2012年8月11日土曜日

壕の中、蔵の中



今日は「旧安田楠雄邸」で地下にある防空壕が公開されているはずです。畳2枚をあげると防空壕の入口があるのだそうです。
平成21年4月から休館している「朝倉彫塑館」の修復工事はまだ終わっていませんでしたが、「森鴎外記念館」は新しい建物が完成してました。まだ工事の部材などが置いてありましたが、今年11月1日にリニューアルオープンになるようです。ここは鴎外が明治25年~大正11に没するまで住んだところです。「観潮楼跡」とも言います。明治時代には海が見えたようです。他に「森鴎外住居跡」は、東京スカイツリーから見下ろせる墨田区向島3-37-25(明治6~11年)や「水月ホテル鴎外荘」(台東区池之端3丁目3-21)となっている場所があります。
全生庵で幽霊画を見た後、「大名時計博物館」へと行くと毎年閉まっていました。7~9月はずっと休館のようです。もっと広くて沢山の時計が展示されているのかと思っていたら期待はずれな内容でした。
本郷通りを通ってとりあえず菊坂まで行くことにしました。樋口一葉旧居跡には案内板がでていたはずですが撤去されたのか見つかりませんでした。旧居跡と言っても一葉が使ったという井戸があるだけです。井戸は今でも水が汲めるようです。地図の束を持った爺さんが右往左往して探していましたが、もしかすると別の捜し物かもしれないので放っておきました。
樋口一葉住居跡から菊坂をはさんで反対側に一葉が通った伊勢屋質店があります。一般公開されるのは、年に一日だけ(昨年は11月23日)です。
一葉は、下谷龍泉寺町に転居してからも伊勢屋質店へ来ていたようです。地下鉄の路線図を見ずに丸ノ内線・本郷三丁目駅から日比谷線・三ノ輪駅へと行くのは難しそうですが、歩けば4キロくらいなのかもしれません。質屋通いに人力車を使いませんよね?
下谷龍泉寺町にも近く荷風の文学碑のある「浄閑寺」まで歩くつもりでいましたが、日差しも強いのでTOKYO 霊都 it be. はここでThe End、、。




1 件のコメント:

  1. 防空壕、防空頭巾、母親は挺身隊でしたが、最近かな、ぽつぽつ喋るようになりましたね。河川敷で毎日いもを作ったとか、軍需工場で働いたとか、彼女の最終学歴は青学出身ですが、青山学院でなく青年学校です。学校への書類で学歴を書くたび、そこで一度止まるんですが、いろいろな思いが交錯してるようです。

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