2010年2月17日水曜日

大正浪漫迷彩煉瓦の館へ!!



そうそう、、、思い込みを退ければ、人間だって水面を走れるかもしれません。



まずは多々良駅から2つ先の福居駅へと移動しました。駅からみえるところに煉瓦造りの建物があることは前々から気付いていましたが、営業中の会社に見えますし、これが国登録有形文化財で外観の見学が可能なものだとは思っていませんでした(^^;)

入口に足利市教育委員会による説明看板がありました。それには、「トチセンは、足利が織物産業で隆盛していた大正2年に足利織物株式会社として創業。同8年に明治紡織株式会社となり『明紡』として知られました。6連の鋸(のこぎり)屋根が特徴の赤レンガ捺染工場は、イギリス積みのレンガ造平屋建てで、鋸屋根破風(はふ)部分の軒蛇腹や外壁側へ突出した付柱(つけばしら)、出入口や窓等の開口部マグサ上に走る横材などに外観上の特徴があります。(以下略)」などなどと書かれていました。

この建物に使用されたレンガは、渋沢栄一が創設した埼玉県深谷市の日本煉瓦製造で製造されたもので、東京駅や迎賓館に使われたのと同じレンガだそうです。建物をまるで黒く汚したかのような柄は、戦争の時に空襲を避けるために施されたとのことです。

なんだかあまりにさっぱりし過ぎた富岡製糸場の建物よりもはるかに良い感じでした。

35分後の次の電車で、さらに2駅移動して足利市駅です。ここから徒歩5分くらいのところには、各地に建設された模範撚糸工場のなかで唯一現存しているという「旧・足利模範撚糸工場」があります。ここはレンガではなく大谷石で造られていました。2連の鋸屋根です。現在は、アンタレススポーツクラブとなっていて、明治36年建造の建物の中でワッセワッセと汗を流すトレーニングジムでした。

鑁阿寺に寄ったりして、だいぶ歩かなければなりませんでしたが、、、もうひとつ「旧・木村輸出織物工場事務所棟(現・足利織物記念館)」の外観だけ見ることにしました。ここは、平日で雨が降っていなければ内部に展示してある資料や写真を無料で見ることができますが、隣にある公民館へ申し出なければなりません。施錠されていました。明治44年に建てられた小さな洋館でした。若草色(?)をしてました。

これまで何回も足利へは行ってますが、こんなにいろいろ古い建物が残っていたとは全く知りませんでした。あまり宣伝もしてこなかったのかもしれません。

鑁阿寺は、紅白の梅がよく咲いていました。足利厄除け大師(元三大師)龍泉寺にも寄ってみました。JR足利駅から栃木経由で帰ることにしましたが、JRと東武鉄道の乗り継ぎは互いにまったく配慮がなさそうなダイヤでした。

2 件のコメント:

  1. 継続して100km/時で走ったら、本当に水面を走れるのだろうか(^^;

    これは迷彩なんですね。柄にもそれが残っている事にも驚きました。地震も少ないのだろうなぁ。確率的には今後30年震度5の確率が3%以下の地域だろか、日本では珍しいですよね。

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