2009年8月18日火曜日

江戸の東のとうざいなんぼく

旧盆も終わって、日本の夏・幽霊の「旬」も過ぎようとしています。今宵は、J法螺~噺の元祖本家のような四世鶴屋南北の終焉の地を訪れました。
ちょっと場所を勘違いしていたので、探して歩くのに時間がかかってしまいましたが、帰りは門前仲町の駅まで3分とかからない近さでした。
今は「黒船稲荷」となっているところが南北の住居跡で、文政十二年(1829)に75歳で亡くなったそうです。当時としては、長生きしたほうと思われます。
いわゆる「土地勘」というにはほど遠い気がしますが、、、北は亀戸天神、東に中川船番所、西に芭蕉庵、南に大江戸温泉物語と広大に広がる江東区内の町々がどうにか頭の中で繋がりだしてきたような感じがしています。それも先日、旧大石家住宅を探すなどして、仙台堀川公園を歩いたことで、行ったことのない空白域がずいぶんと小さくなったからと考えられます。
写真は、黒船稲荷を見つけようとしていたら、となりの町内へとでてしまい、道端に謎のボディーがありました。のっぺらトリオでしょうか???
ところで、南北の墓は、墨田区業平の春慶寺にあるそうで、黒船の自宅から役者さんなどの長い葬列におくられたらしいです。

2 件のコメント:

  1. 飛躍的に面積が伸びてるのは、おそらく江東区だけでしょうね。埋立地が1/3以上あります。

    このボディー、四角の斑点のような物が何やらデザイン関係ですなんて言ってそうですが、男の体の鎖骨がテーマだったのか、首周りがやたらに気になります。

    返信削除