2012年1月9日月曜日

大河ドラマ外伝・たまちゃんのオトコたち


昨夜からNHKの大河ドラマ「平清盛」が始まりました。夕食など頬張りながらボケっと観ていると「白河法皇」の言語道断な行いがすらっと流れていってしまうので復習しておきましょう。
今回のドラマで平清盛は、白拍子・舞子(吹石一恵)と白河法皇(伊東四朗)の間に生まれた子という設定になっています。西暦1118年生まれになります。
璋子(たまこ)は、1101年に藤原公実の末子として生まれます。生まれてすぐに白河法皇の寵妃である祇園女御(松田聖子)の養女となって院の御所で生活するようになりました。美少女だったそうです。白河法皇が孫のように可愛がったというエピソードが『今鏡』にあります。璋子が12、3歳の頃に白河法皇が手をつけます。法皇は、60歳を過ぎていました。そんなジジイに処女を奪われた腹いせかどうかは分かりませんが、璋子は御所で複数の男性と肉体関係を持ったようです。また白河法皇との関係は、鳥羽天皇の中宮となったあとも続き、1119年にのちの崇徳天皇を産みます。つまり白河法皇は、自分の孫である鳥羽天皇の嫁に自分の子を産ませて、その子が5歳の時に鳥羽天皇を失脚させて、その子を天皇にしてしまいます。と、だいたいそのあたりが第1回で描かれた内容と背景です。
大河ドラマには登場してこないのかもしれませんが、「西行」は清盛と同じ1118年生まれです。西行は、平安時代のジャニーズ系とも言える「北面の武士」でした。出家してからも女には持てまくり、遊女とも関係するかなりの生臭坊主だったようです。そしてこの西行もまた璋子の情夫でした。歳は、西行のほうが18くらい若いかと思います。西行は崇徳天皇と親しく、讃岐に流された崇徳院が亡くなったあとで西行が弔ったことは『雨月物語』「白峯」などのお話にデフォルメされています。
清盛は64歳で亡くなりますが、西行は73まで頑張りました。当時、貴族の平均寿命は40歳に達していなかったかもしれません。
璋子は、45歳没です。もしかすると清盛よりも璋子を「軸」に見てゆくと堅めのNHKドラマも”エロ院”じゃないでしょうか?(笑)

4 件のコメント:

  1. 知識が多いと大河ドラマも面白そうですね(^_^;)
    NHKと言うだけで見なかったけど、今回は観たいと思いました。何故そんなに知ってるの? 清盛よりも西行よりも長生きしちゃったのに(T_T) 全然知らないお話に圧倒されました。

    返信削除
  2. グローバル化する時代。自分の立ち位置を把握しておくことは大切でしょう。紀元前3000年とか2000年とかの時代に栄えた古代文明には及びませんが、研究者によれば、紀元元年前後に在位した天皇あたりから実在の可能性が出てくるようですね。大阪府堺市にある仁徳天皇稜は別名を百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)と呼びます。業務で堺に半年ほど滞在していたことがありそのとき訪れて構想の大きさに感動したことをいまでも覚えています。仁徳天皇の在位は紀元313-399のようです。天皇制についてはいろいろ議論がありますが、そのころからひとつのファミリーが連綿と続いているという事実は世界的にはりっぱなサプライズにあたりますよね。 国王と皇帝の違いがぼくにはよくわかりませんが、日本の天皇は英語表記ではエンペラー(皇帝)なのですが、何百年も昔から武力(Armed Force)を持たず権威だけの存在となっていましたが1868年天皇に統帥権が再度与えられました。

    日本は国土の7割が森林で世界的には森林国に分類されるということを現代人のほとんどは知らないのではないでしょうか。動植物の多様性も指摘され先週のNHKの番組で、日本は世界のホット・スポット(生物学)のひとつであることをぼくは知りました。

    特異性ばかりを指摘すると弊害を引き寄せますが、豊かな過去と自然を持つ国であることは子供たちにちゃんと教えるべきと思います。 偏狭な考えが一番困ったちゃんです。漢字の国ではグローバルを環球と訳していると思いますが、優れた訳語はC国からも取り入れるべきでしょうね^^

    返信削除
  3. ついか: 白河法皇のエロ爺ィも王朝文化の彩とみてかまいませんか^^ 平安時代に春画が見つかっていますか?

    返信削除
  4. 孫の嫁に手を出した・・・(・・)絶句。

    返信削除