2009年9月21日月曜日

芭蕉翁、布佐での宿は腥し

三日前に見つけることができなかった赤松宗旦旧居へと出直しです。空は朝からどんよりと曇っていました。
成田線・布佐駅から歩いてゆくとすぐに車が渋滞しているので、なんだろうと思っていたら、、、山車が2台見えてきました。竹内神社のお祭りのようです(^^)
ちょうど正午から動き始めるのか、山車が5台、大きな神輿がひとつと幾つかの子供神輿が車両通行止めにしている通りにありました。みんな都内の祭りでは見かけたことがないような白装束をしています。大和町が当番ということなのか、大和町の山車だけは車輪を外してあって道路ではないところに置いてありました。その前に大きな神輿。他の町内は、移動できる山車と子供神輿となっていました。
ほとんど皆が祭り装束で、居心地が悪いくらいに見物人が少ないのでした。それぞれの山車の舞台上では、笛・鉦・太鼓に神楽の舞と伝統的に続いてきているもののようで、けっしてカラオケ大会が始まったりはしない様子でした。
神輿や山車が各町内へと繰り出していったあとに利根川を渡って布川へ、、、もう場所ははっきりと分かっているので、迷うことなく直行です。3日前には、宗旦の旧居を覆い隠すように大きいトラックが駐まっていたので、分からなかったのでした(^^;)
しかし、、、月曜日だからなのか、祝日のせいなのか、門には閂がかけられていました。
「当時の旧居をできるだけ再現して、新築したもの」らしいのですが、ここで医者をしたり塾をひらいたりしたわけではないのか、隠居宅にしても小さすぎるくらいの家でした。すぐ後ろは、利根川の土手です。
布佐へと戻って、竹内神社へと行ってみました。お祭りの最中ですが、神社そのものは静まりかえっていて誰もいませんでした。

2 件のコメント:

  1. 郷土の祭り、得てしてそんなものでしょうね。
    しかし、そうした祭りがない街の出としては、何か仲間はずれの気がして、ない事を寂しく思ったりします。こぞって夢中になれる、あの心理が分からない,...。

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