2012年8月27日月曜日

ないまぜにして大器晩成の立作者



「荷風と歩く深川」は実際には順番が逆で歩いてます(^^;)
最初に四世鶴屋南北の終焉の地となった黒船稲荷神社(江東区牡丹1-12-9)へ行きました。江戸時代の頃は古木が生い茂り「雀の森」と呼ばれていたそうです。
『東海道四谷怪談』の四幕目直助権兵衛は、現在の深川1-5にあたる「三角屋鋪」で起きた事件を題材にしているようです。ネット上では、深川1-3にある三角形の児童公園が三角屋鋪跡だとしている記事がいくつかありましたが違うようです。結局どこなのか分かりませんでした(^^;)
荷風が”電車通の心行寺に鶴屋南北の墓を掃った”と書いてますが、これは五世鶴屋南北の墓です。
「深川の散歩」は荷風55歳、昭和9年です。

8月23日で終わってしまったようですが、新橋演舞場での「八月花形歌舞伎」は昼の部が『桜姫東文章』、夜の部が『慙紅葉汗顔見勢(伊達の十役)』とどちらも四世鶴屋南北の作品でした。
1959(昭和34)年11月に歌舞伎座では三島由紀夫・監修による『桜姫東文章』が公演されています。このときの桜姫役は六世中村歌右衛門でした。
四代目鶴屋南北は、1755(宝暦5)年に日本橋で生まれました。1803(享和3)年49歳ではじめて歌舞伎の作者となりました。56歳、1811(文化8)年に「四代目鶴屋南北」を襲名しました。なお初代から三代目までの鶴屋南北は役者です。
『桜姫東文章』は63歳、『東海道四谷怪談』は71歳の時の作品になります。
1829(文政12)年11月27日に地下鉄東西線・門前仲町駅から歩いて2、3分のところにある居宅(現・黒船稲荷神社)で亡くなりました。75歳でした。
南北の葬儀の時はそこから寺まで長い行列となったそうです。
門前仲町から「清澄通り」をひたすら真っ直ぐに北上すると駒形橋の手前でやや右に折れ、やがて「浅草通り」と名前が変わりますが東京スカイツリーのすぐ近くに「春慶寺」があります。寺内に入ることなく歩道脇に四世鶴屋南北の墓があります。多くの人は、南北の墓など目に入らずに墓前でスカイツリーの記念写真を撮影しています。
東京スカイツリーは、南北の墓への道標として建てられたのかもしれませんね(笑)



1 件のコメント:

  1. 歌舞伎役者何代目何々にどれほどの価値があるのかと最近思います。飲み屋で灰皿投げた子も、そのうち襲名するんでしょうね。国費もらってる立場なら、きちんと消費税を取って納税くらいしろよと思う。

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