2010年8月15日日曜日

大旱にも涸れず湛乎としてこれ円なり



荷風が散歩中に偶然見つけたという大田南畝筆の古碑を見に行ってみようと思いました。荷風が戦後に住むこととなった千葉県市川市のあたりだと分かってはいましたが、これまで具体的な詳しい場所までは調べていませんでした。

西船橋駅から歩いて数分のところにある葛飾神社と大田南畝筆の古碑とが一緒に掲載されていたブログを見かけたので、きっとそこにあるのだろうと考えました。

門前仲町は、夏祭りで賑わっていました。ここから地下鉄で十数分で西船橋駅に到着です。国道14号(千葉街道)沿いに葛飾神社はすぐにみつかりました。ところが古碑らしきものは見あたりません(^^;)

神社の由緒書きに「大正五年一月十三日 一郡総社葛飾大明神を千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地(現 船橋市文化財 西船六丁目葛羅の井戸)の西側台地より此の地に奉還奉斉し」とあるので、探さなくてはならないのは”西船六丁目葛羅の井戸”だと理解しました。

葛飾神社の場所は「五丁目」だったので、そう遠くはないにせよ炎天下を歩き回るのは容易ではなさそうでした。とりあえず京成線の西船駅まで行こうと中山競馬場と書いてある方向に歩きました。坂を登ると京成線を跨ぐ高架になってました。線路沿いに歩ける道がないので、しばらく先を右に曲がって、今度は坂道を下りました。坂の下に大きく太いケヤキの木が見えました。なんとそこが「葛羅の井戸」でした(^^)

『断腸亭日乗』の昭和22年1月26日、、、「海神に至る途上葛飾驛の村道を歩む。一樹の老榎聳え立つ路傍に一片の古碑あり。また古井あり。碑面に葛羅之井の四字を刻す。側面に廣告の紙幾枚となく貼られたる下に南畝の文字かすかに見ゆ。大に驚き井の水にてハンケチを潤し貼紙を洗去るに、(以下碑面の文字省略)」 荷風は、携帯カメラでこれを撮ったようです。きっと碑面の文字をなでなでしたことでしょう。

この井戸の水源は、富士山のふもとまで続いているとか竜宮までだとか、いろいろな伝説がある旨書かれた船橋市教育委員会の説明看板が建っていました。

雑草に埋もれた石碑というイメージが強かったので、荷風が見つけたのが1月だったとは思ってもいませんでした。

”名づけて葛羅と曰う絶えざること綿綿たり”文化九(1812)年に建てられた石碑のお話でした(^^)

2 件のコメント:

  1. 難解すぎて何回読んでもよくわからない!(^^)!
    感じたのは古木と荷風のイメージが合わない。
    情報頼りにどんなところでも探し当てる凄さ。
    方向音痴の私には気絶しそうなお話でした。

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  2. 真冬の寒空に石碑を見つけ、嬉々としてハンカチで広告を剥ぎ取った。大田南畝の字だって分かったんですね。その様が思い浮かべられて興味をそそりました。

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