2012年11月22日木曜日

崩れる霊山




 以前通った時には全く気付きませんでしたが馬不入山から下山する途中で道が二股に分岐していました。ハイキングコースではよくあることで、どちらを通ってもすぐに同じところにでるのかと思っていたら今まで通ったことのないルートでした。岩船山へ行くには少し遠回りになってしまいましたが、幸いにして既知の道路に出ました。
岩船山は、江戸時代の頃から採石によって山の形が変わるほどに削り取られてゆきました。2011年3月11日の大地震で山の西側(1枚目写真の左側)がV字状に崩落してしまいました。採石によってだいぶ細くなっていた部分だったので鍵のかかった扉付き鉄製の橋が設置されていました。
その崩落と同じ時なのか分かりませんが、高勝寺の「見晴台」近くも大きく崩れてしまってました。以前の手摺りがあったところより手前に鉄のフェンスが新たに設置されて見晴台には入れなくなっていました。見晴台は、1枚目写真の山の上右端にあります。崖から落ちないようにぎりぎりのところまで身をのりだすと筑波山が見えます。反対側には三毳山があります。正面に新宿の高層ビル街や東京スカイツリーが肉眼で確認できました。
岩舟町教育委員会による高勝寺の説明看板の文章は恥ずかしいくらいに支離滅裂です(笑)
崖っぷちに蝶が舞い奈落の底へ誘ってました。下を見下ろすとJRの”かぼちゃ電車”が走って行きました、、。まるで特撮のジオラマのようでした。
ヒーローやヒロインは今もここで悪と戦っています。







2 件のコメント:

  1. 忙しくて書き込みできない内に、じゅぴ太夫さんの探訪先は何コマも進んでしまいました。板汚しの自分の感傷をまたまた勝手に書かせていただきます。
    じゅぴ太夫さんの紹介でことし最大の幸運だった『のぼうの城』・・・歴史と郷土を知るのにうってつけの歴史小説でした。丸墓山(まるはかやま)に三成(石田冶部少輔三成)は陣を置いたのですね。丸墓山に登れば忍城との距離感は一目瞭然です。
    行田(ぎょうだ)市は母が産まれた地で、丸墓山には子供の頃何度も登りました。
    自分の実生活と直結している地であることでぐいぐいと小説に引きこまれました。こんごこの小説の舞台をもっと探ろうと思っています。住所で大字(おおあざ)のところで現れる地名はひとつの村であったようですよね。小説に出てくる実名の持田(もちだ)や長野はむかしは持田村、長野村だったのですね。長野には伯母がおり長野の伯母を指すときは「長野んち(家)」と呼んでいます。これは全国的な用法なんですかね。

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  2. 岩船山で3.11のエネルギーの大きさが分かりますね。採掘で弱っていたとは言え、凄い事だなぁ。

    そうかぁ、ここで戦っているんだ。初めて知りました(^^)周囲が見えないことやサイズ敵に撮影にちょうどいい場所のような感じがします。

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