吉田家住宅のある場所を地図で確認したのはもう2年以上も前のことなので、近道と思っていた方角に歩いて行ったら、、、山の中に入ってしまって、標高264mとそんなに高くはないものの金勝山の頂を経由してしまいました。暑い日になんだか無駄に体力を消耗しました。
山を下ると吉田家住宅への案内看板がみつかりました。建物は、平成8年から3年がかりで国費によって解体修理されたそうですが、個人管理なので物品販売・喫茶食堂となっていました。見学は無料です。パンフレットは「小川町教育委員会」の発行となっていました。
400円也の冷たいうどんを食べました。これはけっこう美味でした(^^)さて午後からは予定を決めていなかったので、候補としては森林公園、コアラで有名な動物園などなどを思い浮かべていましたが、東松山駅で下車して「吉見百穴(ひゃくあな)」へと寄ってみることにしました。
駅前からバスに乗ったら5分ほどで最寄りのバス停に着いてしまいましたが、そこから若干歩かされました。手前にあった「岩室観音」の山門みたいなお堂がよい感じでした。寛文年間(1660年代)に建てられたものだそうな。ここにある石仏を拝めば四国八十八ヶ所を巡拝したのと同じ功徳があるそうです。
百穴は、古代人の住居と考えられたこともあったようですが、今は横穴式墳墓とされています。いくつかの穴には入れるようになっていました。イタズラ書き(掘り?)も多数されちゃってました。死体のふりしてお昼寝もできそうです(^^)
ヒカリゴケのある穴もあって、こちらは鍵の掛かった厳重金網越しに見るしかできませんが、蛍光塗料をこぼしたみたいにちゃんと緑色に光って見えました。
墓としての小さな穴よりも太平洋戦争中に建設された軍事工場跡のほうが見物のような感じもします。500mほどですが公開されています。たぶん広大な非公開部分が残っているのではないかと思えます。岩室観音の隣りのほうにも窓辺の柵が取り付けられた穴がありました。工場では飛行機のエンジン部品が製造されたようですが、本格的に稼働するまえに終戦になってしまったみたいです。
ヒカリ苔・・・始めてみました(*^_^*)
返信削除百穴・・・昔、もっと小さな穴に潜ってB29の爆撃を避けようとしてました。
もっとも、ゆとりのあるときの話であって、実際には一メールほどの穴を掘ってその上に竹を渡して筵を被せただけの穴に隠れてました。今思えば、火がつけば美味しい丸焼けの人間が出来たと思います。
大人も年寄りも大真面目で実行してたし、声を出すと米兵に聞こえて殺されるからと沈黙を命じられてました。
ヒカリゴケ。。。ドラクエを思い出しました(^^;連想がまるで子供の私です。
返信削除軍需工場、それは見物ですね(^^)あのアメリカでさえドイツの爆撃を恐れ、太平洋側に向上を新築させたそうですが、土壇場になって思いつき、結局間に合っていない。異論もあるだろうけど、戦争が下手な国だなと思います。ああ、この国は何か思いついても、言うなって言われる文化だからね(^^;
デジブックからきました。
返信削除素敵な写真でしばし、どきどきでした。どうもありがとうございました。
埼玉県にこういった所があったんですね~
四国八十八ヶ所を巡拝したのと同じ功徳あるなら、是非にでかけてみたいです。
昨今いろいろついてない人生になってるもので…^^
写真、とてもお上手ですね。もしかしてプロなんですか?