2012年3月25日日曜日

ぐるぐるびーのはらへりひれはれ





空はすっかり晴れて春っぽい日差しが照ってます。袋川でお食事中だったシラサギは写真を撮ろうとすると遠くへと飛んで行ってしまいました。
道標の通りに歩かなかったら、、昨年秋の足利市文化財一斉公開日に見にでかけた「国登録有形文化財・名勝庭園 巌華園」のすぐ近くを通ることになったので、寄りました。ここでは予約しておかないと食事はできないようです。たとえ可能だったとしても一回の昼食で半月分くらいの食費相当になりそうです。
源氏姓足利氏五代目の頼氏が創建したという「吉祥寺」にも寄りました。足利氏の衰退によって樺崎寺が廃寺になったようにここも50年くらい無住寺であったようです。ここの弁天堂には乳房を露わにして全裸で琵琶を奏でる弁天像がありますが、お堂のスリットが細くてよく見えません。
室町時代120年余の間、足利を統治していた足利長尾氏は城の守護神として城の周囲に七弁財天を配神したそうです。本城二丁目にある厳島神社の「美人弁天」には、祭神「市杵島姫命」の分身として「六角の宮」に入った金色の石像と「水かけ弁天」像と二つの「なで弁天」像があります。”美人証明を出す日本で「たった一つ」の神社です”と掲示してます。
足利郊外の”名草巨石群”のところにある弁財天(現在は厳島神社)にも”どこでも弘法大師”伝説があって、そちらでも白蛇が重要な役目をしているみたいです。足利ではなぜ平家ゆかりの厳島神社が源氏ゆかりの八幡宮より優勢なのでしょう???
相田みつをの墓がある「法玄寺」には、足利義兼の正室であった「伝・北条時子姫五輪塔」があります。時子は義兼が不在の時に妊娠したかのように腹が脹れ密通を疑われて自害したそうです。時子の遺言で開腹すると腹部から大量の蛭が出てきたと伝えられているようです。花見に出た時に野外で飲んだ井戸水が原因らしく、その井戸は封印されて今も鑁阿寺にあるそうですが、確認してません。時子は北条政子の妹なので、足利氏が勢力を拡大できた一端は時子にありそうです。密通の相手と疑われた藤原姓足利氏の足利又太郎忠綱は山を越えて逃げて現在の桐生市内で追っ手に討たれます。
近年「足利B級グルメ・秘伝ソースのポテト入り焼きそば」が有名になってきたようなので機会があったら食べてみたいと思っていましたが、メインストリート沿いには見あたりませんでした。
鑁阿寺の境内にある売店に焼きそばがあったので注文しました。ここの焼きそばにポテトは入っていませんでしたが、他の客は持ち帰ろうとする人もみんな「いもふらい」(1皿5串300円)を頼んでいるので、こちらも食べてみることにしました。ハンバーガーショップなどのフライドポテトは美味しいと思えませんが、「いもふらい」はとっても美味でした(^^)/
「1889年発売当初のハッチンソンスタイルボトル」コカコーラが壜付1本100円とベストマッチする「いもふらい」でした。
ポテト入り焼きそばは栃木市のほうにもあり、焼きそばそのものならば群馬県太田市のほうが本家元祖なのかもしれません。そして「ソース」つながりでは、群馬県桐生市が本家元祖かもしれない「ソースかつどん」も足利や太田で食べることが出来ます。足利氏とB級グルメとの栄枯盛衰を思い浮かべてのお散歩でした。




1 件のコメント:

  1. この一連の日記はすばらしい、今年の第一四半期最高の傑作でしょう。まったく「あんぽんたん」姫はステキです!!

    >ぐるぐるびーのはらへりひれはれ
    ぐるぐるびーのはらへりひれほれ~~ っでしょうね(^^)

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