2012年1月27日金曜日

日中の光と陰




馬琴の墓がある深光寺の前に「茗荷谷町会案内図」というイラストマップがあって、「切支丹屋敷跡の碑」というのが載っていたので行ってみることにしました。
そこへと向かう途中に短大らしき建物が鉄条網付きのフェンスに覆われていたので、「ああ、この短大も学生が集まらなくてつぶれたのか」と思ったのですが、、、むしろ無意識に見ていたのは、短大の隣の高台にある「廃墟」でした。この辺りは坂が多くあります。坂をのぼってゆくと表札のない門柱があって、駐車場のようでしたが、その奥に三階建てコンクリート造りの大きな建物がありました。窓ガラスはほとんどなくなっていました。
真新しい車が駐車してありましたが、ナンバープレートのない車も何台か放置されてます。建物は、学生寮のようでした。人が通れるくらいに開いている玄関のドアはブラウン管式のテレビによって”塞がれ”ていました。中を覗き込むと貼り紙は中国語で書かれていて、いくつもならんでいる郵便受けには、中国人名が書かれていました。
火災があったようで無残に焼けている部屋もあれば、冷蔵庫などが置かれていて整然としており、いまにも人がひょっこりと現れそうな部屋もありました。ぬいぐるみも多く落ちているので子供も住んでいたのかもしれないという感じでした。風で2階にある部屋のドアが開いたり閉まったりしていました。なにかとっても不気味です。こんなに落ち着かない感じのする廃墟に入ったのは初めてです。しかも文京区の高級な住宅地に近い場所というのが、どうにも不自然です。
帰ってから調べたら台湾総督府の留学生寮として80年以上も前に建てられた「清華寮」という建物だということが分かりました。2007年に火災があって死者がでていました。なにか嫌な感じは、そのせいだったのかもしれません。2階、3階には行きませんでしたが、地下にも部屋があったことには気付きませんでした。
切支丹屋敷跡の近くには「巨大マンション建設反対」の立看などがいくつも見られました。



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