2009年9月19日土曜日

北の鎌倉・天神坂に雨が降る


柳田國男が布川で暮らしたのは、3年間ほどだったようです。「民俗学の父柳田國男第二のふるさと利根町」という看板が、あちこちにありました。凡人は何年学校へ通っても何者にもなれませんが、学校へも行かずに野を駆けめぐり、土蔵の中で本を読み耽る少年が出会ったのが『利根川図志』という地元の自費出版みたいな書物でした。
柳田が、岩波文庫版『利根川図志』の校訂をし、「解題」まで書いていたことに昨日まで気付きませんでした。帰ってきてからこの解題を読んでみると、なかなか興味深いことがいくつもでてきました。
神様(のようなもの)が、もう一度出直しなさいと言っているのか、、、赤松宗旦の旧居がみつかりません。それから2時間あまりも歩き回りましたが分かりませんでした。実際には、何度も前を通り過ぎていたようです(^^;)
布川から布佐へと利根川を渡って引き返したあたりで小雨が降ってきました。布佐駅まで戻ると1時間に2本しかない電車がちょうどやってくる時刻でした。正午頃に我孫子で下車しました。
昨年、我孫子へ来たときに長期の休館中だった白樺文学館へと行ってみることにしました。建物の大きさの割には展示物が少ないような印象でした。白樺派の作品は、教科書に載っていたものくらいしか読んでいないので、特に魅せられるものもありませんでした。なんだかとっても入館者が少なそうですし、運営形態がよくわかりませんが、そのあたりに住んでいるお金持ちが道楽でやっているのでしょうか???
小林一茶が布川を何度も訪れたということは、そこに強力なパトロンがいたということかもしれませんしね、、。

2 件のコメント:

  1. 今では世界中にリンクが張れ、何処へでも誰とでもコンタクトがとれますが、当時は、それこそ千歳一隅のはず、布川に何度も行く心境は、理由はいかに。

    デカ長!金の流れじゃない時は、女をあたれです(^^)/

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