2012年3月6日火曜日

縁側の日溜まり





雪に覆われた加波山を歩いた翌朝、意外と足の痛みは少ないことが幸いでしたが、肩や腕、背中あたりの筋肉が激しく痛みました。杖を地面に突き刺して、両腕で身体を上に引き上げるようにして山を登ったせいなのでしょう、、。

歩くと膝から下がとても重く感じられるようになってしまいました。だからと言って歩かないでいると余計に重たくなりそうな気がしたので、梅の花でも見にゆくことにしました。

まず亀戸天神に行きました。午前10時を過ぎたくらいなので、まだ露店も準備中、人出もまばらな境内でした。梅の花の咲き具合は、木によってまちまちという感じでした。

亀戸天神の東側の通りを北へ向かうとすぐに「二世歌川豊國の墓」という石碑が建っている「光明寺」がありました。亀戸天神にも「歌川豊國の碑」というのがあって肖像画と”幹はみな老いを忘れて梅の花”という歌が刻まれていたので、墓も見ておこうと入ってみましたが墓地の方には案内がでていないので墓がどこにあるのか分かりませんでした。豊國は、役者絵を得意とした浮世絵師だったようです。

一昨年、昨年と二月の二十日前後に行われる「小村井香梅園」のオープニングイベントへ行きましたが、梅が咲かないので今年は忘れていました。江戸時代に「小村井梅園」は、3300坪の広さがあって梅花の盛りには将軍家の御成りもあったとのことです。小山孫左衛門という名主の梅屋敷でした。「香梅園」は、香取神社の一角につくられた狭い庭です。「梅の香り」と「香取の香」をかけている命名なのかもしれません。

以前、JR平井駅から歩いて行った「立花大正民家園 旧小山家住宅」も香梅園から遠くないはずなので、探して行ってみることにしました。名主と同じ「小山姓」なのは、なにか関係があるのでしょうか???

旧小山家住宅は、約411坪の敷地に34坪ほどの広さの平屋建てです。大正6年に建てられた時には、茅葺きだったそうですが、今は瓦屋根になっています。建物から運をもらえるかどうか謎ですが、この家は大正12年の関東大震災と昭和20年の東京大空襲とを焼失、倒壊することなく乗り越えています。この家の縁側に座ると、しばし素敵な時間が過ごせそうです(^^)





1 件のコメント:

  1. 古民家好きですねー
    俺にはない感性なので、よくわからない部分でもあります。

    光明寺調べましたが、こんな事書いてありました。

    --------------------------

    江戸時代の浮世絵師、浮世絵師の中で作品数が最も多いと云われる『三代目歌川豊国』のお墓があるお寺。豊国襲名前の名は、『歌川国貞(初代)』。

    墓石には三代目ではなく二代目と刻まれています(一時期、『歌川国貞(初代)』ともう一人が、『二代目歌川豊国』を名乗っていた)。

    亀戸七福神のひとつ、普門院と同じ区画にあります。

    ---------------------------

    返信削除