2009年10月10日土曜日

つゆしらずのあとさき

写真では見えにくくなっていますが、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「脚」だけが、墓標のように列なっています。2012年開通予定箇所のようです。ダムではないので、予定通りに建設されるのでしょうか???
夕方に富士山のシルエットが見えるようになると、なんとなく「冬」の気配がしてきます。夏場だと水蒸気が多いせいなのか、めったに見えません。いつも雪を被った白い富士山しか目につかないので、白くない時は余計に目立たないのかもしれませんが、、、。

昨日、『荷風さんの戦後』半藤一利・著(ちくま文庫)を読んだのですが、、、荷風は昭和24年頃から晩年まで、浅草ロック座の楽屋などに入り浸りだったようです。劇場向けのB級エロ脚本もいくつか書いていたのでした。後に映画化された時には、田中絹代、森繁久彌、淡路恵子、高峰秀子という豪華キャスティングに化けるところが凄いです。かつては、ロック座で芝居も見られたわけですね。
と、なると……、車屋美術館で見た荷風の写真に写っていた二人の女性が誰だったのか、気になってきてしまいます。「日乗」に名前が出てくるストリッパーも何人かいたようですし、、、。来月になると展示写真を一部入れ替えるようなので、荷風が残っているかどうか分かりませんが、またちゃんと説明書きを読みに出向きましょうかね(^^;)

2 件のコメント:

  1. 静岡でも、ここ神奈川でも、富士山は冬の方が良く見えます。空気が乾燥するからでしょうね。

    そかぁ、永井荷風は脚本もやってたんだ。池波正太郎は、流石に範とは言わないけれど、生き方は彼をかなり意識しています。渡り鳥の本は...残念、別の人か(^^;

    返信削除
  2. 「渡鳥いつかへる」は、荷風の脚本です(^^)
    映画化された時に別の人が映画用の脚本を書いたのだと思います。

    返信削除