2009年10月31日土曜日

ばけかぼちゃ祭りはどこですか?

空中でホバリングしたまま花の蜜を吸うホシホウジャク(星蜂雀)は、蜂の一種かと思いましたが、蛾の仲間だそうです。まるで蜂のように飛び回ることには、どんなメリットがあるのでしょう???
今日はまず京成バラ園へと行きました。ここも年間パスポート(2000円)を購入したものの交通費がずいぶん高く感じられるので、まだ三回目です。都心部から西船橋駅までは、地下鉄東西線かJR総武線・武蔵野線・京葉線などに乗って来られますが、西船橋から八千代緑が丘駅までの東葉高速鉄道の料金が高すぎます。途中に「飯山満」という駅があります。「いいやまみつる」ではありません。
もうトンボもチョウもあまりいませんでしたが、動きが鈍くなってきているみたいなので、みつければ様々な角度から写真を撮れるだけの余裕がありました。ただバラの花には、ハチしか来ていません。
バラ園には、二時間ほどいてからJR亀戸駅まで引き返して、次は菊の花を見に亀戸天神へ寄りました。いくつか菊人形も展示されていました。
そして前回は傘を持っていなくて雨に降られた萩寺(龍願寺)へとまた行きました。句碑が見えないくらいに生長していた萩は根元近くから伐採されていて、まるっきりすっきりとした庭になっていました。
まだまだ優美さの欠片もないスカイツリーを見ながら曳舟駅まで歩きました。

2009年10月30日金曜日

長い坂の途中で

来月からレインボーブリッジの歩道部分は、「冬時間」となって朝10時から夕方6時までとなります。入場は、午後五時半までです。
いつも仕事帰りに寄るとすると午後6時くらいになってしまうので、もう来年4月までサヨナラ(^.^)/~~~です。そんなわけで昨夕は、今年度のトワイライト渡り納めをしてきました。昨年も同じ事を考えたのか、30日に行ってました。

神田の古本まつりも、これが始まると読書の秋と言うよりも、そろそろ冬になるんだなぁなんて感じがします。神保町の交差点から水道橋駅方面へ向かう白山通り沿いにある古本屋さんは、サブカルチャー系というのか、アダルト系というのか、写真集・コミック・DVDなどを扱っている店が目立つほどに増えていました。なぎら健壱著のお散歩本が、いわゆるゾッキ本となって店先に並んでいたので買おうかなと思いつつ通り過ぎてしまいました。
今年は、奥日光へ一度も紅葉を見に出かけませんでした。紅葉は、まだいろは坂を下っている最中でしょうか???

2009年10月29日木曜日

ちちんぷいぷいはひふへほ

は~三年越しで、ひ~ひ~歯が痛んでます。とっくの昔に神経を抜いて虫歯は削られて、銀か何かが詰められていましたが、その詰め物の一部が腐食して取れた頃から痛みがでるようになって、先月ついに全て外れてしまいました。その歯を舌先で触れると巨大な噴火口のように感じられます。
一昨年の暮れには、歯医者へと行きました。歯医者さんの治療の仕方にもいろいろあるのでしょうが、4~5回通って毎回三分とかからず終了、、何もしてもらえず「年内には終わらないので、次から別の歯から始めましょう」などと言われたので、もうそれきりその歯医者を見捨てました。
ふ~ふ~しても、へ~へ~しても痛いときは痛いものですが、なんとか我慢で月日が流れました。
昨日、素盞雄神社にあった「南千住まちあるきマップ」を見ていたら、、、「寄り道スポット1」として”山王清兵衛の祠”というのが載ってました。歯痛に耐えきれず大名行列からはずれてしまい、この地で切腹した武士が祀られているのだそうです。歯痛に悩む人が祈願し、効果があれば「錨咥えた婦人の絵馬」を奉納するようになったと書かれていました。猫ではなく「いかり」です!!どんな絵馬なのでしょう???
祠を覗きこんでみましたが、絵馬らしきものはひとつもありませんでした。祠自体は、ほぼ歩道を塞ぐようにありました。一升瓶のままお酒が供えられていました。
とりあえず賽銭箱に10円放り込んでおきました。
あ~ら不思議、霊験あらたかというのでしょうか、それから嘘のように歯の痛みを忘れました(^^)v
ほっ!!

2009年10月28日水曜日

千住といふ所にて船を見下ろす

北千住駅は、JR常磐線、つくばエクスプレス、東京メトロ日比谷線・千代田線、東武日光伊勢崎線などが交差する乗換駅ですが、あまり駅の外へは出たことがありません。今日は、駅の周辺を紹介する手作り風のポスターに載っていた「横山家住宅」を見にゆくことにしました。江戸時代後半(1855年)に建てられた家だそうです。
駅からは、歩いて数分のところにありました。今も住宅として使われているので、内部は公開されていません。玄関の柱には、刀傷が残っているそうですが、そこまではよく見ませんでした。
旧日光街道をもう少し下ると荒川放水路の土手に突き当たる手前には、1770年の創業だという「骨つぎ」の名倉医院があって、こちらの建物や蔵も江戸時代の名残という感じでした。門の奥に入ってみたいような庭が見えましたが、公開されているわけではありません。
日本中「駅前シャッター通り」が増えてしまっているようですが、北千住の旧日光街道沿いの商店街は活気があります。
千住大橋の近くには、芭蕉像がありますが好々爺顔していて、勝手な印象ですが、なんだか芭蕉らしくありません。もっと悪相が含まれるべきです(笑)
素盞雄神社に置いてあった千住周辺の地図を見たら、、、すぐ近くに千住製絨所(日本初の官営毛織物工場)だったところの煉瓦塀が残っているとのことでした。ところが、巨大なマンションの建設が始まったばかりで、煉瓦塀はだいぶ取り壊されてしまい、申し訳程度に残されているだけでした。煉瓦造りと言えば、富岡製糸場を見てみたいと思っているのですが、群馬県の富岡市まで、どのように行くのかまだ調べていません(^^;)
三ノ輪の浄閑寺に寄って、三ノ輪橋駅から帰ることにしたのですが、急に何故か草団子が食べたくなったので、西新井大師の参道にある団子屋さんへと迂回しました。

2009年10月27日火曜日

恋に焦がれて咲く花よりも艶な紅葉が身を焦がす

今日から始まった神田古本まつり(11月3日まで)へ行こうとしましたが、もう冠雪して白くなっている富士山もみえるような青空の朝でしたので、先に清澄庭園へ寄ることにしました。さらに先に「芭蕉参禅の寺」であるという臨川寺へ行きました。ここは、だいぶ前にも覗いていますが、「芭蕉由緒の碑」と「墨直しの碑」だけでなく芭蕉像もあるようなので見ておこうかと思いましたが、外には見あたりませんでした。住職らしき人がステテコ風体で白い高級車を洗車してましたが、訊くのも面倒に思い、また今度にしました。掲示写真は、ここで撮りましたが、花実の名称が分かりません。
清澄庭園では、わりと人に慣れているアオサギがいました。爺さんが、パンくずのようなものを与えていましたが、よく見るとそれを食べているわけではなくて、パンくずを食べに寄ってきた小魚を狙っているようでした。丸呑みにされた魚は、アオサギの胃の中で、どのくらい生きているのでしょう???
清澄白河駅から神保町駅へと地下鉄半蔵門線で移動しました。古書店街は、普段よりもやはり人が沢山来ていました。目録の他に青空掘り出し市で一冊だけ買って、白山通りを北上していたら『石に刻まれた芭蕉』という全国の句碑など3230基を写真に撮った本が目に付いたので買ってしまいました。新刊定価の半額以下の2000円でした。
ひたすら歩いて、白山の円乗寺にある八百屋お七の墓を見ておくことにしました。まだ午後一時を過ぎたくらいで、帰るには早すぎる気がしたので、久しぶりに小石川の東大植物園へ行くことにしました。「メンデルのブドウ」も「ニュートンのリンゴ」も元気にしてました。ここは、イロハモミジの紅葉がなかなか良いのですが、去年は良い時期に来られませんでした。今年は、あと一ヶ月くらい先あたりでしょうかね???
「東京大学総合研究博物館小石川分館」の展示物はけっこう好きなのですが、今日はお休みで入れませんでした。
午後3時過ぎに地下鉄丸ノ内線・茗荷谷駅で本日のお散歩終了となりました(^^)

2009年10月26日月曜日

かんだじょうすいみずばしよう

南こうせつとかぐや姫「神田川」が流行した頃の神田川はまだ硫化水素などぶくぶく状態だったのでしょうか???三畳一間の小さな部屋から見下ろせば、そこに清流ありとい情景ではないですよね、、、。
椿山荘の隣りの神田川沿いに「関口芭蕉庵」と称する個人所有の庭園が無料で公開されていますが、そこで芭蕉が俳句をひねっていたというわけではなさそうです。

一昨日は、あちこち歩き回る時間的余裕がなかったので、どこへ寄ろうかと手持ちの地図をながめていたらバラの花マークの付いた公園をみつけました。地下鉄丸ノ内線・本郷三丁目駅からすぐのところにある「本郷給水所公苑」というのが、それです。
行ってみると、、、水道局らしきフェンスに囲まれてしまっていて、バラの花が咲いていそうな公苑など見あたりませんでした。代わりに(?)「東京都水道歴史館」という入場無料の展示館があったので、入ってみることにしました。
2階の展示室は、主に徳川家康がつくらせた小石川上水(神田上水)など江戸時代の水道に関するものでした。この種の施設は、見に来そうもない人を来させてなんぼのもん!!というものでしょうから、金のかからない有名人を使うのが良いかと思うのですが、木っ端役人の知らぬ存ぜぬ所なのか、松尾芭蕉が4年間ほど神田上水の工事にかかわっていたことなど、一言も触れられていませんでした。
伊賀上野を本拠地とする忍者集団は、今なら人材派遣業者のようなもので、情報収集だけでなく、いろいろな技術を持った人を日本全国へ派遣していたのではないかと思います。芭蕉は、29歳の時に江戸へ来ますが、俳諧だけで食べてゆけなかったのか、34歳の時から神田上水関連の仕事をしています。現場監督のような仕事ではないかとされてます。「水方の官吏とせし」とする文献もあるので、公務員になったのかもしれません。このときの作業小屋でもあった可能性のある場所が、前述の関口芭蕉庵になります。芭蕉がそこに住んでいたかどうかは、文献上では分かっていません。4年ほどで工事完了し、芭蕉は職を辞して剃髪し、出家状態で深川へと移り住みます。

バラ園のある公苑は、水道施設の建物の上に存在していて、歩道橋みたいな階段をのぼって、たどりつけました。パンなどを撒いている爺さんがいて、沢山のハトやスズメが集まってきていました。神田上水の「石樋」というものが復元展示されてました。本郷一丁目から出土したものらしいので、芭蕉はかかわってないでしょうけど、、。
「横丁の風呂屋」まで関口芭蕉庵からすぐのようです。

2009年10月25日日曜日

ピジョンもビジョンもびしょ濡れさ

上野動物園には、白いカラスが一羽いますが、柵から檻までが遠くてよく見えません。それでも白いから目立っています。そのように存在が目立ってしまうことが、自然界では捕食されやすく捕食しにくいことになってしまうようです。白いライオンやトラは、獲物に忍び寄るなんてことができなくて困ってしまうのでしょうが、、、ハクチョウ、ツル、シロクマなどは、雪や氷に近い白色が助けになっているのかもしれません。
白いハトも手品師がハンカチの中から出すくらいで、どこの公園でも見かけるなんてことはなさそうです。靖国神社には、白鳩専用の鳩舎があったかもしれませんが、、、。鶴岡八幡宮の白いハトたちは、悪ガキに痛い目に遭わされたりしていないのか、近づくと急いで逃げるという風でもありませんでした。
最近は、ハトも含めて野鳥には餌をあげるな!!という風潮になってきているようですが、不忍池周辺なんかでは、こっそり餌をやるのが楽しみな老人とボランティアで餌やりを阻止しようとする老人とが果て無き抗争を繰り返していそうです(笑)

鎌倉の古本屋で季刊雑誌「銀花」(1993年夏・第94号)を買いました。お散歩ブームみたいなもので永井荷風が取り上げられるようになったのは、ここ数年くらいかと思っていましたが、この号は”「當世日和下駄」で歩く東京の道”という特集でした。都内11の散歩道が多くの写真と共に載っていました。その第一章は、高田宏が徒歩ではなく自転車で神田川沿いに杉並区の善福寺池から台東区の両国橋まで走るという紀行文になってました。二十余キロあるそうなので、分割して、いつか歩いてみたいと思っています。

2009年10月24日土曜日

ごらん、ここからだけ見えるんだ

鎌倉のあちこちで「トビに注意!!」の看板を見ました。「食べ物をねらって、後ろから飛びかかってきます。するどいツメで、けがをすることがあります。」と書いてありました。日光にいる猿のように厄介な存在になっているようです。鶴岡八幡宮でも鳩が驚いたように一斉に飛び立つときには、やはりトビが近くの上空を旋回していました。キツネと油揚げの取り合いをしているわけではなさそうです。
写真のトビが飛び立とうとしている建物は、加賀藩主・旧前田侯爵家の別邸だったもので、今は鎌倉文学館となっています。ここに来るまで全く知りませんでしたが、、、三島由紀夫は、ここで取材して、小説『春の雪』のなかに、松枝侯爵の別邸として登場させています。読み返してみると、フィクションを交えながらも情景が的確に描写されていて、見事と言うほかないです。裏山へと歩いてゆくと大仏が見えるポイントが一カ所だけあるように書かれていましたが、これは一般人には確認できそうにありません。
「招鶴洞」という名前のミニトンネルがありました。これだけは、前に見たことがあるような気がしましたが、、、写真かテレビで見ただけなのかもしれません。異界への入口には相応しい感じがしました。
バラ園は、花盛りでした。文学館の展示は特別展「鎌倉からの手紙 鎌倉への手紙」が12月13日までです。
小学生の時には、コンクリート製だと思い込んで疑いもしなかった大仏を見てから帰ることにしました。鎌倉駅までは、バスで戻ったら一時間に1本しかない宇都宮行きの湘南新宿ラインが3分前に出てしまったばかりなので、遅くなった昼食を食べて、古本屋さんを覗いたりして時間潰ししました。

2009年10月23日金曜日

昔を今にしずやしず

ことことこっとんファミレドシドレミファ~♪と、古都・鎌倉へと行きました。前回、鎌倉へ行ったのはいつだったのかも思い出せないくらいに久しぶりのことです。JR横須賀線経由で午前11時くらいに鎌倉駅へと到着しました。
ほとんど下調べもしていないので、どっちへ歩けばよいのか分かりませんが、とりあえずは鶴岡八幡宮がありそうな方へと向かうことにしました。駅前の花屋さんでは、カラスウリの実がひとつ50円で売っていました。おっしゃれ~なお店が続く参道のような道も以前に通ったという記憶がありません。忘れているだけで既に行ったことのあるつもりでいましたが、どうやら鶴岡八幡宮の参拝は初めてのことのようです。
お祭りの日でもないのに、こんなにいっぱい人が集まってきている神社は、そう多くはないのではないかと思えました。
境内の真ん中あたりにある「舞殿」は、静御前が舞ったところだそうですが、ここではちょうど結婚式が始まるところでした。よく見ると新郎は、スペイン語あたりが似合いそうな顔立ちの外人さんです。ほんのちょっとでしたが、巫女さんの神楽舞も見ることができました。
正面の道をずっと真っ直ぐに歩いてゆくと海が見えてきました。由比ヶ浜です。滑川が海へと流れ込んでいるあたりは、なんとなく憶えていました。小学4年生のときに、ここへ海水浴に連れてきてもらったことがありました。その時に泊まった民宿の名前などは、まるで記憶の外ですが、、、海岸沿いの道路は拡張されたのか、昔よりもずっと幅広くなった気がしました。
貝殻を一つ拾いました。サーフボードを持って海の中にいる人は多いのですが、波が気に入らないのか、みんな波と一緒に上下しているだけで、波乗りしているのは一人くらいなものでした。
思わず砂浜で遊んでしまいましたが、少し引き返して、鎌倉文学館へと向かいました。

2009年10月22日木曜日

秋のぐるぐるぐる!!

”ぐるっとお得にミュージアムめぐり”という「ぐるっとパス2009」の一冊目は、7月31日に使用開始したので、9月30日までが有効期限でした。全66施設で使用可能な美術館、博物館などの入場券と割引券が、2000円で購入できるのですが、、、もし1日1施設を利用したとしたら66日かかるので、毎日暇な人でもない限り全部使い切るというのは、難しそうです。
2ヶ月間の間に使用したのは、18施設(僅か3割に満たずの27%分)で、通常の入場料では11130円相当でした。世田谷・新宿・池袋エリアと多摩エリアの分は、1枚も使用しませんでした(^^;)
そして既に2冊目を購入してあるのですが、年末年始はどこもお休みということを考慮すると、使い始めるのは来週早々がよいのかもしれません。券を使わないと損するような感じがしますが、実際には交通費がいっぱい必要になってくるので、遠くの美術館にある自分には興味のないものを見に出かける方が、大損になってしまうということもあります。
サンスクリット語で「グル(guru)」は、「先生」とか「尊師」という意味らしいです。梵語というやつでしょうから、そのいくつかは日本語に紛れ込んでいるかもしれません。悪事を共謀する関係を「ぐるになる」と言いますが、こちらは「同じ輪」とか「包み」を意味する「ぐるぐる」が語源ではないかという説があるようです。グループでぐるぐる歩き回る老人達には、そうする利点や楽しみがあるのでしょうけど、なかには「愚輪」と書くのが似合いそうなグループに遭遇したりします。そこで詠みたる一句……

   グワシっと師走になるはまことかな

2009年10月21日水曜日

秋にぺこぺこぺこ!!

食欲の秋とも言いますが、冬の寒さに備えて脂肪を蓄積するというのは、自然の摂理というものなのでしょうか? 安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て』は読んでいませんが、、、。「腹ぺこ」あるいは「お腹ぺこぺこ」の他に「ぺこぺこ」するものは、あまり思い浮かびません。「ぺこ」は「凹(へこ)む」あたりが語源でしょうか???
偉い人に「ぺこぺこ」するとか、「ぺこぺこ」頭を下げる場合の「ぺこぺこ」と、お腹「ぺこぺこ」とは、なんとなく別物の「ぺこぺこ」のような感じがしますが、本当のところはどうなのでしょう??? 分からないことばかりで、凹みそうです(笑)
反対語は、「ぽこぽこ」ですかね??? お腹が「ぽこっと出る」ことを「お腹ぽこぽこ」とは言わないかもしれませんね。ニッポンゴペコポコムズカシイアルヨ!!
不二家さんでもポコちゃんは、影が薄い存在になってそうですね。店先に立っているペコちゃんの服が、どんどん安物風になってゆくのが、とても気になります。今は、つなぎふうのジーンズに黄色いTシャツだったかもしれません。
亀は、そろそろ何も食べなくなる時期です。冬眠前にいっぱい食べておくということでもないように見えますし、これから桜の花が散るくらいまで、よく何も食べずにいられるものです。ちゃんと冬眠していないのもいて、2月くらいの寒い時にうろうろしたりして大丈夫なのでしょうか???
「ぺこぽこ」する代表は、亀の頭ですね、、、そして、「ちんぽこ」は、あっても「ちんぺこ」はなさそうです(笑)
食べるべきか、食べざるべきか、、、池の亀が「要はバランス」と言ってそうでした(^^)

2009年10月20日火曜日

秋はくらくらくら!!

蔵の街・栃木市へと行きました。今日も出遅れて、お昼に近い時間になって栃木駅へと到着し、足利方面へと向かう電車の乗り換えで30分ほど待ち時間があったので、駅前のマクドナルドに入ろうとしたら、、、空しく「テナント募集中」の貼り紙状態になってました。
ありゃりゃんこりゃりゃんと空腹夢遊歩行で街の中心方向へと向かい、以前来た時に休みだった「あだち好古館」へ入ってみることにしました。入館料は400円です。蔵の中にいろいろと展示されています。
パンフレットの趣旨書きでは、”江戸時代末期より呉服類を手広く商う卸問屋に生まれた初代安達幸七が主に蒐集した浮世絵類、書画、彫刻、古美術品、仏像等を中心とし、なつかしい古民具類等、蔵に眠っていたものを展示公開したものです。”となってました。なんだか「初代」の前に卸問屋を始めたプレ初代もいそうで、書き方がちょっと変ですが、、、ともかく商売で儲けた金で、いろいろガラクタを買い込んだということのようです。
江戸時代に刷られた「東海道五十三次」が揃って飾られていました。黒い布で仕切られ、照明も消されていましたが、三畳くらい(?)の広さの所で「春画」が展示されているようでした。こちらは、別料金300円(夫婦500円)との貼り紙がしてあるので、見ませんでした。もしかすると個人蔵ならではの凄いものがあったのかもしれませんが(笑)
庭には、制作年代が分かりませんが、芭蕉句碑があって「すずしさは指図に見ゆるすまいかな」と彫られています。
一時間遅い電車で、JR両毛線・富田駅へと移動して、「あしかがフラワーパーク」へと行きました。今月になって2回目です。電飾の準備がだいぶ出来上がってきたみたいでした。こちらは、バラの香りで、くらくらくら!!

2009年10月19日月曜日

秋もばらばらばら!!

あちこちで秋のバラが見頃となっています。まだ行ったことのない鎌倉文学館も気になっていますが、月曜日なのでお休みです。なので、旧古河庭園へと行きました。「秋のバラフェスティバル」は、11月1日までです。
ここにある洋館は、鹿鳴館やニコライ堂などの建設にかかわった英国人ジョサイア・コンドルの設計によるものです。内部の見学は、原則的には事前に往復ハガキで申し込まなければなりません。今日は、通常1日3回ある事前申し込みによるものとは別に追加の見学ツアーがあったので、その11時からの分に参加しました。先着30名とのことでしたが、50人以上いたと思います。
古河財閥の3代目当主が親子3人で9年間ほど住んでいたそうです。一万坪の敷地にある屋敷と庭の規模からして、使用人は30人くらいいたのではないかと説明していました。つまりは、足尾銅山丸儲けの館ということのようです。
外からは、バルコニーがあるように見えますが、軽い傾斜の屋根が付いていて、バルコニーとしての利用はできない風でした。2階は、ほとんど和室なのに廊下やホールからは、和室になっているとは分からないようなつくりになっていました。
この見学ツアーには、庭園の入場料とは別にさらに525円徴収されます。庭は、東京都が管理していますが、洋館と茶室は別管理になっているためのようです。営業時間は限られているみたいでしたが、豪華食堂でお茶を飲めるとのことなので、内部の雰囲気を知るだけなら喫茶だけの利用もよいかもしれません。
バラは、けっこう咲いているように思えましたが、ホームページでは昨日の時点で「三分咲き」となっていました。

2009年10月18日日曜日

夢枕立つより金を持ってこい

金売り吉次の墓に着いたときにはもう午後1時半になってました。墓は畑の中ではなく水田の中でしたが、稲はすでに刈り取られていました。すぐ横に最近になって出来たようなセブンイレブンがあったので、おにぎりでも買おうと思ったら売り切れ同然でしたので、菓子パンを買って、少し先に見える一里塚の上で座って食べることにしました。日本橋から二十四里目(96Km)で、江戸時代の古文書では松の木が植えられていたそうですが、今はどう見ても松ではないようでした。
午前8時頃に間々田を出発した芭蕉と曾良は、どこで昼食にしたのでしょう???
嵐山光三郎『芭蕉紀行』(新潮文庫)では、、、”吉次の墓から二キロほど街道を北上した下赤塚の畑に低い古墳を見つけた。”とあるので、いつの間にやら細切れ奥の細道散歩が、読んだこともない義経記散歩へと変容してゆくのでした。
二キロほど歩いても古墳らしきものは見えてきませんでした。嵐山は、まるで歩いて見つけたかのように書いていますが、タクシーの車窓から偶然見えた古墳へ寄っただけのことでしょうから、古墳は進行方向の左側にあるはずで、歩いて見つからないわけがありません。
吉次の墓からは、歩いて一時間ちょっとかかり、たぶん四キロ以上はありました。タクシーならば5分とかからない距離なので、後から地図で確認もせずに「二キロほど」と書いたのかもしれません。
曾良が吉次の墓のことを書かなかったら江戸時代のうちにもう畑の中の邪魔な石になっていたと考えられますが、、、こちらの古墳は、源九郎判官義経の冠を埋めたというような伝説があるようです。ところで、吉次の墓はさらに北へと行った樅山駅の近くにもあるとのことです。
墳丘は全長61メートルほどある前方後円墳で、高いところは5メートル以上あるので、上に登るのはちょっと大変でした。遠くに日光連山が見えて、爽やかな風が吹いていました。周りは全て田んぼで、古墳までは細い畦があるだけでした。アザミの花が咲いていました。多くの小さなバッタが跳ね回っていました。
曾良は、古墳のことなど書いていないので、ここで芭蕉も一休みしたかどうかは分かりませんが、なんとなく気付きもせずに通り過ぎたのではないかと思えました。当時は、教育委員会の説明看板などなかったでしょうしね(笑)
さてと判官塚古墳からは、少し引き返して思川を渡り東武日光線の東武金崎駅から帰ることにしましたが、駅に着いたら次の上り電車は50分も先でした、、。

2009年10月17日土曜日

歌枕訪ねゆかば夢枕

昨日は、細切れ奥の細道散歩で、東武宇都宮線・野州大塚駅を午前11時20分出発でした。まずは室の八嶋・大神神社へ行きました。何回か来ていますが、これまでバショウが植えられていたことにはまるで気付きませんでした。たぶん前回来たときには無かったわけではなく見ていながら見えていなかったのだと思います。
ここには明治2年に建てられた芭蕉句碑があって、この地で詠まれた「糸遊に結びつきたるけぶりかな」が刻まれています。
『奥の細道』の某解説書に芭蕉と曾良は、わざわざ遠回りをして歌枕となっている室の八嶋へ寄ったと書いてあったので、そんなものかと思っていましたが、間々田から現在の国道4号線(日光街道)をまっすぐゆくと日光を通らずに那須・白河方面へと行ってしまうので、やはり小山市のあたりで左へ曲がって、鹿沼市の方へと向かうのが良いようです。それならば室の八嶋は少しも遠回りではありません。
今回のメインは、室の八嶋ではなく「金売り吉次の墓」を見に行くことです。金売り吉次、、、一体何者なのか少しも聞いたことのない名前でしたが、何年か前のNHK大河ドラマ「義経」のときに市川左團次が演じていたらしいのです。が、そんな人物が登場していたことなどまるで記憶にありません。
曾良の『随行日記』では、、、「壬生ヨリ楡木ヘ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。」と書かれています。まぁ、それよりもこの度は、嵐山光三郎『芭蕉紀行』(新潮文庫)を読んで探してみる気になったというわけです。
”金売り吉次の墓を捜すのは骨がおれた。曾良の『旅日記』どおり、壬生町より日光街道を二キロほど北上した畑の中にあり、うろうろしたあげく通りかかった地元消防団の人に聞いてやっと捜しあてた。”と書いていますが、嵐山光三郎の「歩く」とは実際に現地に行くという意味のようで、車が通れるところならば、いつもタクシーを使っていたのではないかと思えます。このときも、おおよその見当を付けたところまでタクシーで行って、車を待たせたまま捜したのでしょうね。新潮文庫版に載っているイラストマップを見ると、所在地がどの辺りなのか余計に騙されますので、ご注意を!!(笑)

2009年10月16日金曜日

咲き終へし薔薇のごとくに……

深大寺への参道入口には、「鬼太郎茶屋」という店があって、一反もめんタオル(1260円)とか、お店一軒成り立つほどのキャラクターグッズが存在してました。妖怪甘味では、目玉おやじの栗ぜんざい、一反もめんの茶屋サンデー、妖怪抹茶セット、砂かけ寒天などなど美味しそうなものが並んでました。この茶屋、なぜか本拠地は、鳥取のようです。
少し歩くと「水車館」という水車小屋を復元した施設がありました。鰻の寝床状の建物に民具などが展示してあって、以前にほとんど同じようなものを見た気がするのですが、いつどこだったかまるで思い出せませんでした。
しばらく野川沿いの遊歩道を歩きました。川の水はきれいそうで、白鷺はところどころに、鴨はあちこちに沢山いました。
もうずっと昔に名称通りの役目は終わっているのかもしれませんが、国立天文台を見学することにしました。既に有形文化財になっている二つの観測ドーム内に入ることができました。写真は、太陽の黒点観測に使われていた口径20センチの屈折望遠鏡が入っているドームです。その裏手に古墳があるようなのですが、非公開で立入禁止とされてました。
日も暮れかかってきましたが、交通費のかかる地域なので、欲張ってもう一カ所寄ることにしました。
新撰組組長・近藤勇生家跡というのがありました。その前の道をひたすらまっすぐ歩くと府中市に入って、多磨霊園があります。到着したのが午後5時10分頃で、だいぶ暗くなっていました。10月からは、5時半に閉門とのことなので、大急ぎの墓参(?)です。第10区画にある平岡家の墓、、、つまり三島由紀夫が永眠しているところを探しました。不思議なことに全く無駄な通路を歩くことなく見つかりました。とてもシンプルなお墓でした。墓標を見ると瑤子夫人だけが戒名でないのが、なぜなのかと気になりました。
午後5時40分、多磨駅にてお散歩終了でした。

2009年10月15日木曜日

神代から深く大きくじんじんじん

だいぶ前から、初めて行ってみるのに何かよいきっかけはないかと思っていた調布市にある都立神代植物公園でしたが、バラが見頃とのことなので、ついに出かけてきました。
普通は、吉祥寺駅前などからバスに乗って行くのでしょうが、三鷹駅から歩いたら一時間以上かかってしまいました。しかも入口がどのあたりになるのか、とても分かりにくい感じでした。
バスを利用するならば、吉祥寺駅か三鷹駅の南口から小田急バスの「調布行」か「深大寺行」に乗って、「神代植物公園前」で下車すればよいようです。
バス停のある武蔵境通りに正門があるようですが、もうひとつの入口である「深大寺門」側から入りました。入場料は、500円です。チラシに載っている数値に依ると、、、4800種類、10万株の植物が476637平方メートルの敷地内(約半分が有料区域)にあるようです。
小さなバラ園かと思っていたら、かなり広いものでした。平日でも人がいっぱいです。公園そのものも広大なので、今日はバラ園と温室くらいしか見ていません。深大寺門から入ってすぐの雑木林は、とっても気持ちの良い感じがしました。離れた場所に水生植物園もあるのですが、こちらも行ってません。
隣には、深大寺があります。隣り合わせなのに「じんだい」が「神代」と「深大」とで表記がまるで違うのには、何か甚大な理由でもあるのでしょうか??? 所在地の住所は、「調布市深大寺元町」になってます。
深大寺と言えば、どんなお寺なのか知らなくても、とにかく「お蕎麦」です。あまりご当地名物を食べたりはしないのですが、近くにコンビニもマクドナルドもなさそうなので、900円也の山菜そばを頼んでみたのですが、、、入ったお店がハズレだったみたいで、駅の立ち食いそばにも負けそうな味でした。

2009年10月14日水曜日

彼方の灯りは何する人ぞ

昨夕は、今月になってやっと2回目の虹橋歩行でした。
暗くなってからもレインボーブリッジを歩けるのは今月いっぱいで、11月から3月までは午後4時くらいには閉め出されてしまいます。4月~10月は、朝の9時から夜9時までですが、「冬時間」になると朝も10時くらいからだったと思います。
遊歩道は、東京タワーや晴海埠頭などが見えるノース(北)ルートとお台場のフジテレビなどが見えるサウス(南)ルートに分かれていて、お台場側の入口に近いところにしか北ルートと南ルートとを行き来できる通路がないので、両側の景色を楽しむには往復することになります。
まだ往復したことはありませんし、なぜかいつもノースルートばかり歩いていてしまいます。
午後6時くらいから歩き出して、あちこちで写真などを撮りながらゆっくりと渡ると、、、7時ちょうどに芝浦ふ頭入口バス停を通過する浜松町行きのバスに乗ることができます。バス停の付近は、高速道路の下で雨風を防げるせいか以前は何人か寝泊まりしていましたが、今年の春くらいからみかけなくなりました。なんとなくオリンピック招致の視察時期と一致しているような気がしてます。
いつもだらだら歩きなので、カロリー・エネルギーの消費には、あまり効果がなさそうです(^^;)

2009年10月13日火曜日

瓜売りが瓜売りにきたためしなし

今はどこを歩いてもキンモクセイの香りがしてますね(^^)
去年の秋に川原などから採ってきたカラスウリの実を植木鉢などにのせておいたりしたのですが、、、ひとつも芽が出なかったのか、にょきにょきとカラスウリがベランダを占拠繁殖してしまうなんてことにはなりませんでした。
オレンジ色というのか「唐朱」色のときは、ずっしりと重みのある実ですが、色褪せて乾燥してくると冬の北風に飛ばされて、どこかへ消えてしまいそうに軽くなります。
夏の夜に咲くカラスウリの花に鼻を近づけて香りを確かめたことはありませんが、人間には分からなくても、どれか特定の昆虫を誘う匂いがあるのかもしれませんね。キンモクセイは、人までも引き寄せてしまいますが、、。
昨日乗った板倉町の無料町内巡回バスでは、運転手が次に停まるところの解説をしていました。雷電神社は、「龍の彫り物」が「一見の価値アリ」と言っていました。「龍の彫り物なんてあったかなぁ?」と、そのとき思ってしまいましたが、撮ってきた写真を見たら確かに社殿の西側の彫り物に龍がいました。左甚五郎第十代彫物師・石原常八の作品で天保6年(1835)に造営されたようです。
何度か社殿を見ていてもちっとも龍が見えていなかったように芽の出たカラスウリを雑草として引き抜いてしまったのかもしれないと思う秋の夜更けでございます。

2009年10月12日月曜日

秋の日の何気ない日溜まりに揺れる秋桜


群馬県板倉町で今月10日から25日まで開催されている「コスモスまつり」に行きました。32ヘクタールのコスモス畑に4000万本が咲くとのことです。レンタサイクル、熱気球遊覧、農産物直売、模擬店などのイベントは、土・日・祝日のみの実施となっています。
なんとなく昨年よりもコスモス畑が狭くなったような気もしたのですが、、、確かなところは分かりません。台風の影響もあって、倒れたり咲き具合は今ひとつのようです。
熱気球は、ほんの20メートルくらい上昇するだけなのですが、午前中は「風のため休止しています」という張り紙がでていて、気球は萎んだまま地面に横たわっていました。そんなに影響するような風が吹いているようには思えませんでした。一昨日と昨日も熱気球は中止だったようです。ヘリコプターの遊覧も行われていないようでした。
むしろ風が強くなった感じのしてきた午後1時過ぎから、気球に乗れるようになりましたが、行列に並ぶのが面倒な気分になってしまいました。料金は、大人1000円です。
コスモスの摘み取りは、無料で自由です。蕾のものだけ選んでいる人もいました。切り花にすると何日くらい持つのでしょう???
行くときは、東武日光線の板倉東洋大前駅から歩きました。駅前の通りは、道路よりも歩道の方がはるかに幅広いのですが、ほとんど人通りはありません。先に雷電神社へと寄りました。
帰りは、無料(寄付制)のバスに乗りました。駅まで歩いても1時間ちょっとくらいのところを、なぜバスが45分もかかるのかと思っていたら、町営の農産物販売所で20分間の「買い物して行けよ!!」ストップタイムがありました。220円のギンナンを一袋買いました。生産者名がカタカナで外国人名でした。
もしかすると来週くらいのほうがコスモスの見頃かもしれません(^^)

2009年10月11日日曜日

松しける生垣つゞき花かおる菅野

午前10時半過ぎにJR本八幡駅へと到着でした。着くまでは、「もとはちまん」と読むものだと疑いもしないでいましたが、、、「もとやわた」でした(^^;)
今日は、永井荷風終焉の地を歩いてみることにしました。京成八幡駅からならば、徒歩1分で着いてしまう近さのところです。コンビニの手前を右に入って、2軒目くらいの路地の先に、それらしき家がみつかりました。今もご養子の永井永光氏が住んでおられるそうです。
東京大空襲で偏奇館が消失し、知人を頼って明石、岡山、熱海などを転々としたのち、昭和21年から亡くなる昭和34年4月までの14年間を千葉県市川市で暮らしています。市川では四度居を変えました。
ちょうど同じ頃に、60代後半くらいに見える爺さん二人組が、荷風の家と勘違いしているのか、別の家を写真に撮って、そのまま駅前にある大黒屋という荷風連日御用達の飲食店へと入ってゆきました。
このお店のショーウィンドーには、荷風の写真などが飾られています。カツ丼に上新香、味噌汁に菊正一合のお銚子1本の荷風先生セットは、1260円(税込)となってました。
葛飾八幡宮へと行ってみました。もう七五三のお参りが始まっているようで、着飾った家族連れが何組も来ていました。神楽殿に大きな絵馬が飾られていました。江戸名所図会にも載っているという天然記念物・千本公孫樹もあります。
隣の菅野駅まで京成電車沿いの道を歩きました。松の木がたくさんあるものの殺伐とした空き地が多いと思っていたら、、、「外かん」道の建設予定地でした。菅野3丁目17の区域は、まるっきり新興住宅地そのもので、荷風が市川へ来て最初に住んだ借家のあった場所は、もう特定することなどできそうにありませんでした。
菅野駅から堀切菖蒲園駅へと移動しました。京成八幡駅前の古本屋で何も買わなかったことが祟ったのか、青木書店でも欲しい本と買える本が一致しませんでした。
堀切菖蒲園で、亀と鴨と蜻蛉の写真を撮って、午後3時半過ぎに東武線・牛田駅にて、本日のお散歩終了でした。

2009年10月10日土曜日

つゆしらずのあとさき

写真では見えにくくなっていますが、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「脚」だけが、墓標のように列なっています。2012年開通予定箇所のようです。ダムではないので、予定通りに建設されるのでしょうか???
夕方に富士山のシルエットが見えるようになると、なんとなく「冬」の気配がしてきます。夏場だと水蒸気が多いせいなのか、めったに見えません。いつも雪を被った白い富士山しか目につかないので、白くない時は余計に目立たないのかもしれませんが、、、。

昨日、『荷風さんの戦後』半藤一利・著(ちくま文庫)を読んだのですが、、、荷風は昭和24年頃から晩年まで、浅草ロック座の楽屋などに入り浸りだったようです。劇場向けのB級エロ脚本もいくつか書いていたのでした。後に映画化された時には、田中絹代、森繁久彌、淡路恵子、高峰秀子という豪華キャスティングに化けるところが凄いです。かつては、ロック座で芝居も見られたわけですね。
と、なると……、車屋美術館で見た荷風の写真に写っていた二人の女性が誰だったのか、気になってきてしまいます。「日乗」に名前が出てくるストリッパーも何人かいたようですし、、、。来月になると展示写真を一部入れ替えるようなので、荷風が残っているかどうか分かりませんが、またちゃんと説明書きを読みに出向きましょうかね(^^;)

2009年10月9日金曜日

まつおばななでじゃがまいたほいっ

蔵が小山市立車屋美術館となっている国登録有形文化財・小川家住宅の主屋は、なぜか内部の写真撮影が「禁止」となっていました。このような歴史的建造物が撮影禁止になっているのは珍しい(?)のではないかと思えます。他には、飛鳥山にある渋沢栄一の「晩香廬」と「青淵文庫」くらいかもしれません。東京都庭園美術館の旧朝香の宮邸ですら建物自体の公開期間には撮影できますし、、。
庭ではまだ蝉の声がしてました。これが今年聞く最後の蝉の声になるのではないかという気がしました。建物と比べると庭は凝ったつくりにはなっていない感じです。説明おばちゃんは、紅葉が綺麗だと言ってはいましたけど。
車屋美術館からは、だいぶ歩かなければなりませんが、間々田八幡宮まで行ってみることにしました。市へと貸し出しているらしい公園部分を含めると2万坪の敷地だそうです。由緒書きによると、、、10世紀頃には飯田(まんまだ)の里と呼ばれていたが「日光・江戸の中間なるをもってままだと改称した」となっていました。間違い箇所に「ママ」とルビふる元祖ではなさそうです。「頼朝手植の松」は、明治38年に枯れてしまい今は三代目の松の木のようです。屋根のついた相撲土俵がありました。ここのお祭りは「蛇祭り」と言って、5月5日の子供の日に大声で「じゃがまいた、じゃがまいた」と蛇の模型を担ぎ歩く、なかなかの奇祭らしいです。
嘉永年間建立の芭蕉句碑があるということなので、石碑をひとつひとつ確認したのですが、見つかりませんでした。池のアヒルも「アホ楽苦!!」と言いたげでした。そんなバナナとバショウは、どう違う?(笑)
『おくのほそ道』などに含まれるフィクション部分を読み解いてゆくと、、、芭蕉は、自ら書いているほど老い枯れていなくて、すこぶる元気、体力気力精力旺盛な山師的な人柄ではなかったのかと思えてきます。きっと栄養いっぱいなバナナを鱈腹食ってたのかもしれません。あるいは、それと知らずに朝バナナダイエットの元祖親爺だったのでは???(^^;)
間々田駅へと戻る途中で市立博物館にも寄ってみようと思ったのですが案内掲示が不十分で、あちこち遠回りしてしまい、なかなか見つかりませんでした。奈良時代に寺院の瓦をつくっていた窯跡(4基)という史跡がありました。その先、どこまでも続いていそうな水田の向こうに日光連山が見えていて、台風が引き連れてきた雲がかかって、なにやら壮大な景色でした。やっとでてきた博物館は、前を素通りです。もうそのあたりは、駅への入口を通り越してしまっていたようなので、もうひとつの八幡様(乙女八幡宮)へ寄りました。こちらにも屋根はありませんが、土俵ができていました。
駅へ着くとすぐ3分ほどの遅れまでに運行ダイヤが回復した上り電車にちょうど乗れました。

2009年10月8日木曜日

どもどもけんけんけんけんぱっ!!

風は強いものの予報よりも早く青空が広がってきたので、午後からと思っていましたが午前中のうちに出かけられるような天気となりました。
テレビの情報で、JRの湘南新宿ラインは運行していないと分かっていましたが、駅まで行ったら宇都宮線まで「運行見合わせ」となっていました。本日のお散歩場所は、前々から間々田(栃木県小山市)と決めていました。
だいぶ遅れがでているけど東武日光線は運行しているので、とりあえず新古河駅まで行って、雀神社などあちこち散策しながらゆっくりとJR古河駅まで歩くことにしました。昼食も済ませて午後1時頃に駅へ行ったら、下りの宇都宮方面の電車は、10時45分発の分がまだ到着していませんでした。でも大幅に遅れて運行されてはいました。
間々田は、『曾良奥の細道随行日記』で、「廿八日 マゝダニ泊ル。カスカベヨリ九里。前夜ヨリ雨降ル。辰上尅止ニ依テ宿出。間モナク降ル。午ノ下尅、止。此日、栗橋ノ関所通ル。手形モ断モ不入。」となっている所です。東京からは約70キロほど離れています。芭蕉と曾良は二日間でそれだけ歩いてしまったのですね。
小山市立車屋美術館で今月3日から11月23日までの「土門拳が撮った昭和 風貌」展を見に風に飛ばされそうになりながら出てきたわけです(^^)
観覧料は、ちょっと高いんじゃないの!?の500円でした。60点ほどの写真は、説明書きを読まなければ数分で見終わってしまいます。まぁ、永井荷風が女性二人に挟まれて鼻の下を長くしているところの写真と三島由紀夫の頬杖ついた写真が見られたので、それでヨシ!!です。
「車屋美術館」というのは変わった名前ですが、、、屋号が車屋という肥料問屋・小川商店の米蔵を美術館としたようです。国登録有形文化財となっている明治時代末期に建てられた二階建ての主屋は、美術館と別料金(100円)で、中に入って見ることができます。
所在地の地名は「乙女(おとめ)」と、これまたどんな由緒があるのでしょう???

2009年10月7日水曜日

「寝媚びる」という言葉はありません

地下鉄を後楽園駅で降りて、雨が降る地上へとでると、いったいぜんたいどの辺りなのか謎で、、、ねこびるときねこびればねこびれ……と呪文のように呟きながら文京区の代表的ハコモノでおおよその位置関係を把握したしたつもりで歩き始めましたが、今日の目的地である「六角坂は上餌差町より伝通院の裏門の前に出る坂なり、古くより高家六角氏の屋敷の前なる坂故にかくいえり」(『改撰江戸志』)という六角坂ではなく、いつのまにか菊坂を登っていて、「一葉ゆかりの伊勢屋質店」が見えたところで、まったくの方角違いを歩いていることが確定しました(^^;)
しばらく彷徨うと、、、こんにゃくえんま・源覚寺の前にでました。鎌倉時代の作だという閻魔王坐像を拝見できます。右眼が黄色く濁っているのは閻魔王が老婆に右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして、こんにゃくを供え続けたという言い伝えが説明書きされていました。今日も山盛りに蒟蒻が供えられてました。
うまく通り抜けられる道がなく、遠回りして源覚寺の裏手へまわりこみ、やっと六角坂下へと到着しましたが、道路を掘り返すような工事中でした。
ここには、立花隆さんの仕事場で通称「猫ビル」があります。やっとほら、ねこびれたくたびれたというところでございます。
六角坂をそのまま上がってゆくと伝通院のほうへは行けないようなので、引き返しました。善光寺坂をのぼって、澤蔵司稲荷・慈眼院には掲示写真の猫様が鎮座しておられました。

  一しぐれ礫や降りて小石川  (芭蕉)

雨が強くなってきました。明日は、台風、、、礫(つぶて)乱舞の空模様です。

2009年10月6日火曜日

「孤悲」と書きたい恋もある?!

ヒット曲なのに歌詞が難解(?)なものの代表は、一青窈の「ハナミズキ」あたりかもしれません。多様な解釈ができることが多くの人に受け入れられる一要素なのでしょうか?
「渡良瀬川橋」歌詞内容の場合は、、、なんだか封建的家長制度みたいなものが見え隠れしているような感じがします。床屋と公衆電話のある交差点から方角を逆にして、八雲神社と織姫神社とは同じくらいの距離にありそうです。前者は「牛頭天皇」という疫病の神、後者は機織りを司る神を祀っています。恋の成就を祈るなら機織りよりも「縁結び」を前に出している織姫神社のほうがふさわしそうですが、3文字と4文字との違いなどの言葉の響きというものが関係しているのでしょうかね???
なんらかの理由で他の地域へ嫁に行けない女と東京辺りに暮らしていて、足利なんてところに住む気のない男は、16年ほど過ぎた今は、どんな生活をしていることでしょう(^.^)/~~~

早雲美術館からは、大急ぎでJR足利駅に移動しましたが、1時間に1~2本しか走っていない両毛線は出てしまったばかりなので、駅前でゆっくりと饂飩を食べて、次の電車で隣り駅の富田から足利フラワーパークへ行きました。ここは藤のシーズンが終わりかけた頃に年間パスポートみたいなものを購入してしまったので、月に1回くらいは出向いています。今は、紫色のモールのような花をつけるセージを中心に構成されていました。
ここでもあまり見かけない蝶の写真が撮れたのですが、掲示写真は向島百花園にての撮影です。

2009年10月5日月曜日

渡良瀬橋でまだ見ぬ夕日

きのうの続きになります。
八雲神社の裏手は、小高い丘のようになっていました。登って行くと、、、「足利公園第1号墳」という大きな説明看板があって、その少し上に横穴式の石室がありました。石室の入口にはステンレス製の扉が付いていましたが鍵が掛けられてなく中に入ることができました。明治19年の発掘調査で1体分の人骨や勾玉etc.が出土しているそうです。
なんだか果てしなく広そうな公園だと思っていたら、、、古墳群となっていて、なんと10基の古墳があるようでした。日曜日なのに誰もいなくて静かな公園となってました。
古墳を見る度に思うのですが、豪族とかの地域支配者の墓などと言われながらも、どの古墳も誰の墓なのか分かっていなくて、墓を守る子孫もいないというか、そこには必ず「断絶」があるということが不思議です。なんの根拠もなく思いつきで書いているだけですが、古墳が造られなくなった時代と何か決定的に違うものが存在するような気がしてしまいます。
坂道を下ってきたら「田崎早雲旧宅・早雲美術館」という案内板があったので、そちらに行ってみることにしました。まるで知りませんでしたが、田崎早雲は江戸末期から明治時代にかけての頃の画家でした。
美術館の中までは入らなかったのですが、お庭と「白石山房」と名付けられた家と画室、茶室を見て歩きました。白石山房は、明治11年に建てられたそうで二階建て藁ぶき屋根の家でした。斜面を登ったところから見下ろすと、いつもの夢で見たような既視感が、、、。
渡良瀬橋歌碑からはじまった散策が、古墳や画家の旧宅と思ってもみなかったことへつながっていきましたので、今回は織姫神社もばんな寺も足利学校も寄らないことにしました。早雲美術館の中は、次の機会に見ることにしましょう、、、気がかりを残すことが、再訪に繋がってゆくので(^^)

2009年10月4日日曜日

床屋の角にポツン♪

昨年ならもう奥日光へと紅葉見物に出かけている時期になっていますが、最近はお休みの日に早起きが出来ません。お給料は変わりませんが、昨年比3倍くらいの仕事量となっているような感じがしています。いつも10月は、休暇を取るなどして奥日光あたりへ8日間くらい行ってますが、今年は予定すら入れていません(T_T)
今日は、先月2日に渡良瀬橋歌碑を探しに出かけた続きで、森高千里の作詞による歌詞の中に登場する「床屋」と「公衆電話」そして「八雲神社」を見て廻ることにしました。やはり出遅れてしまって、足利への到着は正午を過ぎてしまいました。
群馬や栃木は、まだ稲刈りがこれから始めるみたいな風で、、、車窓からの風景は、利根川をはさんで埼玉県側と群馬県側とでは、普段よりまるで違う印象でした。
床屋さんは、旧国道50号線の「通7丁目」という交差点の角にありました。日曜日の床屋さんは、とっても忙しそうなイメージがありますが、こちらはお客さんがいなくて、ご主人は窓辺で新聞を読んでいる様子でした。
この辺り、、、なんとなく記憶にある場所だなぁと思っていたら、初めて織姫神社などへ行ったときの帰りに駅とは逆の方へと歩いてしまったところでした。記憶にはありませんが、たぶんこの床屋さんの前も通っていたはずです。
9世紀頃に創建されたという八雲神社には、ギンナンの実が山盛り落ちていました。ちょっと小粒なので拾う人が少ないのかもしれません。
願い事一つ叶うなら、、、さて、どうしましょう(^.^)/

2009年10月3日土曜日

濡れてゆく人もおかしや雨の萩

錦糸町駅への到着が10時20分頃でした。早朝のすっきりと輝いた青空にすっかり欺されて、傘を持って出なかったら、いつのまにやら小雨が降っていました。駅前の洋品店では、ど~みても安物の傘が千円でしたので、買わずに雨の中を歩き始めてしまいました。
横十間川沿いに北上して、まだ亀戸天神の手前である蔵前橋通りあたりで、だいぶ雨が強くなってきました。今日のお散歩テーマは、萩の花見です(^^)
まずは、「江戸名所図会」にも萩寺として掲載されている龍願寺へ、、、大急ぎで庭を一巡りしましたが、雨脚が強いので東屋で足止め状態になってしまいました。萩の花はもうほとんど終わっているような感じでした。萩が繁りすぎて、芭蕉の句碑は萩の枝葉の中に埋もれてしまって、よく見えないくらいになっていました。
次から次へと真っ黒なヤブ蚊が襲ってきて、数匹殺生となりました。かれこれ小一時間、東屋に留まっていたら急に暑いくらいの陽が差してきました(^^)
龍願寺からは、押上駅が最寄り駅になるのかもしれません。歩き出すと強烈な蒸し暑さでした。建設中のスカイツリーですが、たぶん建ち上がってゆく東京タワーを眺めた人達の100分の1も感動しない景観ではないかと、そんな気がしてきました。完成すれば違って見えるのかもしれませんが、なんだか今のところ美しさとか優雅さなんてものが欠片もありません。
適当に右左折しながら歩いていたら曳舟駅前にでました。「夢屋」という深沢七郎がやっていたという今川焼きの店は、一体どこにあったのでしょう???
向島百花園の「萩まつり」は、9月12日から一昨日までとなってましたので、萩の花見はもっと早くしないといけないようでした(^^;)さてさて今夜は、日本中で野ウサギがぴょんぴょん飛び跳ねていることでしょうね、、、。

2009年10月2日金曜日

ねばねばれっとみぃごー

2016年に行われる夏季五輪の開催地を決める最終プレゼンテーションが今日行われて、日本時間では、明日になったころに決定発表があるようです。
もし東京に決まらなかったら、、、臨海副都心周辺の開催予定地である広大な原っぱは、ぼちぼち雑草が生えるままとなるのでしょうか、、、。
この招致の親分・石原慎太郎が深沢七郎のラブミー農場を訪れたことがあると書いている福島県内にある不動産業者のブログ(http://inakagurasi.at.webry.info/200907/article_2.html)がありました。
ラブミー農場って、、、売りに出されていたのですね(^^;)
畑が約795坪、建物が約180坪で2980万円だそうです。坪3万円ですかね?
梅の花が咲いたり、勝手に葡萄や蜜柑の類が実ったりしているようです。ここを相続した方の郵便受けが付いていたり、不定期的に雑草など刈り取られていたりしていた様子でしたが、、、。
拝啓 嵐山光三郎様と文でもしたためて、感想でも聞いてみたくなりました。ちくま文庫の『桃仙人』でも読みましょうかね。

2009年10月1日木曜日

月が走り日も走る、師の走りももうすぐだ

月日の経つのは早いもので、少年「オイ、安くしろよ!!」「額なりがたし」でございます。今週はずっと雨かと思っていました。
前回、レインボーブリッジを歩いたのは、8月6日でした。来月になると午後4時くらいには「閉館」されてしまうので、お仕事帰りにちょっとてくてく、ちょいとぶらぶらできなくなってしまいます。
お台場を午後6時くらいに出発して、夜景写真など撮りながらゆっくりとレインボーブリッジを渡りましたが、芝浦ふ頭入口で午後7時ちょうどのバスに間に合いました。
今夜は、イベントライトアップ日なのか、東京タワーがいつもと違う色なので、近くまで行ってみることにしました。みんな考えることは一緒なのか、行く道どこでも携帯電話などで東京タワーの写真を撮っている人がいっぱいでした(^^)
昨年と同じで、10月1日は「乳がんの正しい知識と早期発見の大切さ」というメッセージのシンボルカラーとしての「ピンクリボン」ということのようです。
時折、雲間から月が顔をのぞかせましたが、、、ピンク色に合わせてはくれなかったみたいでした、、、。