2010年4月29日木曜日

やぶからぼうにやぶのなか、やぶれかぶれでやぶのそと



永井荷風が誰ひとりみとる者なく死したのは、1959(昭和34)年4月30日午前3時頃(推定)だったということなので、明日は命日です。満で七十九歳四ヶ月でした。

先日、根津神社へ出かけた時に入手した「根津権現かいわい浪漫ちっくマップ」を見ていたら「永井荷風ゆかりの藪下通り」というのをみつけました。どのようにゆかりがあるのか見当もつかなかったのですが、1914(大正3)年8月から翌年にかけて「三田文学」に連載した『日和下駄』に登場する場所だということが判明しました。「藪下通り」という名前が書かれていないので見落としていました。

”絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路がある。私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。片側は樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえくずれ落ちはせぬかと危ぶまれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透かして谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える。”

このあとヴェルレエヌの詩まで持ち出して絶賛です、、。

荷風だけでなく司馬遼太郎『街道を行く37号本郷界隈・藪下の道』、木下順二『本郷』、森まゆみ『鴎外の坂』などでも描かれています。

今日はまず亀戸天神へと行ってみました。昨年は、そろそろ藤の花が見頃だろうと出かけた時には、すっかり花が終わっていました。この程度の藤棚ならば、埼玉の春日部や騎西あたりでは、あまり見る人もなくあちこちに存在しそうな感じもしますが、凄く大勢の人出となっていました。たぶん水戸で見たのと同じ「猿回し」が来ていました。

気温が急上昇してきていたので、アイスクリームを舐めながら小村井梅園に寄り、いつもと違う方角へと歩いてみましたが、いつのまにか丸八通りと明治通りとが合流する見たことのあるところへ出たので、日暮里駅行きのバスに乗ってしまいました。

「谷根千」あたりでは、「第10回一箱古本市」(本日と5月2日)が開かれておりました。写真に写っているお店から、川本三郎『私の東京町歩き』を500円にて購入しました。20年前に刊行された本です。

2 件のコメント:

  1. 荷風が新聞を賑わしてたころ姫が生きてたら?(^_-)-☆・・・と思ってしまいました。
    ハトチャンと同じで愚かな高校生には総て薮の中のことでした(T_T)/~~~

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  2. この一箱古本とは、一箱ずつ持ち寄るフリマみたいな催しなのでしょうか?随分と気になります。

    その箱の中なら、鬼平物をちらみしますが、いくら原作が良くても、ネタにした本では、ろくなのを読んだ事がありません。一体何処を読んでいるのだろうといつも不思議に思うのですが、そうした人達にも指示されている作家。凄いなと思います。

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