2012年8月16日木曜日

はたして最後に伊右衛門は死んだのか?




『東海道四谷怪談』が江戸中村座で初演されたのは文政八(1825)年でした。幕藩制が腐り始め既成の秩序が崩れてゆく時代に四世鶴屋南北は『忠臣蔵』のパロディの形を用いて『四谷怪談』という歌舞伎狂言を創りました。
『四谷怪談』は、四谷左門町に住んでいたお岩の怨霊話、密通した男女が戸板に釘付けにされて神田川に流された話など実際にあった話を取り込んでいます。
今日はいくつかの「於岩様」に関連したところへ行ってみることにしました。朝から日が照りつけて暑く、歩き回るにはまるで不向きな一日でした。
まずはまだ行ったことがなかった中央区新川にあるという「於岩稲荷田宮神社」へと向かいました。東京駅前から東京ビッグサイトへ行く都バスに乗って、「新川二丁目」というバス停で降りたのは午前10時頃でした。地図を見てだいたいの見当をつけたつもりでいましたが、現地に着いたらどこを歩いているのかまるで分かりませんでしたが、番地を頼りに探したら数分でみつかりました。初代・市川左団次の所有地であったところに神社ができたようでした。
地面には蝉が這い出してきたと思える穴がいっぱいありましたが、境内では蝉の鳴き声はしていませんでした。
地下鉄東西線・茅場町駅から大手町駅で乗り換えて、丸ノ内線・四谷三丁目駅へと移動しました。本家(?)「於岩稲荷田宮神社」と「日蓮宗於岩稲荷陽運寺」とに寄りました。
ここから地下鉄などでの移動経路を考えるのが面倒なので、四谷三丁目の交差点を通り越してずっと真っ直ぐ歩いてみました。意外と「早稲田」という地名がでてきたところまでは早かったような感じでしたが、そこから都電の早稲田駅までが果てしなく遠く思えました。それでも歩いたのは一時間弱くらいでした。
都電荒川線・新庚申塚駅で下車して「妙行寺」に到着したのは、午後1時20分頃でした。ここには、お岩様の墓があります。墓地には誰もいませんでした。
再び都電で終点の三ノ輪橋駅まで乗って、荷風が好きだった「浄閑寺」に寄ってから帰ることにしました。

  生まれては苦界 死しては浄閑寺  花酔



1 件のコメント:

  1. しかし、物凄い移動距離だな。とても一日の行動とは思えません(^^;

    浄閑寺は行くべきですね。娼妓の間に埋めよ、墓石は5尺を超ゆるべからずの思いだったのに・・・なんだかなです。ま、ついでに雑司が谷も行きますけどね(^^;

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