2011年12月23日金曜日

やんばなんまいだぁむだだめだぁ


目覚まし時計は設定時刻に鳴ったはずですが、一時間ほど寝過ごしてしまいました。たぶん”無意識”の側は、家の外から聞こえてくる渦巻くような凄い風の音をちゃんと聞いていて、「今日は外へ出掛けるのは止めておこう!!」と決めたのかもしれません。歩いても歩いても繰り返し同じ場所へと戻ってしまうというような夢を見ていました。
「八ッ場ダム」を建設継続するしないと大騒ぎしていますが、マスコミが取り上げないだけで似たような事例は日本中に山盛り存在するのかもしれません。
今日は、栃木県鹿沼市を歩きます。祈願したら死んだ赤子が三日後に生き返ったという「生子神社」が近くにある東武日光線・樅山駅に午前7時35分に到着しました。無人駅です。他に下車した人はいませんでした。
戦国時代の頃には、「南摩(なんま)氏」の支配下にあったという旧・南摩村のほうへと向かいます。この村の住民70数戸は、昭和の時代に転居させられたそうです。南摩村は、いずれ「ダムに沈む村」なのです。
栃木県内に入ると電車から見える景色がなんだか白っぽくなるのですが、田畑や野原が一面霜に覆われるからのようです。富士山も筑波山もハッキリと見えていました。男体山の頂上付近には、雲がかぶさっています。湯元温泉の辺りは今日もいっぱい雪が降っていそうです。中禅寺湖畔や日光の市街地にまで雪がそうそう降らないのは、男体山が高すぎて雪雲が越えられないからなのだそうです。
吹き荒れていた強い風は収まりましたが、かなり寒い朝です。川の水のほうが暖かいせいなのか、まるでお湯でも流れているかのように湯気が盛んに立ち上っていました。
県道15号線が「南摩川」を越える手前で、県道177号線を北上します。この道路は最近整備されたようですが、セメントをぐるぐるしながら走る車輌が何台も往復しているだけで一般車はめったに通っていませんでした。
樅山駅から2時間ほど歩いたところに赤い文字で「ダム建設反対」と書かれた古く傷んだ立看板がひとつあったので、そこでやっと場所は間違っていないことが確かになりましたが、南摩川は小鳥が歩いて渡れそうな僅かな水しか流れていませんし、素人目ではダムを建設できそうな場所には思えませんでした。
多くのミキサー車は、「思川開発付替県道1号トンネル工事」のものでした。出来たての太い道路があって、ほとんど交通量がないのにトンネル建設をしているということは、、、ダムを造ると今歩いている道路がダムに沈むということなのでしょうか???
転居させられた家の土台だけ残っているとか、井戸だけ残っているということもなくて、見落としてしまうところでしたが人が住んでいたという痕跡は、小さな「弁才天」と彫られた石碑があっただけでした。その前を飲めそうなくらいに澄んだ水が流れていました。その少し先の切り通しから下り坂となり、今も人が住んでいる別の集落になりました。午前11時を過ぎていました。
今回は、「鹿沼市・鹿沼市観光物産協会」が無料で配布している”鹿沼市観光ガイドマップ・かぬまで気まま時間”を参照しながら歩きました。

(写真上…男体山と南摩川、写真下…ダムに沈む村の弁才天)

2 件のコメント:

  1. 念場村はなくなりました。
    南摩村もなくなるのですね。
    弁財天が守ってくれることもなく
    泥鰌くんに潰されてしまうのですね。
    私は構わないけど これから30年40年生きる人達は・・・
    ナンマイダ~~~ナンマンダ~~~

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  2. 山盛りあるでしょうね。友人の弟が徳山村ダムの建設会社にいるのですが、工事開始まで入社以来ずっと待機でした(爆)。まぁ、作る方はそうなんだろうけどね。必要の無い国づくりで国を破壊して欲しくないなぁとは思います。徳山村はイワナもいるし、最高に美味しい山栗があったんだけどね。

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