2010年5月26日水曜日

藤から富士へとほいホイ補遺



今月12日には、足利市にある早雲美術館へ行ってみました。

田崎早雲は、文化3(1815)年生まれ、谷文晁の門下の画家です。十代の頃には生まれたところに近い神田の千葉道場で剣を習っていたようです。坂本龍馬とは、ちょっと年代が違うかもしれません。でも尊皇志士と交流があり幕府の嫌疑を受けたこともあったとのことです。

廃寺であったところに「白石山房」という草庵を建てて絵を教えていました。その建物の中には入れませんが、外観は公開されています。早雲美術館の敷地内ですが、建物のほうだけなら入場料も払わずに見ることが出来ます。

美術館内に富士を描いた大きな日本画があったのですが、早雲は望遠鏡のようなもので観察しながら描いたような説明が書かれていました。足利は位置的に手前にある山々が邪魔をして富士山が見えにくい場所という印象があります。白石山房の裏手にある小高い場所にも登ってみましたが、富士がどっちに見えるのかすら分かりませんでした。

司馬遼太郎「喧嘩早雲」あるいは、富田常雄「姿三四郎」のモデルだそうです。

2 件のコメント:

  1. 田崎早雲というお人をまったくしりませんが、、あんぽんたん姫の観察にほんと魅力をかんじます、嗚呼、痺れておちんちんが立ってきます。美しきものの憧憬と挑発的エロチカ。市井に隠れたかぐや姫。

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  2. 祐筆の子が家督を譲って絵師になる、、、か。ある意味、意地の強い人だったのだろうなと感じます。だからこそ武道に秀で、かつ画家としても大成したのかも。脚色のない、人物史を呼んでみたい気がしました。

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