2009年5月31日日曜日

ああ東京番外地

東京テレポート駅前からバスで10分くらい、湾岸警察署やテレコムセンター前を通り過ぎ、、、歩行者と自転車、原付バイクは通行できない東京湾第二航路海底トンネルの先は、地番のない土地です。海底トンネル内は常時カメラで監視されているもようです。歩道のような部分はあったと思いますが、歩行者などが進入するとすぐに大音響の警告が聞こえてきます。お試しあれ!!(笑)
トンネルを抜けたところの交差点を左折すると「関係車両以外通行禁止」みたいな立看板があります。直進して橋を渡って右へ行くと羽田空港へと行けるようですが、左は東京都のゴミ埋立て最終処分場なので、たぶんまだ一般人は入れないのではないでしょうか??? そこに合法的に入る(?)には、植樹などのイベントに参加するしかまだ方法がないのかもしれません。
このあたり一帯は、「中央防波堤」というらしいのですが、波を防ぐ仕掛けなどは特に見あたりません。大津波でもやってきたら海底トンネルもろともいっかんの終わりという感じかもしれません。
写真の道路も手前のところで、人が入れるようなバリケード封鎖されていて、年中無休のホコ天状態なのですが、人影はありませんし、スケボーなどしているお子ちゃま達もいません。もちろん健さんが剣を構えて、けんけん遊びなどしていません、、、。

2009年5月30日土曜日

マスクはひとのためならず

「情けは人のためならず」は、間違った意味で理解されるかもしれない慣用句の代表なので、もう使用禁止にしておいたほうが逆恨みなどされずにすむというものです。

鬱陶しいのでマスクは嫌いです。急にマスコミも報道量が減りましたが、、、新型インフルエンザはもう終熄したのでしょうか?
まだ関東地方では新型の感染者がでていない時でしたが、近所にあるホームセンターでは普通のマスクが品切れで、工事のおっちゃん達が使っているようなカップ型の防塵マスクが、インフルエンザの感染防止用として売られていました。一人一箱と制限を付けることが逆に売れることになるのか、多くの人だかりになっていました。塵埃や花粉よりウィルスのサイズは小さいかと思えるのですが、きっちり防げるのでしょうか?
マスクもちゃんとしたものは高価なので、通勤時に使い捨てにしたら交通費よりも高くなってしまうかもしれません。小学校なんかでの給食配りには、やっぱりなんらかのマスクが必需でしょうか、、、もうその後にマスクをしたことがないような気がします。入院したときの酸素吸引マスクも看護士さんがいないときなどは、外してしまっていました(^^;)
秋以降に新型インフルエンザがまたどんなに大流行しようとマスクはたぶん付けないです。満員電車の中で、みんながマスクをしていれば、ひとりだけしていなくても同じ事(?!)ですよね???

2009年5月29日金曜日

五月雨に沢辺の真菰水こえて

源頼政は、77歳で自害しています。平安貴族の大半が二十代で亡くなっていることからすると妖怪的な長生きです。鵺を退治したのではなく、その折に身体を乗っ取られてしまっていたのかもしれません。鵺の鳴く夜は恐ろしい、、、なるがまま(Let it be)も恐ろしや、、、。

昭和17年、荷風は62歳、、、荒川対岸の玉ノ井あたりへよく通った後のことだったのでしょうかね?
雨の日に長く外を歩くことなどしたことはないのですが、立石からは堀切菖蒲園を目指しました。と言ってもどのあたりになるのか地図をうろ覚えなので、気の向くままに路地を右へ左へ、、、。
堀切菖蒲園駅と立石駅は、同じく京成電車でも路線が異なるので、遠回りの乗り換えとなりますし、堀切菖蒲園駅から菖蒲園までは徒歩15分くらいとされています。都内での徒歩15分はもう別の地域ですよね(笑)
いつのまにか北上しすぎてしまったようで、すこし戻るような感じで堀切菖蒲園がみつかりました。入場無料です。「四分咲き」と書いてありました。もっと広いとこかと思っていました。
どこかのテレビ局が撮影中です。撮り方からするとニュースなどの短い紹介ではなさそうです。きっと後からタレントさんが、まるでそこにいるかのようにして声だけ入れて番組にするのでしょう。
菖蒲の花は雨の日が似合います。それにどの通路から撮っても強い逆光にならないので、よい感じです。菖蒲の花をまじまじと見たのは初めてかもしれません。

        ……いづれあやめと 引きぞ煩ふ

2009年5月28日木曜日

雨中奥戸橋の眺望画の如し

来月になって最初の雨の日にと思っていましたが、予定を繰り上げて東京葛飾区の立石へと行ってみました。
昭和17(1942)年6月4日の『断腸亭日乗』に荷風は、「雨中奥戸橋の眺望画の如し。橋際に地蔵尊と道しるべの石あり」と書いています。
毎度毎度のことで下調べがいい加減なことが祟って、、、時折激しく降る雨の中を行きつ戻りつするはめになってしまいました。京成立石駅を降りてすぐの賑わった道を左に行けば間もなく目的地だったのですが、とにかく中川まで行けば迷うことなく分かるだろうと直進してしまったことが間違いでした。このあたりの中川は、とても川幅が広くて蛇行しています。しかも見渡せる限りにおいて、橋など架かっていませんでした!!
とりあえず右に行って見えてきた橋は、平和橋となっていました。川沿いを引き返して、大きく川が曲がっているところが公園のように整備されていました。遙か先に橋が見えましたが、なんとなく違う気がしたので、また平和橋の方へ戻り、もっと先へと歩いてみたら、もう荒川へと合流するだけで橋なんかなさそうでした。平和橋で対岸へと渡って、その「なんとなく違う気がした」橋以外に考えられないので、そこをめざします。1時間半くらい彷徨ってしまいましたが、立石駅からは5分で着けるところでした(^^;)
橋が造られた年度を確認しませんでしたので、荷風が見た橋と同じかどうかは分かりません。道しるべと地蔵尊はありました。
当時の荷風は、港区六本木あたりに住んでいたはずですが、「路地」が好きな人だったのかもしれません。

2009年5月27日水曜日

過去の巣の上で……

One flew east,
And one flew west,
And one flew over the cuckoo's nest.

足尾銅山観光での展示物のなかで、「あれっ?!こんなのだったかなぁ??」と前回(一昨年の9月)見たときと印象が全く違う人形が一組だけありました。
写真の左側が一昨年のもので、、、なぜか胸元をぎゅっと掴まれたように見えて、着物も汚れていますし江戸時代の女工哀史的なリアリティーが感じられたのですが、どのような配慮が生じたのか、、、なんだか清楚にスッキリしすぎたような衣装になってしまいました。写真を撮った時の角度のせいもあるのかもしれませんが、うらめしそうな視線も消えていました(笑)
まぁ展示する側の事情はともかくとして、着物が異なっていたということまでは分からなくても何か違うと思った自分の記憶は、いったいどんな風に記録保持されているのかと不思議な感じが生じたのでありました、、、。
実は、一昨年に初めて訪れたときには、展示されている人形などがどれもずっと以前にどこかで見たことがあるという既視感だらけでした。幼い頃に親に連れてこられて見ていたということがないか確認までしたものです。
はたして前世などというものがあるのかどうかも疑わしいことですけど、足尾へ行くと既視感だらけになるのが不思議です。道ですれちがったお婆さんが頭をさげながら「ああいつもご苦労様です」などと言ったりすると、なんだか別な自分が挨拶を返しているような感じがしてしまうのでした。

2009年5月26日火曜日

葉巻まきまき路上ぽいぽいなんかむしむし

昨日、道路の上にいっぱい落ちていたのは、木の葉をきっちりと固く巻いたものでした。真ん中の葉脈から半分に折りたたんで、葉の先から巻いて最後に切り離したということなのでしょうか? 
人がやってもそんなに上手にはできないという感じがしました。かなりの硬巻でした。一体全体どんな昆虫がどんな風に葉を巻いているのか、見てみたいものでしたが、もう出来上がって落ちているものだけで、実演ショーにはお目にかかれませんでした。巻かれた葉の中に虫がいるのではないかと思っていたのですが、いくつか分解してみましたが、虫もいなければタマゴらしきものもなさそうでした。
ひまつぶしに葉を巻いているわけではないでしょうけど、落ちたところが悪ければ、すぐに車に轢かれてしまうことになってしまいます。
森の中には、もっともっと謎が山盛りありそうです(^^)

2009年5月25日月曜日

ザ・wrong・アンド・ワインディング・ロード

長く(long)曲がりくねった道は あなたのところへ向かう道
決して消えることがない 前にも見たことがあるこの道を
行けば必ずたどり着く あなたのもとへとたどり着く

昨年の11月には、鹿沼・古峯神社側から「禅頂行者みち」と呼ばれて修験者が通った古道を歩いて、なんとか奥日光の中禅寺温泉まで行けました。今年は、逆のルートで歩こうと思っていますが、登り坂を歩く体力がずいぶんと落ちてしまっているので、なかなか実行に移せません。
今日は、古峯神社から北上して奥日光へと向かうのではなく、西の足尾へと通じている「修験行者みち」を行ってみようと思いました。古峯神社から4キロちょっとの深山巴の宿というところまででて、あとは下り坂を8キロ弱歩けば、わたらせ渓谷鐵道の通洞駅へと難なく行けるはずでした、、、。
ところが車道から修験行者みちへと入るところが分からないので、そのまま車道を行ってもたいして距離に違いはないだろうと思ったのが大変な誤りでした。なかなか終わらない登り坂をずいぶんと歩いて、やっと標識があったと思ったら「足尾14Km」との表示なので、一気に疲れてしまいました。戻るも地獄なので、そのまま進んだのですが、予定より3時間以上も余計に歩かなければなりませんでした。
まだちゃんと地図から距離を算出してはいませんが、たぶん今日がこれまでの生涯で一番長い距離と長い時間歩いた日となったのは、間違いありません。
(写真は、足尾銅山観光坑道内の謎のツララ!!)

2009年5月24日日曜日

みっちゃんみちみちミスってウォーク

今日は予想外の雨で予定していたところに行けずに暮れてしまいました(^^;)
架空のキャラクターや人間以外の生き物などを住民登録してしまったり、その住民票まで「販売」してしまう自治体まであるようですが、それって公文書偽造とかにならないのでしょうかね?
住民登録されているかどうかは分かりませんが、東京都北区には浅見光彦さんがお住まいのようです。テレビでお見かけしたら、最近15歳くらい若返ったような気がしましたが、、、33歳という実(架空)年齢に近づいたのかもしれません。
先日、JR上中里の駅で「名探偵★浅見光彦の住む街」実行委員会事務局が発行しているミステリーウォーク2009「失われた地図」を手に入れました。昨年もあったようでしたし、もう何年か続いているイベントなのかでしょうか、、、。実在の人物で町おこし村おこししていると、いつクサナギくんのようなことがあるかしれませんし、自分自身をも虚構化してゆく先に見えてくるものがありそうです。

2009年5月23日土曜日

廃墟よいのこったのこった

先月から軍艦島に一般観光客が行けるそうですが、、、長崎は、だいぶ遠いです。でも、わずか200メートルちょっとの見学通路だけでも廃墟好きには魅力十分かもしれません。
足尾銅山観光は、名前の通り「観光施設」で廃墟ではありません。子供だましと言うよりも子供も喜びそうもないトロッコ電車に乗せられて、意味のない短い距離を時間潰しさせられるので、一昨日は寄りませんでした。もっと自由に坑道の中を歩き回れるのなら、廃墟好きにも楽しめる場所となりそうです。
掘られた坑道の長さは、東京から福岡あたりまでの距離に相当すると説明されていたような記憶があります。
厳重な鍵で閉ざされた坑道への入口扉の前に立つと隙間から冷たい風が吹き出てきているのが分かります。風が流れているということは、ちゃんと何処かに繋がっているということですよね。
廃墟としては、足尾製煉所が凄そうです。まぁ公開されることはないでしょうけど、ネットで検索すれば不法侵入による撮影写真が多々あるようです。
掲示写真は、荒れに荒れている銅山神社への参道脇にあった住宅跡(?)です。サイパンの写真に混ぜられそうです。

2009年5月22日金曜日

虎穴に入らずんば苔ることなし

「虎の穴」出身のタイガーマスクさんは、制作年代と劇中年齢からそろそろもう還暦くらいの年齢かもしれませんね。「穴があったら入りたい」と言うときに入る穴など無く、もしあったとしても入る人はおりません。「同じ穴の狢」などという言い方もありますが、、、タヌキは穴を掘るのが実は苦手らしいです。「ア・ムジナ・リブズ・ゼアー」というフレーズが載っている中学の英語の教科書を使った人もいるでしょうね、、、。
昨日、足尾で「狸堀り跡」と大きく書かれた看板が立ってまして、、、「江戸時代の鉱脈の堀り方は、自分だけが入れる狸穴ににた狸掘りであった。足尾銅山でも対岸の沢沿いに多く見られる。(危険ですから対岸に入らないで下さい。)」とありました。
草木が茂っているせいか、それらしき穴はひとつも見えなくて、谷も深そうなので対岸へ行くのも大変そうでした。
備前楯山の登山口を入ってまもなく、手が汚れていたので、細い流れとなっている沢水で洗おうと登山道から数メートル離れたところ、根元がえぐられるように陥没していて、半ば宙に浮いているような木がありました。
なんとなくそこへ近づいてみると、なんと背筋も凍るような冷気が!!「霊気」だったのかもしれません(笑)
覗きこんでも暗くてほとんど何も見えませんでしたが、写真に撮ってみるとずっと奥の方まで穴が続いていそうでした。まるで扉を開けた大型冷凍庫の前にいるようでした。
これが狸掘り跡なのでしょうか???鉱脈が地表に出ているところに沿って、鎚と鏨で掘り進むのが狸掘りだとすれば、こんな粘土みたいなところも掘るのでしょうか???なんか2つ、3つ顔のような人の姿のような模様が浮かんで見えませんか?、、、ぞーっ(((((((^^;)

2009年5月21日木曜日

その足元からどうかしてるね!?

10円玉って素材の銅も国産なのでしょうかね???
先日、駅のラックに置かれているチラシを見ていたら、、、備前楯山(標高1273m)という栃木県の足尾にあるにしては「備前」と不思議な名称になっている山が載っていまして、標高もそこそこ高いにもかかわらず登山口から1時間くらいとも書いてあるので、とても気になっていました。足尾銅山の銅のほとんどが、この山から産出されたそうです。
まずは東武日光駅前から市営バスで、わたらせ渓谷鐵道の起点である間籐駅の少し先にある赤倉まで行きました。足尾製煉所のすぐ近くです。
山のあちこちでツツジと藤が満開でした。
「楯」とは銅鉱脈の露頭のことを言うのだそうです。慶長15(1610)年というと江戸時代が始まったばかりですが、備前国出身の農民がこの山で露頭している銅鉱石をみつけて届け出たことから「備前楯山」という名前になったと説明看板が立てられていましたが、、、備前と言ったら岡山のほうですよね!? 新幹線も走っていない時代になぜ足尾に来て百姓しているのか?しかも農地なんてあるはずのない山で何してたのよ?という疑問の方が盛大に露頭してしまいました(笑)
山頂は視界良好でとても気持ちの良い風が吹いていました。下山途中になって、中年ご夫婦と初老ご夫婦とすれ違いましたが、どちらもすぐ近くの駐車場まで車で来たようです。
写真は、製錬所(明治30年廃止)・選鉱所(大正9年廃止)跡です。あれこれと山師たちの夢の跡を見ながら、わたらせ渓谷鐵道・原向駅までひたすら歩きました、、、。

2009年5月20日水曜日

パラパラの名前

「パラパラ」と称される踊りがあったことすら人々の記憶から忘れ去られている昨今であります。ウンベルト・エーコが『薔薇の名前』という難解そうな推理小説を上梓したのが1980年、それがショーン・コネリー主演で映画化されたのは1986年でした。清水義範が『バラバラの名前』を書いたのは1992年と、、、いずれも昔々のことになりました。
今日は紫外線あっぱらぱーの中、初めて「京成バラ園」へと行ってみました。最寄り駅は、なぁんと京成電車ではなくて東葉高速鉄道の八千代緑が丘駅になります。西船橋までは地下鉄東西線なので、都心部からも安い電車賃なのですが、その先数駅乗るだけで490円も取られました(^^;)
まるっきり都内への通勤住宅地という感じで、昔々からある商店街など昔々から存在しませんでしたという印象の町並みでした。
バラの開花シーズン以外は、通常300円の入場料のようですが、今日は800円です。入場券を買うのに長い列ができていました。2000円の年間パスポートを購入したらバラ柄の小皿がもらえました(^^) この年パスは名前や年齢を記入して使うものの有効期限の判子が押してあるだけなので、使い回しできてしまいそうなアバウトさです。本当にバラばかりで、花が咲いてない時期など淋しそうですが、今日はあまりにも人が多すぎです。そして日差しも強すぎなので、バラのソフトクリームを食べて早々に引き上げることにしました。

2009年5月19日火曜日

宇宙エレベーターを夢見タワー

新東京タワーとなる「東京スカイツリー」のタワー部分が少しずつ空へと伸び上がっていっているようです。東京タワーは地面から4本足で建ち上がっていますが、こちらは建物の上から3本足の構造なのでしょうか?
なんとなく「スカイ」は「スイカ」と読んでしまいそうになります。わたし的には、名称候補にあった「みらいタワー」と「ゆめみやぐら」を合体させて「ゆめみタワー」が良いかと思っておりました(^^;)
日本科学未来館で上映中の全天周立体映画に「宇宙エレベーター」というのがあります。そのなかで「もし世界の国々が1年間だけ戦争をやめて、そのお金を建設費用にまわせば実現可能」のようなことが言われていました。小説では、アーサー・C・クラークの『楽園の泉』(1979)が最初かもしれません。原理としては、静止衛星と同じで、残された課題は鉄よりも強くて軽い素材ということのようです。ネット検索したら「社団法人宇宙エレベーター協会」というのもありましたし、すでに空想だけのものではなくなっている様子です。
スカイツリーの建設現場を見ていると、、、宇宙エレベーターのプラットフォームを作っているかのような妄想が浮かんできます。そうそう、プラットフォームと言えば、今は東武日光伊勢崎線・業平橋駅のホームが現場見学のベストポジションになっていますけれど、完成したら駅が取り込まれてしまって、タワーを見上げることなどできなくなってしまうのかもしれませんね、、。

2009年5月18日月曜日

バラがとりもつ洋館と羊羹の甘~い関係

6月21日まで「春のバラフェスティバル」開催中の旧古河庭園へと行ってきました。夜間のライトアップは、今月の24日までです。
昼間は、いつもここでバラの花びら入りアイスクリームを食べるのですが、今夜は遠慮しておきました。ちい散歩御用達のようなイラスト看板で、バラの花びら入り羊羹が売られていました。だいたいバラの花びらって、ごわごわごそごそしていそうですし、食べて美味しいとは思えないのですが、香りの方を重視ってことで食物に混ぜるのでしょうかね???
ここの洋館の中は、まだ入ったことがありません。事前にハガキで予約するか、その予約見物人の少ない日に混ぜてもらうかする必要があります。料金も別に発生します。さらに面倒なのは、ガイド説明付きのツアー形式でまわるようなので、好き勝手にできないらしい点です。
先月新しく購入したデジカメですが、、、夜間の撮影はど~にも使い物にならないようで、今夜も無残な結果に終わりました。レンズの汚れなのか、内部の何かに乱反射するのか、画面一面に白っぽいバブル状のものが写り込んでしまって、とても汚い写真しか撮れません。急遽、前のカメラで撮り直しました(^^;)

2009年5月17日日曜日

観光バスと都バス、どっちが速い?!

天気予報で言っていたほどには荒れた天候にはなりませんでしたが、朝はやっぱり雨降りでしたので外出せずに録り溜まり過ぎているテレビ録画などを見齧っていたらもう夕方になってしまいました。
昼食は、母と姉と一緒にファミレスのココスで新登場の粗挽きハンバーグというのを試しに注文してみました。あまりに生っぽくない?という感じでの登場でしたが、すぐにジュージューしなくなってしまう鉄の塊に押しつけながらさらに焼いて、、、まぁけっこう値段の割には美味しかったのでありました(^^)
前々からさがしていた「るるぶ情報板・首都圏18東京 都バスで散歩」が本屋さんで目に付いたので買ってみましたが、期待していたほどの内容ではありませんでした。都バス関連では、バスの中や営業所で無料配布されている「みんくるガイド・都バス路線案内」が地図としても重宝します。500円の一日乗車券でいったいどのくらいの距離を移動できるのか、試してみたい気もするのですが、、、。

2009年5月16日土曜日

祭りへとようそろ!!

今週末は、各地でイベントやお祭りが目白押しおし押しくらまんじゅうのようですが、明日のお天気が最悪の気配になってきてしまいましたね。
今日はまずお台場のシンボルプロムナード公園周辺での「臨海副都心ワイルドフラワー祭り」を覗いてみました。花の摘み取り持ち帰りができるという催しのようなのですが、こんなに花が少なくて大丈夫なの?と、ちょっと心配になってしまうような咲き具合でした。
2016年招致するぞ!!のオリンピック競技会予定地を増田明美さんと歩く「東京港臨海ウォーキング」というのも明日予定されているようです。これらのイベントはどれも「第62回東京みなと祭」として、晴海・臨海副都心・船の科学館の3会場に分かれて開催されてます。
10時過ぎには、メイン会場である晴海埠頭へと向かうことにしました。ここでは毎回、帆船や特殊用途の船が一般公開されているようなのですが、なかなか都合がつかずに今回が初めて見に行くこととなりました。
今回やってきた帆船は「海王丸」という独立行政法人航海訓練所の練習船です。船内にも入れると思っていたのですが、、、それは明日だけでした。今日は午後から帆を張って見せてくれるということですが、やっぱりお祭りと言ったらここでしょ!!という浅草に向かうことにしました。
冷凍コンテナトレーラーの中へと入れるイベントがあったので、入って見ましたが、今日は外気温が低いせいかあまり寒くは感じませんでした。
ところでオリンピックのメインスタジアム建設予定地は、なにもない更地になっていましたが、むかしむかし国際展示場としてモーターショーなどが開催されていたドーム状の建物が存在した場所のようでした。

2009年5月15日金曜日

亀よカメめよ良く噛めよ、甲羅を捨てて走れ!!

カメを見るとハンバーガーを連想しませんか?
わたし的には、まるっきりそんな連想は頭に浮かんできません。マクドナルドの「商品券」というのも、わたし的にはなんのメリットもなさそうです。たとえ金券として自由に使えたとしても使用期限付きでは半分も使えないでしょう、、、。クサガメやゼニガメに無理矢理に浦島太郎を乗せてしまおうという発想のようなものです。懸賞応募のポイントシールなんかもいつのまにか応募期限を過ぎてしまいます。ヤマザキパンのおしゃれ小鉢は、なんとか2つゲットしました。
カメの臆病さが、厚い甲羅になったという説があるようです。企業の大胆さが厚いハンバーガーになるかもしれません。ビッグマックは常に200円が良いと思います(笑)
一昨日の山歩きでは、二三歩進んでは一休みという感じでしたが、その横をまるでジョギングでもするかのように軽快にすいすい登って行ってしまう人がおりました。ボクサーのようにワンランク減量するには、肉をはんではいられない?

2009年5月14日木曜日

ぶんぶんぶん!!秘蜜の世界

夕方から強い北風となって、冬ならば寒波襲来!!ってとこでしょうか。風の影響で電車は遅れが出ていましたし、、、ご機嫌悪くなってしまった人も各地にいっぱいいるかもしれませんね。雨など降って思うように花蜜集めのお仕事ができないときのミツバチさんたちは、とてもご機嫌が悪いそうです。
昨日、ちょっと触れましたが、、、大小山へと登り始めたところにある小さな神社のお賽銭箱は、ニホンミツバチによって占領されていました\(^^)/
なんとか賽銭箱の中を見ることはできないものかと調べてみたら、、、底の方が引き出しになっていまして、鍵は付いていませんでした。その引出しをほんのちょっとだけ引っ張り出して、大急ぎでデジカメを入れて撮ってみたのですが、、、1枚目も2枚目も、びびりまくり撮影のせいなのか、ピントが合ってくれませんでした。一旦、引出しを閉じてから再度慎重に(?)撮り直した写真がこれです。きっとこういうごちゃっとした塊は苦手な人も多いことでしょう、、、。虫唾が走りまくりでしょうか?(笑)
晴れの日だったせいなのか、ミツバチさんに刺されることはありませんでした。が、何匹か追いかけて来て、ぶんぶん文句言ってた感じです(^^;)

2009年5月13日水曜日

カラスは黄色が見えないって本当なの?

今季4度目の「あしかがフラワーパーク」へと行ってきました。白花の藤も終わってしまって、見頃なのは黄花だけになっていました。だけど黄色い藤の花があったなんて、今年ここに来るまで、ちっとも知りませんでした。大藤はもう刈り込み(?)などのメンテナンス作業が始まっていました。
薔薇がだいぶ咲いてきました。旧古河庭園のバラ園ライトアップは、15日から24日までのようです。近々、千葉県内にある「京成バラ園」も見てみたいと思っています。気温が高くなってきたときは、薔薇の花の香りで息苦しくなりませんか?(笑)
そして、3度目の大小山ハイキングコースへと、、、謎の石窟の最奥まで行こうと今回は、百均で購入した単三電池1本で頼りなく光る懐中電灯を忘れずに持参したのですが、今まで通ったことのないルートから登ってしまったので、石窟のあるところを通りませんでした(^^;)
神社のお賽銭箱の中が、ニホンミツバチの巣になってしまっているところも写真に撮っておこうと思っていましたが、そこも通らずに、お隣の大坊山へと足を伸ばしたのですが、暑くなって水分不足のために越床峠から下山してしまいました。なかなか自販機がなくて、干からびそうになりました。駅まで戻るのも日差しが強くて大変でした。

2009年5月12日火曜日

水郷佐原すいすいさわさわツアー第1弾!!

「佐原」は、ずっと「サハラ」と読むのだと思っていました。そして水郷と言っても潮来とどう違うのかなど、まるで予備知識もないまま、とりあえず香取神宮へ行ってみようと思ったわけであります。
電車で行くとなると乗り換えが面倒そうなので、浜松町か東京駅前から出ている千葉交通の高速バスを利用することにしました。電車賃と大差ないのですが、1700円6枚綴りの回数券(使用期限なし)を8500円で購入したので、このツアーは第3弾まで予定されてます(^^;)
浜松町のバスターミナルで午前10時20分発に乗りました。乗客は、東京駅前から乗ってきた人達と合わせても10人足らずでした。佐原駅北口に到着したのは正午頃です。駅で市街地のイラストマップを入手して、まずは小江戸の古い町並みがあるというあたりへ、、、無料なので伊能忠敬旧宅というのに入りました。小さな銅像がありましたが、富岡八幡宮にある像とは、なんだか別人のような顔をしていました。
「香取神宮まで2キロ」という看板があってからの道が長くて、通り過ぎてしまったのではないかと思った頃に大型観光バスが何台も止まっているところが見えてきました。
Wikipediaでは、香取神宮の創建年(紀元前643年)が古すぎるという説も書かれていました。「さ」の付く地名のところですし、神社を建てた場所はかなり古くからなんらかのパワーが存在したところだったとも考えられます。「さ」という古い神が滅んでしまった後に、同じところを新しい神が使うことにしたということなのかもしれません。
朱塗りの鳥居をくぐったとたんに空気の感触が違った感じがしました。ヒーリングポイントのようなものは、移動しながらも本殿の裏手とか横にあることが多いのですが、今日のここでは表の参道にあり!!でした。
次回は、あやめが咲いた頃に「水生植物園」あたりへと行ってみようかと思っています(^^)

2009年5月11日月曜日

の~んびりゆこうよ♪

梅雨時が近くなると頭の中に刷り込まれてしまっている紫陽花の葉の上にいるカタツムリの絵がしばしば思い浮かぶのですが、、、実際にそんな光景を見たことはありません。
植木鉢の底を見ればたいてい隠れているナメクジに比べるとカタツムリは一体どこに棲息しているのかと思えるくらいに見かけることがありません。
「kawaii」という価値観からすれば、カタツムリはナメクジへと進化しないことが正解でしたね(笑) それでも植物園などでは生存権など認めてもらえそうにありません。
猿も木から落ちるように葉っぱから誤って滑落してしまうカタツムリっているのでしょうか???
写真のカタツムリは、道路を横断してきたところですかね?
カメとともに「のんびり、ゆっくり」のイメージキャラクターですが、意外とカメの走りが速いようにカタツムリの全力疾走はあなどれないかもしれません、、、。

2009年5月10日日曜日

「アットワンス」は8回限り!?

JTB系の会社が発行している駅置きの無料雑誌「AtOnce」が先月の第8号で休刊になってしまったようです。取り損ねて半分くらいしか手に入りませんでしたが、、、昨年から刊行されて、無料にしては広告が少なくて、贅沢・上品な内容に驚いていたのですが、景気が悪くなったとたんに「やっぱり……」という感じで、お終いになってしまいました。
内容・ターゲットは、男性向けのようですが、巻頭には毎回、男性俳優などのモノクロどあっぷ!!顔写真を数ページ掲載していました。「休刊」となっていますが、実質的には「廃刊」かと思われます。とても残念です。
最も発行部数が多そうなのは、リクルートの「R25」あたりでしょうか?掲載記事が、ミクシィなどのニュースに使われるようですね。
東京メトロの駅構内に置いてある「メトロポリターナ」5月号は、「とりあえず神だのみ?」という特集でした。”気持ちがいい”は「気」が良い場所、、、ということで、神社以外のパワーある場所なども紹介されておりました(^^)v

2009年5月9日土曜日

超綺麗、頂点の蝶

GWが終わってすぐの土曜日なので、行楽地へと向かう人は少ないかと思っていたら、、、まるでそんなことはなくて、朝から電車も混んでいました。
前回は、4月27日に出かけた足利の大小山ハイキングコースを再び歩いてきました。今日はこの前のときとは、上り下り逆のルートにしました。謎の岩窟は、今日も懐中電灯など持って行かなかったので、真っ暗なまま手探りで前回よりも倍くらい奥まで進みました。10メートルほど入り込んで、あと少しで最奥の行き止まりではないかという感じがしたのですが、ストロボを発光させて撮った写真には、なにやら白い霧状のものが写ったので、「ぎゃっ!!」と叫んで外へと逃げ出しました(笑)
妙義山(群馬県の赤城・榛名とともに上毛三山の妙義山ではありません)山頂は、とっても狭いのですが、何人かお弁当など食べていて、特に三角点の上に腰を下ろしている親爺が見苦しかったので、蝶の写真だけ撮って早々に立ち去ることにしました。
晴れていますが暑くなった分どんどん水蒸気も立ち上っているのか、東京の高層ビルは見えませんでした。もうトネリコの花はどこにも見あたらないので、どの木がトネリコなのかも分からなくなってしまいました。
最初は、さらに2時間ほどかかる「大坊山ハイキングコース」まで行くつもりでいましたが、身体がまだ暑さになじんでいないので、また次の機会に、、、。
森高千里が1993年発売のシングル「渡良瀬橋」の歌碑というのが、もう2年も前に建てられていたことを今日になって知りました。これを捜すのもまた後のお楽しみです(^^)/

2009年5月8日金曜日

そうだ八幡橋を渡りに行こう!!

雨上がりの富岡八幡宮を横へ通り抜けて、いつも来たときに通っている遊歩道へ、、、八幡橋の下あたりには、野良猫に餌を与えているお婆さんが常駐していたような感じでしたが、今日はおりませんでした。この八幡橋は、1878(明治11)年に初めて国産の鉄で造られた橋だそうで、日本最古の鉄橋らしいです。これまでずっと橋の下ばかり歩いていて、橋を渡ったことがなかったので、今日は最初から橋の上を歩くことを目的に来ました。
ほんの数秒で本日のお散歩のメインイベント(!?)終了してしまいましたので、残りはおまけのようなものです(笑)
清澄庭園では、いい感じにアオサギの写真がいっぱい撮れました。わりと最近何かで話題になったような気がするものの、それが何だったのか思い出せないまま尾車部屋の前を通って、萬年橋へ。この橋もなんとなく好きです(^^)
芭蕉庵史跡展望庭園と芭蕉庵跡を見た後は、たいてい隅田川沿いに両国まででてしまうのですが、今日は秋葉原でお買い物の予定もあるので、新大橋で対岸へと渡りました。神田川が隅田川へと合流する直前にある柳橋を見ておこうと思いました。
神田川沿いではあちこちでお祭り準備中でした。交通博物館だったところは内部を取り壊し中でした。
お茶の水の方へと淡路坂をのぼって、ニコライ堂へと行きました。300円でニコライ堂の内部を見学することができるというので、とっても期待してやってきたわけですが、入れる領域は、料金を支払ったところから10メートルくらいなものでした。ヴァンパイア体質のせいか、教会などに入ると頭痛がしたりするものですが、歩き回ることもできないので、今回は全然大丈夫でした(笑)
聖橋を渡って、神田明神の中まで行ったところで急に激しく雨が降ってきてしまいました。
秋葉原の電気街へと戻って、買いたい物をさがしていくつかの店を見ましたが、どこにも見あたりませんでした。アナログ音声をUSB経由でデジタル変換する機器は、いろいろ売っているのですが、ちゃんと稼働するカセットテーププレーヤーを持っていないので、先月発売になっているはずの製品を買うつもりでしたが、縁がなかったのかも???

2009年5月7日木曜日

目には青葉……

まるっきり金ぴかぴかでないままにGWが終了しました。朝夕の通勤電車が空いていたことくらいがメリットだっただけかも、、、。
今日から神田明神のお祭りが始まりますし、、、江戸っ子は、仕事しているヒマなどないっ!!という感じかもしれませんね。これからは、あちこちで夏祭りです。
各地のお祭りにも「縁」とか「相性」みたいなものがあるのか、、、偶然にも祭りの最高に盛り上がったところを目撃できたなんてこともあれば、意識的に見に出かけようとしても都合が合わないとか、行ってみたら終わった後だったとかで、なかなか見物すらできていないお祭りも多々あります(^^;)
昨年は、30を超える回数で日光・奥日光へとでかけていましたが、今年はちょっとその回数を減らして、まだ行ったことのない場所へと思っています。都内なら高尾山とか青梅の御嶽山、千葉は佐原や香取・鹿島神宮などなど、、、。でもなんだか昨年の紅葉時期にあったほどの体力が戻っていない気がするので、、、
まぁ、山ほどほどに初ガッツを!!てな感じでしょうか、、、。

2009年5月6日水曜日

おいしい風を召し上がれ

昨日の子供の日は、あいにくの雨となってしまいました。風にたなびく鯉のぼりは、やっぱり五月晴れの青空の下が似合ってます。
カレンダーを見たら、、、今日5月6日は振替休日となっていましたが、3日の憲法記念日が日曜日だったことのジャンプ振り替えってことでしょうか?
これまた歴史的経緯ってものがあるのかもしれませんが、国民全体がアッパラパー化している時期になんで憲法記念日などという重そうな記念日が割り込んでいるのでしょう???(笑)
ひな人形は早々に片付けないと嫁に行き遅れるなどという話がありますが、五月人形は片付けようが片付けまいが嫁を貰い損ねるのは必至の時代となっているようです。男子は、弱く産まれて強く育つということなのか、医学の発達で夭折を防ぐことができると女子より大幅に人数が多くなってしまいます。それでも子供が占める割合は、平成の時代になってから上向いたことはないようです。新聞には、28年間減り続けていると載ってますね。
各地に乱立する巨大ショッピングモールの日・祝日などは、子供たちが少なくなっているとは思えないような感じがしますが、昭和の時代とはもうまったく子供たちの居る場所が違うのかもしれません。
今年も加須市のジャンボ鯉のぼりと春日部市(旧・庄和町)の大凧揚げは、どちらも見に行けませんでした。

2009年5月5日火曜日

貫は付いても禄付かぬ、厄は除けても、かんかんかん!!

昨日は、築地から地下鉄に乗って、まずは西新井大師へと移動しました。「花まつり」の期間中ですが、藤も牡丹も終わってしまっていました。5つの牡丹園があるそうなのですが、咲いているのは、シャクヤクくらいでした。
門前で花より団子と草だんごを買いました。数種類のおだんご試食だけでもけっこうお腹いっぱいになります。
次に東武伊勢崎線・北越谷駅まで移動して久伊豆(ひさいず)神社へと向かいます。ここには国学者・平田篤胤が四十代で再婚したのちに仮住まいし、流山あたりから樹齢60年くらいの藤を植え替えたそうです。なので現在は、「樹齢二百余年」とされています。もう花がほとんど終わってしまっていました。
大野光政・著『江戸百景今昔』(本の泉社・刊)の出版にちなんで、パネル展示が5月10日まで行われています。本は、歌川広重『名所江戸百景』に描かれた全119点に、大正時代に刊行された写真集『古今対照江戸百景』を加え、さらに大野氏が撮影した現代の写真からなるとってもビジュアルな内容です。持ち歩くには大きな本ですが、ガイドブック代わりに江戸百景を歩いてみるというのも楽しそうです(^^)
「GW肉が輝く5日間マクドナルドへの旅」にもでかけてきました。ビッグマック(200円)とクォーターパウンダーチーズ(300円)の組み合わせで、ちょっとオーバーロード気味になりました。さらに大師前の厄除け草だんごの賞味期限は「本日限り」となってました(^^;)

2009年5月4日月曜日

レインボーブリッジを平行せよ!!

お台場からは、レインボーブリッジを経由して芝浦方面へと何度も歩いていますが、、、今日は有明やオリンピック選手村の建設予定地、そして築地市場の移転予定地、晴海を通って築地まで歩いてみました。
もっと距離もあって、果てしなく疲れるコースなのではないかと思っていましたが、ゆっくりと歩いて晴海までで約1時間、築地までさらに30分くらいしかかかりませんでした。
写真は、晴海大橋で撮ったものです。「橋長580m」と書いてありますので、レインボーブリッジの3分の1くらいですね。「とよすおおはし」は、まだ通行することができません。名前が○○大橋となるには、橋の長さが何百メートル以上とかいう基準があるのでしょうか???
築地場外市場周辺は、年末に見にでかけたときよりも凄い人の数でした。どのお寿司屋さんにも長蛇の列です。
東京ビッグサイトから東京駅へと向かう都バスは、わりと頻繁に走っているようですが、築地辺りまではあまり乗客が乗っていませんでした。いつもは、有明あたりまで歩いて来ると、ちょうどバスがやってきて、ついつい乗り込んでしまい、今日までなかなか歩き通す機会がなかったのでありました、、、。今日歩いたところは、東京マラソンのコースとは、少し違う道だったので、次はマラソンコースを逆に進んでみたいと思っております(^^)v

2009年5月3日日曜日

空に向かって、まめにはげめ!!

初めて訪れたつもりなのに、、、「天保の締め切り跡」が既知の場所でしたが、一番利根川に近い部分がどうなっているのかは確認しませんでした(^^;)
久しぶりの自転車での遠出なので、お尻と言うか足の付け根が痛くて、自転車をころがしながら歩くか、立ちこぎで進むかしないと痛みを我慢できない状態になってました。それでも次は何年先のことになるかも分からないので、いくつかのお気に入りポイントに寄りながら帰ることにしました。
少し遠回りになってしまうのですが、まずはオニバスの自生地へ。種子が発芽するのが6月、花が咲くのは8月くらいらしいので、まだなにもない状態でした。
利根川に架かる埼玉大橋は、自転車での走行をまるで考慮していないのではないかという構造でした。道の駅・童謡のふる里おおとねでは、特にお買い得値段ではありませんでしたが、良質そうなのでソラ豆を1袋買いました。このところ毎晩のように塩ゆでにして食べています(^^)
庚申塔などをみつけては、写真を撮りつつ休憩しながら進みます。
玉敷神社には国学者の河野省三邸跡がありますが、建物はなくて門しか残っていません。やはり門だけで、建物があったところは荒れ放題(?)の公園となっているのが、洋画家・斎藤与里生家跡です。加須駅から歩いたら1時間では着かないでしょうし、近所の人が犬の散歩で通るくらいなのかもしれません。何度か来ていますが、今回はすぐ近くに墓をみつけました。このあたりの風習で、墓石は家の近くと菩提寺の両方にあったりします。(写真は斎藤与里生家跡にて。井戸跡か、単なる放置土管かは分かりません)
最後は、「浮野の里」というクヌギ遊歩道・水路・葦原・花菖蒲などなどのある場所で、、、お昼寝してゆきたい感じでした、、、。

2009年5月2日土曜日

いつの世も締め切りはちょっと辛い!?

先日、館林の田山花袋記念文学館にて、板倉町教育委員会・発行「みずば絵巻~川と道~」という無料の配布物を入手しました。折りたたみ地図のような体裁で、板倉町にある歴史的石造物や水にまつわる風景などが分かりやすく纏められている内容です。そのなかのひとつが「天保の締め切り跡」というもので、、、”天保12年に利根川の東遷事業によって締め切られますが、それ以前より本川ではなくなっていたようです。利根川流域で、締め切り跡や水路が残るのは、本地域のみで、とても貴重な国土遺産です”と書かれていました。
騎西の玉敷神社で1時間ほど藤の花を見た後で、そこへ行ってみることにしたのですが、、、肝心の利根川には、いくつも橋が架かっているわけではないので、騎西町からだと国道122号で北上して利根川を超えたら東へまわるか、先に大利根町にある埼玉大橋まで引き返すかするわけですが、地図も持っていなかったので、いつ目的地に着けるかどうかも分からない旅路となりました(笑)
ちょうど締め切り跡あたりを横切る道路が工事中だったせいもあって、知らずに通り過ぎてしまい、以前「群馬の水郷」をめざして歩いたあたりまで行ってしまってから、引き返しました。
旧利根川だった部分は、両岸に土手が残っていて、ほとんどは田畑と釣り堀くらいで、のどかな田園風景そのものです。行ってみて「なんだぁ、ここだったの?!」と、、、今までに何度か車では通ったことのある場所なのでした。片側の土手は車が通れますが、もう片方は、散歩やサイクリングに良さそうでした。
群馬と埼玉の県境は、この締め切り跡の真ん中あたりになっています。利根川より北側なのに北川辺町が埼玉県なのは、このような歴史的経緯(?)が関係しているのかもしれません。注意深く見れば、グーグルアースなどの写真や普通の地図でも、かつては川であったことが読み取れそうですが、知識より先に風景を見て「ここは普通とちょっと違う!!」という風にはなかなかなれそうにありません、、、。

2009年5月1日金曜日

今日も藤色玉簾

埼玉県内の三大ヒーリングスポットを勝手に決めてしまうと、、、さいたま市(大宮)・氷川神社、騎西町・玉敷神社、鷲宮町・鷲宮神社(順不同)ということになります。
今日は、自転車にて午前6時出発で騎西町の玉敷神社にある推定樹齢400年という藤の花を見にでかけることにしました。
通り道なので、先に鷲宮神社に寄りました。ここは近年、マンガ「らき☆すた」の聖地と化してしまったようなので、お久しぶりになってしまいました。出雲系・関東最古の大社です。絵馬掛けはもう9割以上「らき☆すた」関連のようでした。3羽ともオスのクジャクが飼われていましたが、オスだけでも羽根を広げたりするのでしょうかね?
鷲宮神社から1時間弱で玉敷神社へと着きました。こちらは703年と創建年がはっきりしていますが、現在の場所になったのは江戸時代の初め頃のようです。藤の花は、ちょうど見頃な感じでした(^^)
あと藤の古木があるのは、越谷の久伊豆神社ですが、見に行けるかどうか微妙になってきました。例年ですと、玉敷神社から菖蒲町(菖蒲神社に樹齢約300年の藤がある)へと回るのですが、今日は別件で、北へ……。