2010年12月19日日曜日

落ちてたすけよ白瀧の水



桐生市内に入ったとたんに「上州一のソースかつ丼」などと看板を掲げた飲食店もあって、コンビニでおにぎりを買ってしまったことを悔やんだりもしました。動物園まで歩いて、そのおにぎりを食べようと思っていましたが、西桐生駅は昼間の乗降客がほとんどないのに待合室が広くてベンチがいくつも並んでいます。昭和レトロな窓や天井を見ながらそこで昼食にしてしまうことにしました。

お腹がいっぱいになると動物園まで行く気がなくなり前々から気になっていた水道施設の建物を見に行くことにしました。西桐生駅からは、あまり遠くありませんが、とんでもない急坂を登らねばなりませんでした。

見晴らしの良い高台にあるおしゃれな別荘みたいな家は、昭和7年に「配水場事務所」として建てられたものです。浄水場に配水量や水位を報告する仕事をしていたようです。当時のお金で9984円37銭の建設費だったものを昭和60年に約5500万円かけて改修して「水道山記念館」としています。わずかな資料の展示がされていました。

ここを含めて桐生市内にある全部で12の水道施設が国登録有形文化財となっているくらいですから、建設したときの「つくり」がもう他の市町村のとは別格だったのかもしれません。「西の西陣、東の桐生」と言われるくらい繊維関係の産業で裕福な街ですしね(^^)v

大川美術館の前を通って坂を下り、やはり国登録有形文化財になっている「西公民館」や「桐生織物記念館」などの建物も見ておきました。

織物記念館では、「桐生織姫伝説・白瀧姫物語」という和・英文の絵本のコピーが無料で手に入りました。桐生から京都に労役に行った農民が、公家の娘を嫁として連れて帰ったことで桐生に織物が伝わったというお話です。

だいぶ町外れ(?)まで長く歩かねばなりませんが、東武線新桐生駅から帰ることにしました。これでやっとなんとなくパズルの断片がつながって、桐生市の大きさや位置関係が把握できた感じがしてきました。

今年は、いわゆる「両毛」地域にだいぶ出かけました。後は、太田でやきそばを食べて、未踏の伊勢崎市を闊歩かっぽすれば一段落です。

2 件のコメント:

  1. 昭和60年の建設費5500万円・・想像してます。私の生まれた時代の10000円・・・
    昭和30年に母校の校舎が3000万円で3階建の立派なものになりました。生涯賃金三千万と言われ飲まず食わずで給料貯めて定年までに稼げる額だと言われました。
    ラーメンが25円、サントリーバーのストレートが50円でした。ニッカバーでは35円でした。
    高尚なブログに、こんなコメントはダメでしょうか?!(^^)!

    返信削除
  2. 昭和7年当時の牛乳1本7銭。1合と思いますから今の115円は1642倍。強引に換算すると建築費は1640万円ほどになります。建屋だけで考えたら普通の民家くらいですが、平屋だよねこれ。人件費が相当安かったんだろうな。

    返信削除