2010年1月19日火曜日

昭和の赤錆、いついつ朽ちる





東京ビッグサイトから豊洲駅前を経由して東京駅八重洲口行きの都バスに乗ると見える錆だらけの橋が以前から気になってましたので、お台場からてくてく歩いて見に行きました。

東京オリンピックの選手村予定地は、看板なども撤去されて広大な原っぱ!!になっていました。「豊洲大橋」はまだ通行できません。さらに他の橋や道路を建設しているようですが、市場らしき建物はひとつもできていません。晴海大橋からは、建設中の東京スカイツリーが見えました。このあたりからだと東京タワーとは、90度以上も方角が違う感じがするので、アンテナの向きも変えることになるのでしょうかね???

晴海三丁目付近の景色は、ひと昔前とすっかり変わってしまいました。ここで勝鬨橋や銀座方面には向かわずに豊洲の方へ向かいました。

このさびさびの橋は、「東京都臨港線晴海橋梁」という名前で、昭和32年(1957)に完成して、平成元年2月9日まで機関車による貨物輸送が行われていたようです。橋の形式は「ローゼ桁(連続曲線鋼箱桁橋)」というもので、同じ形式の橋は他にないとのことです。近くに機関車の車庫があって、平成17年の秋に解体されるまでは、内部に入れた(?)みたいです。

写真を撮ったときには気付きませんでしたが、背景に東京タワーが写っていました。東京タワーの完成は、昭和33年ですので。この橋とほぼ同時期ということになります。定期的に塗料を塗っていなければ、東京タワーもこの橋のような色になっているのかもしれませんね。

3 件のコメント:

  1. 日本の鉄橋とその保守であまりにも有名なのは余部(あまるべ)鉄橋ですよね。日本海から吹きつける潮風で鋼製の鉄橋はあっという間にさび腐食してしまいます。明治45年1月の完成から風雪に耐えて現役なのは保守のたまものですよね(コンクリート製にする工事が進んではいますが)。

    担当者は塗り替えをついつい忘れているようで・・・経費をねん出できずしらないふりをしているのかなあ。余部鉄橋のエピソードを教えてあげたいですね。
    (外気に暴露している鋼製構造物の塗装には深い知識が必要です。適当に見積もりをとって安い工事ですませてしまうと、ぼくの住んでるマンションの外階段(鋼製の非常階段)みたいに何百万円かの経費をかけて数年おきのサイクルで行わなければならなくなります。人はそこのところをなかなか学習してくれません)住民は大声をあげて叫ぶべきだと思います-ニューヨーク市長は落書き落としから市の活力を訴えたって。
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  2. 昭和の赤さび・・・(*^。^*)
    私が卒業したのはS33年3月(*^。^*)
    言われてみれば、勉強しないで半世紀!(^^)!
    手入れのない赤錆だらけの自分を発見!
    あああ・・いつ朽ち果てるのやら・・!(^^)!

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  3. うん。珍しい橋ですね。軟弱な地盤と橋脚のスパン、下に船が通るなどを考慮して、この形式が採用されたと思います。ただ。なにせJNR時代ですからね、珍しいからいっちょこれで作ってみようかって感じもしないでもないなぁ。設計者は泣いたと思います。

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