2012年3月6日火曜日

きょろきょろきょろ路



小野小町が圧倒的に多く詠んだのは「夢」の歌でした。小町伝説から日本人の性格と傾向が読み取れそうな感じがします。流布された人物像と「正伝」とがあまりに違うことから、正伝のほうが捨てられてしまい、それからずっと「日本人の夢」のなかで小町は生きているのかもしれません。
環境省「関東ふれあいの道」で村桧神社は2つのコースの中継点になっています。ひとつは「かかしの里・ブドウのみち」で棚田になっている山間の水田地帯をたどり、山桜の咲く「桜峠」(5.3Km)を越え、「滝の観音様」と言われている清水寺(せいすいじ)を通り、ぶどう畑をぬけてJR大平下駅までの全10.3Kmです。もうひとつが「松風のみち」で、1.5Kmほど先の「京路戸峠」まで上り尾根を通って藤原秀郷の居城跡・唐沢山を通って東武佐野線・田沼駅に至る全7.3Kmです。今回は、「稜線をたどるみち」から流入したことになります。
「京路戸(きょうろど)」をなんと読むのか分からなかったので、勝手に「きょろちゃん峠」という名前にしました。正午を過ぎてしまったので、きょろちゃん峠で昼食にしようと思ったらテーブルが中年夫婦に占領されていたので、少し先まで行って倒木に腰掛けておにぎりを食べました。
途中に「諏訪岳」がありましたが山頂へは寄りませんでした。午後1時半にならない頃に唐沢山神社に到着しました。古くからある神社かと思っていたら明治16年の「御鎮座」と書かれていました。
南城跡というところからは、東京方面がよく見えるそうです。「標高八百尺」と彫られた大正時代の石碑もありました。「スカイタワー634m」を撮った写真が掲示されていました。建設前とかなら名称の間違えもご愛敬ですが、「スカイタワー」が見られるのは、ここだけです!!(笑)
「露垂根神社」という聞き慣れない名前の神社があるようなので行ってみることにしました。途中、アカマツがたくさん切り倒されていました。樹皮が赤っぽいのでアカマツという名前なのかと思っていましたが、切り株が着色したかのように赤く見えました。唐沢山神社の祭神は藤原秀郷ですが、露垂根(つゆしね)神社は、その秀郷が天慶5(942)年に安芸・厳島大明神を勧請したものでした。
田沼駅とはまったく違う方向へと来てしまったようでした。歩いて行けば駅の案内くらいでているかと思いましたが、だいぶ歩いてやっと佐野市内の例幣使街道に出ました。もう二十数キロくらい歩いているので足が痛くなってました。やっと道路標識に左が「佐野駅」、直進が「堀米駅」とありましたが距離は書いてありませんでした。その辺りが堀米という地名だったので堀米駅に向かいましたが、帰ってから地図を見たら佐野駅の方が半分くらいの近さでした。





4 件のコメント:

  1. 20キロ以上歩けるなら日本橋から生麦事件碑まで大丈夫( ^)o(^ ) 麒麟の翼と言う映画を観ましたが日本橋にそんな像があるとは知りませんでした。
    日本橋から六郷橋を渡って鶴見市場を通って生麦の東海道を通って子安くらいまで行ってしまう計算ですね。
    ウーロン茶一本とお握り二個のカロリーはすべて消費してしまうのでしょうね((+_+))

    返信削除
  2. なるほどねぇ。20キロの距離を知るのに、日本橋―生麦事件碑間は25キロ程度なんですね。鶴見区に住んでいるのでとてもよくわかりました(^^) 3.11の震災では乗っていた飛行機が着陸直前に地震が起きました。翌日池袋駅から品川駅までタクシーで移動しましたが、これからは歩くことにします。地図上で直線で12キロしかありません!!

    返信削除
  3. 都心部の地図を半透明の紙にコピーして同じ縮尺の自分が住んでいるところの地図にかさねると東京の密度の異常さ加減が分かりそうですね(^^)

    返信削除
  4. スカイタワー( ..)φそちらのほうが、私的にはなじむな(^^)v

    私は神奈川県と愛知県に住んだことがありますが、それでさえ人口密度は倍以上の差を感じます。第一、愛知県は朝の5時代から数メートル間隔で通勤に歩いてる人がいるなんて考えられません。

    返信削除