2012年2月22日水曜日

西のアホ、東のバカ



「西の西陣、東の桐生」というのは知っていましたが、「西の吉野、東の桜川」と並び称される桜の名所が関東にあったとは知りませんでした。
「桜川市」は、2005年に西茨城郡岩瀬町、真壁郡真壁町・大和村が合併してできたということなので、名前の由来は市内から流れ始めて霞ヶ浦へとつながる「桜川」という河川であることは明らかですが、「地名」としては新しいことになります。しかしながら、紀貫之が「常よりも春辺になれば桜川 波の花こそ間なく寄すらめ」(「後撰和歌集」)と歌に詠んだように千年前から「地名」であったと言うこともできそうです。
江戸時代には、歴代将軍の名の下に隅田川堤、皇居、上野公園、北区飛鳥山公園、新宿御苑や小金井堤に「桜川の桜」が移植されました。小金井堤には、吉野桜50本と桜川の桜50本が交互に植えられたそうです。水戸光圀は、偕楽園前に移植して「桜川」と名付けました(水戸市内に現存)。
吉野の桜は天然記念物に指定されているかどうかは知りませんが、昭和49年に11種の「桜川のサクラ」が天然記念物になりました。それほど衰退したということなのかもしれません。天然記念物指定11種は、「桜川匂」「樺匂」「初重櫻」「初見櫻」「大和櫻」「源氏櫻」「白雲櫻」「薄毛櫻」「青櫻」「青毛櫻」「梅鉢櫻」という名前です。どれも白山桜の品種のようです。
今は、日本国内の桜の80パーセントほどが「染井吉野」というクローン種で占められています。60年ほどで枯れてしまうそうで、山桜のように何百年も生きられないようです。
桝箕ヶ池でハクチョウ見物の後は、羽黒駅から北へ1キロほどのところにある「桜川磯部稲村神社」へと行きました。世阿弥の謡曲「桜川」の舞台となったところです。
「要石」があります。大鯰の頭を鹿島神宮の要石が押さえ込み、磯部は尻尾を押されると伝えられているそうです。尻尾は、香取神宮の要石が押さえているだけではなかったようです。



1 件のコメント:

  1. 世間が狭いものですから((+_+))
    香取神宮が出てくると嬉しくてなりません!(^^)!
    水の匂いしか記憶になくて(ー_ー)!!
    いろいろ知ってれば良かったのにと悔いてます。
    入口付近のいしだて団子屋が父の同級生だったので(ー_ー)!!
    何度か行ったことがあるだけなんです((+_+))

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