2012年8月21日火曜日

不意のよろこびと突然の印象



地下鉄東西線・南砂町駅に到着したのが午前9時50分頃でした。電車を降りたら進行方向の左側の道をしばらく真っ直ぐ行ってから右へ曲がる、、と地図を憶えていたはずなのですが、階段をあがって地上にでると方角が全く分からなくなっていました。駅前には地図が掲示されていましたが、余計に混乱してしまいました(^^;)
永井荷風の随筆集『冬の蠅』に「元八まん」という一編があります、、”偶然のよろこびは期待した喜びにまさることは、わたくしばかりではなく誰も皆さうであろう。わたくしが砂町の南端に残ってゐる元八幡宮の古祠を枯蘆のなかにたづね当てたのは全く偶然であった。”という書き出しです。
この「富賀岡八幡宮」は、「富岡八幡宮」を最初に勧請した所なので旧地を「元八幡」と呼ぶようになったようです。荷風は、江戸の名所であった「元八幡」のことを知っていましたが、実際にどこにあるのか、そもそも現存するのかについてまでは知らなかったのでしょう。昭和7年1月8日に荷風は「元八幡」を葦原のなかに”発見!!”しました。この元八幡と『東海道四谷怪談』の一幕となった「砂町隠亡堀」と地名が消えてしまった「洲崎」の赤線跡を探し歩くことにしました。
なんだか遠回りしてそうでしたが、バスで通ったことのある明治通りの「日曹橋」交差点まで出てから探すことにしました。荷風も立ち寄った「仙気稲荷神社」はすぐに見つかりました。”疝気(せんき)”とは、「漢方で腰腹部の疼痛の総称。特に大小腸・生殖器などの下腹部内臓の病気で、発作的に劇痛を来し反復する状態。」だそうです。”虫の居所が悪い”ときの腹の虫でしょうか???
「仙気稲荷通り」は、福島橋という交差点から「元八幡通り」と名前が変わります。この通りを行けば左右のどちらかに神社があるはずですが、、、見あたりませんでした(^^;)
ところどころに地図が掲示されていましたが、神社は書かれていませんでした。以前行ったことのある古民家(旧大石家住宅)がすぐ近くでした。いつのまにか荒川の土手に突き当たって左には葛西橋が見えました。昼に近づくにつれ日陰が減ってきました。1ブロックほど離れた道を引き返したりして探しましたが神社らしきものは見あたらないので、ちゃりんこに乗ってヒマそうにしている若いポォリィ兄ちゃんを呼び止めて訊いてやっと場所が判明しました。元八幡通りから近いのに全く見えない位置に存在してました。
ブログで書く順番が逆になりましたが、富賀岡八幡宮の次に砂村隠亡堀へと向かいました。



1 件のコメント:

  1. 永井荷風由来の地を訪れ、足跡を辿るか、いい旅行してるなぁ。此処まで来ると散歩も達人ですな。そんな番組があるといいのにね。あの大青春スター降ろして(爆)

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