2010年6月5日土曜日

明治の頑固親爺は岩より硬い!?



四日前、佐野市郷土博物館へとエラスムス像のレプリカを見に出かけたときに博物館に掲示してあった手掘りの隧道に興味を持ちました。なんと明治・大正・昭和の各時代に造られたトンネル3本現存しているのが、栃木県・県道208号線の足利市と佐野市の境にあるのだそうです。

足利市駅前を午前8時ちょうどに出発する佐野市市営バス「さーのって号」で向かうことにしました。運賃は1回距離に関係なく300円ですが、帰りのことも考えて600円の一日乗車券にしました。乗客は、他に1人いましたがすぐに降りてしまったので、以降は貸し切り状態でした(^^)

このバスが昭和55年竣工の現役「須花トンネル」(全長157m、幅員7m)を通過します。トンネルの手前から自由乗降区間だったのですが、一応「須花」のバス停で降りることにしました。足利市駅からは、約40分です。

バスを降りて間もなくごろぴかごろごろの雷雨となってしまいました。トンネルへと引き返す途中に八雲稲荷神社があって、本殿は家光の時代に左仁五郎によって作られ日光東照宮から寄進された国宝という掲示がされていましたが、ど~にもそんなふうには見えませんでした。樹齢900余年、「源義経公お手植えケヤキ」という看板もありましたが、すぐ近くの太い木は杉で、、、雨も降っているので視界も悪くて、どの木がそれやら分かりませんでした(^^;)

「源氏ホタルの里」という看板も見かけました。どうやら、このあたりは「彦間浅間遊歩道」というハイキングコースもあるようです。まずは明治時代に造られたトンネルへと向かいました。雨は激しく降っています。

明治14(1881)年、近隣の住民から資金援助を得て上彦間村戸長であった田島茂平が工事に着手しましたが、作業は遅々として進まず、すぐに資金は尽きたが茂平は私財をなげうつなどして明治22年に全長117mのトンネルを完成させたそうです。当時の工法は「げんのう」や「たがね」を使っての手作業だったようです。いったい何を運びたかったのでしょう?

雨が小降りになって青空も見え始めて来た頃に大正6年、栃木県が煉瓦巻隧道として築造したほうへ移動しました。わりと最近まで歩道として使われていたようですが、今は両側が鉄柵で塞がれています。全長82mです。「土木学会選奨土木遺産」と掲示されていました。

どちらも幅は3.6mです。歩くだけでなく荷車も通れたのかもしれません。





2 件のコメント:

  1. 幼稚園の頃、砂場でトンネルを貫通させる事に燃えた時期があります(^^)。取り付かれるんだろうなぁ。完成した便利さより先攻した目的になるのだと思う。こういうのを見ると、補強してなんとか使ってあげたいと思います。

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  2. おちょクリックばかりしていてもいけませんので、
    冷静に霊性にカキコ。
    トンネルは時として哲学的、
    こちらと向こう側。貫通する通路。
    男たちの「げんのう」や「たがね」の一手一手に何が刻まれているのでしょうか。
    入り口の礎石は掛けられた犬のおしっこ、こら~~!!

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