恐くない!!と言う人もいるようです。つまりは「落下」したらどうしようという思いが恐怖になっているわけなのでしょう。

昨日は日曜日なので、いつもならお台場海浜公園をぷち散歩するのですが、青海のほうの公園へ行ってみました。「ひとっこひとりいない」公園で砂浜もないので、あまりたのしい場所には思えませんでした。




午後からちょっと暇な時間があったので、羽田空港へ着陸しようとする飛行機を見ていました。管制官の指示通りに飛んでいるのか、次々とやってくるジェット旅客機は、どれもほぼ同じところに小さな点の輝きのように見え始めて、同じような高さのところを飛んでゆきます。そして同じように旋回して空港のほうへと向かっています。風向きや時間帯(?)で離着陸の方向が変わるみたいでした。
まれにとんでもない方角からやってくる飛行機は、写真のようにプロペラ付きのレアものでした(^^)


いずれがあやまちかんべんまる



順番飛ばしになってしまいましたが、6月4日にはまず「青海南ふ頭公園」へ行きました。船に山積みしてきたコンテナをトレーラーに積み込む様子が間近に見ることができました。遠くから見ても巨大なコンテナ船は、近くで見ても巨大でした。その上空を羽田空港へ着陸しようとする旅客機が次から次へと飛んできます。こちらも低空飛行なので、なかなか巨大!!でした(笑)





10時開館の船の科学館へ入りました。ここは、「船の模型館」と名称変更したほうがよいくらい船の模型が山盛り展示されていますが、模型の縮尺は一定でないので、頭の中でリサイズしながら見ると疲れてしまいます(^^;)

幕末の頃の日本は、各藩が競ってヨーロッパの老朽船を高値で引き取るカモネギ市場だったことも展示から見て取れます。と言いながらも展示物は、まるっきり見ないでまっすぐ展望台へ行ってしまいました。探してみたのですが、ここからはスカイツリーが見えないようです。
初代南極観測船・宗谷の内部をゆっくり見てたら正午を過ぎてしまいました。
次にお隣の日本科学未来館へと移動して、3D映画「FURUSATO-宇宙からみた世界遺産-」を見ました。ストーリーは著名な脚本家によるものらしいのですが、まとまりが悪く、映像は3Dにして、半球状のプラネタリウムスクリーンへ歪んで映し出す必要がないのではと感じられるものでした。平日も土日も13時から40分間、1回だけの上映になってました。いつもここでは、大金を使った駄作を見せられているように思えてなりません。




バスで門前仲町駅、地下鉄で上野駅、京成電車で堀切菖蒲園駅へ移動しました。駅前の青木書店で古本を2冊買いました。外資系の商社の社内報に連載されていた記事を本にした河端淑子・著『赤坂物語』は、いずれ赤坂界隈を歩くときの参考にします。もうムジナも出ないでしょうけど、「赤坂」に「赤坂」という坂はありませんよね!?、、。
堀切菖蒲園の花は、いい感じに見頃でした(^^)


きんきんきらきら、たまゆらゆらゆら



川砂のなかにある砂金を見たことがないので、どんなふうに見えるのか分かりませんが、、、名草巨石群の「巨石」を浸食した水は「黄金の川」となって流れていってます。キラキラと輝いて見えるのは、砂金ではなく「雲母」だそうです。





ここにある巨石は、川をごろごろところがったわけでもないのに角がとれて丸くなっているか、「弁慶の割石」と名付けられている石のようにまるで人為的にスパッとまっすぐ割ったようになっています。神社の本殿は、いくつかの巨大な卵みたいな形をした石のうえに建てられています。
今回は、神社の裏手を登って行ったところにある巨石群のほうへは行かずに2時過ぎのバスに乗るために引き返しました。このバスは足利市駅に行くものだと思っていましたが、朝乗ってきたように須花トンネルを通って終点まで走り、1時間後に足利方面に向かうのでした。
須花トンネルを抜けたところで降ろしてもらって、もう一度明治の手彫り隧道を晴れた空のもとで見ることにしました。





朝、トンネル内を撮った写真に”玉響(たまゆら)”(オーブ)が写り込んでいたので、雨が原因かと思ってましたが、数は減りましたが空が晴れても写ってました。

佐野市側に峠を下って、別の路線のバスで田沼駅前まで行きました。「日本列島中心の町」という石碑がありました。北海道の最北端と九州の最南端から、それぞれ同じ距離にある日本海側の地点と太平洋側の地点を算出して、この2点を結んだ中心が田沼町(現在は、佐野市と合併)になるそうです。道の駅は「どまんなかたぬま」という枕詞が付いているようです。余計なことですが、、、「どまんなか」は関西系の言葉で、関東ならば「まんまんなか」と言うべきでは? 野球の中継なども、「どまんなか」を連発する解説者を無視して「まんまんなか」と言い続けるアナウンサーが、少数ながら存在してます(^^)

さらに佐野駅を通るバスに乗り換えて帰ることになりました。ずっと乗客一人きりの貸し切り状態でした。一日乗車券を買っておいて正解でした。



2010年6月6日日曜日

里山に光り溢れて水涼し



明治・大正・昭和の三代隧道見物は、午前10時には終了してしまい、街に戻るバスはなしというところで、、、雨があがったとは言っても近くのハイキングコースを歩いたらずぶ濡れになりそうな感じでしたので、ちょっと遠いけど前に一度行ったことのある名草巨石群まで歩いてゆくことにしました。青空が広がって、紫外線がいっぱい!!(^^;)

峠から下ってきたところには、「庚申塔群」というものがありました。庚申塔は、道端にぽつりぽつりとあることが多いですが、ここには1740年から1860年(紀年銘のあるもの)に造立された129基が山の斜面にまとまって置かれていました。庚申信仰は、明治時代になると急に廃れてしまいますが、一番の原因はなんだったのでしょう???

重要文化財「南氏墓所」という案内看板がありましたが、400mほど奥へ入るので見ませんでした。やはり道からそれますが「日光神社」へ寄ってみることにしました。

大きな杉(御神木)がありました。下の方は一本の太い木に見えますが、地上5メートルのところで一本分かれ、さらに7メートルのところで四本に分かれ5本になって三十余メートルの高さとなっていました。南側の根元には穴があって、人が中に入れる空洞ができていました。内側は、焼かれて炭状になっていました。木を守るためにそうしたのか、穴の中で火を焚いたのかは、分かりません。のぞき込むと上が抜けていて光が差し込んでいました。

「今こそ、政権交代」と書かれた鳩山由紀夫と地元の立候補者らしきツーショット写真ポスターが貼られているのをあちこちで何枚も目にしました。

大勢の親子が川の中で遊んでいました。水着で泳いでいる子もいます。写真のトンボは、ここの川岸にいました。龍蠅(?)、まるで合金製のようなトンボです。オープンしたばかりらしき名草ふるさと交流館の建物は江戸時代の民家を移築したらしいのですが、新築にしか見えませんでした。

なぜ植物が「重要文化財」指定なのか謎ですが、「臥竜院のエドヒガン」も見てみました。寺の中に3本ほど古い枝垂れ桜の木がありました。樹齢は、推定200年余とのことでした。

あれやこれやで「厳島神社」(名草弁天)の赤い鳥居のところへ着いたのは、午後1時頃になってしまいました。

2010年6月5日土曜日

明治の頑固親爺は岩より硬い!?



四日前、佐野市郷土博物館へとエラスムス像のレプリカを見に出かけたときに博物館に掲示してあった手掘りの隧道に興味を持ちました。なんと明治・大正・昭和の各時代に造られたトンネル3本現存しているのが、栃木県・県道208号線の足利市と佐野市の境にあるのだそうです。

足利市駅前を午前8時ちょうどに出発する佐野市市営バス「さーのって号」で向かうことにしました。運賃は1回距離に関係なく300円ですが、帰りのことも考えて600円の一日乗車券にしました。乗客は、他に1人いましたがすぐに降りてしまったので、以降は貸し切り状態でした(^^)

このバスが昭和55年竣工の現役「須花トンネル」(全長157m、幅員7m)を通過します。トンネルの手前から自由乗降区間だったのですが、一応「須花」のバス停で降りることにしました。足利市駅からは、約40分です。

バスを降りて間もなくごろぴかごろごろの雷雨となってしまいました。トンネルへと引き返す途中に八雲稲荷神社があって、本殿は家光の時代に左仁五郎によって作られ日光東照宮から寄進された国宝という掲示がされていましたが、ど~にもそんなふうには見えませんでした。樹齢900余年、「源義経公お手植えケヤキ」という看板もありましたが、すぐ近くの太い木は杉で、、、雨も降っているので視界も悪くて、どの木がそれやら分かりませんでした(^^;)

「源氏ホタルの里」という看板も見かけました。どうやら、このあたりは「彦間浅間遊歩道」というハイキングコースもあるようです。まずは明治時代に造られたトンネルへと向かいました。雨は激しく降っています。

明治14(1881)年、近隣の住民から資金援助を得て上彦間村戸長であった田島茂平が工事に着手しましたが、作業は遅々として進まず、すぐに資金は尽きたが茂平は私財をなげうつなどして明治22年に全長117mのトンネルを完成させたそうです。当時の工法は「げんのう」や「たがね」を使っての手作業だったようです。いったい何を運びたかったのでしょう?

雨が小降りになって青空も見え始めて来た頃に大正6年、栃木県が煉瓦巻隧道として築造したほうへ移動しました。わりと最近まで歩道として使われていたようですが、今は両側が鉄柵で塞がれています。全長82mです。「土木学会選奨土木遺産」と掲示されていました。

どちらも幅は3.6mです。歩くだけでなく荷車も通れたのかもしれません。





2010年6月3日木曜日

アゲハあげあげ



5月31日には、多摩動物公園に行ってます(^^)

4時間ほどいたのですが、ずっと昆虫園の温室で暑く熱くなっていました。4時間弱の間に3000枚弱の写真を撮ってしまいました。大量のピンボケ写真が含まれています。手動で合焦できないので、ハチドリを撮ったもののほとんどは、背景などにピントが合ってしまっていて、ハチドリそのものはボケボケでした(^^;)

トラもライオンもゾウもゴリラも、、、動物園で動物をなにひとつ見ませんでした。



デジブック『アゲハあげあげ』

http://www.digibook.net/d/c845af1b801ab8d4b9b79f66f1cb093f/



デジブック『白い蔵』 (栗田美術館にあった蔵)

http://www.digibook.net/d/77948dffa059b090b1d11546f9c34979/

金霊のさざ波とスカイツリー



昨夕はまたレインボーブリッジを歩きました(^^)

レインボーブリッジからスカイツリーが見えるのは、お台場側の端のほうだけだと思っていましたが、そうでもなかったようです。高くなってきたので、あちこちから目視できるようになりましたが、スカイツリーがまだチビの頃から見えていたはずと思える地点も見つけられました。人間の目は不思議なもので、見えるはずがないと思っていると、やっぱり見えないもののようです。

写真は対岸の中央が晴海埠頭で、ときどき豪華客船が停泊したりしています。その右後方にある緑地のあたりは、東京オリンピックのメインスタジアム建設予定地でした。

海の一部がキラキラ輝いているのは初めて見ました。ビルの窓に夕日が反射して見えるようで、少し移動しただけで見えなくなったりします。一番高く見えているゴミ焼却場の四角い煙突も反射板に変身するようです(^^)

先日、深大寺にある鬼太郎茶屋の妖怪ギャラリーで水木が「ある日ふと空を見上げると、金が列をなして空を飛んでいるという不思議な現象に遭遇」というエピソードが展示されていました。「金霊(かなだま)」という妖怪で、訪れた家を栄えさせるそうです。水木は貧乏神から一転、妖怪「いそがし」に取り憑かれたとのこと、、。

金色のさざ波も「かなだまさま」でありますよ~に!!(笑)

2010年6月1日火曜日

小豆研ぎ婆を探して麦秋の両毛路をゆく!!



エラスムス像のレプリカが佐野市郷土博物館にあるということなので、見にゆくことにしました。まずは、4年半ぶりに龍江院へ、、、東武佐野線・田島駅から2キロほどのところでした。場所を調べるために「佐野 龍江院」でぐぐったら自分のブログが検索トップに表示されていて、役に立ちませんでした(^^;)

田島駅には、午前7時着。無人駅で、ICカードをタッチする機械もなければ、キップすら売っていなかったようです。佐野市や栃木市のあたりは、二毛作というのか麦を刈り取ってから田植えをしているようで、今の時期は実った麦と植えられたばかりの稲とが半々くらいな感じでした。

龍江院にある掲示物にはエラスムス像のことは何一つ書かれていません。戦後、「国宝」から「重要文化財」へと格下げ(?)になってしまったようです。

午前9時の開館時刻ちょうどに佐野市郷土博物館に到着しました。通常は無料ですが、今は6月15日まで「幕末の佐野」という企画展を行っているので、入館料210円でした。係のおばちゃんが、いそいで展示室の照明を点けに行ってました。1時間ほどいましたが、他に誰一人訪れることなく貸し切り状態でした。

エラスムス像のレプリカはガラスケースのなかに入ってました。予想よりもちょっと小さく感じました。これが本物だと言われれば、本物に見えてきそうな出来だと思えました。

この後は、まだ行ったことのない佐野厄除け大師に行ってみるつもりでいましたが、田中正造像の前に「田中正造旧宅への案内」という地図があって、火・木・土・日曜が公開日となっていたので寄ってみることにしました。1時間くらい歩きました。地図に載っていた曲がるべき角のセブンイレブンが潰れていて、あやうく違う方へ行ってしまうところでした(^^;)

入場料は、300円で、ボランティア案内付きでした。田中正造については、関係する場所を見て歩いたり歴史的事実を調べたりしたらきりがないので、今回も建物見物に集中することにしました(笑)

なんとなく来た道を引き返す気分ではなかったので、足利市の方角へ歩くことにしました。途中、、、二柱神社というところへ、思いがけなく吸い寄せられるように寄ってみたら、りっぱな彫刻を見ることができました。磯部儀左衛門(三代目)秀重によるものだそうです。思いがけない収穫でした(^^)