2012年9月8日土曜日

荷風と歩く日光


毎日毎日、東京ばかり歩き回っていた荷風が日光に出掛けたことはなかったようです。それでも冬の晴れた日などには荒川の土手あたりから日光連山を眺めていたかもしれません。
荷風が初めて「寫眞機」を購入したのは、昭和11年10月26日でした。104円でドイツ製二眼レフ「ローライコード1型」の中古を購入して、早速翌日からこのカメラを持って歩いています。翌年2月1日には、310円で「ローライ・フレックス」を買ってます。好んで撮ったのは「墓地」だったそうですが、浅草に頻繁に通うようになってからは女優や踊子も撮るようになりました。現像や焼き付けも自分でしたみたいです。つまり現像を他人に頼めないような写真を撮っていたということだと思えます。



JR日光駅は、大正元(1912)年に現在の二代目駅舎に改築されました。誰がデザインしたのか分かっていないそうです。「明治時代の面影を残す白亜の木造建築の駅」として「関東の駅百選」に選ばれています。
この駅の利用客は年々減少しているようです。JRの車輌が新宿や池袋から東武鉄道の線路を使って東武日光駅へ乗り入れているので、地元民が鹿沼や宇都宮へ通勤・通学で使うだけなのかもしれません。埼玉の大宮あたりからJRで日光まで行くと東武鉄道の倍近い運賃になってしまいます。

日光を紹介するテレビ番組に必ず登場するのが「あげゆばまんじゅう」です。わたしはいつも揚げる前の饅頭を買っています。ひとつ120円です。



2 件のコメント:

  1. 私が生まれたころの中古ローライが100-300円とは・・・カメラは好きだけど二眼レフは戦後のモノだと信じてました。私も押入れでDPEをやりましたが、他人に頼めない写真を撮る能力も無くて!(^^)!エヴァ・ガードナーのポスターを撮って秘かに楽しんでました。

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  2. 私のアルバム、赤ん坊の頃が6x6のベタ焼きばかりです(^^)
    僕自身は使ったことがないな。35mmしか知りません。それでも写真部(爆)だったので、白黒なら一通り出来ます。厭らしい写真か、嘗め回すように下から眺めた半流D51くらいだな(^^)

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