2012年5月12日土曜日

ひとつうだつをあげましょう~♪



昨年3月8日に佐野へ「うだつ」を見に行きました。その日、「佐野市郷土博物館」は館内の消毒ということで臨時休館していました。通常は無料で企画展開催中は、入館料210円です。5月3日から6月17日まで「第57回企画展・田中正造遺墨展」開催中となってました。省エネってことなのか、入口から入っても電灯が点いていませんでした。事務所からおばちゃんが出てきて、灯りを付けました。他に誰も見物客はないということです。
ここには宗教改革の頃の思想家・エラスムスの木像(レプリカ)があります。佐野市上羽田の龍江院という禅寺の観音堂に「あずき研ぎ婆ぁ」とか「カテキさま」と呼ばれた木像があったそうです。そのお堂からは、小豆を洗うような音が聞こえてきて、木像はムジナに化けて「小豆研ごうか、子を取ろうか」と辺りを徘徊したという伝説になっています。
この木像は、1600(慶長五)年に豊後国(現・大分県)に漂着したオランダ船「リーフデ号」の船尾に飾られていたものでした。船首にはたいてい豊かな乳房を露わにした半裸の女性像が付いていますが、船尾とは言えなぜこんな厳つい顔した爺さん像を飾っていたのでしょう???
リーフデ号は、5隻の船隊で1598年にオランダ・ロッテルダムを出航しましたが、日本に漂着するまで残っていたのはリーフデ号だけでした。東京八重洲の地名になったヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムズ(三浦按針)も乗員でした。船は浦賀へ回航されて解体されました。なぜか徳川旗本の牧野成里か牧野成純あたりが木像を貰い受けて故郷に持ち帰ったようです。
大正時代になるまでなんの木像なのかも分からないままでした。昭和5年に一旦、「国宝」に指定されました。本物は、東京国立博物館に召し上げられてます。あまり公開されないようです。今も化けるからでしょうか?(笑)
小豆研ぎ婆伝説はリーフデ号が漂着した大分県臼杵市佐志生にも残っているそうです。それは怪異がずっと続いていたことを意味するということでしょうか、、。
田中正造遺墨展は足早に通り過ぎ、博物館を出て駅から来た道を引き返し「うだつ」のあがっている「新井屋」で「味噌まんじゅう」と「味噌ドーナツ」を買いました。


1 件のコメント:

  1. 新井屋の味噌まんじゅうの歌が、やたら耳に残るんですよね…って俺だけか(笑)

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