2010年7月7日水曜日

けせらせらだの大権現



徳川家のルーツは、調べたことなどありませんでしたが、愛知県か静岡県にあるものとばかり思っていました。ところが群馬県だった!!という「嘘こくでねぇ~!!」と言われそうなお話を耳にしたので早速、群馬県太田市へと行くことにしました。

東武伊勢崎線・世良田駅には午前7時半に到着です。今日も朝から身体がべたべたするような湿度です。券売機もない無人駅で、駅前には雑貨屋もタバコ屋もありません。大きな工場が点在し、その隙間にやる気のない田畑が残っているみたいなところでした。側溝には、巨大な巻き貝がわさわさ棲息していました。

世良田東照宮は、ネットで調べたら午前9時から開くとのことなので、まずは八坂神社に寄ってみました。本殿は彩色された彫刻が施されていました。文政九(1826)年建立の芭蕉句碑がありました。仁井田碓嶺の筆で「しばらくは花の色なる月夜かな ばせを翁」と彫られています。

長楽寺の蓮池には竜宮伝説があり、寺で何か必要な物があれば品名を書いた紙を投げ込むとやがてその品が現れたのですが、千畳張りの蚊帳を借りたときに坊主が惜しんで返さなかったらもうなにもおこらなくなったそうです。そうそう、ヤブ蚊が次々と肌に付着してきました(^^;)

写真は、カナブンを押し退けて樹液を吸うスズメバチ、、、この木の縦に細く開いた空洞にはニホンミツバチが巣を作り、クワガタ夫妻も住んでいました。

9時前に東照宮に着いてしまいましたが、門は開いてました。300円也の拝観料を払って入るとこだけ9時からということのようでした。日光奥社の拝殿を移築し、家康の最初の墓標として建てられた多宝塔もここに移されたとのことです。

新田莊(にったのしょう)歴史資料館が開館するまで前の庭でトンボやアメンボの写真を撮っていたら遠足らしい小学生の一団がぞろぞろとやってきて、資料館の前で新田家と徳川家の関係などを先生が何も見ないですらすらと児童たちに説明していて、とっても勉強になりました(笑)

その先生が言っていたことではないのですが、、、『太平記』で活躍した新田家がいかに徳川に利用されていったかが、なんとなく見えてきた感じがしました、、。

2 件のコメント:

  1. びっくりしました。てっきり三河の人だと思っていたからです。新田郷かφ(.. )あそこには三日月村出身の人がいましたね。遠い遠い親戚になるのかな。最近ケーブルでやってますが、当時夢中だった市川昆の時代劇。カメラアングルも70年代してて出来もいいんですが、今見ると。。。流石にやや重と感じます。

    返信削除
  2. 巨大巻貝ってジャンボタニシですか?

    返信削除