tag:blogger.com,1999:blog-7545429536630032113.post2443480017292341514..comments2024-01-13T04:08:36.213+09:00Comments on じゅぴ太夫 惑々遊行録: 崩れる霊山じゅぴ太夫http://www.blogger.com/profile/15988601467368227452noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-7545429536630032113.post-36195266120007011502012-11-26T02:18:34.563+09:002012-11-26T02:18:34.563+09:00岩船山で3.11のエネルギーの大きさが分かりますね。採掘で弱っていたとは言え、凄い事だなぁ。
そう...岩船山で3.11のエネルギーの大きさが分かりますね。採掘で弱っていたとは言え、凄い事だなぁ。<br /><br />そうかぁ、ここで戦っているんだ。初めて知りました(^^)周囲が見えないことやサイズ敵に撮影にちょうどいい場所のような感じがします。フォンhttps://www.blogger.com/profile/06778319462751377723noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7545429536630032113.post-17995574215597113572012-11-22T16:15:05.998+09:002012-11-22T16:15:05.998+09:00忙しくて書き込みできない内に、じゅぴ太夫さんの探訪先は何コマも進んでしまいました。板汚しの自分の感傷...忙しくて書き込みできない内に、じゅぴ太夫さんの探訪先は何コマも進んでしまいました。板汚しの自分の感傷をまたまた勝手に書かせていただきます。<br />じゅぴ太夫さんの紹介でことし最大の幸運だった『のぼうの城』・・・歴史と郷土を知るのにうってつけの歴史小説でした。丸墓山(まるはかやま)に三成(石田冶部少輔三成)は陣を置いたのですね。丸墓山に登れば忍城との距離感は一目瞭然です。<br />行田(ぎょうだ)市は母が産まれた地で、丸墓山には子供の頃何度も登りました。<br />自分の実生活と直結している地であることでぐいぐいと小説に引きこまれました。こんごこの小説の舞台をもっと探ろうと思っています。住所で大字(おおあざ)のところで現れる地名はひとつの村であったようですよね。小説に出てくる実名の持田(もちだ)や長野はむかしは持田村、長野村だったのですね。長野には伯母がおり長野の伯母を指すときは「長野んち(家)」と呼んでいます。これは全国的な用法なんですかね。<br />ryujihttps://www.blogger.com/profile/12384291942219406894noreply@blogger.com