2009年11月14日土曜日

野木のびにょきにょき鎮守の森の木

昨日、下野煉化製造会社の煉瓦窯を見に行く前に野木神社へ寄りました。国道4号線のところから、ずいぶんと長い参道でした。
坂上田村麻呂お手植えの推定樹齢1200年というイチョウや500年のケヤキなど大木がいっぱいありました。
絵馬などが掛けてあるところに何かを布で包んで小さな玉のようなものがいくつも吊り下げられていたので、なんだろうと思ってましたが、、、大公孫樹の説明板に「この大イチョウには、婦人たちが乳が出て乳児が健全に育つように米ぬかと白布で作った模型の乳房で祈願する民間信仰があります。」と書かれていました。
浅草寺にある「白馬繋馬図」の大絵馬と対をなすという「黒馬繋馬図」絵馬があるようなのですが、現物は見ることの出来る場所にあるのか分かりませんでした。浅草寺のも見てはいませんが、こんな文化財がありますという掲示だけで、そのものを常時公開していないものが世の中にはいっぱいあります(^^;)
フクロウの写真も多く飾られていました。今もこの境内に棲んでいるのかどうか、いるならばどの木なのかは、謎でした。雄鹿の剥製らしきが、なぜかブルーシートに包まれて置いてありました。二輪草の群生地でもあるようです。
芭蕉句碑があって「芭蕉墳」となってます。彫られているのは「一疋のはね馬もなし河千鳥」ですが、これは芭蕉の作であるかどうか疑問視されている句です。
煉瓦窯を見て国道4号線まで戻ってきたときにはもう午後1時半近くになっていたので、最初に遭遇したラーメン屋さんで昼食にしました。ちょっと値段が高めの設定かと思っていたら、帰りに次回使える100円の割引券をくれました。たぶんその100円がのっていたのでしょう、、。
法音寺には、安永九年(1780)に建てられた芭蕉句碑「道ばたのむくげは馬に喰われけり」がありました。おくのほそ道とは、関係のない句です。
田舎のJR線二駅分歩くというのは大変でした。間々田には、泉竜寺にも芭蕉句碑があるはずですが、歩き疲れてきましたし、そろそろ空が泣きそうに暗くなってきたので、寄らずに車屋美術館へと急ぎました。
車屋美術館の展示物は、前回10月に行ったときと同じ「土門拳が撮った昭和 風貌」ですが、後期展示となって10枚ほど写真が入れ替えになりました。永井荷風の写真も女性2人と写っているのとは別の写真になってましたが、やはり浅草のロック座で撮影されたものでした。歯を出して笑っているところの顔、その歯がでこぼこなので入れ歯ではなく自分の歯なのでしょうね。
また小川家住宅のほうも見ることにしましたが、閉館時間間際で説明ボランティア3人が暇してるところだったので、なんだかせわしなく追い出されてしまった感じでした。
庭のモミジが赤くなっていました。

1 件のコメント:

  1. 価格に100円オンして、次の割引に。。。不思議に感じますが、それもアイデアのうちなんでしょうね(^^;

    荷風の女性連れが見れなくなったのは残念です。

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