2012年7月13日金曜日

風と雨のウヰスキー・a・行゛行゛




4、5分間隔で羽田空港に着陸しようとしている飛行機を眺めていたら、、ふと急に「永井荷風は飛行機に乗ったことがあったのだろうか?」と思いました。
明治36(1903)年、荷風23歳のときにアメリカへ「遊学」して四年間ほど滞在したあと、明治40(1907)年にはフランスで八ヶ月ほど過ごしています。荷風が亡くなったのは、昭和34(1959)年ですので、その頃には”トリスを飲んでハワイ”に行った人がいたかもしれませんが、それだって船旅だったのかもしれません。
川本三郎『荷風好日』(岩波書店)を読了しました。あちこちに書いた物を纏めたものなので重複する記述が多いものの楽しく読めました。荷風が飛行機に乗ったかどうかなどは勿論書かれてはいませんでした。
もうひとつ気になることは、、、荷風は、明治12(1879)年に生まれ、昭和34(1959)年没です。伊藤晴雨は、明治15(1882)年に浅草で生まれ、昭和36(1961)年没なので、二人はほぼ同時代を生きたことになりますし、東京大空襲で「家財一切を焼失」したことも同じです。でもこの二人を一緒に語った人も文献もなさそうです。荷風と晴雨は一度も出合うことがなかったのでしょうか???




2 件のコメント:

  1. あれだけ難産だった787が普通に飛ぶようになったんですね。個人的にはまだ乗りたくないな(^^;767がいいです。

    永井荷風は公務員の息子で、師範学校の付属幼稚園から教育を受けてる。伊藤晴雨は彫金師の息子で丁稚奉公、およそ接点がないですが、会っていたらと考えるのは面白いですね。君、女性に縄を打つのは粋じゃないよと敬遠しつつ、目は逆を語ってる気が(^^;

    返信削除
  2. 文学界だけでなく、音楽界でもいろいろそういのはあります…
    あのロッシーニもベートーベンに会っていたとか(笑)
    ロッシーニが売れっ子だったので、第9の演奏会に客がはいらなくなるから、ロッシーニとは別の日に演奏会しようよ…なんて言ったとか(笑)

    返信削除