2012年2月18日土曜日

平良兼の館で風とまぐわう




小さな案内標識は、「歌姫明神」と「観音堂」とがあったので観音堂の方へも行ってみることにしました。
借りた自転車は、ややタイヤの空気が甘くてわずかな坂道でもペダルがとても重くなってしまうので、上り坂では自転車をころがしながら歩くことになってしまいました。しばらく坂を登って行くと大きな門構えの家のところで鋪装道路が終わってしまいました。そこから先は林になっている裏山という感じなので自転車を置いて歩いて行くことにしました。もう長いこと人が入っていないような気がしました。
木々の中に人工的な石垣のようにも建物の基礎のようにもみえる石組みがあったりもして、だいぶ昔には大きな屋敷があったのかもしれません。
「社」というほどのものではなく木材で囲って屋根を付けただけという小さな建造物の中に「三日月尊」と彫られた石碑がありました。これが「観音堂」であるはずがないように思えました。もっと奥はそのまま筑波山になってしまいそうな山道なので、引き返そうとすると急に周りの空気が変わったような感じがして、とても清涼感のある爽やかで気持ちの良い風に包まれました。
石碑などを写したカメラの撮影時刻から判断すると十数分間の記憶が飛んでしまいました。満足感のあるセックスをした後のように膣が熱くなっていました。そして、なんとなく漠然とここは「平良兼」の館であるという気がしたのでした。
案内標識の矢印の方向とはまるで違う方に「観音堂」らしい建物が見つかりました。ここに「准胝観音」という仏像があるようなのですが、観音堂の中を覗き込むとさらに「観音開きの扉」があって仏像は見ることができませんでした。
「歌女神社」があるところが、以前は「常陸羽鳥菅原神社」という名前だったのか、神社がふたつならんであったのかは分かりませんが、この辺りにある小碑に「常陸羽鳥菅原神社」を「下総豊田郡大生郷常陸下総菅原神社」に移したと刻まれているそうです。この小碑は特に興味が湧かなかったので探さずに済ませてしまいました。
菅原三郎景行が父である菅原道真の遺骨の一部を三年間(926年から929年まで)ほど真壁の桃山中学校近くにある「羽鳥天神塚古墳」に埋めておいて、その間に旧・水海道市に「大生郷天満宮」を造営したのだそうです。とりあえず古墳だけでも見ておこうと桃山中学校の近くまで行ってみましたが、古墳がどこにあるのか分かりませんでした。太宰府ではなく、なんで真壁なんだっぺ?(笑)



2 件のコメント:

  1. 神の力が宿りましたか…?
    何か、引きつける場所に感じます^^

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  2. 良い文章ですね~~~! 普通の人は寿命5年程度のことしか書けないけど、50年は通用するね。すばらしい(^-^)。姫の好感度を示していますよね。 タイムリーな女性の曲線、釣鐘型がほんとうに奇麗です!! ちなみにオイラの恋人の乳はぺっちゃんこ(^-^;

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