2010年11月8日月曜日

ならんだならんだ赤帽子



日光田母沢御用邸記念公園の公式ホームページなどによれば、、、「日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部分)を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時の皇太子)のご静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となりました。」とのことです。その「三階建て部分」は、見物客が少なくなる時期になると期限付きで入ることができます。今日は公開されていませんでした。

もう何回も来ているので、建物の中は足早に一巡りしました。家具・調度は、ほとんどなにも置かれていません。庭の紅葉は、ちょうど見頃の感じでした。塀の向こう、四日前には青々としていた日光植物園のもみじの葉も赤くなっていました(^^)

大谷川を渡って、並び地蔵(化け地蔵)のほうへも行ってみることにしました。「参拝者がこの地蔵の数を数えてみると、そのつど数が違うというところから、化け地蔵とも呼ばれるようになった。」と説明看板が建っています。老人のハイキング団体が数を数えながら往復していました。昨日立ち寄った深川ゑんま堂には、「おゑんまさまのご本体はお地蔵さま」と書いてありましたし、仏界のこともちょっと勉強しないといけない気もしてきました(^^;)

東京電力が発電のために取水しているところには「水利使用標識」という表示があるのですが、許可期限が「昭和80年12月31日」となっていました。書き換えたりしないものなのですね。

帰りも四日前と同じ15:01発の浅草行きに乗りました。

2 件のコメント:

  1. 昭和80年かぁ、お役所仕事だなぁ(^^)でもちょうどその年になると、ちゃんと書き換えに来る。それもお役所仕事なんだろうなと思います。看板の耐用年数は20年の内規約とかが、きっとあるんだと思う。

    返信削除
  2. (爆)法令にありました。これは広告用ですが、金属製大型野立て看板が20年。非金属製が10年、それ以外の小型看板は3年です。おそらくこれに習い、20年と決めたのだと思います。

    返信削除