2012年3月31日土曜日

風が吹けば空桶屋が儲かるか?!




「儲」という漢字を分解すると、、、「人に言う者」になるのか「信じる者」になるのか分かりませんが、なんとなくどちらも儲けられてしまうだけで儲かりそうにありません。
今日は前線が通過して雨になるという天気予報でしたので、朝からどひゃ~っと降るのかと思っていたら、そうではなく風がとんでもなく強く吹いていました。
午前10時40分頃にJR池袋駅に到着で、とりあえずサンシャイン60展望台へと向かいました。ほんの少し雨粒が落ちてきました。遠くの山や海までは見通せませんが、雨雲が来ているわりには視界は良い方ではないかと思えました。
檻に囲まれたような「屋上展望台スカイデッキ」へは強風なので行けませんでした。入口通路前には「入れてやらねぇからね!!」という顔をしたガードマンがわざわざ立っていました。施錠しておけば済むことに思えましたが、本来は屋上を開放したときの見張り役なので、閉鎖してしまうと仕事がないということなのでしょう、、。
歴代の「たまごっち」が展示されていました。初期の大ブームが去った後も続々と新バージョンを発売していたとは知りませんでした。発売15周年とのことです。
サンシャイン水族館のほうを見下ろしてみると混んでいそうには見えませんでしたが、行ってみると水族館へ行くエレベーターが30分待ちの行列になっていました。離れた場所にある裏技エレベーター(?)で昇ってみるとチケット売り場も長い行列でした。
館内は、身動きとれないくらいに人が入っていました。マンボーが一匹横になって泳いでいました。見たのはそれだけで、数分後には昇ってきたエレベーターで帰途につきました。結局、この水族館内をゆっくり見て回れたのはまだ一回だけで、いつも人混みにうんざりして退散してしまっています。
東池袋駅から地下鉄有楽町線に乗り永田町駅で半蔵門線に乗り換えて「東武スカイツリーライン」の曳舟駅まで来たところで、越谷~春日部あたりで架線にビニールが引っかかったとのことで電車が止まってしまいました。
地下鉄日比谷線からの直通電車は、事故のあった手前まで走っているとのことでしたが、その先に行くには今乗っている急行電車が先頭だと思えるので乗ったまま待っていました。
先頭車両に乗っていたので運転席への業務連絡が丸聞こえで、一時間半近く経って運転を再開したという業務連絡の後も車内アナウンスは「この電車は運転再開までかなりの時分がかかる」と言い続けていました。
北千住行きの各駅停車3台に追い越され、回送車にするからと4台目へと強制乗り換えさせられました。待っている人がいっぱいの北千住駅でさっきまで乗っていた電車が「回送」されて「始発電車」に化けてました。乗ってずっと待っていた乗客のことなどまるで考えていない運行状況でした。担当者を架線に数時間吊しておくべきです!!(笑)
これで一時間半ほど遅れたので雨が強くなったころに外を歩かねばならなくなりました。
修理に出していたデジカメが昨日、宅配便で帰ってきました。「メイン基盤分組」を交換したと書いてありました。



2012年3月30日金曜日

こうそうミステリー




「万葉自然公園かたくりの里」は、3月22日から4月8日まで普通車500円、大型バス2000円の駐車料金を徴収していました。普通は無料のようです。
栃木県道67号桐生・岩舟線を歩いてJR岩舟駅へと向かう途中にだいぶ昔から倒れたままで錆びている案内標識がありました。読みにくくなっていましたが「岩舟町教育委員会指定重要史蹟慈覚大師誕生地」と書いてあります。脇道へと入って遠くないようなので寄ってみました。
「慈覚大師円仁」の名前は、村桧神社のほうへ歩いた時も「腰掛石」とか「独鈷水(どっこすい)」あるいは「修行寺」などあちこちで目にしましたが特に興味を持ちませんでした。ネットで調べてみると日本仏教史上では、かなり重要な人物でした。『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』という”日本人初の海外旅行記”(?!)を書いた人です。米国の駐日大使であったライシャワーによって英訳されて世に知られるようになりました。
生誕地としては、「壬生町」であるとする説もあるようでした。「産湯の井」とする水たまりがありました。正午を少し過ぎた頃だったので、産湯の井の後ろに見えている(写真2枚目)東屋で昼食にしました。
午後1時くらいに岩舟駅に着きましたが、13:31まで電車がないので近くにある「日本一小さい岩舟石の資料館」に寄りました。展示物はなにもないようなものですが、岩舟石で建てられた建物自体がとても素敵です。




2012年3月29日木曜日

おじゃがの邪片栗粉




国道脇を歩いている時は気になりませんでしたが、山を登り始めたら「今日は地球の重力が強い!!」と思いました(笑)
目的地である「万葉自然公園かたくりの里」は、三毳山の北側にあって「みかも山公園」とは別扱いになっているようでした。なので「みかも山公園」の入口は、東口・南口・西口があって北口がありません。
写真1枚目は、三毳山頂上(229m)から西側の眺めで、手前に東北自動車道があります。左右に分かれた大きな駐車場は、佐野サービスエリアで上り線と下り線とでパーキングエリアを分けているものと思われます。
写真2枚目は、大量の爺さん婆さんがわっせわっせと山を登ってきたところです。大型観光バスなどで遠くからもちっちゃなカタクリの花を見に来るようです。
「みかも山公園」内にある「かたくりの園」ではまだほんの少ししかカタクリが開花していませんでした。わずかな標高の違いで差が出るのかもしれません。低いところが先に咲くようです。
足利で食べたのとは、ちょっと違う「いもフライ」が売られていたので買ってみました。こちらは二串で200円でした。つぶあん草だんごも買いました(^^)
売店では、カタクリのポット苗がひとつ800円くらいで売られていました。ならばカタクリから作った片栗粉はとても高価なものになりそうです。



2012年3月28日水曜日

みかものやまにいでしつきかも




今日は午後から俄か雨になるという予報なので、予定を変更して栃木県の三毳山(みかもやま)へ「カタクリの花」を見に行くことにしました。
東武日光線・静和駅から歩いて行くことにしました。午前6時半にならない頃に静和駅に到着しました。歩き出してから、初めて三毳山にカタクリの花を見に向かった時もこの駅からだったことを思い出しました。だいぶ前のような気がしてましたが、調べたら2010年3月17日でした。たった二年前でした(^^;)
駅から30分ほど歩いたところにある「コスモスホール(岩舟町文化会館)」のデザインは、ずっと月が昇るか沈むかしているところを表現したデザインだと思っていました。ところが”船をイメージした”のだそうです。この辺りで販売されている「みかもの月」という名前のお菓子があるので、そのイメージも影響してしまったのかもしれません。HPには、”船のイメージを採用したのは、同町ゆかりの慈覚大師円仁が最後の遣唐使船で一行に加わったことと、町名が岩『舟』町であることによります。”と書かれていました。誰かが「ふるさと創生事業」の一億円で建てたのだと言ってましたが、平成4年から5年にかけて建設されているので、お金が配られた時期と合致しませんし総工費は「1,789,625千円」なのだそうです。
ホールの裏手には、標高100m足らずの「富士山」があります。まだ登ったことはありません。コスモスホールに寄ったので交通量が多くて埃っぽい国道50号線沿いを歩いて行くことになりました。前橋からは60Km、水戸までは80Kmとなってました。ところどころに目に付くのは、「潰れぶどう園」と「潰れ佐野ラーメン店舗」でした。
静和駅から1時間半くらいかかって「道の駅みかも」に着きました。農産物直売所や食べ物屋は午前9時から開店のようでした。「栃木市ふれあいバス(藤岡線)」が4月1日より運行するようでバス停ができていました。栃木駅南口からJR大平下駅、東武日光線・藤岡駅などを通って「道の駅みかも」が折り返し(終点)で、1日6便となってました。
あと2キロほど先には「佐野プレミアムアウトレットモール」があります。梅の花が見えたので行ってみたら「三毳不動尊」でした。「栃木県営みかも山公園」南口駐車場にはまだ1台の車も駐車していませんでした。


2012年3月27日火曜日

世の中に絶えて桜のなかりせば




今日はまず「アクアシティお台場」の建物を取り巻くように植えられている「河津桜」を見に行きました。海側の通りのほうが多くの河津桜の木があるのですが、午後にならないと陽が当たらないようです。
ヒヨドリが何羽も来ていましたが、木の近くを人が歩いただけで一旦どこかへ飛んで逃げてしまいます。
久しぶりにレインボーブリッジを歩こうかとも思っていましたが、今月中は午前10時「開館」なので30分ほど時間を潰さねばなりませんでした。ちょうど門前仲町行きと浜松町行きのバスが続けて走ってきたので、フジテレビ前のバス停から都バスで浜松町へと移動してしまうことにしました。
都バスは、先週くらいから車内アナウンスの声が変わりました。ここ二年間ほど使われていた声には、どこの方言とも言えないような機械が話すへんてこりん訛りがありましたが、もう全く気にならない自然な発声になりました。
浜離宮から船で浅草のほうへ行こうかとも思いましたが、一年ぶりに「東京タワー」に上ってみることにしました。昨年は、3月23日に一階の特設会場で開催されていた「大恐竜展in東京タワー」を見てから「150m大展望台」に上がって600段あるという階段で下りてきました。「250m特別展望台」は節電のため営業されていませんでした。
去年は人がいなくて閑散とした展望台でしたが、今日は「特別展望台」に行くにはチケットを買ってから一時間以上もエレベーター待ちをしなくてはならないくらい混んでいました。なので待たずにまた600段階段で下り、展示物はなにひとつ変更がないように見える蝋人形館に入りました。少なくともここ10年くらいは展示物を変更していないのかもしれません。一番最初の蝋人形は、上半身裸のおばさんなのですが、まずこれが誰なのか謎です。ホーチミンとか毛沢東、蒋介石、杉原千畝などなど、、もし人形の出来が悪くても実物を知っている人はめったに見に来てないかもしれません、、。
入口から見る限りでは、ペットショップの金魚売り場と大差ないように思えるので今まで敬遠していた「東京タワー水族館」(入館料1000円)に入ってみました。思っていたよりも魚はいっぱいいましたが、ほとんどがナマズ、ピラニア、アロワナなど淡水魚でした。海水魚だと運営コストが嵩むのではないかと思われます。
いつのまにかテレビで「サクラが咲いた」と言えば「ソメイヨシノ」のことで、今日は各地で開花あるいは満開となったようです。



2012年3月26日月曜日

疲れた身体に人工天廊と人工海水




自覚していた以上に身体が疲れていたのか、昨日の朝は予定していた時刻に起きることができませんでした。いつもはだいぶ端折って書くブログを少しだけ中身を増やしてみたら書き終えるのに夕方までかかってしまいました。やはり一枚の写真と17文字で足らせるのが理想かもしれません。
昨日から今日にかけては十時間以上も眠ってしまいました。一昨日の夕方には子供の頃に治療した歯が半分くらい欠け落ちて、残った歯が頬の内側に突き刺さるように尖っていて痛い、、(T_T)
20キロ前後歩いただけで、こんなに疲れていては間違って江戸時代にタイムスリップしたら生きてゆけないと思うのであります(笑)
今年は4月22日に行われる「第27回外秩父七峰縦走ハイキング大会」は参加申込書を書いて郵送しようと準備しましたが、同封するのと送るのに必要な80円切手がなくて締め切りを過ぎてしまいました。東武東上線・小川町駅前から出発して、官ノ倉山(344m)、笠山(837m)、堂平山(876m)、剣ヶ峰(776m)、大霧山(767m)、皇鈴山(679m)、登谷山(668m)を経て寄居駅近くまでで、マラソンコース並みの距離があります。
たくさん歩けるようになるには、たくさん歩くしかないという当たり前のことがパラドクスに思えるのはなぜなのでしょう???
634mは、山としては高い方には入らないと思います。それにその高さのところまで行ける一般人はいません。東京スカイツリーの「天望回廊」は、450mとのことです。
東京スカイツリーは、5月22日から7月10日までは、日時指定(30分刻み)の完全予約制とのことで、今は5月31日分までが3月28日23:59まで抽選申し込みができるみたいです。
申し込みには有効なクレジットカードと「チケットぴあ」への登録が必要です。5月22日は正午から、翌日からは朝8時から30分間隔で第8希望までネットで申し込みできます。抽選に当たるとすぐにクレジットカードから支払いになるみたいです。6月前半のチケットは、4月1日から10日まで申し込めます。大人1枚2500円です。早速、22日を正午から30分間隔で4つ、翌23日を朝8時から4つ選んで申し込んでみました(^^)v
「すみだ水族館」のほうは、入場料が2000円と決まったみたいです。4月1日から浅草松屋の特設会場で年間パスポート4000円が先行発売されます。こちらは初日に入れるのでしょうかね???

(写真は、昨年3月27日に撮影したものです。)

2012年3月25日日曜日

ぐるぐるびーのはらへりひれはれ





空はすっかり晴れて春っぽい日差しが照ってます。袋川でお食事中だったシラサギは写真を撮ろうとすると遠くへと飛んで行ってしまいました。
道標の通りに歩かなかったら、、昨年秋の足利市文化財一斉公開日に見にでかけた「国登録有形文化財・名勝庭園 巌華園」のすぐ近くを通ることになったので、寄りました。ここでは予約しておかないと食事はできないようです。たとえ可能だったとしても一回の昼食で半月分くらいの食費相当になりそうです。
源氏姓足利氏五代目の頼氏が創建したという「吉祥寺」にも寄りました。足利氏の衰退によって樺崎寺が廃寺になったようにここも50年くらい無住寺であったようです。ここの弁天堂には乳房を露わにして全裸で琵琶を奏でる弁天像がありますが、お堂のスリットが細くてよく見えません。
室町時代120年余の間、足利を統治していた足利長尾氏は城の守護神として城の周囲に七弁財天を配神したそうです。本城二丁目にある厳島神社の「美人弁天」には、祭神「市杵島姫命」の分身として「六角の宮」に入った金色の石像と「水かけ弁天」像と二つの「なで弁天」像があります。”美人証明を出す日本で「たった一つ」の神社です”と掲示してます。
足利郊外の”名草巨石群”のところにある弁財天(現在は厳島神社)にも”どこでも弘法大師”伝説があって、そちらでも白蛇が重要な役目をしているみたいです。足利ではなぜ平家ゆかりの厳島神社が源氏ゆかりの八幡宮より優勢なのでしょう???
相田みつをの墓がある「法玄寺」には、足利義兼の正室であった「伝・北条時子姫五輪塔」があります。時子は義兼が不在の時に妊娠したかのように腹が脹れ密通を疑われて自害したそうです。時子の遺言で開腹すると腹部から大量の蛭が出てきたと伝えられているようです。花見に出た時に野外で飲んだ井戸水が原因らしく、その井戸は封印されて今も鑁阿寺にあるそうですが、確認してません。時子は北条政子の妹なので、足利氏が勢力を拡大できた一端は時子にありそうです。密通の相手と疑われた藤原姓足利氏の足利又太郎忠綱は山を越えて逃げて現在の桐生市内で追っ手に討たれます。
近年「足利B級グルメ・秘伝ソースのポテト入り焼きそば」が有名になってきたようなので機会があったら食べてみたいと思っていましたが、メインストリート沿いには見あたりませんでした。
鑁阿寺の境内にある売店に焼きそばがあったので注文しました。ここの焼きそばにポテトは入っていませんでしたが、他の客は持ち帰ろうとする人もみんな「いもふらい」(1皿5串300円)を頼んでいるので、こちらも食べてみることにしました。ハンバーガーショップなどのフライドポテトは美味しいと思えませんが、「いもふらい」はとっても美味でした(^^)/
「1889年発売当初のハッチンソンスタイルボトル」コカコーラが壜付1本100円とベストマッチする「いもふらい」でした。
ポテト入り焼きそばは栃木市のほうにもあり、焼きそばそのものならば群馬県太田市のほうが本家元祖なのかもしれません。そして「ソース」つながりでは、群馬県桐生市が本家元祖かもしれない「ソースかつどん」も足利や太田で食べることが出来ます。足利氏とB級グルメとの栄枯盛衰を思い浮かべてのお散歩でした。




やはたことひら金比羅八幡




午前11時10分頃に樺崎八幡宮に着きました。手水舎の水は氷ってます。四日前に来た時には気付きませんでしたが「芳名録」が置いてあったので名前を書いておきました(^^)
足利義兼がここに「法界寺」を創建した頃は、源頼朝が鎌倉幕府を開いたばかりですから「足利氏」の勢力はまだそう大きくない時代であったのかもしれません。ここは「鑁阿寺」の奥の院でもあります。足利市の天然記念物になっているスギの木がありますが、推定の樹齢は書いてありませんでした。樹齢を多く見積もっても鎌倉時代までは遡れないからでしょうか?
義兼はここで念仏三昧の晩年を送り生入定したという説もあるようです。よく見えませんが本殿の床下には墓標があるそうです。樺崎寺跡の池では爺さんが四日前から動いていないかのように釣りをしていました。
「パワースポット登山道入口」という標識があり八幡宮のある裏山に登れるようなので行ってみることにしました。雨が降ってきました。すぐに頂上まで行けるかと思ったら、ちょっと大変でした。標高は、100mないくらいかと思っていましたが頂上には「八幡山 152m」と掲示されてました。残念ながらパワースポット的なパワーは微塵も感じることができません。少し先に「琴平山 158m」があり道は登山口の近くへと戻るとばかり思っていたら工事中の鋪装道路が崖崩れで埋まっていました。急斜面でもないので崩落したところを通って舗装道を下ると北関東自動車道脇に降りましたが、まるで方角が分からなくなってしまいました。
足利インターチェンジがありそうな方へと歩くと見覚えのある四日前に通った道に合流して一安心でした。足利駅まではまだ6.8キロもありますが、足が痛くてもう歩きたくない状態でした。お腹も空いてきましたが、この辺りには昼食を買えるお店はありません。
青空が広がってきましたが、まだなぜか雨が降っていました。道標に従うと意味がないような右左折を繰り返して遠回りのような気がしたので、別の道を行ってみました、、。



まんさくまんかいまみむめも




鳥居はあるけど神社らしき建物がないので変だと思ったら、、その先に北関東自動車道の建設でどうやら参道が破壊されてしまったらしい熊野神社がありました。隣りに長さ1030mと表示されている「塩坂峠トンネル」出入口が見えます。
ここにスギの木がソネ(イヌシデ)の木を地上3mくらいまで包み込んで「だっこ」をしているように見える「熊野神社のだっこ杉」がありました。樹齢300年だそうです。山道に入ります。
「塩坂峠」の名前は、”どこでも弘法大師”伝説のひとつのようです。諸国を行脚していた弘法大師がこの峠に来た時、咽喉が渇いたので「水はないか」と供の者に探させたそうです。供の者が窪地に湧いている水を見つけ、弘法大師が飲んだら塩辛かったので窪地を「塩の井戸」、坂道を「塩坂」と名付けたとのことです。説明板には、「早春には、この小さな井戸のまわりに群生するマンサクが、愛らしい黄色の花を一斉に咲かせます。」と書いてありましたが「早春いつだぁ~!!マンサクどこだぁ~!!」と叫びたくなるほど落葉したままの木々しかありませんでした。
ここに井戸を掘ったような形跡はなく、わざわざ井戸であるかのように石組みしただけに見えました。こんな人通りも少ない山の中に税金の無駄遣い(?)ができる時代は再び日本にやってくるのでしょうか???
結局、マンサクの花は出直さないと見られないのかと思ったら、峠を下って平地まで降りて来たところについ最近苗木を植えましたみたいな感じで花が咲いていました。マンサクを漢字で書くと「満作」でフクジュソウと同様に早春の縁起の良い名前なのかもしれませんけど花の姿は「愛らしい」と言うよりも不気味な感じがしました(^^;)
峠を越えて降りた側は、北関東自動車道ができたことで従来「関東ふれあいの道」であったところが分断されて、あやうく道標を見失うところでした。




道端の暮らしック車




道中歩いていてなんだか気になったのは道端放置車両(?)の多さでした。持ち主らしき人が近くにいて撮れない車もありました(^^;)
2枚目の写真の車は軽自動車かと思いましたが、フロントのエンブレムから「いつかはクラウン」が「いつだったかクラウン」になってしまったのでしょうか? ここに半世紀くらい駐車しているかのようでした。



碧き水底と白い蛇






ここに祀られているのは、「宇賀神」と「弁財天」とが習合した”人頭蛇身”の仏教神(天)なので、お参りに「柏手」の有り無しを迷ってしまいます。栃木県は「宇賀神」姓の人が多くいる地域のようです。
白蛇は「アオダイショウ」のアルビノらしいのですが、マムシなどにアルビノは生じないのでしょうか???
環境省・栃木県による説明看板には、、”出流原弁財天は、藤原秀郷が勧請したといわれるもので、三層楼の舞台造りの弁天堂に祭られております。堂の裏側には風穴があり、四季を通じて冷風が感じられます。裏山の頂上からは南東方向に佐野市街を望むことができます。また出流原弁天池(県指定天然記念物)は、地下水が古生層石灰岩の亀裂から湧きだしてできたもので、周囲138mの丸い池です。地底には地下洞窟の存在することも暗示しており、名水百選に選ばれています。”と書かれています。
「舞台造り」は「懸造(かげづくり)」とも言い京都の清水寺が一番有名かもしれません。通常、釘は一本も使わないようです。狭い急な階段で楼の上まで行けました。誰もいなくて独占状態でした(^^)
池には鯉がいっぱい泳いでいて、飲用の水汲みは赤見温泉旅館の「一乃館」前でできるように作られていました。
曇り空でやや暗かったせいもありますが、撮ってきた写真は「手ぶれ」続出でした。修理に出したカメラは、F1.8で、ここ半年ほどメインに使ってました。今回代用しているカメラは、同じメーカーでより値段は高いのですが、F3.5とだいぶ暗いレンズなのでした。いつもは歩きながら立ち止まらずに撮ってもあまり問題なく撮れていましたが、、。
ここから足利駅までは、約14キロ「関東ふれあいの道・マンサクの花咲くみち」です。午前9時20分、塩坂峠に向かって出発です。
ところで、一日に4本だけですが、佐野駅から佐野市営バス・さーのって号「名水赤見線」が利用できるようでした。駅から歩いて一時間で来られるというなんて情報はネットでみつけられませんでしたが、誰も歩いて来ないのでしょうかね?(笑)



2012年3月24日土曜日

そのまんまんなかを歩く!!




出掛ける時に家の中からは雨は降っていないように見えましたが、外へ出るとまだしとしとと小雨が降っていました。そのまま傘は差さずに出発しました。
館林駅で東武伊勢崎線から佐野線へと乗り換えて、田沼駅に到着したのは午前7時20分でした。雨は止んでいました。駅前には、今月3日に歩いた岩舟町村桧神社までの約7.3キロ「関東ふれあいの道・松風のみち」についての案内看板がありました。今日、歩く予定の「関東ふれあいの道・マンサクの花咲くみち」については、全く案内が無くて補助的な地点にはなっていないようでした。
駅前広場(?)には、「日本列島中心の町」という石碑が建っています。”北海道の最北端と九州の最南端から、それぞれ同じ距離となる日本海側の地点と太平洋側の地点とを結んだ線の中間点に「田沼町」(現・佐野市)が存在する”という説明書きも添えられています。東経139°30'21" 北緯36°30'54" の位置です。
駅から200メートルほど離れたところにはなんと「セントラルパーク」があります。日本列島中心の公園ですね!!(笑)
国道293号線をしばらく行くと道路標識には、「道の駅どまんなかたぬま」と書かれていました。”どまんなか”という”ど関西弁”を関東にある「道の駅」のネーミングに使用することにした経緯については分かりません。以前に車で寄ったことがありますが、徒歩ではちょっと遠回りになってしまうので今日は寄らないことにしました。
今日歩くのに参考に持ち歩いているのは、栃木県観光物産協会が作成した「栃木県観光マップ」という無料配布されている栃木県全部が載っている折りたたみ地図なので、細かい距離や所要時間は謎です。
もっと遠いかと思っていましたが一時間ほどで「出流原弁財天」に着きました。旅館がいくつかある「赤見温泉」というところでもあります。