2012年4月22日日曜日

どこに消えたか?!大太郎法師




山を登り始めてわりとすぐのところに「だいだら坊の背負い石」というものがありました。説明石碑には、”言い伝えによると、怪力の「だいだら坊」が、背負ってきたこの巨石の背負い縄がここで切れ、足でけって動かそうとしたが動かないので、そのまま置いて立ち去ったとのことである。巨石には、そのときの縄目と、けった時にできたと言われている足跡が、今でも風化せずに、はっきりと確認することができる。”と彫られていました。「だいだら坊」という名前は初めて知りましたが、ネットで検索して見たところ茨城県全域と言っていいほど各地に数多くの伝説があるようです。あるいは日本全国にあると言うべきかもしれません。水戸の千波湖はだいだら坊が造ったそうです。どのような記載になっているのかは確認していませんが「常陸国風土記」に書かれているとのことです。『ガリバー旅行記』は、このあたりをパクったのかもしれません(笑)
午前9時半に「第一展望台」と書かれた場所に着きました。正面に筑波山が見えました。
さらに先へ行くと「桜源里 平沢高峯展望台」がありました。ここからは四日前に歩き回ったあたりがよく見えました。どうもここが高峯山の頂上ではなくて、ひとつの「峠」のようでした。上ってきた舗装道はここから下りになります。山頂への登山道は、少し山を下ったところにありました。茨城県ではなく栃木県茂木町になっていました。
登山道脇のあちらこちらに窪地ができていて、それは大正から平成三年まで「砥石」を採掘していた跡との説明看板がありました。




1 件のコメント:

  1. 「常陸国風土記」・・・・「世界」を理解する知見は少なかったにしろ 当時の知識人はこのころから「歴史」に向き合う姿勢で現代人と共通する意識を持っていたようですね。伝承見聞をそのまま記録して後世に伝えようという行為は、この国の人々の知能レベルの高さを証明していますね。情報に溢れた現代知識人のほうの精神性の劣化は国の衰退と同波長なのでしょうか。

    中国では歴史は常にプロパガンダでした。朝鮮半島では歴史はつねに過去の創作でした。東アジアでは大転換が起きています。孤高の日本。沈むな日本。

    タバコを買いに外に出たら気温は低いです。寒い。 深夜なのラーメン屋さんはしこみに励んでいるのか店内は煌々と輝いています。

    姫の日記は輝いている。このcontinuityこそしるすことの醍醐味ですよね。尊きかなそして過酷な星の下にいますね。

    (^^)

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