2009年8月13日木曜日

もう消えてしまった青い線を辿って……

「雷門といっても門はない」という書き出しで始まるのは、永井荷風が昭和11年4月に書いた随筆で「寺じまの記」です。岩波文庫『荷風随筆集(上)』に収録されています。この時の取材が、やがて『墨東綺譚』という小説になったようです。
雷門という門は出来ましたが、「寺島」という地名は消えてしまいました。昭和7年生まれの漫画家・滝田ゆうの代表作『寺島町奇譚』に描写されている滝田自身が「わがふるさと」と呼ぶ街は「今はもうない」というくらいに地名だけでなく昭和の情景はもはや本当に残ってはいないのか、それの確認をするために昨日、東向島へと行ってみました。
まずは東武鉄道のガードに沿った道を少し北へ行きます。間もなく古くからの商店街であったと思われる「大正道路」と交差します。斜め右へと続くところを今は「いろは通り」としているようです。
道にはみだすように商品を並べて売っているスーパーの奥に寺のようなものが見えたので入ってみると、、、「寺じまの記」から引用した文章を掲げている「満願稲荷」がありました。
そこから裏路地へ、、、『墨東綺譚』にでてくる「玉ノ井稲荷」(現・東清寺)のほうを探しました。東清寺はなんの風情もないような3階建てくらいのビルでした。「玉の井稲荷」と彫られた真新しい石碑がなければ通り過ぎてしまうところでした。
昭和20年の東京大空襲が全てを焼き尽くしたのかもしれませんが、『墨東綺譚』に描かれた街は、なにひとつ残っていないようでした。
夏空が広がって、訪れる人がまばらな向島百花園も蝉の鳴き声に溢れていました、、、。

2 件のコメント:

  1. 玉の井カフェ辺りですな(^^)もう昔の面影なんて残ってないんでしょうね。東清寺の画像をネットで見てきましたが、ご利益もなんになさそうな、なるほど殺風景なところでした。一晩で12万人もの命とそれぞれの思いが消えたとき、佇まいも同時に消えてしまったのでしょう。合掌。

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