2009年9月30日水曜日

はいからこくち


知人のブログに「早く見に行きたい!」という題で、10月9日から公開される「ワイルドスピードMAX」という映画が紹介されていました。ん~、なんだかB級映画の臭いがぷんぷんするような作品名!!と思ってしまったのですが、、、2001年から、これがシリーズ4作目、毎回大金を稼ぎ出しているハリウッド映画で、東京が舞台の前作では妻夫木聡や中川翔子まで出演していたのでした。
そして昨夜、ネットを徘徊していたら中華系のサイトで、この映画が拾えるところに遭遇してしまいました。米国では7月にDVD発売になっているので、それに中国語字幕を付けて公開しているようでした。
まだ冒頭しか観ていないのですが、日本では絶対に走っていない5連タンクローリーにグリーンイグアナが乗っていました(^^)
さてさて日本のB級映画というのは、大量に制作されているのかもしれませんが、いつどこで公開されているのか、なかなか知ることが出来ません。それにお金を払ってまで観にでかけるほどのものかどうかも分かりません。でもまぁ、これはお観得!!ではなかろうかというのを、勝手に告知させて頂きます……自称B級映画監督・高橋亨が主宰する「シネマ愚連隊」の『愚連隊祭り2009』が、10月の24日(土)と25日(日)に開催されます。
【日時】2009年10月24~25日(土・日)
開場 14:00 上映 14:30~(16:30終了予定)
【場所】高田馬場BABACHOPシアター
新宿区下落合1-7-11 栄新ビル1F
地図→http://www.babachop.net/theater/map.html
【料金】1000円
【上映作品】『サソリ座の怪人』『豪快エロ坊主』『令嬢探偵★モロボシアイ』
ほらほらB級映画の臭いがぷんぷん♪してそうな題名が3つ並んでますね。スタ☆レビの根本要さんが、B級映画の魅力を語った著書『とっても映像解体新書』で言ってますけど「映像に貴賤無し」です。
さらに詳しくは「シネマ愚連隊ブログ」(http://gurentai.blog11.fc2.com/)を参照ください。会場は「キャパ50人の多目的レンタルスペース」ですが、実際に50人入ったら息苦しくなりそうです。

2009年9月29日火曜日

鵯や昼の朝顔花細し傘を忘れて涙雨

明日、使用開始日から二ヶ月経過して有効期限切れになってしまう「ぐるっとパス」の消化で上野へと行ってきました。今月になってから、殆ど使っていませんでした。
まずは、下町風俗資料館へ、、、相変わらずの展示内容かと思っていたら2階が特別展「浅草オペラと昭和の芸能-田谷力三と俳優たちの物語-」となっていました。大正の頃のことなので、まるで知らないものばかりでした。
まだ蓮の葉がいっぱいの不忍池を抜けて、上野動物園へ池之端門から入りました。「アイアイのすむ森」という新しい施設が不忍池の中にできていました。夏に蓮の花を見るには、動物園に入ってしまった方が良さそうな感じになっていました。
今回は、ヒヨドリの軽やかな鳴き声を聞きながら写真をたくさん撮りました。そうしているうちに止んでいた雨がまた降ってきてしまいました。
次は、日本最古のコンサートホールといわれている旧東京音楽学校奏楽堂です。建物が重要文化財となっているせいか、あまり展示物には珍しいものがなさそうです。
上野周辺は、わりと足を運んでいるところですが、まだまだ見ていない場所はたくさんありそうな気がしてきました。木・土曜の午後だけ無料公開になっている黒田記念館とか、建物そのものが凄い国際子ども図書館とか、、、。
寛永寺には、以前はなかった「天璋院篤姫墓所(非公開)」という説明掲示ができてました。NHK大河ドラマの影響でしょうね。
書道博物館は、昨日から10月5日まで臨時休館ということで入れませんでしたので、ぐるっとパスは関係ありませんが、「子規庵」(入庵料500円)に入ってみることにしました。建物や展示物だけでなく庭も撮影禁止でした。入口の傘立てに傘を入れて、まさか出口が別だとは思っていなかったので、傘を忘れてきてしまいました。思い出したのは、日暮里駅で乗り換えの電車を待っていた時なので、戻るのも面倒であきらめることにしました。

2009年9月28日月曜日

昨日の謎は、明日の鞭無知キムチなり

曇っていて肌寒い朝なのに晴れてくると真夏のような気温になったりしてますね。
昨日の朝は、もうすっかりさっぱり忘れ去られた潮風公園の「ガンダム像@地」へ行ってみました。ガンダム像本体は、まるで残っていませんでしたが、まだフェンスで囲んであって、クレーン車がありました。大きな本体を支えていた土台を撤去するのに時間がかかっているのか、本体の撤収が済んだので残りはゆっくりやっているということなのかは分かりません。
早朝から凄い数の人がうろうろしていた広場も犬の散歩をさせているおばさんがひとりいただけでした。地面では、少数のアリ達で巨大な乾燥ミミズを運搬中でした。
結局、解体途中のガンダム像は見る機会がありませんでした。日本科学未来館でプラネタリウムを見た(9日)後で行っていれば首無し状態が見られたかもしれなかったのですが、、、まぁ、これも縁のようなものなのでしょう。
写真は、ガンダム像とはまるで関係なくて、韓国・朝鮮での境界標・道祖神に相当するらしい「地下女将軍」です。「天下大将軍」と書かれた男標と対になっています。向かって右が女将軍で、左が男将軍になっていましたけど、、、おひなさまの並べ方のように何か左右を決める根拠があるのか気になりました。「祖」という漢字のつくり「且」は、男性器の象形でもあるようです。
巾着田を歩いているときにすれ違った親爺が同行の人達に講釈していて、「(曼珠沙華は)日陰など寒いところから先に花が咲く」と言っていたことが、みょう~に耳に残っています。春の花は、暖かい場所から先に花が咲きそうですが、秋にはその逆になるってことなのでしょうか?

2009年9月27日日曜日

赤の廻廊から逃げ出して

きらきらと輝くような緑色の胴体をしているのがオスで、オハグロトンボのメスは全身黒ずくめでした。普段は、警戒心が強いのか、人間が近づくと一定の距離を置くように逃げてしまいますが、産卵の時は、ほとんど逃げようともしません。

昨日、石器時代住居跡を見た後は、、、飯能の天覧山あたりにでも行こうかとも思いましたが、あまり下調べもしていないので、次の機会にまわすことにしました。そうそう、、、鳩山夫人には、由紀夫違いで『美しい星』がお似合いという感じがしています。
で、いつも高麗川駅へと戻る道ではなく、初めて通るルートで、聖天院というお寺へ寄ってみました。高麗神社の隣なのですが、こちらは300円也の拝観料が必要なので、浅草の雷門と同じ(?)ような巨大ちょうちんが下がった山門から先へは入ったことがありませんでした。高麗王若光の墓は、寺の中ではなく山門の横にあるのが、なんだかどうしてなのか謎に思えてなりません。
勉強不足でまったくどうなっているのか分かっていませんが、1300年ほど前に朝鮮半島にあった高句麗という国が滅んで、若光という王と共に日本へ逃げてきたということのようなのです。民族的には韓国や北朝鮮の人々とは違うのでしょうか?もし違うとすれば、高句麗民族の純血を保てないまま、日本人に混ざってしまったということなのでしょうかね???
拝観料分のお楽しみは、なにも見つかりませんでした(^^;)
お隣の高麗神社では、ちょうど若い女の子が民族衣装を着て、高句麗の歴史を語るようなイベントが行われていましたが、冒頭だけ聞いて席を立ってしまいましたので、ちっとも内容を学んでいません。
採れたての茗荷を買って、帰ることにしました(^^)

2009年9月26日土曜日

おいおい負われ追われて赤蜻蛉

朝は、どんよりと曇った空模様だったので、昨日と行き先を逆にすれば良かったかもしれないなどと思いつつ、今季二度目の巾着田(埼玉県日高市)へと行きました。昨年と比べるとだいぶ早いペースで、もう花が終わりかけてました。
陽が当たらないと、いまひとつ美しくなくて、30分くらいでもう帰ろうかなぁという気分になってしまいました。メイド服や新撰組衣装など、、、コスプレ少女とおっさんカメラマンを2セット見かけました。
テントの出店では、「世界一大きいオオスズメバチ蜂蜜漬け」というのを売っていました。見たこともないような大きな蜂が、本当にハチミツ漬けになってました。人間ほど何でも食べてしまう生き物は、ほかにいないような気がしてきました。
農業用の水路は、とても水がきれいで、たくさんの小魚が泳いでいました。産卵中のオハグロトンボもいっぱいです。普通見かける赤蜻蛉よりもサイズが小さい赤いトンボが2匹列なって飛んでいました。前方にいるトンボは赤くて、後方のトンボはやや黄色や茶色の感じでした。オスの尾をメスが咥えて飛び回っているのでしょうか???
曼珠沙華の花を見ているよりも、このトンボたちを追いかけるほうが楽しくなってしまいました。
約4500年前、縄文時代中期にあたるという住居跡を見に行きました。登呂遺跡のようなものを想像していたら、、、相撲の土俵くらいの広さのところに家の土台か何かになっていた石がいくつか見えるだけでした。
午後になったら、晴れて強烈な日差しとなりました。

2009年9月25日金曜日

展高く、うまうま文字を雲が書く

薄暗い美術館巡りをするにはもったいないような青空の日でした。
手帳に書き込んだメモでは、動物園など上野周辺へと行くつもりでいましたが、出光美術館で今月19日からはじまっている「芭蕉<奥の細道>からの贈りもの」という展示が気になったので、まずは有楽町へと向かいました。
石に彫られた芭蕉句碑は、あちこちで見かけますが、短冊や懐紙に芭蕉自身が書いたものを見る機会というのは、ありませんでした。その存在などあまり気にしませんでしたが、けっこう沢山残っているもののようでした。俳句を詠むというだけでなく「書家」でもあったということになりそうです。併設の仙厓展も楽しめました。
次は、東京国際フォーラム内にある相田みつを美術館です。うまへた文字と言うのか、へたうま文字というのか、、、とても特徴のある「書」によって書かれた「人間だもの」の世界は、まるごと受け入れてしまうか、猛反発して無視するしかないような感じがしてしまいます。
芭蕉が俳句ショップを開いていたのは、三越本店のとなりあたりになるのでしょうか、、、そこを通り過ぎて、3館目は三井記念美術館です。こちらは、「夢と追憶の江戸-高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展-」が、やはり今月19日から始まっていて、展示物は前・中・後期に分けて変更されるようです。もうすっかり江戸江戸として、疲れてきたので、歩かずに地下鉄で銀座まで移動することにしました。
銀座の雑居ビルの4階にある画廊となると、、、もう入りにくさMAX気分になります。しかも展示されているのが「責め絵」ともなると、さらに重たいものがありますが、銀座6丁目にあるヴァニラ画廊で明日までの「小妻容子責絵展、刺青美女・縄の情念と柔肌の墨」を見てみることにしました。
展示されていたのは、40数点ありました。画廊内は、カメラで監視されているだけで、お店の人は別室にいるようでした。『アナイス・ニンの日記』やらどう関係するのか分からない本なども購入できるようでしたが、絵はがきにしても価格が一桁、二桁違います。伊東晴雨の画集は、大きくない普通の本サイズでしたが、105000円となっていました。とても買える値段のものなどないので、訪問記念に500円のフィギュアがしゃぽんをひとつ。
まだ正午過ぎくらいなので、ぶらぶらと歩いていたら、「浜離宮500メートル」という表示があったので、そちらから隅田川を船で浅草まで遡って、帰途につきました。

2009年9月24日木曜日

秘蜜を解き明かそう!!

権現堂堤(埼玉県幸手市)で、桜の木の根元に近いところにできている空洞が、ニホンミツバチの巣になっていました。ミツバチにとっては、普通の巣作りのようです。彼岸花を見物に多くの人が近くを通っていますが、ほとんど誰も気付いていないみたいでした。蜂がいれば刺されると思っている人も少なからず存在するでしょうし、、、公園などの管理者のたぐいが見つければ、駆除してしまうかもしれません。ならば、ブログに書くなよ!!(笑)
西洋ミツバチの大量消失は、まだ続いているのでしょうか?
ぽっぽ首相も国連でなにやらでかいこと言ったかと思いますが、、、それがいつどのようにちっちゃなことに関係してくるのか、見てゆきたいです。
ニホンミツバチは、ほとんど花の種類には拘らずに蜜を集めてくるのだそうです。でも、彼岸花の蜜を吸っている蜂は見かけないかもしれないと思っていたら、、、先日、布川神社の前でちゃんと写真を撮っていました。彼岸花が群生していると花の数が、その付近にいる蜜蜂の数を上回ってしまうのかもしれませんね。
この種の蜜蜂の巣は、どのくらい使われるのでしょう?安全に暮らしていられれば、ずっと同じ場所にあるものなのでしょうか?
子供の頃、、、大人は何でも知っているようにも思えましたが、知りたいことを訊いてみても、まともな答えなど返ってきませんでした。先生でも同じ事、、、。
今は便利になったもので「ニホンミツバチ」でネット検索すれば、習性や飼い方など一通りのことがたちどころに判明してしまいます。
ニホンミツバチを飼うには、「まず100坪くらいの土地を用意する」みたいなことが書かれてました。宝くじで高額当選でもしないと始められないようです(^^;)

2009年9月23日水曜日

おなじ野の露にやつるゝ藤袴

秋の七草は、「おみなえし・すすき・ききょう・なでしこ・ふじばかま・くず・はぎ」で「お好きな服は?」と覚えるのだそうです。漢字で書くと、、、女郎花・尾花(薄)・桔梗・撫子・藤袴・葛・萩になります。元々は、山上憶良による「秋の野の花を詠む2首」(『万葉集』巻八)のようです。

   秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花

   萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花

半分くらいは、どんな花が咲くのか、どんな草なのか、すぐには思い浮かびません(^^;)
写真は、水辺に自生していた藤袴ですが、、、いろいろと雑種や園芸種もあるようなので、これが原種のままかどうかは分かりません。目立つ花でもなく、葉も特に香りはしないようですが、乾燥させると香るそうです。いつのまにやら絶滅危惧種になっていました。万葉集にも歌われている植物が数を減らしているというのは、やっぱり重大な環境変化があったということなのでしょうかね???
向島百花園などには、萩のトンネルがありますが、なぜか花が咲く時期に訪れることが希になってしまっています。葛の葉は、夏の間にもの凄い勢いで野原を覆い尽くしたりしますが、花の方はまるで見たという記憶がありません。

   ひぐらしの鳴きぬる時は女郎花咲きたる野辺を行きつつ見べし

昨日は、まだ蝉の声を聞きました。「おるよ~、おるよ~まだおるよ~♪」と聞こえました(^^)

2009年9月22日火曜日

烏の骨は何色ですか?

今日は利根川つながり(?)で、関宿城(千葉県野田市)へでも行くつもりで自転車にて出発しましたが、道順の都合で、権現堂堤でまた彼岸花を見たりしていたら疲れて面倒になり、江戸川を越えられませんでした(^^;)
関宿城博物館のショップで『平将門伝説』という本を購入しようと思い立ちました。著者は、『1Q84』などを書いた作家の村上春樹と別人ながら同姓同名、同じ大学卒です。以前に関宿城博物館で研究員をしていたので、たぶん売っているのではないかと思ったわけです。アマゾンでは買えません。お散歩先の選定に必要なのは、散歩や旅行のガイドブックではないということが、だんだんとはっきりしてきた気がしています。
どこからか逃げ出してきたのか、権現堂堤に野良(?)の烏骨鶏(うこっけい)がいました。初めて近くで本物を見ましたが、真っ白できれいな羽根です。でも皮膚も内蔵も骨も真っ黒なのだそうです。
「タマゴは、ひとつ200円はするよね!!」というおばちゃん発言に、周りにいた人々が納得の肯きをしていました(笑)
らき☆すた作者旧宅、熊野神社の「権現堂堤修復絵馬」、文政3年に作られたという隠れ切支丹「子胎延命地蔵」、樹齢400年超のイチョウ内部に地蔵が彫られている「臨川庵の銀杏地蔵」などなどを見て廻りました。

2009年9月21日月曜日

芭蕉翁、布佐での宿は腥し

三日前に見つけることができなかった赤松宗旦旧居へと出直しです。空は朝からどんよりと曇っていました。
成田線・布佐駅から歩いてゆくとすぐに車が渋滞しているので、なんだろうと思っていたら、、、山車が2台見えてきました。竹内神社のお祭りのようです(^^)
ちょうど正午から動き始めるのか、山車が5台、大きな神輿がひとつと幾つかの子供神輿が車両通行止めにしている通りにありました。みんな都内の祭りでは見かけたことがないような白装束をしています。大和町が当番ということなのか、大和町の山車だけは車輪を外してあって道路ではないところに置いてありました。その前に大きな神輿。他の町内は、移動できる山車と子供神輿となっていました。
ほとんど皆が祭り装束で、居心地が悪いくらいに見物人が少ないのでした。それぞれの山車の舞台上では、笛・鉦・太鼓に神楽の舞と伝統的に続いてきているもののようで、けっしてカラオケ大会が始まったりはしない様子でした。
神輿や山車が各町内へと繰り出していったあとに利根川を渡って布川へ、、、もう場所ははっきりと分かっているので、迷うことなく直行です。3日前には、宗旦の旧居を覆い隠すように大きいトラックが駐まっていたので、分からなかったのでした(^^;)
しかし、、、月曜日だからなのか、祝日のせいなのか、門には閂がかけられていました。
「当時の旧居をできるだけ再現して、新築したもの」らしいのですが、ここで医者をしたり塾をひらいたりしたわけではないのか、隠居宅にしても小さすぎるくらいの家でした。すぐ後ろは、利根川の土手です。
布佐へと戻って、竹内神社へと行ってみました。お祭りの最中ですが、神社そのものは静まりかえっていて誰もいませんでした。

2009年9月20日日曜日

草枕はるけき旅路のいたはりにもあらで

おひとりさま参加で「今年、蝉の声を最後に聞いたのは、いつどこでを記録する」という企画を実行中なのですが、、、来年になったらもうそんなことはすっかりきれいに忘れていそうです(笑)
ツバメはまだ飛び回っているでしょうか?
日差しも風もすっかり秋の気配がいっぱいですが、いつのまにか見えなくなった、聞こえなくなったとか、あるいは逆によく出会うようになった昆虫や植物というものにどれだけ気付くか気付かないかが、自分の日々の生活におけるなんらかの指標になりそうな気もしています。
連休中なので旅行に行かれている方も多いことでしょうね。旅を栖とする日々に憧れたりしていますが、実際にはけっこう疲れる毎日になるのかもしれません。それでも世界中の歌枕見まほしと出かけてゆきたいものです。

2009年9月19日土曜日

北の鎌倉・天神坂に雨が降る


柳田國男が布川で暮らしたのは、3年間ほどだったようです。「民俗学の父柳田國男第二のふるさと利根町」という看板が、あちこちにありました。凡人は何年学校へ通っても何者にもなれませんが、学校へも行かずに野を駆けめぐり、土蔵の中で本を読み耽る少年が出会ったのが『利根川図志』という地元の自費出版みたいな書物でした。
柳田が、岩波文庫版『利根川図志』の校訂をし、「解題」まで書いていたことに昨日まで気付きませんでした。帰ってきてからこの解題を読んでみると、なかなか興味深いことがいくつもでてきました。
神様(のようなもの)が、もう一度出直しなさいと言っているのか、、、赤松宗旦の旧居がみつかりません。それから2時間あまりも歩き回りましたが分かりませんでした。実際には、何度も前を通り過ぎていたようです(^^;)
布川から布佐へと利根川を渡って引き返したあたりで小雨が降ってきました。布佐駅まで戻ると1時間に2本しかない電車がちょうどやってくる時刻でした。正午頃に我孫子で下車しました。
昨年、我孫子へ来たときに長期の休館中だった白樺文学館へと行ってみることにしました。建物の大きさの割には展示物が少ないような印象でした。白樺派の作品は、教科書に載っていたものくらいしか読んでいないので、特に魅せられるものもありませんでした。なんだかとっても入館者が少なそうですし、運営形態がよくわかりませんが、そのあたりに住んでいるお金持ちが道楽でやっているのでしょうか???
小林一茶が布川を何度も訪れたということは、そこに強力なパトロンがいたということかもしれませんしね、、。

2009年9月18日金曜日

べったりと人のなる木は何処ですか?

雨になると言う天気予報が、まるで信じられないくらい快晴の朝でした。
もし利根川に水上バスでもあったらすぐに着いてしまうのかもしれませんが、埼玉県の東端を通って都内に入って、JR常磐線で千葉県を北上し、JR成田線・布佐駅で下車しました。ここは、千葉県我孫子市になります。
徒歩で利根川に架かる栄橋を渡りました。茨城県北相馬郡利根町の「布川」が今日のお散歩場所です。昨年、知人が出かけた時のブログみたいなものを読んだくらいで、ほとんど下調べもしないで、地図も持たずに出かけてきました。
まずは、布川城跡でもある徳満寺へ、、、柳田國男が13歳の時に見て「寒いような気持ちになった」という絵馬があって、実物も見せてもらえるようです。女が産んだばかりの赤ん坊を押し殺している凄惨な図柄で、そんな絵馬が存在するということも衝撃的な感じがします。いったん石段を下りて、少し離れたところにある琴平神社の石段を登って行ったら徳満寺の本堂の裏手とつながっていました。どちらにも一茶の句碑があります。
今日は、『利根川図志』の著者である赤松宗旦の旧居を見るのが一番の目的なのですが、、、場所がはっきりと分からないので、利根町役場で訊こうと行ってみましたが、まだあまり職員が出勤していない時間帯でした。9時から開館ということはネットで調べてあったので、先に墓のある来見寺へと行きました。なんの案内も出ていませんでしたが、墓地を一巡りしたらすぐに見つかりました。
その先には、布川神社があります。ここも2枚の絵馬が町指定の文化財のようです。賽銭箱の後ろから覗くと、、、暗くてよく分からないながら絵馬のようなものが掛かっているので、写真に撮ったら、ちゃんと写っていました(^^)v
まだ9時にならないので、特に興味がなかったものの「柳田國男記念公苑」へ入ってみることにしました。利根町立で無料です。
空はどんよりと曇ってきました。でも赤松宗旦と柳田國男がつながり、さらに小林一茶や葛飾北斎などとのリンクが見えてくると、やっぱり天気予報など信じずに出かけてきて良かったと思えるのでありました、、、。

2009年9月17日木曜日

高麗をまわって遊びましょ♪

昨年より10日ほど早く高麗の巾着田(埼玉県日高市)へと行ってみました。関東あたりでは、彼岸花はその名前通りに秋分の日の頃、花が見頃となります。
ここには100万株あるとアナウンスされていますので、一株が10の花を付けたら1000万花になりますね。まだお彼岸まで何日かありますので、5~6分咲きというところでした。見物客もいっぱいでした。間もなく始まる「シルバーウィーク」などといつのまにか名前が付いてる間には、花の数に負けじと人が集まるのかもしれません。
昨年は、西武池袋線・高麗駅から巾着田へと向かったのですが、今朝は人身事故があったようで、運行はされているものの地下鉄との直通運転がないようなので、東武東上線で川越まで行き、そこからJRで高麗川駅へとでました。高麗駅から行くよりも3倍くらい余計に歩くことになります。
帰りに高麗神社に寄って思い出したのですが、枝垂れ桜が咲く頃に見に来ようなどと去年思ったにもかかわらず、それをすっかり忘れて1年が過ぎてしまったのでした。文化財展として、徳川歴代将軍の朱印状を見ることができます。
あと野々宮神社へ行きました。なぜか土俵がありました。初めての場所ですが、前に来たことがあるような気がしました。今年も石器時代の住居跡などは見ないまま帰ってきてしまいました。
できれば今月中にもう一度、足を運ぼうかと思っています(^^)

2009年9月16日水曜日

まどろむ魔女と眠らないマオウ

最近は、あちこちで見られるようになった感じもするパンパスグラスですが、、、従来から日本に生えているススキを駆逐してしまうような爆発的な繁殖力は無いようです。園芸店などでは、意外とびっくりするような高い値段が付いていたりします。
魔女が空を飛ぶときに使う箒は、なんとなくなぜか「竹箒」をイメージしていたのですが、魔女の本場みたいなヨーロッパあたりで、どれほど竹箒が使われているのか、あやしい気がしてきました。魔女の箒の作り方は、誰に訊けばよいのでしょう???
パンパスグラスを何本か束ねたら箒ができそうです。どれほど箒として役に立つかは、分かりませんが、、、。
魔女は実際に空を飛ぶのではなく、箒の柄に塗り込んだ薬物を膣から吸収する事によって「飛ぶ!!」のだというお話もあるようです。そして魔女の類は、いつも権力によって狩られるのが宿命なのかもしれません。
昨日、このパンパスグラスが生えているところのすぐ近くにある警察署の玄関前には、早朝から夜暗くなるまで、凄い数の「報道陣」という人達が取り囲んでいました。それはまだ今日も続いているのかもしれません。

あなたの魔法が、いつの日かマンモス蘇りますように……。

2009年9月15日火曜日

路の辺の壱師の花のいちしろく

昨日は、栗橋から帰ってきてから自転車に乗って、幸手権現堂堤での「第4回さって曼珠沙華祭り」へ行ってみました。ポスターに掲示されている会期は「9月中旬~10月上旬」と、とってもアバウトです。
何分咲きに相当するのかは、よく分かりませんが、もうけっこういっぱい咲いていました。年々拡大しているようで、昨年よりもだいぶ遠くまで植えられていました。
クロアゲハが多く飛んでいましたが、どれも落ち着きがなく高速飛行しているので写真には撮れそうにありませんでした。
権現堂堤から近いところに「らき☆すた」作者の旧宅があるというので探してみることにしました。事前情報は「3階建ての白い家」というだけです。ミニ開発されたような住宅地で、3階建ての家などあるはずがない地域なので、すぐに分るかと思っていましたが「きまぐれスタジオ美水かがみギャラリー幸手にお越しの方の駐車はご遠慮ください」という立看板2枚見つけただけで、どの家なのか分からないまま帰ってきてしまいました(^^;)
戻ってからネットで調べたら、ちゃんとその家の前を2、3度通っていました。「らき☆すた」は読んだことがありませんし、入場料払ってまで中に入る気はないので、まぁこれでお終いです。異教徒は「聖地」を侵すべからず、てなところかもしれません。

2009年9月14日月曜日

分岐点の先には栗橋の関

「畳職人」(http://d.hatena.ne.jp/naritatatamiten/)で紹介されていた「分岐点」という展覧会へ行ってみました。埼玉県の東北部に在住している美術家(翁譲、小高一民、小林晃一、近藤昌美、鈴木るり子、高津美絵、野原一郎)の作品が見られます。埼玉県栗橋町のいきいき活動センターしずか館体育館で18日まで、無料です。残念ながら、どの作家さんにもお会いすることができませんでした。
「しずか館」の名前は、舞姫・静御前に由来するようで、栗橋駅近くに静御前の墓があります。静御前の墓は、他にも兵庫・長野・山口・新潟・福島などの各地にあるようですが、ここの墓のことは赤松宗旦『利根川図志』にも詳しく書かれています。
ちょいとそこの図書館!!、、「図志」を「図誌」などと記載したままではいけませんよ(笑)「利根川寿司」というお店は、どこかにありそでなさそ?「とねがわひさし」さんもおりますかね?「万歩計」に相当するもので、泳いだ距離を記録できる「万泳計」って存在するのでしょうか???
フィクションでは、三遊亭圓朝による「牡丹灯籠」、、、江戸で萩原新三郎を殺して、幽霊から百両の金を奪った伴蔵が繁盛する荒物店を構えたのが、栗橋宿でした。圓朝は、笹屋(お話の中では「料理屋」)という栗橋の旅籠に泊まって取材したようです。
栗橋最大の見物は、毎年必ず梅雨の頃にハクレンという巨大魚が利根川で大ジャンプ大会をすることではないかと思えます。まだ残念ながら見たことがありません。
「分岐点」の会場は、廃校となった小学校でしたが、歩いても間もないところにまた廃校となった小学校が「ハクレン館」という名前で、「しずか館」と同様に老人向け施設となっていました。
明日15日には、静御前墓前祭という法要イベントがあるようです。関所跡と樹齢300年以上の欅がある八坂神社へ寄りました。
「幸手を行ば栗橋の関」は、芭蕉の詠んだ句で、幸手市にある聖福寺の入口に真新しい句碑ができていますが、、、ん~この句は、どこが素晴らしいのでしょう???

2009年9月13日日曜日

宿命的な放浪者は旅を住処とす


初めて西武新宿線の電車に乗りました。高田馬場駅からふたつ目の中井駅で降りて、林芙美子記念館を見てきました。
いつものことで地図を読み違えて遠回りをしてしまいました。坂の多い街で、なんか立体的!!と思ってしまいました(^^;)
そしてまたもや、すまぬすまぬ状態なのですが、、、林芙美子作品はなにひとつ読んだことがありません。代表作は「放浪記」になるのかもしれませんが、もはや原作者よりも菊田一夫脚本・森光子の「放浪記」となっていそうです。
建物は、昭和16年から、亡くなる昭和26年まで住んだそうで、随分と思い入れをこめて建てた家だったようです。
新目白通り沿いにある氷川神社は、お祭りでした。神楽というのか、能狂言なのかよく分かっていませんが、狐の面を付けての舞を思いがけず見ることができました(^^)
夜は、わたしの誕生祝いと母の快気祝いを兼ねてのお食事会で、姉夫婦とお嬢が参加しました。田んぼの中の繁盛店という感じのお店でした。パーティーコースは、14品でてきて、一人3000円とのことで、2日前までに要予約。場所は、埼玉県鷲宮町で、その昔々にジュリアナ・荒木師匠が医師に嫁いだところの近くでした。「紅葉」と書いて「くれは」と読むのだそうな、、、。

2009年9月12日土曜日

地図の故郷で絵地図に欺されるの巻

古本屋廻りをするときには、最初に入ったお店で、とりあえず何か一冊買う。そうでなくても初めて立ち寄る古本屋さんでは何か買っておく、、、これが、よい本と出会える鉄則なのではないかと思えます。
佐原の古い町並みを歩きはじめたばかりのところで古本屋さんを見つけてしまいました。地方の観光地にある古本屋だと、時折勘違いのつっぱり高値を付けている店があったりしますが、この店はそうでもなさそうでした。難は、棚があまりちゃんと分類されていないことでした。特に欲しいという本でもなかったのですが、大原則、大ジンクスを信じて、、、三冊ほど購入してしまうことにしました。そのうち二冊は、内容ではなく体裁がやや重たい本なので、これから街を歩くには邪魔になること必至でしたが、、、。
無料で入れる伊能忠敬旧宅は、裏側の庭には行けないようになってしまってました。小野川沿いに歩いて歩いて、利根川まで行きました。
そこから「横利根閘門」までは近いと思っていたら、またもやイラストマップに化かされてしまったようで、土手の上のサイクリング道路をてくてくてくてく、はてしなく歩くことになってしまって、ナイロン袋に入った古本が重くのしかかるのでありました(笑)
横利根閘門は、重要文化財でありながらも現役で稼働している煉瓦造りの閘門です。佐原から水郷大橋を渡ったところにあるので、茨城県稲敷市に存在するということになるのかもしれません。桜の時期が良さそうなところでした。
「通運丸」などが通過して行くのを幻視しながら、都合4回になった水郷佐原すいすいさわさわツアーは、ひとまずここでお終いで、帰りの高速バスに間に合うように駅方面へと戻ります。

2009年9月11日金曜日

かくかく鹿々、瞳の奥の百万年

香取駅から香取神宮へ向かって歩いてゆくと先に「奥宮」があり、さらに進むと入口の大鳥居の横へ出ると言うよりも、ふたつの銅像があるところへ通じていました。
御影石に彫った文字は、意図的に破壊しなければ数千年後でも読めるかもしれません。「一九七〇年日航機よど号乗っ取り事件で乗客百余名の人名を救った身代わり新治郎」と書かれていましたが、「日航機」という言葉の寿命はどのくらいなのでしょう、、、。
5月に来たときに見てないのは、奥宮と鹿園でした。鹿島神宮よりも鹿の頭数も少ないようでしたが、こちらのほうが人に慣れている感じがしました。
こっそりと弓道場も覗いてしまいました。さし石(力石)が置いてあるのも前回は見落としてました。
佐原の街までは、てくてく歩いて1時間ちょっとかかりました。途中にあったコンビニでおにぎりを買って、八坂神社の境内で食べました。ほとんどグルメらないので、なにか名物の食べ物があるやなしやも分かっていないのでありました。

2009年9月10日木曜日

水郷佐原すいすいさわさわツアー最終回!?

昨夜は、夕食後すぐ倒れ込むように眠ってしまったので、今朝は午前3時に起きました。ひんやりとした朝の風でした。
高速バス6枚綴りの回数券を買って、初めて佐原の街へと出かけたのは、5月12日でした。2回目が6月1日、さらに6月17日に鹿島・潮来へ行った帰りに回数券を1枚使ったので、半端に1枚残りとなってました。
せっかく早起きしても東京駅前から佐原へと向かうバスは、午前9時10分発からなので、今日は6時50分発の鹿島神宮駅行きに乗ってゆくことにしました。鹿島神宮駅到着は、2時間後です。
前回、鹿島神宮の一番奥のほうにある御手洗池まで行かなかったので、とりあえずそこを見て、JR線で香取駅へと移動しました。香取駅前にあった香取神宮までの道案内板を見ると途中に古墳があるようなので、寄ってみることにしました。
舗装道からそれて急坂を登ってゆくので、それが古墳そのものかと思っていたら、その先がハイキングコースのようで、10くらいある古墳群になっていました。誰もいなくて貸し切り状態でしたが、とにかく蜘蛛の巣が多くて、除けて歩くのが大変でした。
写真のトンボは、古墳群ハイキングコースのお終いのほうで撮りました(^^)

2009年9月9日水曜日

かっかっかっか、かがくのか

今日はついに蝉の鳴き声を聞くことなく終わるのかと思っていたら、夕方買い物に出た時にどこか遠くで一匹だけ夏を惜しむ~お~しむ~と擦れた声をあげていました。
天気予報は大ハズレで、曇が多くなっただけでなく、一時的に雨まで降りました。

日本科学未来館へ行きました。特別展は開催されていなくて、二学期がはじまったばかりで学校単位の団体も来ていないせいか、閑散とした感じがありました。
科学技術のようなものを、どう見せるかという「技術」は、まだまるで確立していないのではないかと、ここに来る度に思います。趣味や興味で評価は大きく違うでしょうけど、、、展示物があまりに退屈なものばかりに感じられてしまいます。
肉眼では見えない明るさの星まで投影できる最新鋭のプラネタリウムも本格的に疑似夜空を見せることには使われていないようです。
お隣の湾岸署にはまだ、のりぴーが宿泊中かもしれません。今回は、船の科学館もガンダム潮風公園にも寄らずに帰ってきてしまいました。

2009年9月8日火曜日

食べられないレタス

ウォーターレタス、、、和名では、ボタンウキクサなどと言うみたいなのですが、だいぶ昔にひとつ100円で数株買ったことがあります。繁殖力が旺盛なので、一株あればどんどんと増えてしまいます。寒さには弱くて、霜が降りれば一晩で溶けるように全滅します。なので冬は、コップやペットボトルの上を切ったものに入れて、陽の当たる窓辺に置いておきます。もちろん夏の間に増殖したすべてを越冬させられないので、数株を適当に選びます。
花は咲いていないように見えますが、実際には花を付けているとのことです。それならば、タネもできて、それで冬越しできるのでしょうか???
この水草は、所によっては害になるくらい繁殖してしまっているようです。鳥も魚も昆虫も動物も食物として利用していないのでしょうね。人間には、葉の表面にある水をはじく細かい毛のようなものが喉越しを悪くしているとかと書いている人がおりました。
つい最近でもお店で販売されているのを見かけましたが、2006年2月に「特定外来生物」というのに指定されて、学術目的以外の栽培・保管・運搬が禁止されているようです。写真は、多摩動物公園の昆虫ユートピア内にあったものです。水の浄化と二酸化炭素の吸収くらいには、役だっていそうですけどね、、、。

2009年9月7日月曜日

走れ!!ちよこれいと

今宵もお台場ガンダムの解体経過観察(?)で、潮風公園へ行ってみました。公開直前と同じようにフェンスで囲まれてしまいましたが、見える範囲ではまだ何も取り外されたような形跡がありませんでした。見物人は、4日前の同時刻より減っていました。
東京でのオリンピック開催誘致の片棒担ぎもしているガンダムですので、誘致が成功か失敗か決まってから本格的に撤去するのかもしれませんね???

今夜は、浜松町からの夜のお散歩は無しにして、電車を待っていたら、ぜぇ~んぶこげ茶色に塗装した不気味な電車がやってきました。「山手線命名100年記念」などと書いてありました。スポンサーは、明治製菓のミルクチョコレートのようで、外装だけでなく中吊り広告もなにからなにまで全てチョコレートでした。
旧国鉄時代の昭和30年代まで、濃い茶色をした列車が山手線を走っていたそうです。復元車両の運行は本日からのようです。
重箱の隅つつきをすれば、、、「山手線」の名称は、「やまてせん」から、いつのまにか「やまのてせん」に変更になっているはずなので、100年たっていないのでは?(爆)

2009年9月6日日曜日

誕々と、なんでもない夕暮れ

何歳になったかは捨て置きますが、今日は誕生日です。メールで、多くの方々からお祝いメッセージを頂きました。ありがとうございます。

「誕生日は、お祝いされる日ですが、お腹を痛めて生んでくれたお母さんに感謝する日」などと、ずっと前に永六輔がラジオで言っていたような記憶があります。
今夜は、スーパーで買ってきた698円也のお寿司で、ひとりお誕生祝いです。今月初めに母が入院してしまっているので、いつもの誕生日お食事会は延期です。
有名人では、、、秋篠宮紀子様長男の悠仁様、氷川きよし、田村亮子、市毛良枝、大江千里、星新一、永井豪、西村京太郎.etc\(^^)/
誕生花は、ナスタチウムのようです。葉も花も食べられる植物ですね(^^)

2009年9月5日土曜日

てっぺんから見る青空

お盆中の日曜日にでかけたら、ずる休み(?)で中に入れなかった江東区仙台堀川公園内にある古民家・旧大石家住宅へ行ってみました。前回とほぼ同じで、境川バス停に9時40分頃に着いて、ゆっくりと歩いて、ちょうど開館の時刻でした。
囲炉裏で炭が燃えていました。藁ぶき屋根の家には、その煙が必要のようです。江戸時代に建てられた当時の部材は、ほとんど残っていないのではないかと思えるくらいに「新築」風の古民家でした。
そこから東大島にある中川船番所資料館へ行こうと思っていましたが、歩く方角間違えで葛西橋に出てしまったので、そのまま橋を渡って、西葛西駅から地下鉄に乗りました。最初は、日本橋あたりの美術館に行こうと思っていましたが、気が変わって、だいぶ先の早稲田で降りました。
参道が工事中の穴八幡神社に寄ってから、以前からいつか登るぞ!!と思っていた東京23区内の最高峰である箱根山に登頂することにしました(笑)
頂上には、標高44.6mのプレートが埋め込まれていました。仙台堀川公園ではもうまったく蝉の声がしていませんでしたが、箱根山がある都立戸山公園ではまだまだ蝉がいっぱい鳴いていて、桂の木もあって甘い香りがしていました。
そのあと新宿区余丁町に永井荷風が大正5年頃に住んだ「断腸亭」跡を探しました。ここには記念碑などはなにもありません。
ついでに荷風が生まれ育った場所にも行ってみることにしましたが、、、いつ辿り着けるのかわからない道程でした(^^;)
遠回りになるかもしれませんが神楽坂から江戸川橋を経て、文京区春日町2丁目へと向かいました。こちらには、「永井荷風生育地」という文京区教育委員会が建てたプレートがあるはずなのですが、実際に生まれたあたりの地番と違う場所に設置されているので、なかなか見つかりませんでした。
最後に伝通院をみて、午後3時に地下鉄・後楽園駅でお散歩終了としました。飲料の自販機に4回くらいお金を入れたお天気でした、、、。

2009年9月4日金曜日

滅び朽ちゆくは、我が夢のまた夢

昨夕は、首なしガンダム像を見られなかったことで、なにか物足りない気分となって、珍しく夜のお散歩をすることにしました。
潮風公園の前から都バスでレインボーブリッジを通って、浜松町駅前まで行きました。ハトバスには、お台場などをバスの車内から見るだけで、バスから降りてどこかに寄ったりしないツアーがあるようですが、都バスの1日乗車券のほうが安くていろいろなところを見物できそうです。
そこから歩き始めたものの、、、なにも目標・目的物がないのも空しいので、もうとっくの昔に破壊されて何も残っていない永井荷風の偏奇館跡を探してみようと思いました。
偏奇館は、大正9年に建てられた木造洋風二階建ての家で、昭和20年3月10日の空襲で消失したそうです。それがあった場所あたりは、前にも通ったことがあるのですが、石碑があるということは最近まで知らずにいました。
先月の28日は、少しコースを変えましたが、、、増上寺の中を抜けて、東京タワーの前を通り神谷町のほうへと向かうルートです。
なぜ今日は、コーヒーカップを持ったままの人がいっぱい歩いているのだろうと思っていたら、、、大門交差点の近くのマクドナルドでは、コーヒー無料が最終日の残り15分というところで、巨大コーヒーカップを身に纏ったアルバイトの外人さんが、一生懸命に呼び込みをしていました。
マックで夕食というのも最高に空しいものがありますが、すでにコーヒー無料が終わった時間になってから、今日まで200円のビッグマックを頂戴しました。
偏奇館があったあたりは、泉ガーデンタワーという巨大ビルになっています。そこの駐車場へ入る車くらいしか通らず、歩行者などもういませんでした。でも、、、向島のあたりを歩き回って、円タクで帰ってきたところの荷風の姿を想像するのも楽しいものです。
行合坂を下って登って、地下鉄六本木駅でお散歩終了としました。

2009年9月3日木曜日

がんがん解体してゆく像

ネットのニュースで「お台場ガンダム解体」みたいな記事がいくつか目に付いたので、公開終了から3日たち、もう首から上くらいは無くなったのではないかと予想しながら潮風公園へと行ってみました。
住宅を「解体」と言えば、もうまるっきり破壊して捨てるという意味になるかと思うのですが、、、ガンダム像の場合は、また何処かで使うのでしょうし「解体」とは言えないのではないかと思います。450万人くらい動員したそうなので、二番煎じでも夕張市あたりに寄付したらきっと喜ばれそうです(笑)
ガンダム像は、足元がちょっとだけ内部の骨格柱(?)が見えたかなぁという程度で、まだまだ少しも解体されていませんでした。ガンダム像が「懐胎」したら大ニュースでしょうけど(^^;)
写真を撮りに来ている人もまだいっぱいいて、みんな楽しそうにしていますし、このまま隠さずに分解撤去していってほしいものです(^.^)/~~~

2009年9月2日水曜日

夕日がきれいな街を歩く

肌寒いくらいの朝でした。午後からは風向きが変わったのか、少し蒸し暑くなりましたが、日が暮れるとまただいぶ涼しく感じられるようになりました。
今日はまず足利フラワーパークへ行きました。朝顔や薔薇など、いろいろと花はあるにはあるのですが、、、スイレンの花くらいしか見るものがないような雰囲気でした。スイレンには蜂などいろいろな虫が集まってきていました。雨水とかが中央部に貯まっている花には、その中で溺れ死んでいる蜂が数多くいました。どうしてなのでしょう???
藤棚には、数多くの電飾が取り付けられていました。冬場は、電飾イルミネーションが花の代わりになるのかもしれません。
JR両毛線で一駅移動して、足利學校へ、、、今日は中には入りませんでした。いつも寄っている古本屋さんを覗いて、ばんな寺の中を通り抜け、渡良瀬川のほうへ向かいます。
森高千里さんが1993年に制作したシングル「渡良瀬橋」の歌碑があるというので、探してみました。川の北側になる土手兼道路脇に歌碑はありました。が、橋の脇であるとか、歌詞内容に関係があるというわけでもなさそうで、なぜそこなのかがよく分からないという位置に存在してました。
歌詞の中にある「八雲神社」や「床屋の角にある公衆電話」も実在するようなのですが、歌碑からはちょっと距離があるので、またの機会にします。歌碑の横にあるボタンを押すと曲を聴くことができるようになっていました。

2009年9月1日火曜日

ちゃむチャムねえネエめらメラ撮り

多摩動物公園へ、いつものように蝶を見にでかけました。台風が通り過ぎて、晴れて暑い日でした。夏休みも終わったところなので、予想通りに園内は空いていました。
今日は、あちこちと見て歩いたわけではなく「昆虫ユートピア」という名前の大きな温室内に2時間ほどいただけで、動物はひとつも見ないで帰ってきてしまいました。
多摩動物園は、入場してから坂道を歩いて行かないとどの動物にも会えないので、一巡りするだけでもずいぶんな距離を歩きそうです。「もうこんな坂ばっかりのところは二度と来ない!!」と大声で夫に言っている若いお母さんもいました。
蝶の方は、、、世界地図のような模様をしたのが、ひとつもいなかったのが残念なところでしたが、ハチドリを今までで最も至近距離から撮影することができました。
掲示されている説明書きによれば、アマツバメ目ハチドリ科の「チャムネエメラルドハチドリ」となっています。カタカナで書くと「チャムネ」も「ハチドリ」も外来語のように思えてしまったりしますが、「茶胸翠玉蜂鳥」などと表記を変えるとまるで別物のようです。
体長10センチで、体重は6グラム、、、ペルーやエクアドルにいる鳥らしいです。ホバリングしながら花の蜜を吸う姿が、チビながら圧巻的なのであります(^^)