2012年8月27日月曜日

荷風と歩く深川(5)



むかしの黒江橋は今の黒亀橋のあるあたりであろう。即ちむかし閻魔堂橋のあったあたりである。しかし今は寺院の堂宇も皆新しくなったのと、交通のあまりに繁激となったため、このあたりの町には、さして政策の興をひくべきものもなく、また人をして追憶に耽らせる余裕をも与えない。かつて明治座の役者たちと共に、電車通の心行寺に鶴屋南北の墓を掃ったことや、そこから程遠からぬ油堀の下流に、三角屋敷の址を尋ね歩いたことも、思えば十余年のむかしとなった。(三角屋敷は邸宅の址ではない。堀割の水に囲まれた町の一部が三角形をなしているので、その名を得たのである。)
   (永井荷風「深川の散歩」より抜粋)



1 件のコメント:

  1. 関東大震災を体験した作家に、幸田文がいます。彼女のきものと言う題名の作品に当時の模様が詳しく描かれてます。東北大震災の模様と比較すると当時の江戸気質が分かってなかなか面白いですよ。

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