2011年6月30日木曜日

Oh,,,Utamaro!Fujiyama!Geisha! GambareNippon!!


最近の栃木市観光広告では、喜多川歌麿の肉筆画がイチオシ!!という感じです。なので「とちぎ蔵の街美術館」で常設展示されているものだと勝手に思い込んでいました。行ってみると6月21日から7月24日まで特別企画展「魯山人の宇宙展」となっていました。観覧料500円です。展示物の殆どは、笠間の日動美術館からの借り物のようでした。
美術館の建物は、19世紀に建てられた三棟続きの土蔵です。どこかに常設展示の部屋があるのでは?と館内を二周しましたがありませんでした(^^;)
「栃木市郷土参考館」(入場無料)に寄ってから、観光案内所の裏手にある歌麿肉筆画についての情報スペースみたくなっているところで訊いたところ、、、「鐘馗図」と「三福神の相撲図」は修復中で「女達磨図」と一緒に今年11月12日から27日まで「とちぎ蔵の街美術館」にて公開されるとのことでした。なんでそんなに会期が短いのでしょう???
先日テレビで「足利では焼きそばにイモが入っているのが当たり前」と言ってましたが、栃木でも一般的のようなので、食べてみることにしました。イモは、ジャガイモです。持ち帰りも可能で一食350円でした。

2011年6月29日水曜日

灼熱のBlue & White Garden


表面には油が浮いていて黒く淀んだ水場にカワセミが来ていました。カワセミは、水のきれいなところにいるというのは思い込みに過ぎないのかもしれません。湿地の水は、雨と蒸発でしか入れ替わらないせいなのか奥日光の戦場ヶ原あたりでもけっこう汚れています。
午前9時の開園時刻を過ぎたので、迫間自然観察公園から隣接する「あしかがフラワーパーク」へと移動しました。一時間ほど園内を歩きましたが、暑くてなにかの罰ゲームのようでした。もうバラの花はほとんど終わっていました。あるにはありますが、ここはユリやラベンダーで人を集める気はないようです。紫陽花もいまひとつ見栄えがありませんでした。意図的に増やしているわけではないでしょうが、池には生まれたばかりみたいな小さな亀がいっぱいいました。
風が吹き抜けて涼しい木蔭がみつからないので、早々にまた移動することにしました。大小山に登るには暑すぎる日になっていましたし、昼食を買えるお店もないので、とりあえず栃木駅まで戻ることにしました。

2011年6月28日火曜日

赤い糸を探して


ブナの木は、建築材として使えないので木偏に「無」と書きます。人里のなかにもかかわらず「迫間湿地」が残ったのは、水はけが悪くて耕地にならなかったからのようです。人の役には立たないことが一番大切なのですね(^^)v
迫間湿地の説明看板には「799種の昆虫、118種のクモ、80種の鳥」がいると書かれていました。貴重生物として3種、、、世界的に採集例が少ない体長1.7mmほどの「ツノタテグモ」、植物の根際で生活し水面をスイスイ動き回らない「エサキアメンボ」、赤い糸蜻蛉で「ベニイトトンボ」が紹介されていました。たぶんどれも専門家でもなかなか見つからないのかもしれませんが、最もフォトビジュアルそうなところでベニイトトンボを探してみることにしました。
翅は黒くオスの胴は蛍光緑、メスの胴は黒いのが「オハグロトンボ」ですが、ベニイトトンボは胴が赤く翅は透明のようです。
まぁ結局、みつけられませんでしたが、角度によっては金色に輝くトンボを見つけました(^^)

野外早朝本番ハメ撮り!!


埼玉県嵐山町にある「オオムラサキの森・蝶の里公園」には、3年続けて通って(?)一度もお目にかかれなかったオオムラサキでしたが、昨年やっと栃木県足利市の「迫間(はさま)自然観察公園」で見ることができました。その場所を今年5月上旬に確認したところ、、、まだクヌギからは樹液がでていなくて、虫たちはいませんでした。
JR両毛線・栃木駅6:39発に乗ると乗客はほとんど高校生なのは、いつもと同じでしたが、違うのは頭の中はからっぽ風な男の子まで、みんなそろって教科書や参考書、ノートを広げてお勉強しているということでした。中間テストの時期なのでしょうね。隣りに座っている女の子は、「有性生殖の過程」と題された問題集をちらちらと答えのページをめくりながら読んでいました。そのまた隣の子も「生殖」のところを読んでました。朝から、まぁまぁ欲情しないのでしょうか?(笑) でも「生殖器」とか「生殖の方法」などの記述や図版は一切無くて、いきなり受精卵が細胞分裂してゆくようなところから始まっていました。
午前7時半くらいにクヌギの木の下に到着しました。どこにでもいる茶色い蝶やスズメバチ、蠅などは集まってきていましたが、しばらく待ってもオオムラサキは現れませんでした。
掲示写真の昆虫は、最近よくあちこちで見かけますが名前を知りません。蝶なのか蛾なのか、あるいは蜂などの仲間なのかも分かりません(^^;)

2011年6月27日月曜日

カニと撓む身体泣き濡れて


葛西臨海水族園へ行きました。前回は、2月3日だったと思うので「震災後」は初めてということになります。気のせいか実際にそうなのか微妙なところでしたが、普段でも「もっと光を!!」の水槽がさらに暗くなった感じがしました。
人事の関係もあって被災した「アクアマリンふくしま」(福島県いわき市小名浜港、平成12年開館)とは仲良しのようでした。世界で初めてシーラカンスの稚魚の撮影に成功した水族館だそうです。福島から避難してきたエビや海鳥が公開されていました。
ちょうど世界遺産の認定時期と重なったので「小笠原」に関するパネル展示がされていました。1593年に「小笠原貞頼」によって発見された島々なので小笠原諸島という名前だとは知りませんでした。交通手段は、東京・竹芝桟橋からの「おがさわら丸」だけで、南へ1000キロ25時間半です。なので旅行日程は、通常5泊6日(船中2泊)になるそうです。旅行代では、さらに遠いグァム、サイパンのほうがはるかに安そうです。

2011年6月26日日曜日

寝苦しい夜には、妖虫意!?


ぐんま昆虫の森にある温室内は気温27.5度、湿度68%でした。冬ならばカメラに結露してしばらく使えないでしょうが、今の時期だと不快な温度・湿度ではありません。時々、機械の作動音がして自動的に窓を開いて温度調節をしているようでした。それでも外気の方が高温になってしまった場合の冷却機器まであるのかどうかは分かりませんでした。
小学生などが学校単位でバスに乗ってやってこない限り訪れる人は少なくて、蝶のいる温室はずっと独占貸し切り状態みたいなことがよくあります(^^) 温室内にはライブカメラが設置されていますが、なんだかねぼけた画像です。またホームページ内の「動画ライブラリ」では、「オオムラサキの羽化」などの画像を見ることが出来ます。
午後からは、木々を大きく揺らすような強い風が吹いて、木蔭は快適な感じでした。「フェーン現象」についての理窟を書いたものを読むとなんとなく分かったような感じがしますけど、フェーン現象の唯中にいる実感湿度からすると理窟と合わないように思えます。熊谷がラスベガスあたりのような乾燥高温にはなりそうにありません???
カブトムシはまだサナギになったくらいの時期でしょうか? 3センチくらいの大きさのクワガタムシのメスだけ一匹みつけました。
昨年の秋に「かやぶき民家」では、生きたカイコが展示してあったので行ってみましたが、まだ時期ではないのか、なにもありませんでした。

2011年6月25日土曜日

だむどむどむだあめ~♪


昨夕の天気予報で今日は朝から雨で午後には半袖では肌寒いくらいの気温になるとのことでしたが、実際には昼近くまで蒸し暑い晴天で、やや涼しくなったのは夜になってからでした。雨は、所により降ったり降らなかったりのようです。きっと気象庁は、節電のためスパコンで計算せずに下駄でも飛ばして予報を決めたのでしょう、、。
ぐんま昆虫の森へと行く前に「高津戸発電所」と書いてあるところに寄りました。みどり市(旧・大間々町)の「はねたき橋」からすぐ近くにあるダムのほうを見ると金網フェンスに覆われていて、「キケン立入禁止」という看板が何枚も付いているので、まるっきり閉鎖されているものと思っていましたが、近寄ってみると通路があってダムの上を通れるようになっていました。
渡良瀬川の水の流れそのもので発電しているのかと思っていましたが、どうやら渡良瀬川から取水して専用の導水路を通すことで発電して、また水を渡良瀬川に戻す仕組みになっているようでした。まぁ、原理は水車小屋と一緒でしょうか???
わずか20mほどの落差で、最大5300KWの発電ができるようです。華厳の滝で発電したらどれほどの出力になるのでしょうね???

2011年6月24日金曜日

Ohムラサキごはんですよ!!


普通、体温が40度にもなると頭がぱぁぷぅになるか死んでしまいそうですが、、、気温が体温より高くなったら裸で”おしくらまんじゅう”しているほうが涼しいのでしょうか???
埼玉県熊谷市で本日午後2時20分に気温39.8度を観測したそうです。1991年6月27日に静岡市で記録された38.3度を20年ぶりに更新して、6月の全国の観測史上最高気温となりました。
今月1日から熊谷市にある「妻沼聖天山聖天堂(本殿)」が約7年かかった大改修工事が終わって一般公開(拝観料700円)されているので、見に行こうと思っていましたが、今日にしないでよかったのかもしれません(^^;)
熊谷よりほんの少しだけ低い気温となった群馬県館林市を越えて、桐生市にある「ぐんま昆虫の森」へと行きました。これだけ高温多湿なので、そろそろ国蝶オオムラサキがわさわさ湧き出てきたのではないかと期待してましたが、ぶんぶん幅を利かせているのは、強暴な顔つきのオオスズメバチばかりでした。

2011年6月23日木曜日

ゆるみゆらゆらゆりあんそれいゆ


所沢西武球場のすぐ近くにある「ゆり園」へ行ってみました。なんだか西武鉄道は迷路のような路線図ですが、、、地下鉄有楽町線・小竹向原駅で西武池袋線に乗り換え、さらに西所沢駅で乗り換えて西武球場前駅に到着したのは、午前11時を過ぎたくらいでした。
到着する少し前まで雨が降っていたようです。「夏至」であった昨日から、とんでもなく暑くなりました(^^;)
西武鉄道にはほとんど乗ったことがなかったので、百合に特化した場所が存在するとは全く知りませんでした。どこかの週刊誌に連載している「日本の絶景」のような記事で知りました。
駅から西武球場とは反対方向へ歩いて3分ほどでした。入園料は、1000円です。チケットには、「約3万㎡の自然林の中に、50種・約45万株のゆりが咲き競う。」と書いてありました。開園しているのは、七月中旬くらいまでのようです。早咲の「すかしゆり」が「見頃」という掲示になっていました。
時々、日が差してきてムッとする暑さです。木蔭に風が吹くととても気持ちの良い感じでした。外周の歩道が1キロほどらしいので、園内の道をゆっくり全て歩いても1時間とかかりませんでした。98%くらい爺さん婆さんだけ!!という入場者ですが、ずいぶん人が来ていました。
花の数からすれば、もっと蝶なんかが飛んでいてもよさそうなものですが、そこまでの演出は考えていないのかもしれません、、。

2011年6月22日水曜日

噛めば萬年、年の功より歩みの呪い亀の甲


ずっと「裏見の滝」は「寂光の滝」よりも大きいと錯覚していました。実際には落差19mで、高さも幅も寂光の滝の半分以下でした(^^;)
小さな滝でも「華厳の滝」と「霧降の滝」とともに「日光三名瀑」のひとつとされています。もしかすると『奥の細道』で芭蕉が「暫時(しばらく)は瀧に籠るや夏(げ)の初(はじめ)」と詠んだことが影響しているのかもしれません。
滝の裏が崩落したのは明治35年のことなので、もう芭蕉の見た光景は見られませんが、滝の裏にほんの少し窪みが残っていて、無理をすれば辿り着けるらしいです。
拾った木の枝を杖として歩いたのは、2008年12月下旬でした。その四日前に裏見の滝のほうから寂光の滝に向かおうとして途中で道が分からなくて断念していました。雪が降った後に出掛けたようです。足は重くて息は苦しくてとっても大変でしたが、この時は「すっきりさっぱり爽快なお散歩」と書いてました。歳は取りたくないものです(笑)

2011年6月21日火曜日

本当に元気なのか?日光!!


寂光の滝から女峰山を登り始めたのは、午前9時20分くらいからでした。来るつもりの無かった場所なので地図は持っていませんが三、四年前に歩いています。その時は、途中で休憩などしないで歩けたように憶えているのですが、、、今回は、だいぶ登攀能力が低下してしまったようで、ほんの少し歩いては立ち止まって休んでしまいました。
少し登ると虫たちの大合唱で賑やかでした。標高が高くなると虫の声がしなくなり音のないような世界に思えました。
つづら折りの道ではなく、ひたすら真っ直ぐな山道です。東武日光駅前の標高が543mですが、標高約1400mのところまでゆくので、先日登った茨城の加波山(709m)よりも標高差があります。
”裏見滝・寂光滝分岐”地点には、午前11時50分の到着なので、標準的なペースよりも30分くらいオーバーしてしまいました。ここでV字ターンして、裏見の滝の方向へと下山します。
植林された木々がだいぶ伐採されて、登山道が明るくなったような感じがしていましたが、木が切られたことで登山道であることを示す目印もなくなったり見えにくくなっていました。三度ほど先に進めなくなって、引き返しては道を探すことになりました。
前回通った時に拾った木の枝を杖代わりに使って歩いて、帰るときにそれを林道と交差するところにある木に立てかけておいたのですが、、、なんとそのままの状態になっていました。
裏見の滝まで行くには、下山してからまた登らねばなりませんが、バリケードができていて「裏見滝遊歩道は、全面通行止めです。工事関係者以外立入禁止」の掲示がされていました。トイレは、新築されて大きな建物になっていましたが施錠されていました。トイレとはだいぶ離れた場所に「東日本大震災の影響で電気の供給が遅れているため、当分の間、トイレは使用できません。近くの公衆トイレ(車で約3分)」と貼り紙がありました。工事関係者のプレハブ小屋が建っているので、トイレの前に簡易トイレのひとつくらい置けば済むことに思えますが、コッパ役人の類は気の利かない人達なので仕方ありません。
本当に電気の復旧がされていないようで、浄水場の前では下請け丸出しのおっちゃん達がトラックから電柱を数本降ろしていたり、アース線のカバーをいくつか持って山に登っていました。
遊歩道の通行止めは、5月29日に始まって、10月25日までの予定となっていました。「工事が終わり次第解放する予定」とも書かれていましたが、急がないと紅葉時期に通れません!!
本当に元気なのか?日光!!

2011年6月20日月曜日

「元気です!!日光」は本気ですか?


今朝は、はっきりと行き先が決まらないまま出掛けることになりました(^^;)
”足利市の大小山に登ってからフラワーパーク”、”大平山あじさい坂から大平山系の縦走”のどちらかが有力でした。栃木駅で:下車したりJR両毛線には乗らずに東武日光行きへと乗り換えて、”鳴虫山に登る”ことにしたのですが、途中でまた気が変わって、結局は「寂光の滝」へと向かいました。
日光には、「元気です!!日光 日光の元気をニッポンの元気に」という幟旗がいっぱいありました。
東武日光駅から歩いて1時間20分ほどで寂光の滝へと到着しました。「若子(じゃっこ)神社」があります。説明看板には、「弘仁十一年(八二〇)日光を訪れた弘法大師空海は、滝尾神社を開き、次いでこの奥の寂光の滝で修行した。夢の中で女神のお告げを受け、ここに祠を建てたと伝えられる。」と書かれています。祭神は、「下照姫命(したてるひめのみこと)」です。『古事記』では、大国主神(「男体山」の祭神)の娘となっています。またここは「女峰山」への登山口のひとつとなっています。なので女峰山の祭神も下照姫命なのかと言うと、そうではないようです。
滝は、落差50メートルほどで、七段になっているそうですが滝壺に近いところからでは、そんなに落差があるようには見えません。梅雨の時期にしては、水量が多いという風には思えませんでした。
「若子(じゃっこ)」と「寂光(じゃっこう)」音が同じなので、どちらも何かの当て字なのかもしれませんが、元々の名称がなんなのか分かりません。
少しだけ女峰山を登って、裏見の滝へと向かいます。

2011年6月19日日曜日

蓮っ葉なハスの実


日曜日の池袋は、人が多過ぎて最も行きたくない場所のひとつと思っていましたが、地下鉄有楽町線・東池袋駅で下車したら、ほとんど人通りのない通路がサンシャインシティまで続いていました。まずは、時間調整で「オリエント博物館」へと行きました。今は常設展です。でも常設展示場が別にあるわけではない狭い博物館なので、常設展の度に同じ展示物を並べているだけかどうかは分かりません。特に興味を引く物はありませんでした。
8月4日にリニューアルオープンする「サンシャイン水族館」の年間パスポートが、アルパ噴水広場あたりで午前11時から販売されているという広告を見かけたので、今日はそれを買いに出掛けたわけですが、、、それらしき受付はありませんでした。
広告ポスターをよく見たら販売されるのは、”[期間]6/24(金)~7/6(水)及び7/29(金)までの土・日・祝日”と書かれていました。フライングでした(^^;) せっかくやってきたので、プラネタリウムでも見ようと思ったら、、、こちらも7月7日までお休みでした。
なんだか最近、日付の思い違いのようなことが頻発しています。放射脳炎でしょうか?(笑)

四、五日前からラベンダーが咲き始めました。乾燥した涼しい場所を好む植物ですが、関東地方では花期が梅雨の間になってしまいます。
一昨年の夏の終わりに拾ってきたハスの実を水槽に放り込んでおいたら、去年いくつか発芽しましたが、あまり生長しませんでした。冬を越せるレンコンもできなかったようです。今年も残っていた実が発芽しました(^^)

2011年6月18日土曜日

Show You,Show Me 醤油賞味


上花輪歴史館を見物したあと香取神社の境内にある汚れたベンチで、コンビニおにぎりを食べました。「亀甲紋」は、出雲神社、香取神宮の神紋なのでここに香取神社があるのは「亀甲萬」の成立と無関係ではないのかもしれません。
蔵をそのまま神社の社殿にした須賀神社は、ロープが張られて境内に入ることができませんでした。芭蕉句碑があるはずなのですが、、。火事に燃えない社殿も地震で崩れかけてしまったようでした。
野田はなにもかも「しょうゆ」です。大正15年に設立された銀行は、「野田商誘銀行」という名前だったそうです。建物は今でも残っています。昭和4年に建てられたアールデコ調の建物「興風会館」は、劇場・イベント会場として現役です。
寄付されて野田市民会館となっている旧茂木佐平治邸は、二年前に来たときも寄りました。その頃は、シャープ・アクオスの吉永小百合によるCMの撮影地として館内にも写真がありましたが、もうほとんど忘れ去られてしまったようでした。CMでの座り位置に座ってみました(^^)v
ここでは、大林宣彦もなにか撮っていたはずです。映画にはなっていないでしょうけれど「野田醤油発祥の地」とされているキノエネ醤油に小津安二郎の妹が嫁いだそうです。もうどれも昔話(?)ですね、、。

2011年6月17日金曜日

醤油も辛口生の一番搾りが旨いのか?!


東武野田線・運河駅から二つ手前の野田市駅へと移動しました。野田線は、単線にもかかわらず乗客の少ない昼時間帯でも10分に1本くらい運行されていました。
野田市駅に着いたとたんに芳ばしい醤油の匂いがしました。右を見ても左を見ても、、、亀甲印ばかりです。ウィキペディアには、”1661年(寛文元年)に上花輪村名主であった髙梨兵左衛門が醤油醸造を開始し、翌年(1662年) に茂木佐平治が味噌製造を開始した(茂木はその後醤油製造も手がける)。”と書かれています。今回は、「国指定名勝高梨氏庭園・上花輪歴史館」と野田市民会館(旧茂木佐平治邸)とへ行くことにしました。
大正6(1917)年に茂木・高梨一族8家の合同により今日のキッコーマン株式会社の前身である野田醤油株式会社が結成され、統一の商標として茂木家の商標(亀甲萬[キッコーマン]を本印とした)が採用されたそうです。
駅の近くには、醤油が出来る過程を見学できる「もの知りしょうゆ館」がありますが事前の予約が必要です。平日に一人ならば予約無しでも大丈夫ではないかという話も聞きましたが、、。
二年前に野田市へと来たときに「上花輪歴史館」は改装中ということだったので行きませんでした。駅前の道をしばらく真っ直ぐ歩いてから、どこかで左へ入らなければならないのですが、案内を見落としてだいぶ先まで行ってしまってから、こんな遠いはずがない!!と引き返しました(^^;)
お代官さま~な感じのする入口でした。入館料は、500円です。敷地は約3000坪あるとのことです。見学できるのは、「展示棟」内の展示物と名勝となっている庭で、建物の内部は事前に予約しなければなりません(お茶が付いて1500円)。
展示されている木製の人力コンプレッサーを見て、醤油は搾って出来上がるものだというのを初めて知りました(^^;)
上花輪歴史館の前には、キッコーマンの「煉瓦蔵」がありましたが「都合によりれんが蔵の見学を中止させていただきます」という掲示がされていました。同じ敷地内にある工場は閉鎖されて廃墟化しつつあるように見えました。

2011年6月16日木曜日

キャナルウォークらしどれしどれみふぁ~♪な野田!!


前回「利根運河」沿いを歩いたのは、2009年7月3日(金)でした。その時は、東武野田線・運河駅から江戸川までを往復しました。なかなか機会がなくて二年経ってしまいました。都庁舎にある観光案内所で入手した「利根運河絵図」(流山市観光協会2006年2月発行)を持ってでかけました。
運河駅には、午前8時5分の到着です。野田市駅あたりでは、雨が強く降っていて女子校生などが「傘、持ってない~!!」と騒いでおりましたが、運河駅では雨は降っていませんでした。今回は、利根川に向かって歩きます。
「利根運河」は、オランダ人技師ムルデルの指導で1890(明治23)年に開通した日本一長い(利根川から江戸川まで約8.5キロ)運河です。現在は、水路としては、ほとんどなんの役にも立っていないようです。
歩き始めてすぐに「理窓会記念自然公園」へ寄り道しました。「絵図」では、「白鳥の池」と「カワセミの池」が載っていますが、どちらも見つかりませんでした。「理窓会」って何?と思っていましたが、、、東京理科大の同窓会だそうです。
「絵図」に載っている「煉瓦造りの樋管」を見ようと思っていましたが、予想よりも小さい建造物だったので、なかなかみつかりませんでした。今も農業用水路として使われているようでした。足場が悪くて、近付くのに苦労しましたが「明治四拾壱歳五月築樋」と刻まれているのを確認しました。
常磐自動車道が利根川を通過する少し手前まで行きましたが、利根川の水面は生い茂る蘆葦などで見えそうにないので、そこから引き返すことにしました。運河駅に戻ったのは、4時間経過した正午過ぎでした。晴天だったら干上がっていたことでしょう、、、似てそう(!)で似てない(?)「キャナルウォーク」と「かなり歩~く」(^^)v

2011年6月15日水曜日

森とんかつ泉に♪


お台場側から芝浦側へとレインボーブリッジを歩いて渡ったときには、たいてい都バスで浜松町駅前まで乗ってゆくのですが、今日は「港区コミュニティバス・ちぃばす」の「芝浦港南ルート・品川駅東口行き」に「169・芝浦ふ頭駅」バス停から乗ってみました。料金は、100円です。港区内7ルートあるようです。老人は、みんなパスを持っているので無料で配っているのかもしれません。
品川駅からJRで目黒駅へと移動して、「東京都庭園美術館」へと行きました。4月16日から7月3日までは「森と芸術 -私たちの中にひそむ森の記憶をたどってみよう-」という展示で、”美術評論家であり仏文学者の巌谷國士氏による監修のもと、約180点の美術作品・写真・工芸品・絵本などから、「森」そのものを新しい視点からとらえなおし、その美と悦び、その意味と重要性について考えてゆくもの”です。
「テーマが森」と言うよりは、商用広告に多用される「コンセプト」という言葉が似合うような感じがしました。また、今回の展示図録として販売されている『森と芸術』(平凡社・刊 2500円)という書籍が先にあり!!という風に思えました。展示意図は、むしろ本を読んでからオリジナルの作品を鑑賞した方が分かりやすいのではないでしょうか、、、本は買いませんでしたけど(^^;)
日本庭園にあった灯籠が地震で倒れたようで、欠けたまま茶室「光華」の脇に片付けられていました。
隣接する「しろかねの森」である「国立科学博物館附属自然教育園」にも寄りました。土曜・日曜だと違うのかもしれませんが、無料で入園できる「小・中・高校生」の姿はほとんど見たことがありません。同じく無料の「65歳以上」ばかり目立ちます。
松岡美術館での「西洋絵画の中の人びと」では、モネの「ノルマンディの田舎道」(1868年油絵81.0X59.5)が森もりしておりました(^^)

2011年6月14日火曜日

身も細り、我がはらは猫である


咽喉が渇きましたが、加波山神社には手を洗える場所も見あたりませんでした。社務所には鍵がかかっていました。とりあえず加波山頂からは、2.2Km先の「一本杉峠」まで行ってみることにしました。名前通りに杉の木が一本だけあるのでしょうか?
「霞ヶ浦」まで見えるという案内看板がありましたが、木々が生い茂って見えそうにありませんでした。歩いていると遠くから聞こえる雨引観音の鐘の音とは別になにか耳障りな機械音がしていました。それは、巨大な風車の回る音でした。
視界が開けたところにあった水たまりには、何か黒い塊が蠢いていました。よく見ると小さなオタマジャクシが寄り集まっていました。舗装した車道にでましたが、一台の車も通りません。「林道丸山線」という道らしく「落石のため通行止」と書かれていました。
風車の下には、「ウィンドパワーつくば風力発電所」という看板が建っていました。風車は2基あって、片方しか回転していませんが、電光掲示表示では「只今の風速1.0m/s 現在の発電電力0kW」となっていました。風速3m以上ないと発電できないようです。
一本杉峠にある標識が傾いていて、どちらに向かうべきか怪しい状態でしたが、「この先車両通行不能」と表示されている未舗装道路から下山することにしました。午後1時15分です。
道の上を水が流れている場所が多くぬかるんでいました。大きく陥没してしまっているところもあります。沢が道を分断してしまって、もう少し水量があれば通れない状態でした。どうやらそこまではバイクや車が入って来ているのかタイヤの跡がいっぱいあります。
オフロードバイクの練習コースみたいな場所がありました。このあたりは、猟銃の発砲が可能なような看板がでてます。民家のあるところまで1時間以上も歩くことになりました。
弁財天に水道の蛇口があって、水がでましたが、しばらく放水しても茶色く濁ったままでした。やっと飲み物の自動販売機が見えました。午後2時50分です。数台のオフロード車が列なって山に向かってゆきました。タイヤの幅が普通の車の何倍もありそうでした。

最初の自動販売機のところから岩瀬駅まで10Km以上ありそうです。もしかすると筑波山へ向かって、バスを利用した方が楽だったのかもしれません。
県道に出ました。石屋さんばかりでコンビニもファミレスもありません。「まんぷく」みたいな名前の食堂が見つかりましたが、窓から中を覗くと誰もいないので「くうふく」のまま通り過ぎました。もうそれきり飲食店はありません。
四日前に雨引観音から下りてきて県道へときた地点まで1時間かかりました。すでに足は痛くて、歩行限界をとっくに超えてしまっています。道端に毛皮が落ちていました。頭蓋の一部が白く見えていました。イタチかテンかキツネか分かりませんが、もう少しキレイなら襟巻きになりそうです。
またサイクリングロードとなっている鉄道跡を歩くことにしました。雨引駅跡に痩せた野良ネコが昼寝をしていました。声をかけるとにゃ!!にゃ!!にゃっ!!と笑顔(?)で近付いて身体を擦り寄せてきました。身体が痒いのか、そうすれば食べ物を貰えた記憶があるのか……。

所用9時間20分、、、午後5時5分にJR水戸線・岩瀬駅まで戻りました。昼食なしで、消費水分は合計3リットルほどでした。
駅まで送りにきた男の子に三度ほどキスをして、女子校生は列車に乗りました。ああ、本日もめでたしめでたし\(^^)/

2011年6月13日月曜日

登り苦しく虫の息、飛んで気になる夏の虫


雨引山と加波山との山頂標高差は、ちょうど300メートルありますが一旦、山をだいぶ下りるので実際にはもっと差がありそうです。平地での6Kmならば、一時間半もかからずに歩けそうですが、初めて通る山道ではまるで予定が立ちません。途中でなにか面白い動植物に出合うかもしれませんし、、。登山口の案内看板で、雨引山~燕山は「約120分」となってました。燕山~加波山は「約30分」とのことなので、その通りならば午前11時半を少し過ぎたくらいに加波山山頂へ着けるはずです。
ところが、、、燕山まであと1キロとなったあたりから急な登りとなって、息は苦しく足は重くて、この間を通過するのに1時間近くかかってしまいました。顔のあたりを羽音を立てた虫が次から次へと飛び回ります。
燕山(701m)は、午前11時半に通過です。冬ならば少しは眺望があるのかもしれませんが、木々の葉でなにも見えない山頂でした。少し先に「デジタルテレビ中継放送所」がありました。そのあたりでもう持参した飲み物がなくなりました。となりには、「建設省加波山無線中継所」(標高688m)もあって、車の通れる道になりました。すぐに加波山神社に到着しました。
住所は、「石岡市字加波山一」です。ここから山を下ると「桜川市真壁町長岡」に行くと案内がでていました。拝殿と社務所があります。山頂まではあと400mくらいのようです。なんの功績があったのか分からない多くの人の記念碑と男根のオブジェのある急な岩場を登ると「たばこ神社」と「加波山神社本殿」がありましたが、どこが加波山山頂だったのかよく分かりませんでした。

2011年6月12日日曜日

夜々夜をへて、よよよ四日前のきのこ健在


午前三時過ぎに雨が止んだのを確認してから眠りました。目覚まし時計はセットしないで、起きた時刻でお出かけ先を決めることにしました。
五時半に目が覚めたので一時間後の電車なら乗れそうです。四日前に雨で行けなかった加波山へ向かうことにしました。でもほんの少し出遅れたので、電車に乗る前にコンビニには寄れませんでした。JR小山駅の中にあるコンビニは、貼り紙がしてあって閉店してました(^^;)
岩瀬駅前にはなんのお店もないので、正午くらいまでに加波山の山頂へ行ければ、下山してから何か食べれば良いだろうと考えてました。四日前と同じ時刻に岩瀬駅へと到着です。日曜日なので、がらがらの車内でしたし下車する高校生もほんの数人だけでした。
登山口の近くで、地元の老夫婦に会いました。お先にどうぞと言われて追い越したのに、いつのまにか先を歩いていました。採石場の横を下って、また登るキツイ道を迂回するルートがあるのだそうです。四日前にも前後に人がいないはずだったのに急にオバサンが現れた理由が分かりました。
とても蒸し暑くて、汗がはてしなく噴きだしてきます(^^;) 飲み物は、家から500mlペットボトル2本をバッグに入れて持参しましたが、雨引山山頂でもうすでに1本飲み終えてしまいました。雨引観音への分岐点へ着いたのは、四日前とほぼ同じ時刻の午前9:15、加波山までは6キロです。

2011年6月11日土曜日

緑に和み、水に癒され


今日は、都営の水上バスで年に数日しか運行されないコースの船に乗ろうと思っていましたが正午近くまで雨が降っていたのでやめてしまいました。
「江戸東京ぶらり旅」は、6月11日(土)、25日(土)、7月9日(土)の運行で、両国を朝9時に出発して一旦隅田川を小豆沢まで遡り、再び引き返して次は東京湾に出て荒川から午後5時に両国へと戻ります。
「いちにちゆらり旅」のほうは、6月12日(日)、26日(日)、7月10日(日)の運行で「江戸東京ぶらり旅」のコースより荒川を通る距離が長いようです。午後6時5分に両国戻りです。発着場ならばどこでも乗り降りできるので、ずっと一日乗っていなければならないというものではありません。
同じようなルートでイベント的な運行もあるようですが、今年は地震の影響で中止となってしまいました。
隅田川の花火大会は、例年より一ヶ月遅れの8月27日となって、「浅草サンバカーニバル」は「次年度(平成24年)に延期」とのことです。

2011年6月10日金曜日

もう菅係ないね、ちかぢかのちでじか


国策として産めよ増やせよしてきた「地デジカ」なのに最近は絶滅したのではないかと思えるくらいに見かけなくなりました。
今年の三月くらいからケーブルテレビを経てやってくるテレビ信号は、なんだかあと3年くらいは、地デジちうなあ無しでも見られることになったらしいのです。たぶんこれも国策です。それにともなって画面上下の黒帯脅し文句が消えて「デジアナ変換」とだけ表示されています。デジアナ変換画像は、デジタル画像ほどにはキレイではありませんが、アナログ画像よりは鮮明になった感じがします。
この救済策(?)を知る前にパソコンでのテレビ録画用に地デジちうなあを買ったのですが、、、「ダビング10」対応と書いてあったので、簡単に録画ファイルを複写移動できるものだと思っていたら大間違いでした。録画したのと同じくらい時間がかかって画質を落としてDVDなどにコピーしないと永久保存できないみたいなのです。その変換中は、視聴も録画もできません。しかも変換の途中で失敗したりで、まったく使い物にならないのでありました。しかもメディアなどに移動・複写しない生録画データは、録画したときと同じハードウェアがないと再生視聴できません。

東京スカイツリーは、なんとなく漠然と完全地デジ化と一緒に稼動開始するものと思っていたのも大間違いでした(爆)
最初は、予約しないと入場できないという話もあるようです。まぁ東京タワーができてから、最初に東京タワーに行くことになったときまでの年数を思えば、すぐに出向くこともありません。1メートル当たり6.7円ほどの入場料ですね。東京タワーは、5.7円です。

2011年6月9日木曜日

ツール・ド・ツクバ、どつくどつんつん


雨が止んだら加波山のほうへ向かおうと思っていましたが、雨は強く降るばかりなので雨引観音に到着して2時間経過した午前11時半から加波山方面へは向かわず、車道を通って下山することにしました。
皮肉にも下山したら雨が止んできました。正午になったので、「雨引千勝神社」の苔生したベンチで買っておいたおにぎりを食べました。神社の前では「あまびき美術館」の看板を掲げた建物が廃墟になっていました。
加波山にはまだ雨雲がかかっていました。しばらく歩いて、どこかに別の登山口の案内がないかと探しましたが、まだときどき小雨が落ちてくるので加波山とは逆方向にある県道へでることにしました。案内地図にバス停が載っていましたが路線バスは、とっくの昔に廃止になっているようです。
旧・真壁町には、文化庁登録有形文化財となっている建物が104棟もあるらしいのですが、まだネット上にそうした建物の情報がありません。桜川市役所まで行って資料でも貰おうかと歩き出したらサイクリング道路がありました。真壁は、岩瀬駅とは逆方向に数キロ行かねばならないようなので、文化財見物はまたの機会にして帰ることにしました。
サイクリング道路を数分歩いて、、、あっこれが廃線となった筑波鉄道筑波線の跡なのだと気付きました。その通りならば、JR岩瀬駅まで続いているはずです。
午後2時15分発の小山行きに乗りました。下館あたりは青空が広がっていました。午後4時過ぎに帰宅しましたが、埼玉では雨など降らなかったようです。

2011年6月8日水曜日

雨引観音あまやどり


埼玉県から筑波山は単独峰にしか見えないので尾根伝いに縦走できるハイキングコースがあるとは思っていませんでした。

午前9時過ぎに雨引山(409m)に到着です。説明看板には、”ここは、北に岩瀬盆地と富谷山や雨巻山の連峰が眼下に広がり、南は加波山や足尾山の筑波連山が連なる雨引山頂で、コースの中間に位置します。環境庁”と書かれていました。「連山が連なる」って、「頭痛が痛い」みたいですね(笑) 「環境庁」ももうありません。
略地図には、「筑波鉄道筑波線」が載っています。もし線路がまだ残っているならそこを歩いてみたいと思いました。
帰ってから調べてみたら土浦駅から岩瀬駅までの40Kmほどの路線で、国鉄も乗り入れてましたが1987年(昭和62年)4月1日に廃止されたとのことです。木々が傘になってくれてあまり気になりませんでしたが細かい雨が降ってきました。天気予報では雨が降るようなことは言ってませんでしたが、、(^^;)
雨引観音へは右に1.7Km、加波山へは真っ直ぐ6.0Kmの分岐点で雨引観音のほうへと向かったら、、、崇徳上皇が化けてでてきそうな暗くて急な下り坂でした。雨引観音を見た後で、この坂を登り直すことになるのかと思ったら、ちょっと面倒な気分になりました。
午前9時半、いつのまにか墓地のなかを歩いていて、雨引観音(楽法寺)へと到着です。傘が必要なくらいの雨になってきました。
境内では、クジャク、ガチョウ、カモなどが放し飼いになっていました。地震の影響で石碑の建て直しや崖の修理が行われていました。山門も鉄パイプで蔽われています。
写真は、多宝塔で雨宿りしているクジャクです。クジャクが飛ぶのを今日ここで初めて見ました\(^^)/

きのうきのこに逢いました、星の綺麗な夜でした♪


今日は、千葉県野田市にある「上花輪歴史館」へ行ってみるつもりでいましたが、予定を変更して茨城県桜川市「雨引観音」(楽法寺)へと行くことにしました。
急遽、車では行かない北関東自動車道全線開通記念ツアーズ・桜川筑西インター篇とあいなりました(^^)/
JR水戸線・岩瀬駅への到着は、午前7時43分。先日の笠間駅と同様に下車するのは大量の高校生だけという感じでした。駅前に「関東ふれあいの道・7御嶽山から板東24番札所へのみち」案内看板がありました。”筑波山塊の北端に位置する御嶽山・雨引山を経て加波山へ向かう途中から右折し、板東33所観音霊場第24番札所の雨引観音をめぐる9Kmで、サクラやヤマツツジの多い自然を楽しめるコースです。環境省 茨城県”と書かれていました。
さらに御嶽山登山口にあった桜川市によるイラストマップ看板には、、、御嶽山(230m)-雨引山(409m)-燕山(701m)-加波山(709m)-一本杉峠-足尾山(627m)-きのこ山(527m)-りんりんロード真壁、、、そして岩瀬駅へと戻るルートが書かれていました。そこに表示されている時間通りに歩ければなんの問題もなさそうでした。
山を登り始めてすぐに飲め!!とばかりにヒシャクが用意されている「不動の滝」がありましたが、まだ咽喉も渇いていないし湧水か沢水か分からないので飲まずに通り過ぎました。
岩瀬駅から30分とかからずに御嶽神社(御嶽山)に着きました。雨引山までは、あと2.5Kmです。

2011年6月7日火曜日

ええど!!お江戸のエゴidエス


JR原宿駅に午前10時到着で、「カワイイ」の聖地・竹下通りを経由して「太田記念美術館」へと行きました。
開館が10時30分なので美術館の前に30分座っていたという70代くらいのお爺さんは、さまざまな衣装を着て通る女の子たちを眺めていて「次から次へとまるでファッションショー見ているようで楽しかった!!」と待ち時間に満足そうでした。開館時刻までには、20人くらいが来ていました。
6月1日から26日までは、「没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳」(前期)です。この美術館は初めてです。どうやら入場者の少ない時は靴を脱いで入る美術館のようでした。入館料は、1000円です。
花菖蒲の時期なので「明治神宮御苑」に寄ってみることにしました。入苑料は、500円です。入口は二ヶ所あって、北口から入ると自動的に「清正井整理券」が付いてきます。もう行列になどなっていなくて、むしろ整理券というプレミア風の付加価値を演出しているだけではないかという感じがしました。
清正井の湧水には、昨年から手を触れることも禁止になったそうです。飲用は、だいぶ昔から不可でした。なのでみんな順番に井戸の側で井戸の写真を撮ってお終いです。
花菖蒲は、まだ一分咲き(?)くらいでした。

2011年6月6日月曜日

大きな栗の木の下で、手のひらを太陽に!!


大きな岩に耳を押し当てると地球の鼓動が聞こえる、、、なぁんてことはありません。

「甌穴」(pot hole)は、とっても珍しいというほどでもなくあちこちに存在するようです。写真は、群馬県みどり市(大間々)の高津戸峡にあるものです。石の上でお昼寝するにはちょっと小さいかもしれません(笑)
ときどき樹齢何百年という大木に両手を押し当てて瞑想しているような人を見かけるのですが、これってやっぱり「木の気」とか生命エネルギーのようなものを感じたり吸収しようという試みなのでしょうかね?
はたして「樹木医」と呼ばれる人が同じようにするかどうか知りませんけど「手当」の文字通りに手を当てると痛みが和らいだりすることは確かにあるようです。
医師国家試験の合格率は85%前後ありますが、樹木医の合格率は20%ほどで全国に2000人足らずしかいないようです。これがマッサージ師やエステティシャンともなるとものすごい数になるかと思いますが、技術や経験によるものではなく、癒せる力のある手のひらは、どれほど存在するのでしょう???

2011年6月5日日曜日

旅への誘いが、次第に私の空想から消えて行った。


前橋市のマンホールの絵柄はバラの花でした。それほど敷島公園のばら園がすでに街のシンボルみたいなものになっているということなのでしょう。
バラは、ゆったりとした間隔で植栽されていました。無料のバラ園としては、最上の出来映えと思いました。
「前橋市蚕糸記念館」にも入りました。建物は「旧蚕糸試験場事務棟」で群馬県指定の重要文化財になっています。明治44年に建てられたもののようです。
敷島公園全体は、かなり広大のようでした。みんな群馬県や前橋市によるものかと思っていましたが、野球場は上毛新聞社、陸上競技やサッカーのできるスタジアムは正田醤油の持ち物でした。少し離れた場所には「グリーンドーム」という名前の建物があって、こちらでは競輪をやっていました。
駅の方へと引き返して、「前橋文学館」へ行きました。入館料は、100円です。ここも萩原朔太郎なしには成り立たないような展示内容でした。広瀬川に架かる橋は「朔太郎橋」で等身大くらい(?)の銅像も建っていました。文学館敷地内にある旧型の鋳物ポスト(前橋ではひとつだけ?!)に投函すると風景印が押されると書いてありました。その看板の郵便配達員がネコだったので、勝手に「猫町ぽすと」と名付けておきました。

2011年6月4日土曜日

とほい空でぴすとるが鳴る。


車では行かない北関東自動車道全線開通記念ツアーズですが、水戸とは正反対側の「前橋」にある敷島公園ばら園内「萩原朔太郎記念館」へ行ってみることにしました。
JRに乗ってゆくと水戸へ行くよりも交通費が高くなってしまいますが、伊勢崎駅まで東武伊勢崎線を利用するとJRに比べて格安!!気分になれます。
ここの存在は、俳優の佐藤ザンスさんのブログ(http://zansu0218.blog39.fc2.com/blog-entry-1461.html)で知りました。残念なことに今年の1月17日以降はブログが更新されていませんが、良質なお散歩先満載!!です。役者としての出演作品は、なかなか機会がないので「令嬢探偵★モロボシアイ広島より愛をこめて」での執事役と「豪快エロ坊主」でのオカマ役、題名の分からないホラー映画(?)でのセールスマン役(?)くらいしか観ていません。
JR両毛線・前橋駅には、午前8時過ぎに到着しました。ザンスさんは、バスの本数が少ないと書いてますが、初めて出向く街の広さと広がりは歩いて実感するのがよいかと思ってます。前橋は、以前に何度かお仕事で行ってますが、いつも車だったので街の中をあまり歩いたことがありません。
駅の北口正面が大規模な工事中のためにいきなり予定していない道を通ることになってしまいました。一時間ほどで敷島公園に着きました。薔薇の開花中なので、駐車場はもう満車寸前の様子でした。
萩原朔太郎は、1886(明治19)年に現在の前橋市千代田町で開業医の長男として生まれました。1917(大正6)年に第一詩集『月に吠える』刊行。1942(昭和17)年に55歳で亡くなっています。
敷島公園ばら園内に移築して復元保存されているのは、生家の「土蔵」「離れ座敷」「書斎」だけなので、全体からするとほんの一部だけです。土蔵が展示室になっていて、中に入れます。
前橋駅まで戻るときに生家跡に寄ってみました。そこから遠くないところに「国道50号起点」がありました。水戸までは、141キロです。

2011年6月3日金曜日

いずれもあやまちかきとばし


「いずれがあやめかかきつばた」の意味には諸説あるようですが、「アヤメ」「ハナショウブ」「カキツバタ」のいずれも「サクラ」や「バラ」ほどには、心をかき立てたりするものがないような気がするのは、なぜなのでしょう? もし「潮来」が関西のほうにあったら、そんな遠くまでアヤメやショウブの花見に絶対行かないと思います。「わび」とか「さび」とか「いき」とか、もろもろが分からないと楽しめないものなのですかね???
今日は、「堀切菖蒲園」へ行きました。まだ株の半分も咲いていません。見頃は来週くらいからかもしれません。
見物客は、ぼちぼちの数というところで、熱心に写真を撮っているのは、お爺さんばかりの感じでした。

2011年6月2日木曜日

JR「水戸線」に「水戸駅」なし!?


千波湖畔を五羽の雛を引き連れて移動中のコブハクチョウペアがおりました。このハクチョウたちの後方から遭遇したので、前方から写真を撮ろうとしたら追い越されるのが気に入らなかったのか、親鳥が先に湖に入り、ヒナたちも躊躇しながら順番に水に飛び込んでゆきました。まだ飛べるような羽根ではありませんが、浮かんで水かきを使いすいすい移動できるようでした。
ハクチョウは、道端に生えている雑草を特に選んでいる様子もなく食べてしまうので、意外な「益鳥」ということになるのかもしれません。どんな時に空を飛ぶ気になるのか分かりませんが、飛ぶ姿はめったに見ることができません。
先日、笠間を歩いたときに比べると移動が少ないのに時間だけ早くたってしまうのは、ハクチョウやコクチョウ見物に没頭してしまうせいなのでしょう(^^;)
水戸駅に戻ったのは、午後2時くらいでした。水戸線上り「小山」行きが、14:05発で出てしまい、次はなぁんと15:47発らしいので、マクドナルドで昼食にしました。水戸の駅ビル内には、3つ4つもマクドナルドがあるようで、そんなに需要がある地域なのでしょうか? 前に来た時には、大きな土産物屋があったのになくなっていました。
駅の近くでなにか見るべきものがないかと探して、、「義公(水戸黄門)生誕の地」へ行ってみました。二坪くらいの広さの神社になっていて、石碑や灯籠が倒壊して立入禁止のテープがぐるぐる巻きされていました。
これだけでは、まるで時間が潰れません(^^;) 時刻表を見直しているうちに「水戸線」は、水戸と小山ではなく実質的には、「友部」と小山間を走っているので、「常磐線」で友部駅まで行けば、乗り換えて小山方面に行く「水戸線」に乗れる!!のでした。こんなことは地元民はみんな知っているのでしょうけど誰も教えてくれませんでした。

2011年6月1日水曜日

白黒付けてるみずうみ



水戸・偕楽園は、GW手前まで完全閉鎖されていたようです。千波湖を見下ろせる高台となっている南側の崖が地震で崩れてしまってました。園内にある孟宗竹林で採れた竹で柵を作ってバリケード化されていました。まだ入れない部分もあります。
晋の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれている「好文亭」は、かなり地震で壊れてしまったようで「当分の間閉館」になっていました。
もう収穫できそうなくらいの大きさになった梅の実ができていました。梅以外の木々、、杉・桧などは、どれも「がんばろう日木!!」鉢巻きをしているのかと思いましたが、よく見ると「アース・カミキリホイホイ」が巻き付けられていました。初見です。そんな製品があるとは知りませんでした。
梅の花の季節ではないにしてもあまりに人が来ていません。それでも千波湖の周回コースは、ジョギングする人や犬の散歩をさせている地元の人がけっこういました。そんな人通りの激しい(?)ところのすぐ脇でコクチョウが卵を温めています。繁殖時期が決まっているわけではないのか、既にだいぶ大きくなったヒナ鳥や幼鳥もいます。
映画「桜田門外ノ変」オープンセットはまだ公開中でしたが、観光客が入っている様子はなさそうで、もしかすると運営スタッフのほうが多いのかもしれません。行き帰りで千波湖を一周歩いてしまいました。
千波湖にいるコブハクチョウは、昭和45年と47年に滋賀県彦根市からひとつがいづつ贈られたことが始まりで、コクチョウは昭和53年に山口県宇部市からひとつがい贈られたことから始まったそうです。今はどちらもかなりの数がいますが、みんな同胞ということなのでしょうか???