2012年7月15日日曜日

目黒のさんま、サマーウォーク




今日も”未踏空白域”の散策です(^^)
東急目黒線・洗足駅には午前10時30分頃に到着しました。まずはそこから歩いて数分のところにある「宮野古民家自然園」へと行きました。目黒区所有の古民家かと思っていたら個人(財団法人)の持ち物でした。入園料は、200円です。初老の夫婦が先に来ていて、説明を受けているところでした。
建物は、230年くらい前に建てられたもののようでした。屋根は茅葺きから銅板に変更されていました。母屋の玄関に虫除けスプレーがありましたが、使わずに一回りしたらいくつも蚊に刺されてしまいました(T_T)
目黒区を歩くには、「めぐろ観光まちづくり協会」が無料で配布している小冊子で『めぐろWALK』と『てのひらの中のメグロ』が役に立ちます。また街のあちこちにウォーキング案内地図の掲示板が建てられていました。全般的に「高級住宅地」という感じの街並みでした。
次に「円融寺」という大きな寺に寄りました。”今から約1150年前、平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹”とのことです。東京は、「お盆」なので何処へ行っても坊さんが歩いてました。
早朝は曇っていましたが、晴れてきて日差しが強烈になってきました。禅寺の次はカトリック教会です。1954年に建てられたという「江戸のサンタ・マリア聖堂」と呼ばれている「サレジオ教会(カトリック碑文谷教会)」へと行ってみました。
正午前くらいだったので、日曜日の礼拝が終わって人々が帰った直後というところでした。外国人もだいぶいました。神父さんも外国人でした。教会内の写真は撮ってもよいものかどうか分かりませんが、寄付金を集める箱を抱えたおばちゃん達にも何も言われませんでした。ヴァンパイア体質(?!)なので教会に長居をすると頭痛がしてくるので写真だけ撮って早々に退散しました(^^;)
宮野家などが貧農から富農へとなったのは、この辺りにある「竹」が海苔の採取に使われるようになったからだそうです。また大正時代には、筍栽培も最盛期となったそうで、竹林には飛び立つと空が暗くなるほどのスズメが住んでいたそうです。今は「すずめのお宿緑地公園」となっています。ここにも古民家が一軒公開されていました。入場無料です。
お寺と教会に続いて神社にも行きました。祭神は誉田別尊(応神天皇)の「碑文谷八幡宮」です。「碑文谷」という地名の由来となったという碑文石が展示されていました。
最後に碑文谷公園と園内にある厳島神社に寄って、学芸大学駅から渋谷経由で帰ることになりました。




3 件のコメント:

  1. 目黒は、サラリーマン時代に一度だけ打ち合わせに行きましたが、場違いな街でした。乳母車も押してる母親も、木漏れ日まで高級に見えました(^^;

    綺麗な教会だなぁ。日本にもこんな彩色のものがあるんですね。

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  2. うちは昔カトリックだったので、サレジオ教会へは行った事があります。
    まだ、大井町に住んでた時代でした。

    その昔、無理に日曜学校に通わされてた時代はなんだったのか…今じゃおふくろ自身が改宗して、真言宗とかになり、また違うのになり…
    振り回されたのは家族だけでした…って愚痴りました、すみません(笑)

    都内散策も見所が沢山あるので、お姫様のガイド本が早く出版される?のが、待ち遠しいです^^

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  3. サレジオ教会を見てきたという話をしていたら60代半ばの爺さんが「山口百恵が結婚式をしたところだ!!」と断言していたので、調べてみたら松田聖子さんでした。

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