2012年2月7日火曜日

滅びゆく影




関ヶ原の戦いの後、真壁氏は秋田に移ったようですが子孫は健在なのでしょうかね?
秋田・山形は「出羽」と言いました。出羽には、やはり関ヶ原以降に没落して行く小野寺氏がおりました。将門を討った藤原秀郷に始まり北面の武士であった佐藤義清(西行)などが先祖ですので、末代の姫君などは皆見目麗しいことでしょう、、。
真壁城跡は、最近になって造ったような土塁や堀らしきものがあるものの工業団地を造成中だと言われれば、ああそうなんだなぁと思えるような感じでした。写真(1枚目)の「城」と「跡」の間に見えている山が筑波山です。埼玉や栃木あたりから見える筑波山と形が違うので、なんだか違和感があります(^^;)
登録文化財となっている家々も昨年3月11日の地震であちこちの屋根などが壊れたようでした。家は不思議に人が住んでいると、たとえ手入れをまったくしなくても壊れないものです。
旧真壁駅のプラットフォームに面した建物は崩壊寸前になっていました(写真2枚目)。看板には「商店」の文字がありますので、鉄道が走っていた時には今のコンビニのようなお店だったのかもしれません。屋根も裂けていましたし、いつ倒壊してもおかしくない状態でした。
写真の3枚目は「奉安殿」という建物とのことです。説明看板には、、、”奉安殿とは戦前戦中にかけて全国の学校で、天皇皇后の御写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物のことです。”と書かれていました。現存しているのは、多くないようです。


2 件のコメント:

  1. フットワークがいいよね(^-^)。 歴史は オイラなんか疎い分野でした。 庄屋は最前線の行政官(あるいは体制派の末端)でもあったのですよね。姫の先祖は武家だろうか。

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  2. この商店はいいオブジェですねぇ(^^)鉄道模型をやる人たちは、買ってきた家をくっつけるだけでなく、こうしたものも並べる気づきが欲しいですね。御真影と教育勅語のための建物か( ..)φ、初めて見ました。みんなならんで最敬礼したんだろうな。朕惟うに我皇祖皇宗の・・・実は言えたりします(爆)、いい事書いてあるんだ。

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