2010年8月16日月曜日

ママはいつでも崖っぷち



『雨月物語』「浅茅が宿」のお終いに語られる真間の手児女は姫君ではなく貧しい村娘です。このお話の主人公は、「勝四郎」と言うのですが、「葛飾」だから「勝四郎」なのかと今、ふと気付きました。あまり意味はなさそうです。

手児奈霊神堂は、神社というわけではなく弘法寺の管理下にあるようでした。さだまさしが昭和56年に奉納したらしい「縁結び 桂の木」がけっこう生長して大きな木になってきていました。

真間山「弘法寺」は「こうほうじ」だと思っていたら「ぐほうじ」と読むのでした。江戸時代には紅葉の名所だったようです。樹齢400年以上という枝垂れ桜は、「伏姫桜(ふせひめざくら)」と名付けられています。明治時代に火災で本堂など焼失してしまったようですが、仁王門と鐘楼堂は火災を免れました。

門を入って、手彫りと分る急な石段を上がると仁王門があります。下から27段目にある石はずっと濡れていて「涙石」と呼ばれているそうですが、見逃しました(^^;)

昭和23年4月、荷風は「弘法寺の石級を登るに本堂の傍に年古りたる垂糸桜ありてこれも花爛漫たり。」と書いています。

亀井院という寺には、手児奈が水汲みをしたという井戸が現存していました。「真間の井(ままのい)」と言います。どこか他の場所で見た井戸とそっくりなのか、ずっと以前に夢で見た光景と同じような気もして、この強烈な既視感は何!?という感じがしました。手児奈霊神堂の池を見たときも同じような強い既視感がありました。

北原白秋は、『葛飾閑吟集』の序文「真間の閑居の記」に、「大正五年五月中院、妻とともに葛飾は真間の手古奈廟堂の片ほとり、亀井坊といふに、仮の宿を求む」と書いています。白秋がそこで詠んだ歌は「葛飾の真間の手児奈が跡どころその水の辺のうきぐさの花」でした。

京成・国府台駅から帰ることにしました。この駅名も「こうのだい」と読むとは知りませんでした(^^;)



写真は、弘法寺の鐘楼堂です。「真間」とは「崖」のことらしいですね。

4 件のコメント:

  1. 真間は崖のことなのですか。北関東にある「大間々」も崖関係でいいのでしょうか。
    思えば、良い木材の産地だったので 「木国」(きのくに)と呼ばれていた和歌山県は、8世紀初頭に地名をかっこ良い漢字に変えよとの天皇の命令で「紀伊国」に替わり紀州(きしゅう)や紀の国とも呼ばれるようになりました。つまり良く見せようと勝手な改ざんをおこなったのですよね。漢字の意味から由来を解くと間違いを犯すという教訓でしょうか。

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  2. 手児奈の話といい、白秋の唄といい。ひっそりとしてかつ美しさがある。なんだか別の国の話みたいだな、ふと思いました。

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  3. おどろおどろしいものは、心を捉えて放さない、ね?

    井戸に対する既視感、面白い、精神分析ができそう。やってみたら?---夢でねぇ。

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